経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

「あいまいさの産物」

2006年05月31日 | Weblog

会社には手と足も口もないのであるから、新聞社の社説は、その社の論説委員が記したものである。 当然個人が記したものであろうが、社を代表して考え、書いたものを論説委員会等で論議され加筆修正を加えられたに違いないから、これは厳密には個人の説ではない。
だから社で持って文責を負う、といったことになろうから、個人の意見より多少社会的インパクトが加味された誰の意見でもない論文が世に罷り通ることになる。
社説ということはその内容についての責任は個人が負うことはないということである。かといって実体のない会社が負うことができるわけはないから、責任は曖昧になる。しかし、事重大であれば、会社のトップ個人が訳は判らないまま負わされ「これにて一件落着」になる。
まずはこれで真の犯人(?)は不明なままであいまいなまま決着する。結局あいまいさの産物は結末もあいまいなのである。

掴む作業

2006年05月30日 | Weblog
あらゆるものは常に「変化」する。変化をとらえることができないもの、対応し得ないものは淘汰される。商業統計にみる中小商店の減少や全国商店街での空き店舗などは淘汰された結果の現象である。

 中小商業にとって、今注目すべき変化とは何になのか。変化を掴まず、結果に対応していないだろうか。考えてみれば、変化・潮流をつかむ方法を、私たちは学んだことが、これまであっただろうか。

 変化を捕らえても、観点が問題になる。上の例で言えば、淘汰された中小商店の数より、生き残っている中小商店の方が圧倒的に多い事実を、私たちは見過ごしてしまいがちである。なかには前年130%以上もの増収増益し続けている例も少なくない。

 この両者の命運を分ける要素は何になのか。それが私たちが掴まなければならない最重要なことなのだ。
 
 「理論と現実はちがうよ」とよくいう。そのとおりだと思う。理論に照らし現場を、当てはめるのも、かといって現場をもって理論を否定するのも傲慢であるし、そうした態度では本質を掴むことはできない。

 理論と現実のクロスを、当事者であるこの自分が見つけるという難しい作業が求められる。

人の足が街にオアシを落とす

2006年05月27日 | Weblog
  郊外への大型店出店を規制する「まちづくり三法」の1つ「改正都市計画法」が参議院本会議で可決、成立した。

 法律を動かすことが、商店街の賑わいを戻すことになろうか。
 話は、つい最近までの巨大ホテルの戦略の話。

  普通、観光業者は自分のホテルなどの施設を大きくし、その中で観光客がお金を落としていくよう工夫する。多くの観光地の歴史がそうである。長い間、観光客は、車というベルトコンペアに乗せられその街に一歩も足を下ろすことなくホテルに運ばれ,その中でひたすらお金を落とすよう仕向けられてきた。これでは街は寂れた。

 そして、沈みゆく大船で、イス取り合戦していた彼らも沈んでいった。北陸の和倉などその典型的な例であろう。

今度の新法により、郊外の大型店が、1万平米以下の店舗を、各地に分散されることになろう。それを結ぶのは、車。既存のアーケド街やカラー舗装の商店街は、その車のバイパス化。これはこれまでにも各地の商店街で見られた事例である。またその再現か。

他方、城ノ崎や湯布院などは、各ホテルにできるだけ施設を取り込まず,外に共同施設やイベントを設定し、それらを巡らせることで町に回遊性を持たせることが繁栄を招くことにきづき、そして成功した。また、熊本県阿蘇の黒川温泉街が活性化トしたのも、各旅館が内湯を開放し、観光客に風呂めぐりの楽しみを提供したところに、起点がある。観光客が,趣向の異なる温泉風呂に入るため温泉街を軒並み歩きまわること。すなわち賑わいである。
これはとりもなおさず分断されていた社会的システムの有機的結合が図れたことを意味する。その結合の機能を担うのは「人の足」である。

人の足と車、車を降り、楽しく歩き回れる空間こそ本来の街であり、「人々が歩く街」を取り戻すことこそ「賑わい」、街の活性化の本質である。
車の賑わいではなく、人の足の賑わい、人の足こそが、街にオアシを落としてくれるのだから。
 この視点が欠如したのでは、なにものであっても期待はかけられない。



