誰しも「小・中・高」時代に習った国語の「教科書」の一節の想い出が、鮮明に、あるいは朧げかは別にしてある程度記憶として残っているように思う。
本書には「蜻蛉(かげろう)日記」「更級(さらしな)日記」「和泉式部日記」の三巻の解説が収められているが、「更級日記」の一節に触れてふとそういう思いに捕らわれた。
「走る走る、僅かに見つつ、心も得ず、心許なく思う”源氏”を一の巻よりして、人も交じらず、几帳の中に打ち臥して、引き出つつ見る心地、后の位も何にかは為(せ)む」
口語訳としては「あれほど読みたかった源氏物語をようやく1巻から読むことが出来た。カーテンを引いて夢中になって読んでいると、もう后(きさき)の位なんてどうでもよくなるわ」
「更級(さらしな)日記」の作者は「菅原孝標(たかすえ)の女(むすめ)で、あの「学問の神様」とされる「菅原道真」の子孫であり、こうして源氏物語を読む機会を得たのは彼女が14歳の時である。
史実によるとこれは「1020年」の話だそうで、たしか高校時代の「古文」の授業だったと思うが、当時「今から1000年も昔に、こんな読書好きの少女が居たんだ。今と少しも変わらないじゃないか」と、妙に記憶に残っていた。
ちなみに、本書によると「蜻蛉日記」の著者は「更級日記」の著者と姻戚関係(母方の伯母)にあたるとのこと。
現代の日本人にこういう読書好きの「DNA」がはるか1000年の時空を超えて脈々と引き継がれているかと思うと、何だか愉快になりませんかね(笑)。
そして、もうひとつ「教科書」の想い出となると次の「詩」が浮かんでくる。
のちのおもひに(立原道造)
夢はいつもかへつて行つた 山の麓のさびしい村に
水引草に風が立ち 草ひばりのうたひやまない しづまりかへつた午さがりの林道を
うららかに青い空には陽がてり 火山は眠つてゐた ――
そして私は 見て来たものを 島々を 波を 岬を 日光月光を だれもきいてゐないと知りながら 語りつづけた……
夢は そのさきには もうゆかない
なにもかも 忘れ果てようとおもひ 忘れつくしたことさへ 忘れてしまつたときには
夢は 真冬の追憶のうちに凍るであらう
そして それは戸をあけて 寂寥のなかに 星くづにてらされた道を過ぎ去るであらう
わずか24歳で夭折(病気は結核)した詩人「立原道造」の名前が今ではほとんど出てこないのが残念。
「優れた芸術作品はその底流に死を内在させている」とは、心理学者の「河合隼雄」氏の言葉だが、その辺の雰囲気を感じ取って妙に記憶に残っていたのかもしれない。
ただし、細かな解釈についてはネットからそれらしき解釈を引用させてもらいましょう。
「作中使われている「夢」という言葉は、「魂」と置き換えてもよいであろう。動くこともままならず病床で死を迎える作者は、自らの魂を、かつて自分が愛したところへ彷徨させ、自分との別れを物語らせる。
その哀悼の彷徨を終え、魂が行き場を失ったとき、魂は凍りつくのである。すなわち、死、である。
生と死を隔てる扉から、魂は生の場より退場する。その先の世界は、寂寥に満ちた星くづに照らされた道であった。
ここで語られているのは、作者自身の死である。
作者は率直に自身の死を見つめ、自らの死の床を想像し、自らの死そして死の世界を考え、それらを表現する言葉を磨きぬき、完璧な詩に昇華させている。その徹底した冷徹な作業を行う、若き作者の精神の強さに私は慄然とする。
名作というもの、年を経れば、見えてくるものはまた違ってきて、新たな魅力を知ることができる。」
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