経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

おもてなしを考える

2014年04月30日 | Weblog
なぜ「おもてなし」か

商店街を中心にした中小商店の衰退は目を見張る。
近隣型の商店街には若者の姿は少なく、
高齢者ばかりが目]立って活気がない。

古いアーケードを撤去し、新しいモダンなものに取り替えた
◎△市中心商店街にしても、集客増には結びついていないときく。

商店街が賑わうためには、商店街を構成する個々の商店が
繁盛店になることが絶対条件である。

繁盛している商店には消費者が求める商品の品揃えがあり、
陳列やPOP等に秀でた工夫がある。

しかし、それは前向きな商店ならどこでもやっている


当たり前のことである。

重要なのはお客に気持ちよく買物をしてもらい、
繰り返し、繰り返し足を運んでいただくことに対する「対応」である。

これを「おもてなしの心」とよぼう。
地域の繁盛店となるための神髄が、実はここにある。
にも関わらず、商店街復活の対応と関心は、
ハードやソフトと称するノウハウ技術に集中していることに
疑心を口に出すものは少ない。

考えてもみよ。

まずいお菓子をどんな立派な設備の商店街やお店で
販売したといても、
あるいは最高レベルの接客を行ったとしても、
「売れ続けること」という商いの本質に
近づくことはむつかしいのだ。
売れ続けること、すなわち購買し続ける買い手の
個々の意思決定と選択だから、
こちらでのコントロール不能領域なのであるから。
当然だ。

だからこその「おもてなしの心」。
続く

脳力開発エクササイズ

2014年04月29日 | Weblog

勝ち組、負け組という言葉は嫌だ。
だが、このように対比して、
その理由から、原則なものを取り出して
みてみることは大切なことと考えている。

代わる言葉を、ここでは「良い企業」という意味で、
当て字的に「価値企業」と置こう。
    
価値企業に共通しているものは何なのか。
まず言えることは、経営者の人間性なり個性なりが、
明確に建物、商品の品揃え・陳列、サービス、料理などに
はっきりと表現されており、いわゆる経営者の意志が
見えることである。

私、思うに価値企業では大々的な宣伝に依存ではなく、
来店経験者によるクチコミの拡大に
最大・細心の苦心を集中している。

チラシやパンフレットひとつを例にとっても
きめ細かな配慮がされている。
特に顕著なのはオリジナル性が高い点で、
業者任せにしていない。
手作り100%でないにしろ経営者の個性や思いが伝わる。

だから、金曜日みたいに何十枚と折込が入るときでも
「ああ、あの企業だ」と、すぐ認知される。

この点、その他の企業は、どこかで聞いたような、
見たような感じで全体に埋没してしまっている。

如何に中身が激安であろうと、チラシ自体をみてもらえない、
ときには嫌悪されるといった全体の感じで、
すでに勝負が付いている、と言ってよい。

さらにいくつか事例をあげてとおもったが、やめる。

こうした、全体と個、長い目、短い目で
よい企業、価値企業と見るに値しない不価値企業と
いったように、対峙的な視点から、物事を見る習慣
これが、脳力開発のエクササイズの定番なので、
気が向く方は、やってみられたらいい。

加えて、メデアが褒めていたら、その反対を。
人が非難していたら、いいところをみてみる。

半年も続ければ、ずいぶんと選球眼が鋭くなっている
ご自分に気が付かれるであろう。


信頼関係

2014年04月28日 | Weblog

人と人との関わりを中心に据えて、
きちんとそのつながりの有無を押さえた上で、
虚の部分を実として確認する。
このことが不可欠になる。
面倒、大変な作業である。

だから通常は、これをたいてい省略する。
省略には、当然大きなリスクが想定されるわけだから、
当然、省略する条件がある。
それが、かねがねからの人間関係である。
信頼関係である。

