経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

私にとって仮説とは、一人遊びの楽しみたいなもので

2006年03月27日 | Weblog
消費の低迷理由を外部要因でなく内部に求め仮説を立てるとしたら、第1に本来消費者の合理性に役立つことに存立が許されている企業が、自らの合理性追求といった内の事情を優先し、逆に利用客へツケ回してきた結果ではないか。第2にサービス業は利用者との接点の多寡が、その質の向上と評価を決めるという形で進化してきた。しかし近年、特に即効性の効率を求めるがあまり、接点部分を合理化で極小、その結果お客の満足館・感激感により回転していたリピートのサイクルが断ち切られたのではないか。第3に人的サービスの機能と貢献度を過小評価する傾向が強いのではないか、の3点である。

 私にとって仮説とは、一人遊びの楽しみたいなもので、自分なりにそれが実証できたときは、ほんとうに嬉しい。
 

使い勝手の違う「取っ手」に

2006年03月25日 | Weblog
「これだけ、ここだけ、今だけ、あなたにだけ」といったような、一点への絞り込み、という切り口がある。物差しを決め、それに則するものだけに絞り込み、それ以外を、バサッと切り捨てると、ものやサービスの本当に必要なものが浮き彫りにされ、提供するものが奥行き、深みを増す。ひらう作業ではなく、切り捨てる作業で、こうした業態が生まれる。その代表事例が、ダンの「靴下屋」である。

 靴下しか扱っていないが、靴下ならすべてそろっている。靴下に関しては他のどんな店を包み込んでしまう。100円ショップもそうだ。100円だけのお店なのである。

 このように、「、、、だけ」といいう絞り込みは、時、場所、物、サービス、人など様々な領域に展開されうる。それなら何も靴下ではなく、下着でもいいじゃないか、ということで、そうした店もあらた。100円なら99円、とい店も出てきている。さて、どうもぴんとこない。「美人ですね」という言い方を、「美しい方ですね」と言い換えただけのような、そんな気がしてならないのだが。

 私は、最初は斬新に見えるしぼりこみすら、新しい切り口ではあるが作り手、売り手のサイドのものである、点で決して新しい発想ではない、と談じている。
なぜなら発送の中心、主役は作り手、売り手であり、消費者ではないからである。考え方、発想の起点が、消費者を中心にすえたものでなければ、所詮消費者は脇役。赤ちゃん同様、与えられたものを味あうだけである。

 今後の、「私に”とって”、、、、」の、私が個々の消費者、その個々の私に「とって」のアプローチがマーケットの主流でなければ、すぐ「飽きられる」ことにになる、と考えている。

 「とって」の前の「私」とは、固有名詞がはいるだけでなく、{私のもつ、あるいは抱えるシュツエーションをも含まれる。たとえば「パチンコに負けた私」と「パチンコに勝った私」」とでは、購買する商品が変わる可能性が少なくないからである。
 
 「とって」でもこれからは、使い勝手の違う「取っ手」になる。そのことを明言しておきたい。

三角形と人頭税

2006年03月24日 | Weblog
三角形を書いててみてください。一番広いのは底辺の所ですね。狭いのは頂点。前者を普遍性、日常性。後者を特殊性、否日常性と呼ぶことにしましょう。私がものを考えるときによくつかう物差しです。

「あなたの狙うマーケットは、前者、後者、どっちですか」とか「なぜ大衆から離れた、狭い世界を目指すのですか」とか。

それに万有引力の原則で、上だと落下する。上から人を見下すと、頭しか見えなず、(こうした人が人頭税など考えつくのでしょうね。)全体が掴めない。人が小さく見える。まあこじつけですから、いろいろいえる。いろいろこじつけてでも、高い位置に登る気持ちを抑えることですね。そうすれば人があまたを持ち上げてくれる。

3つの仮説

2006年03月21日 | Weblog
 依然として低価格路線が目を引く。狙いは買上げ客、利用客の増加にあるわけだが、その過程では人員削減が伴わざるを得ない。機械に置き換えられる要素が大きい製造業ならともかくサービス業ではこのことが、逆に売上げ減少要因になっていることはないだろうか。売り手には利用客数は見えるが、利用しない客は見えない。ゆえに内実は大きな機会ロスが生じている可能性はあっても、経営者には失ったお客の数と売上げはわからない。さらに低価格路線には原価という限界がある。原価を割っての低価格路線が長く続くことはないからである。しかもその有利性は規模の論理に支配され、規模が大きいほどコストダウンの成果が大きいし、強引な継続も可能である。だから中小企業には不利である。としたならば中小企業は高価格路線に活路を見出すべきではないか。これが仮説1である。
ところで安いと言われるお店は、言われるほど安いのであろうか。いうまでもなく価格には絶対性相対性がある。利用者の判断は後者による。つまり同じものなら、という条件が必ず文頭に付くのである。
ちなみに鹿児島県には、最低250円、最高900円のラーメン店があるが、行列ができるのは後者の方である。こうした現象は商品が同じであるなら、起こり得ない。
 だとしたら同じものでないことを明らかにし強調すれば、価格競争の領域から脱皮できるではないか。これが仮説の2である。さらに、売れなくなったから値下げをするといった対応はもっともらしいが、実は単に実勢価格への調整に過ぎず、離れていったお客を呼び戻す対策とは一致しない。本質的対策は、薄れた魅力、劣化した価値そのものをお客の求めるレベル以上に引き上げ、選択優位性を確保し、比較競合力を増すことにあるはずだからである。
 だから内なる事情を数字上で正すといった対策は、客数減の本質的要因を先送りすることになり、後々の大きな問題になるのではないか。これが仮説の3である。
 