賑わいの本質

2006年05月26日 | Weblog
 砂糖が真っ茶色に見える。蟻が集っているのだ。CM、入れたわけではない。チラシを蒔いたわけではない。

 街が衰退する理由に、「車社会への対応の立ち遅れ」といった指摘をよくきく。もっともに思えるが、果たしてそうであろうか。

私には渋谷や新宿などの繁華街が車であふれているとは思えない。大阪の難波も心斎橋にしてもそうだ。ずばり言って車ではなく人があふれているのである。

もちろん地方と大都市では現状が全く異なる。東京、大阪などの大都市は、実は車社会などではなく、伝統的な公共交通や歩行に頼っている街なのである。車で通勤やショッピングする人なんてほとんどいない。だからこうした街には歩く人があふれているから賑わっているのである。つまり。街の賑わいは、歩く人の数であって、車は決して賑わいを構成しないだけでなく、むしろ弊害になっているというのが実態である。

地方商店街の中心は、昔は人通りの多かった旧国鉄駅前通りや国道沿いであった。ここらの土地は密集度も高く、地価も高価で、後発の大型店は郊外への出店を余儀なくされた。郊外となれば、歩行客は限られるから、それなりの駐車場がいやでも不可欠になった。また地方では、日常の生活において一個所で用を足せないから車を使わざるを得ない状況下にある。こうしたことが郊外出店が余儀なくされた背景にあるわけで、それをあたかも流行やブームのごとくいうのは誤りである。
繰り返すが、元来商店街は歩くということを根底になりたっものであるから、商店街としての駐車場は必要にしても。個々の商店には客用の駐車場は不必要ばかりか、個々の商店が駐車場を持つことで、商店街としての本質的な機能性を喪失したマイナス効果の方が大きかったといえる。なぜなら、車でくる限り、歩行者は減少するし、商店街の回遊性もワンストップショッピング性も喪失する。このことが地方の商店街の衰退理由である。

当然、人が歩かない駅前通りは寂れる。幹線はもはや歩行者の道路どころか、町の生活道路としての機能も侵食され、通過車両をいかにスムーズにさばくかが幹線道路の衷心機能となってしまった。したがって、そのための拡幅工事やバイパス道路の整備により、買い物の場所としての適合性を殆ど失ってしまった。このことがまた車が消費者を郊外へ運びさり、中心商店街を寂れさせたのである。
だから、商店街にとって、必ずしも「駐車場対策」が問題の解決策にはならないのである。
 
換言すれば、生活環境としての町全体の社会的システムが脆弱化した結果、人々が足でなく車を使わざるを得ない状況に陥ったことこそ問題の本質である。それをいきなり「車社会への対応、すなわち駐車場」というのは,明らかに主客転倒した論理といってよい。
 
だから消費者からみて購買地までの距離が遠くなったこと、買い物場所や個々の商店の非連結性や分断化に対して、これを車で結べば解決という考えもまた短絡的かつ一方的である。
 賑わいは、人が醸し出すものである。蟻に砂糖だが、街に人が群がるには、はて人には?

待ち受け理論について

2006年05月23日 | Weblog
  こうした流れの速い時代は、追いかけるのではなく、待ち伏せする。(「待ち受け理論」)、ということを、4年前、「羊たちの探しもの」に書いた。その前段階として待ち伏せ理論があるが、詳細は読んでいただくとして、ここで簡単に触れると、たとえば「3年経ったら、こうなる」と具体的に想定し(仮説)をたて、そこに先回りし、時代が来るのを、待ち伏せしなければ、ということである。
 経営では、タノウエ式経営計画でこの考え方を。すでに活用している。
 営業・販売戦略では、実務的にこの手法を展開するフォーマットで展開している。

以下、ITに関連して、この待ち受けについて、触れてみたい。

ITの変化のスピードは速い。それも直線的ではない変化で、そこに法則性を見つけることは困難である。だからなおさらのこと。今までみたいに、先行く人を追いかけては追いつかないだけではなく、その先を行く人と共に、間違った方向へ行くことにもなりかねないのである。上に触れたように、今迄みたいに右型上がり一直線に、走るとは限らないからである。

 当利前のことだが、待ち伏せしたからそこへ時代がのこのこやってくるとは限らない。先回りし待ち伏せしたところへ、時代がきてくれる確度を、高めるまで繰り返す以外に術がない。そうしてこそ次のステップの「待ち受け」が可能になるのである。