お母さんが毎日出す料理は、家族の誰しも安心して食べる。
ところが同じ料理でも、これまで見たこともない人が、
突然台所へ来て、作ったものはそうはいかない。

お店には、大なり小なり上の例の後者のもつハンディがある。
だから、これをどうしたら、前者(お母さんレベル)へ
持って行くかが、営業の本質ということになる。

虚を実に持って行く作業こそ、
経営の主なる流(なが)れでなくてはならない、
と私は考えている。

だが、現実の流れは、合理化、能率化と称して、
実を虚にということが目立つ
というのが、現場での私の実感である。

このことは、今朝の新聞に入ったチラシを叩き台にして、
それを虚実の視点から点検してみたら、理解いただけよう。



実は・・・・

2014年04月27日 | Weblog

生活も、経済も、経営も、過去もこれからも、
人と人との関係こそが「実」であり、
他は実に見えるが虚であるとみて、
対応することが賢明と考えられる。

たとえばを、3例示そう。
色々話していて、相手が「実は・・・・・」と切り出したとしたら
それまでの話は虚。

選挙時の候補者の言うことは、
公約も含めてほとんどが虚である。当選した者が、
それを実行して初めて実となる。

だから、「なぜ公約したことをやらなかったのか」と問うと、
彼らは「実は・・・」といい訳をする。

その、「・・・・」の部分を補うと、
「実と言ったがそれは虚だったんだ」ということになる。
つまり当選したいがために、虚言を吐いたというのが、
実だったことになる。

最近の知人の話。
連日2時間、3時間の行列ができる、ということを歌いこみにしているお店がある。
それは一度行ってみよういうことで、次の予定もあるので、念のため
「何時ごろ前から、並べばよろしいのでしょうか」と、たしかめたら、
「11時半の開店ですから、その頃にお越しください」と。
自分で発信した虚すら忘れたような返答だったと、嘲笑う。


となれば、
私達は、意識的、無意識亭、悪意があろうとなかろうと、
虚実交々、カオスの中に、存在していると思ったほうが
わかりやすいのではなかろうか。

とりわけ経営を考えるときには、その人とは何か、
その人が作った企業や組織、製品とは
どういうものか、といった人と人との関わりを中心に据えて、
きちんとそのつながりの有無を押さえることで、
虚の部分を実として確認しておくことが
求められる,と考えている。
続く

虚々実々

2014年04月26日 | Weblog
生きていくことは、つまるところ人と人との関係を基盤としている。
当然、生活も経営も人と人との関係の上に成り立つものである。
その関係は、虚と実で構成される。

本稿では、人を介在する「関係」を実としたら、
人以外の関係を虚とおいて論を進めてみたい。

「うちとおたくの会社は緊密だ」、といった言い方がある。
うちとオタクは、会社の関係なのだが、
会社同士の関係の内実は、両社の人間関係のことである。

会社同士が知り合い、名刺交換した後、取引しはじめた、
会社同士が好意を持ったとか恋愛し始めた、
ということではないから、虚である。

「会社としては、君は必要ない。首だ」と言われたとする。
ここでは会社も首も虚、
君というのはこの場合、固有名詞であるから実。

こう考えると、虚が実を首(これも虚で、実は解雇)にしたことになる。
そこで実なる私は、腹を立て対策として抗議に行くわけだが、
何処をさがしても虚である会社さんは見つからない。

存在しない虚が私を首にするはずはないから、
「誰が俺を首にしたんだ」と、私は実を探すことになる。

その結果、「実は・・・・」と名乗って出てきたのが
上司のO部長であることが明らかになる。

そこで、私は初めて首になる理由に
思い当たることが出来るのである。

つまり幽霊が出てきたということは、
幽霊が生きているときの「実」のときの
恨み、つらみであるということだ。

このことが、しかと理解していないと、
私たちは対応を誤ってしまう。
いや、出来るはずがないのである。
続く


脳力開発

2014年04月25日 | Weblog
能力と脳力(師の城野宏が造語)は、
どう違うのか、といったご質問・・・。

これは脳力開発によって脳の力が
最大に発揮されるようになり、その結果として、
一定の分野に関して能力が発揮される、
といったニュアンスの使い方でご理解くださって、
とにかく脳力と能力は違う、
ということだけをここでは抑えておいてください。

脳力は、人の主体性や具体的な動きを決定づけるものですから、
脳力開発を学ぶことで、自分の脳を
自在に使いこなすことができるようになり、
その結果,今までの何十倍も能力を発揮し、
大きな成果をあげることができます。

『人間には,凡人も秀才も天才も変わりなく
百五十億の脳細胞があり、
それを結びつける脳神経の伝導速度もまた、
凡人、秀才、天才ともに違いはない』。
これは師、城野宏先生の口ぐせでした。

では現実に、どうして凡才,秀才、天才
といった違いが見られるのでしょうか。 

その理由は「組み合わせのやり方」にあります。
脳細胞は百五十億(諸説あり)あるのですから、
これを2つずつ組み合わせて(ネズミ算をイメージしてください)、
2のn乗ということで、無限に近い組み合わせが出来る。

