「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

日本歌曲は「クール・ジャパン」

2020年10月08日 | 音楽談義

「今さら何だ」と言われそうだが、「クール・ジャパン」(Cool Japan)という言葉がありますね。クールとは周知のとおり「カッコイイ」というくらいの意味。

ネットによると、

「日本の文化面でのソフト領域が国際的に評価されている現象やそれらのコンテンツそのもの、又は政府による対外文化宣伝・輸出政策で使用される用語とある。

具体的に挙げると、ゲーム・漫画・アニメやJ-POP・アイドルなどのポップカルチャーを指す場合が多く、さらに自動車・オートバイ・電気機器などの日本製品、料理・武道などの伝統文化など日本に関するあらゆる事物が対象となっている。

経済産業省に「クール・ジャパン室」が設置されており、戦略産業分野である日本の文化・産業の世界輸出促進、国内外への発信などの製作を企画立案し推進している。」
と、ある。

その「伝統文化」とやらで、これからぜひ「日本歌曲」を広めてもらいたいと思うわけ。

もちろんクラシックファンだから西洋歌曲もいいのだけれど、歳を取ればとるほど親しむことが多くなるのが日本歌曲ではないかと思う。

たとえば「花の街」や「芭蕉布」などは島田祐子さんの声で必ず週に2~3回は聴いている。歌詞の意味が分かるので旋律と重なり合ってとても曲趣が深くなり、聴くたびに心が洗われる思いがする。


「こんなに美しくて抒情的で素朴なメロディがあったのか」との驚きとともに世界中で日本ファンがきっと増えるに違いない。何せ音楽は唯一の共通言語みたいなものだから~。

ところで、「花の街」の作曲者は「団 伊久磨」さんだけど、無類の釣り好きと見えて先般紹介した「釣り名著50冊」の中に入っていた。



ちょっと字が小さいが、下から10冊目に「石鯛釣り」団伊久磨とあるのがお分かりだろうか。

もちろん一読したわけだが、その内容はといえば「花の街」のあの純情可憐そのものともいえる曲趣とは違って「艶めいていて、くだけた話」が盛り込まれており曲のイメージとはまったく違うことにいささか驚いた。

神童モーツァルトもあの美しい調べと(書簡などを通じての)人物像との落差にビックリさせられるが、改めて音楽作品とは勝手に独り歩きするもので、作曲家の人間像とは別物であることを痛感した!

これは音楽に限らず全ての芸術作品にも共通のようで、以前、「いい文章とは」の関連で、現役の国語教師の次のような言葉が強く印象に残っている。

「作者に(文章の意味の)正解を聞いてもあまり期待できません。理由は簡単です。作者が自分の思いを正確に表現できているとは限らないからです。

正解は作者の頭の中にあるのではなく表現の中にこそあります。問うべきは書き手はどういうつもりで書いたかではなく、どう読めるかです。

“読み”は文字どおり読み手が主導するものなのです。」
   
                        

これでいくと、音楽のイメージについても同様でリスナーの方で勝手気ままに創造しても一向に構わないようですね。

話はまったく変わって、先日ウォーキングコースの途上で見かけたのが「お靴を履いたワンコちゃん」。


                   

我が家の歴史にはずっとイヌやネコの名前が見当たらない。家内ともども、好きなんだけれども実際の手間を考えると「?」なので、何となく飼いそびれてきたのが実情。

どちらが“言いだしっぺ”になるのか、我慢比べみたいなところがあるが、結局その後の「お世話」に直結するのでうかつな発言は命取り~。

 やっぱり、今のように野良猫の餌やり程度が丁度いいようでして(笑)。



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