具体的には「待ち伏せ」での遭遇確率を高めるには、仮説の練習をやることである。仮説を繰り返し、試みることだ。難しそうだが、これは子供の頃、やった自転車乗りの練習と同じことと思ってもらったらいい。但し、後ろの荷台に手をかけて、押してくれた父も、案じつつ見守るは母もいない。孤独の繰り返しといえる。リスクも当然多い。
 安全な道は、これまでが安全という証にはなるが、これから、という早い変化の道においては、逆に危険なのだから。 逃げずやるしかない。

 その結果、100%とはいわない。60%も当たるようになったらしめたもの。ここに至れば、「チャレンジ心と実践力、そしてねばり。この3つがキーワードになる」、なんて言うことも、言われることもない。こうしたセリフこそ時代錯誤になろう。

 待ち受け理論を、簡単なたとえで言えば、蟻、100匹集めるのに、追いかけることもない。待ち伏せすることもない。新聞紙を広げ、真ん中に砂糖を置いておけばいい。これが待ち受け理論である。

トンネルとミキサー車

2006年05月22日 | Weblog
 入り口で見送ったら、あとは出口で、出迎える。これが戦略です。
同じようにばらばらにはいった情報が、最後の出口のところで、やあ、やあと出
会わせる。情報が区々連結されるだけではなく一元化すること。

 こうしたうえで、対応しないと、対応もまたばらばらならなものになり、そこ
に潜む本質的な問題に対する、対応を見逃すことになるのです。

 ちなみにモデルとしては、生コンのコンクリミキサー車。あれはすごい発明だ
と思っています。

 20人の会議で1人遅刻する者がいたら、それを待つ。工程管理の待ち受け。
 これ、トンネル思考から見たらバツ。ではどうすればいいか。簡単です。1人
抜けても始めればいい。それ以降も。この1人が制約条件なのですから。

 これを市長が来ないと始められない、と地位の高い人の到着を待つとコストは
 20人×一人当たりの平均コスト分、マイナスになる。つまり全部を失う。

 最近の私の失敗は、お湯を湧かしていたことを忘れて、おもしろい記事に惹か
れて読んでいて、気がついたときはヤカンを丸焦げにしたこと。
 で、対策は、お湯がすぐ沸騰しないように、弱火にしておき、このお湯沸かし
以外の仕事がさきに終了するように手直ししました。

どっちもどっちなのですが。

2006年05月21日 | Weblog
むしろ人の持つ心で、経済も経営も裁量されている。経済学、経営学は、そのための後付の裏打ちかな、と思ったりします。

 人は既存のものに、なぜしがみつくか、なぜ保守的なのか、裏返しなぜ革新派が生まれるのか、というと、そこにそれぞれ確実な利があるから、その握ったものを離すことは誰しも恐い。それを捨て、新たなものが、1にまた確実に利を保証し。かつ2にまた確実に自分が手にする保証、この2がない限り、今、手にしているものを離さない。また革新派は、そうした彼らの手にする利にあやかれなかった人たち、、、。革新を叫ぶ者は、その次の利権を手にしたい人々。

 当然、利権を巡る保守、革新の争いになる。革新が革命に結びつく。

 ここに行司がいれば、どっちもどっちだ、と苦笑いしながら、どっちかに軍配を上げなければ、ということになりましょうか。これが歴史の「織りなし」です。

 勝者サイドから記された星取表と観戦記。星取り表は事実ですが、観戦記はそのままでは歪んでいますから、公平な見方に直しながら、読み直してみる。これが楽章には抱えない姿勢だと思います。ノウカイでいう多角的角度から見る、ということです。

サービスについて

2006年05月20日 | Weblog
サービスは、モノを得る者にとっては、消費者に利する、消費者から見てのサービス、消費者がそう感じるものが「サービス」であって、どこか無償の行為という非経済的動機がそこに含まれるのではなかろうか。

この相手、消費者に喜んでいただく、といったサービスの本質を二の次にして、サービスと言う名目の元に人の気を引きつけ、最終的には己の利を図る、といった、いわば釣り針みえみえの撒き餌の類は、本来のサービスとは異なる。定義の問題だけではなく、
そうしたことをサービスと故障する事自体が、サービスをさらにわかりにくくし、ときには怪しげで、胡散臭いものにしたことは否定できまい。
そういう意味で、サービスは低下してきている、というより不良化してきている、というのが、現場で感じる私に実感である。
そのことは、モノづくりに起因、いな同根だ。なぜなら、本当にいいものは「サービスなど不要で、消費者に益し、売れるもの」だ、と考えるからである。

