メル友の「I」さん(東海地方)からは折りにふれ貴重なアドバイスをいただいており、まことに感謝に堪えないが、今回もとても参考になるメールをいただいたので忘れないように以下のとおり保存しておくことにした。
「JBLのD123良さそうですね。075との相性も抜群でしょう。
「JBLのD123良さそうですね。075との相性も抜群でしょう。
これで、130・123・8TとJBLを代表するフルレンジが揃ったわけですね。この3種を鳴らせる状態で、同時に所有している人は、実際にはほとんどいないのではないでしょうか。
フルレンジ絡みの話を少し聞いてください。
先般、ヤフオクで落札したレコードプレイヤーの出品者とメールを交換しました。
この方は、JBLの愛好者で4560BK、375・HL88等を使用され、一関ベイシーもジャズ喫茶を開くご友人と共に、耳を鍛えるために訪れたことがあるそうです。(関西在住・団塊の世代)
ただ退職後しばらくして装置を息子さんに譲って、コンパクトなシステムに変えたそうで、当初はLE8T、今はパイオニアのPE20をお使いです。
以下、メール原文です。(LPとCDの比較の意図はありませんので悪しからず)
『シングルコーン一発で音楽を聴いておりますと、CDやデジタル音源ですと、横には広がってくれるのですが、前後が少ないような気がします。レコードを聴きますと、JAZZボーカルでは楽団の前に歌手が出てきて、目の前で歌ってくれているいうな気がするのです。
今日は作業をしながら、トスカニーニ指揮の仮面舞踏会を聞いていたのですが、モノラルでも、前後が出るような気がしました。6畳の部屋ですので、距離はそんなにありません。60を過ぎてから、シングルコーンの音響特性よりも、音楽特性に、これ以上は、何もいらないという感じで聞いています。』
今日は作業をしながら、トスカニーニ指揮の仮面舞踏会を聞いていたのですが、モノラルでも、前後が出るような気がしました。6畳の部屋ですので、距離はそんなにありません。60を過ぎてから、シングルコーンの音響特性よりも、音楽特性に、これ以上は、何もいらないという感じで聞いています。』
ウーン! シングルコーンの「音楽特性」か。文学的な表現ですね。
影響を受けやすい当方としては、お蔵入りしていたダイトーボイスの16㎝ダブルコーンを、一時ネット上を騒がせた「絨毯スピーカー」に仕立ててみました。高さは35㎝です。写真隣はアルティックの7㎝ユニットをスコッチの箱(筒)に入れた「紙筒スピーカー」です。
このタイプは、背を高くすると高域が減衰してしまいますが、この程度の高さならあまり減衰しません。また、無指向性風になるため音場感に優れます。
特に、ダイトーの方は低音もそこそこに出て、非常にナチュラルな音場を聴かせます。音場の広さ・深さは4ウェイに一歩譲りますが、自然さは勝ります。
小編成のクラシックには相当な表現力です。自然音場に加え、音のつながりがいい! 当たり前ですが。これがシングルスピーカーの音楽特性なのか、と一人合点しております。

以上のような内容だった。
文中の「LPとCDの比較の意図はありません」とのことで、LPレコードをやってない自分に対してのご配慮まことに痛み入ります(笑)。「I」さんがとてもこまやかな神経をお持ちの方だということはよく存じ上げております。
さて、肝心の「メール内メール」の部分を当方で勝手にくだけた物言いにさせてもらうと、
「歳をとるにつれ子供や孫たちが成長していくのでオーディオ用に使っていた広い部屋を譲り、狭い部屋に引っ越した。したがってアンプもスピーカーも小ぶりなものに変更し、音楽を楽しんでいたところ、大掛かりなシステムからは得られなかった音楽特性を発見して大いに悦に入っている」という趣旨になるのだろうか。
ふと「オーディオはフルレンジに始まってフルレンジで終わる」という格言を思いだした。
それはさておき、音楽を聴くときには人それぞれに気にかけている分野があるが、我が家の場合、一番のポイントは音の拡がりよりも文中に出てくるような「前後感」そのものにあり、このブログでは度々「奥行き感」とか「彫りの深さ」とか表現させてもらっているが、これを平たく言うと演奏されている楽器や歌手の位置が前後感覚を持って再生されることをいう。
アンプやスピーカーのテストでも音響空間におけるこの立体感覚が感じられないと即座にアウトで潔く退場してもらっている。(前述のように我が家はレコードではないが、dCSのDAコンバーターで辛うじてカバーしている積もり(笑)。
この前後感覚を一番自然に表現できるのが前述どおりシングルコーンというわけだが、その理由を素人なりに挙げてみると、いくつもユニットがあるとどうしても周波数の重なり合いの部分で音の濁りが生じるし、ユニットごとの微妙な位相管理も難敵だ。
その一方、シングルコーンに付きものの不満を挙げると、たとえば「低音が出ないのでスケール感に乏しい、高音域の伸びが足りない」などの欠点も、この前後感覚の再生の見事さが補って余りあるとすればそれだけで十分な存在価値がありそうだ。
そういえば、我が家で大掛かりなウェストミンスターの音をひとしきり聴いた後で、なぜかJBLの「LE8T」(口径20センチ)を無性に聴きたくなるのもその辺に理由があったのかと思わず膝を打ったことだった(笑)。
オーディオ愛好家を大きく分けるとすると、低音とか高音とかの周波数レンジをことさらに問題視する「音響特性」派、その一方、楽器の前後感覚の表現や録音現場の雰囲気の再現に拘る「音楽特性」派とに分けられるように思う。
もちろん「至上の原音再生」ともなると、この二つがきちんと両立しているはずなのだが、これがとても一筋縄ではいかない。どうしてもどちらかに偏りがちになる。しかも「音響特性」に拘れば拘るほど「音楽特性」がおろそかになる傾向がある。
オーディオは自分さえ楽しめればそれでいいのだから、どちらでも構わないのだが、経験上では耳が肥えた方ほど「音楽特性」派に属する方が多いようだ。
願わくは自分も同派に所属したいのはやまやまだが、残念なことにいまだに両者のバランスを取るのに四苦八苦しており、その意味では永遠に「ストレイ シープ」状態から抜け出せそうにないのがちょっとつらい(笑)。