日本人というハンディを乗り越えて、今や世界的な指揮者になった小澤征爾さん(1935年生まれ)。
その出自をごく簡単に紐解くと、中国の奉天(当時、満州)生まれで父親は「小澤開作」といって歯科医師であり、民族主義者として「満州国協和会」創設者の一人だった。
今や完全に死語となった「大東亜共栄圏」「五族協和」という錦の御旗のもとに展開された満州事変(1931年)の首謀者とされ、当時陸軍(関東軍)の高級参謀だった「板垣征四郎」と「石原莞爾」との親密な交流を通じて両者の名前から1字づつとって「征爾」と命名された。
「大東亜共栄圏」構想の背景には「白色人種は結局、黄色人種を受け入れてくれない」という思想が根底にあったが、はたして現在はどうなんだろう?
ちなみに「五族協和」の五族とは日本人・漢人・朝鮮人・満洲人・蒙古人をいうが、もし石原莞爾さんがご存命だったら現在の五族融和の状況についてどういうご感想を洩らされるだろうか。
余談はさておき、小澤さんが指揮した演奏をいくつか聴いたことがあるが正直言って「この曲は小澤さんでなければ聴けない」という極めつけの演奏に一度も接したことがないのが残念。おそらく自分の鑑賞力が未熟なせいだろうが何といっても同胞の一員としてもっと理解を深めたいところ。
そういう中、先日図書館でたまたま小澤征爾さんの本をみかけたのでこれ幸いとばかりに借りてきて目を通してみた。
さすがにベテラン指揮者だけあって参考になりそうなことが沢山書かれていた。図書の返却期限が明日(28日)に迫っているので、このまま返してしまうのはもったいない気がしてせめてポイントだけでも記憶に留めておこうと箇条書きに整理してみた。
☆ クラシック音楽における東洋人の位置づけ(79頁)
デヴュー当時にドイツの有名な批評家から「(東洋人なのに)あんた、ほんとうにバッハなんかわかるの?」と、随分失礼なことを聞かれた小澤さん。これに関して恩師の斎藤秀雄さんがこういうことを言ってた。(要旨)
「ドイツで生まれ、ドイツで育った人はドイツ音楽の伝統を知っている。フランス人もイタリア人も同様だ。けれどもお前たちは真っ白だ。でも真っ白っていうことは、案外いいことかもしれない。うんと勉強してその真っ白の中に自分の経験を加えていけるから。
ドイツ人がフランスのものをやろうとすると伝統が邪魔してよくできないとか、イタリア人がドイツものをやろうとするとイタリアの伝統が邪魔になる事があるかもしれない。歴史があったり伝統があるとそれがかえって重荷になるかもしれないので、良い伝統と悪い伝統、それをよく見極めろ。」
☆ 指揮台に立ったとき、ふっと手を動かし、みんなが信頼してついてくる指揮者になるためにはどうすればいいのでしょうか?(115頁)
「深く作曲家のその曲を研究してみんなが納得するようなところでエリアをつくってポンと前へ出すと、ついてきますね。それとこんなことがあるんですよ。歌は必ず、息をとらなきゃ歌えない。
音楽の根源は人間の声から始まったと我々は思っているわけ。それから楽器は声の代わりに音楽をつくってきた。だんだんとそれが、声ではとても出ない高い音や低い音をヴァイオリンとかで出せるようになった。
だけど音楽の根源は声だとすると、息を吸うことは絶対必要で管楽器は息を吸わなければいけないけど、ヴァイオリンなどの弦楽器は息を吸わなくても弾ける。しかし、そこのところで、息をみんなにうまく吸ってもらう指揮者もいて、それがいい指揮者だと言われる。
いわば“インバイト”をするんだね。~中略~。カラヤン先生の弟子をしていた頃にはっきりと「インバイトだぞ、指揮は」と仰っていた。歌手とオーケストラの息が合う、そういうことができる指揮者になれたら一番いいんじゃないかと僕は思っている。要するに無理に押し付けないってことで。」
☆ 最後に百年後の皆さんへ(150頁)
「100年前の人たちは僕らが生きている今のことを、どう思っていたのかって考えてみると、こんな変化を想像しなかったと思う。飛行機が出来たり、コンピューターが出来たり、文明は驚くほど変わっているわけで。
そう思うとこれから100年後もうんと違うと思うんです。
そこで二つだけ変わってほしいことがある。100年前の人は100年たったら戦争がもうなくなっているだろうと思っていたと思う、悲惨なときに。けど、まだ戦争はなくなっていない。その戦争のことは、もうほんとに人間の頭の良さを使ってなくしたらいいと思う。
それともう一つは世界はすごく近くなってきている。どこに誰が住んでいるかがわかって、どれくらい貧乏な人がいるかとか、どんな人たちがどこそこにいるとか。
人種問題なんかも含めて、100年後のみなさんには、是非そういうことを解決してほしい。世界が、地球が小さくなったなあと思えるように。みんながわかり合っている地球になってもらいたいと思います。
そしたらいいなあ・・・と、そういうみなさんで、いていただきたいと思います。」