もう一方。サービスを生業としているのであれば、その提供されるサービスは、有料でなくては生業が成り立たないから、有料であっても消費者が利用するものであることが前提である。だがここにもその売り物としてのサービス以外に、サービスが存在していていて、なかなか複雑である。

サービスに関しては、じっくり考えてみたいところである。


主語を入れ替えてみる

2006年05月19日 | Weblog
 商は「小」、「小」は「個」、商いの基本は小売り,個売、つまり個々お客との個別対応そのものが小の強みである。この自分の強みを広げ、掘り下げ、磨き上げることが、商人の創意・工夫といった日々精進の中身はそこに集中されるべきだ。

 淘汰されるのは、自分の存在基盤に磨きをかけることを怠ったり、自らの強みを捨てた結果である。その判定者は、同業他社でも、組合でも、行政でも、神仏でもない。 消費者である。

 消費者は、お店の存亡に通常は無関心である。だが自分たちにとってなくてはならない店を、失うのは困る。消費者自身の損得に関わるからである。
 
 だったら、お店の目的は、そこへ持って行くことである。このお店が売れないと自分が困る、ではなく、このお店が中ったら、消費者が困る、自分が喜ぶを、消費者が喜ぶ、と主語を入れ替えて考える。その上で日々精進、日々行動のの目的をそこへ持っていけばいい。

天と地をも戦術として

2006年05月18日 | Weblog
「負けるが勝ち」という言葉がある。
小さいとき、祖母や母から、言われた言葉は、慰めの意味である。負けが、あるはずがない。子供にもそれぐらいはわかる

 今は、それはそうとして、そうした言葉の語源があるに違いない。そのことは不勉強で未だもって、調べていないが、やはり「負け惜しみ」や「なぐさめ」ではないことは確かである。
 真意は負けることによって、最終的に勝つ。いな勝つために、負ける、という意
味である。これは戦法として孫子の兵法にもあるが、勝つという戦略を果たす戦術の一つとして負けるというやり方がある、ということだ。
 ノウカイ的にいえば、勝つことが戦略で、その間の敗戦は、勝つという戦略を得
るための戦術である、ということである。
師の城野 宏は、その例を小牧の戦いで話してくれた。

「秀吉の天下取りの仕上げは、家康を形だけでも配下に治めることであった。どうしたか。コテンパーにやっつけるという選択肢もある。しかしそれでは、見方の損害も大きいし、なによりせっかく味方につけた武将たちが離反する恐れもある。それが、例の小牧の合戦である。家康に花を持たせることで、彼をして自ら、秀吉の臣下に立たせる、と戦略を立て、見事に成功した。」

 この師の話を聞いて初めて、祖母と母の「負けるが勝ち」が誤用であることを知った。

 その後、偶然、映画で「戦争と平和」をみた。17歳のオードリ・ヘップパーンのかわいさにも驚いたが、ここで戦略としての「負けるが勝ち」のすごさに、驚愕した。
 この戦略の創案者は、ロシアのクトゥーゾフである。彼は、時間、地、天、といった、いわば神様の分野まで戦略具現のための戦術化し、そのため上層部、民にまで罵声をあびつつ、自らの戦略を貫き、国を救った。
 詳細は、映画、「戦争と平和」やトルストイの原作を見ていただくとして、ここでは簡単に、ブログ「じゃっどんええが」より抜粋しておきたい。

「フランスの大軍を率いてロシアに乗り込んできたナポレオン軍は、連戦連勝。しかしこれが、ロシア軍総司令官クトゥーゾフ将軍の戦略だということには、最後まで気がつかず、ロシアの戦略どおり、最後は壊滅状態で敗退したのである。ではナポレオンはロシア兵に破れたのであろうか。違う。フランス兵を大敗に追い込ませたのは、戦わず逃げる民と軍隊と冬将軍の混成軍だったのだ。ロシアの土地のとてつもない広さと冬の極寒というもてる資産を活かしたクトゥーゾフのこの大戦略は、恐るべし。」