しかし現実には、さきほども申し上げたとおり、
ほとんどの人がその一部、三バーセントないし五パーセント
しか使わず、一生を終わる事になります。

「なんともったいない」ことではありませんか。

このことを天気予報や経済予測にたとえたら、
全体像のわずか三パーセント程度を見て、
結論を出したのと同じことになります。
これでは当たるも八卦、はずれるのも八卦になるのは当然です。 
それでもそんなに差し障りのない生活を送り仕事をしています。

だからこそ脳力開発によって、
広げたら新聞紙二面分の細胞を2のn乗的に
使えるようになったらすごいことになるわけです。
事実師は、多くの企業を何百倍にも発展させたし、
個人的には詩人、二科展の絵描き、柔道師範、
オペラ歌手、作家、などなど様々な分野で活躍しました。

昨日分も合わせて書きましたので長くなりました。
いったんここで切り、今回はここまで。


3点セット

2014年04月23日 | Weblog
想い、望み、夢を否定したら、
人は多分に(私は経験したことがないので、たぶんです。)
生きてい今は出来ない」けますまい。

だって自分の死ぬ日が分かっていたら、たまりませんよ。
希望という文字を見てください。望みが希(ま)れ。
だから望みなんだ、と考えてみましょう。

夢は幻だと、先達が言っている。
それでも、「望みを捨ててはならない」。
「いつでも夢を♪♬」を、
とかすかでも希を期待して生きている。

人生は分からないことだらけ。
思うようになかなか運ばない。

だから脳力開発で学び、その確実性を高め、
人生に彩りを付けたいと思うのではないですか。

こうしたこと、叶わぬか叶うか分からない夢と希望を
抱くことで、人類はここまで繁栄し続けてきた。
これからもそれは変わらない。

その意味で私たちは神でも仏でもなく、
超予言者でもなく、生まれてきたことを至福、
よかったと思いたいのです。

諸行無常、この世の前提、根本法則です。
この諸行無常の中に生きて、幸せを創るには、
刻々変化する情勢を的確に捉えるという情報力と、
その変化に対して、どうすれば最適かを判断力と、
その判断に従って自ら動く行動力の3つが不可欠です。

この3点がこの順序でセットになって、
対応力ということになります。

そうした対応力を自在に発揮できるための
基礎となる脳の回線づくり、これが脳力開発の目的です。

よく能力(こちらの方が一般的に使われていますが)と
脳力(師の城野宏が造語として初めて使い広がりました)は、
どう違うのか、といった質問をいただきます。

この答えは・・・・・・・・。続く

うまくいかないからこそ

2014年04月22日 | Weblog

考えもせず、やりもせず、出来る、出来ないと、
結果を言える人は、予言の超能力を持っているか、
超怠慢の怠け者、逃避者、どちらかでしょう。
出来ないにしても、やってから「出来ない」と判断すべきで、
それも1に、「今は出来ない」(次回は出来るかも)、
2に、主語を付けて、「俺はできない(他の人はできるかも)」
他に、今は時間が無くて出来ない、
というのもあるかもしれませんし。

つまり、できないというのも、1つの情報と捉え、
次にやれるように対応策を打つか、
やめるかの判断をする。

そもそも、誰れもが打つ球が全部ことごとく
ホールインワンでゴルフが成り立ちましようか。

将棋の駒を動かせるかどうかの人と、
将棋して100戦100勝。それで楽しいですか。

昔の話ですが、
「にくい、こんちくしょう」とつぶやいた後、
私はこれまで何百回となく、「あいつ死んでしまえ」と
付け加えたことがあります。
父親にすら言ったことも何度もあります。
その思い、望み、夢が即実現していたら、
私は殺人犯として処刑されています。

本屋に「あなたの願望が叶う本」といった類の本が、
いっぱいある。
そのこと自体が、思い、望み、夢が叶わないか叶うか、
そんなことはわからない。という証ではありませんか。
 
物事、とりわけ先のことは分からないからこそ、
それを叶うように努める。そのこと自体を楽みながら・・・。

宝くじで、で当たり外れが分かっていたら、
誰が買いましようか。分からないから、
買い、発表までワクワク待つ。

叶わぬ思いなんて、思わないことだわ。
望みなどないよ。持たないことだ。
夢をみろだって?此の現実を知らないから、言えるんだ。

こんな馬鹿なことをいってはいけません。
思ってもいけません。

続く。


分別と選択

2014年04月21日 | Weblog
「戦略は二者択一、スイッチのオン・オフ
だから簡単じゃないか。
そんなたくさんの細胞は不必要じゃないか」
と思われるかもしれませんが、
その択一の決断を導き出すために、
おびただしい脳細胞とエネルギーが必要になるのです。

