「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

魔笛談義~魔笛の由来~

2007年02月22日 | オーディオ談義

モーツァルトのオペラ魔笛のあらすじや台本の不備については今日までいろいろと数多くの非難、論評がなされている。あの美しい音楽と台本とのアンバランスがついつい目立ってしまうのだろう。

いわく「善玉と悪玉が途中で逆転してしまう」「筋書きが途中から変更された」とか、「信じ難い展開ばかりが続く支離滅裂な台本だ」という類の話である。

しかし、「このオペラの台本をよく読めばそういうことはない」とその辺の疑問を明快に解いているのが
「ドイツオペラの魅力」(著者:中島悠爾氏)だ。

まず、「このオペラは何故「魔笛」と名付けられているのか」への答えを要約してみよう。

このオペラの中で魔法の笛はたしかに重要な小道具になっているが、この笛をめぐって話が展開するほどには重要な存在ではない、それなのに何故、標題が魔笛となっているのか、魔笛に親しむ人なら誰もが抱く疑問だろう。

ところが、この問いを台本の中に探ってみると、このオペラ全体の構成が実にくっきりと浮かび上がって見えてくるのだ。段階的に追ってみよう。

第一ステップ(魔法の笛の由来)

第二幕第二十八場「火と水の試練」でパミーナ(王女役)はタミーノ(王子役)に向かって言う。「この笛こそ
私の父が・・・千古のカシワの樹の幹の奥の奥から刻んだ笛・・」。実はここに出てくる「私の父」を解明することこそが魔笛の台本の矛盾を解くになるのである。

第二ステップ(「パミーナの父」であり「夜の女王の夫」とは一体何者なのか)

この父であり夫である人物は、このオペラに姿を現すことはないが、第二幕第八場で夜の女王が娘のパミーナに短剣を渡すときの十数行の科白の中にその死の前後の経緯が語られる。しかし、その
肝心の部分がかなり長い台詞で語られるためか、ほとんどの上演でカットされてしまうのが筋が分からないという大きな混乱のもとになっている。

第三ステップ(そのカットされた十数行の科白の全容)

「かって太陽世界を支配していた偉大な王は、妻(というよりはむしろ女性)を信頼せず、死ぬ間際に太陽の世界とそれに伴う力とを神々に仕えるザラストロ達に譲ってしまう。(ただし、それ以外の宝物は
形見となる魔法の笛
を含めて母娘に与えた。)

しかし、妻たる夜の女王は王の真意を解せず不当な辱めを受けたとして怒りに燃える。ザラストロは無垢な少女パミーナ姫をこの母のもとに置くことに危惧の念を抱き彼女を己のもとへ連れ去ってしまう。

自分の無力を知る夜の女王は、そこで王子タミーノの力で娘を、ひいては太陽世界を奪い返そうと計る」

たしかに、以上の科白の全容で台本や筋書きに関するいろんな矛盾が大筋で氷解する。少なくとも「善玉と悪玉の逆転説」はありえないのである。

このように魔法の笛の由来をたどっていくと全体のつじつまが合う仕組みになっているので、結局、魔笛という題名は伊達ではなかった。

ただし、余談だがこのおとぎ話のようなオペラに魔笛という堅苦しい題名は似つかわしくないという意見も一部にはあるようだ。

以上、縷々魔笛という題名の由来をたどったが自分の本音を言うと台本の辻褄が合わなくても少しも構わないと思っている。むしろ、破天荒さ、支離滅裂さがあったほうが、いかようにも解釈できて夢や幻のような魔笛の世界にマッチしており、そのメリットの方が大きいのではないかとさえ思っている。要は音楽が美しければそれで十分。

また、台本の解釈によってさまざまな魅力が存在する魔笛はまるで指揮者の力量を示す見本市
の観があって面白い。

                        




 

 


 


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