択一すること。これが分別、判断。
判断とは、スイッチのオンとオフ。
つまり2進法で、言葉では簡単ですが、
2進法の原始的形態、ノロシでは複雑な情報を処理できない。
そこでモールス信号、コンピーターの言語と発展していく。

これらは人間の脳をモデル化したものですから、
人間の脳を並べてみると新聞紙を2面広げたぐらいに、
このV状の二進(択一)のシナプスが
組み合わさって構成されている。
(このへんは、私は見たことないので、受け売りです。)

つまり、出来る、やる、そのためには、そうした状況を、
様々な戦術の組み合わせで、計算できることになります。

戦術の組み合わせとは、たとえば鹿児島から博多まで行くのと、
北海道まで行くのと戦術の中身は同じですが、
大まかには、組み合わせと時間が違うだけです。

では、アフリカへ行くのはどうですか。
宇宙に行くのはどうですか。

択一自体には変わりなく、数、量が増えただけで、
基本的には、近くのコンビニに行くのと、
アメリカのマンハッタンに行くこととは
変わりがないことになります。

ところが、上の例の後者になると出来ない、
と考えもせず行動もせずいう人がいます。

 2+3ですら、式を立て、計算するという行動を
なさないと出来はしないのです。

123456789+987654321を、
見ただけでうんざりして、計算せず出来ないという人がいる。

計算したらできるのです。2+3との違いは、
数字が大きいだけなのですから。

黄色くなった、お年玉の袋を手に、
「こいで、よかいどかい」と
おとなりの婆さんがいらっしゃいました。

さあ、今からコンビニに。
青森まで行くつもりで参ります。
続く

パートナーシップ

2014年04月20日 | Weblog
今、伸びている企業を見てみたら容易に判ることだが、
またこれから発展していく企業の経営者は、
自企業にとってもっとも大切かつ最大の条件は
良き友(パートナー)であることを知っている。

だから世界中の企業がアジアに良きパートナーを求めている。

それはこれからの国際社会での成功のキーは友であり、
もっとも期待できる地域はアジアだということは、
間違いのない事実だからである。

「アジアといっても、日本はその点はね」といったのは、
私の知人、コンピーター関係のベンチャー企業の経営者Kさん。
理由は?と尋ねると、
今の日本の、とりわけ大企業の打算的考え方では、
アジアでは対等の友情は育たないからだ、という。

国際関係などには縁がなく、疎い私にもそれぐらいは判る。
このまま人間的つながりにすら、
裏を返せば経済、経済といったありかたを続けていくなら
アジアだけでなく、あるいは世界中の国でまでも
人の心が離れていってしまう。
ボーダーレス、業際超えた活動、国際社会では、
他の人々、他の国人たちとの友情と協力が得られない人や
企業や国は衰退していくのは、自明の理である。

こうした企業間に信頼や友情などあるはずがない。
取引も然り。皆、人と人との関係なのである。
人と人の関係を如何に構築していくか、ということが
とりもなおさず、ここでいえば「国際化」だと思うのだが。

ところが多くの企業、あるいは企業人は、
いつも自企業内からしか外をみようとしない。
外から内を見るのが苦手なようである。

それが国際関係おいても、相手国の立場からの日本がみえない。
あるいは見ようとしない、のでは、とKさんは口を添える。

それにどこか過去を引き摺っている。
人間対人間の関係を構築するにも、
国のしがらみをどこかにおいてしまう。
もちろん他のアジアの人たちにも責任はあるが
そうした彼らの多くはもはや過去の人といっていい。

日本人でも同じことだ。
アジアの若い人は日本人と友達になりたがっている。
人たちの歴史を欲している。そのことに気づいていない。

他の国の人たちと共に発展していく。
他の企業と共に伸びていく。
地域の人たちと共に地域を良くしていく。といった、
個々人の幸せにしろ、企業の発展にしろ、
この「とともに」といったパートナーシップこそ、
日本における組織論において希薄ではなかろうか。

島国の日本が風土的にもつ弱点といっるのかもしれない。