 
 この3つの仮説のために7年前から、こつこつ動いている。

これが私の新年度のノルマ。

2006年03月19日 | Weblog
昨今、マクロ的にはおしなべての事業は好調である。そうした中で、不振事業も少なくない。その比率は極端で、私の経験数値で言えば、前者1,後者9の割。足して全体が好調というわけだから、まさにその格差が、従来より顕著化していることになる。

 理由は単純。その背景には、諸情勢の変化に対しての既存事業所の対応力不足、といわけ消費者と事業者の思惑(おもわく)との乖離である、といってよい。

 そこで、新年度の私の指導の主眼と重点を、以下の通り明確に定め、実践していくこととした。

 ①事業者に、自企業本位主義から“消費者中心主義へギア・チェンジし、「お客様本位の経営」に改めていただくこと。
 ②事業者の思い(ビジョン、理念、戦略)が、経営計画レベルで終わっては革新は起こり得ない。指導やセミナー、講演が、単に知識の修得の場で終わったのでは、ぜったいにならない。これらを実行できる形として落とし込み、ワーキングプログラム化する。
 ③こちら側が用意したものを提供するのではなく、受講生の要望、実情をつかみ、個別メニューを作成。いわばオーダーメイドの指導、セミナーとすること。
 ④ 商工会議所・商工会などでの当事業開催には、実施コスト、負担等もさることながら、受講生も貴重な時間を投資し参加している。こうした諸々の投資は、当事業の成果、すなわち参加された塾生個々の創業の成果によってのみ、回収できる。このことを考え、実際に回収の成果が上がるところまで見届けるべくフォーローする必要がある。

 こうしたことは、これまでもやってきたことで、とは言うまい。より徹底して現実自分の眼で、受講、受診先の業績を確認し、一緒に喜び合えるシーンが、最低でも12事業所。これが私の新年度のノルマである。
  

超雇用流動化時代の経営者への総括

2006年03月17日 | Weblog
  最近聞かれなくなったが、以前、経営者自らが自分の会社を「3Kだから」と言っていた。当時ですら、3Kどころか5K、6Kと一般に呼ばれる業界にあって引き手あまたの求職希望者に押し寄せられ悲鳴を上げている企業もあったのである。
 
 重要なことは、経営者自らが自分の業界、自分の会社に誇りをもち、社会的存在意義を感じているかどうかである。
 ホコリは一掃、誇りは大切である。

 それに必要な時には血眼になって人をかき集めるが、いったん暇になると辞めさせるといった、いわば使い捨てカイロのような従業員に対するかねがねの認識といったものを、根本的に改めることである。

 さらに中小企業では、未だ常勤者を抑え、日給月給制の、いわば死語に近い日雇い労務者的雇用制度を取っているところも少なくない。大企業においても、パート、アルバイトで殆どの業務をまかなっている会社もある。

 そして「最近はフリーターが増えた。最近の若者は、云々」と講演したりしている。こうした使い分けをする経営者とその会社が、若者からもっっとも経営されている。

 そのことはすでに述べているが、長期的にはプラスになるのかどうか、といった戦略眼がない経営者だ、という証に映るのである。
 「できるだけ安上がりで」と考えたり、使い捨てに考えたりしている職場に、人は集まるか」、「生きがいを感じて頑張る気になるであろうか」、自分が求職者になって考えてみることだ。

 資本家が、労働者を押さえていた時代の感覚が、残っていないか、洗ってみることである。
 雇用流動化時代は、人がいないということが現実化し、企業の命を取る。そうおもってまずは、経営者の意識の革新をはかることを強く、提言しておきたい。
 これが本稿の総括としたい。


風が吹けば、企業が小さくなる。

2006年03月16日 | Weblog
 春の風とともに、超雇用流動化の風が、吹いてきた。

 皮肉なことだ。つい最近までリストラで、従業員の削減に努めていたのが、今後は、とりわけ若者の離職防止対策に苦慮することになる。転職希望者が急増するからだ。これは長期的には、若者のだけではなく各年齢層ともそうなる。すでに高度技術者においては、逼迫の感が強い。海外に工場ををといっても、技術は日本から持っていくわけだから、当然のことである。

 潜在的転職希望者が、好況期には顕在化し、不況感が漂うと潜在化するものと考えるのが、これまでの常識的であった。だが人口減少、働き手減少傾向は、景気変動とは異なる是対数。つまり絶対数の減少のことだから、これが体質化することになる。好不況、企業規模に関係なく、しかも年を追うごとに逼迫してくる。

 当然今後の労働市場は慢性的、恒常的な売手市場で推移していくことは必死である。すでに、より良い職場を求める求職者の動きと、必要人材を確保したい求人側の中途採用の増加がクロスし、労働移動は活発化の兆しを見せている。

 現在景気回復の真っ直中にあり、ことさら人手不足に関する逼迫感の声は聞かれないが、それはこれまでリストラされた労働力が人材ダムの役割を果たしていることに救われているだけである。

 ダムのストックが枯渇したとき、どうなるか。欠員を補充し、離職を防ぐ、という従来対策だけでは、必要絶対員数の確保は困難なのだ。
 どうする。
 
 理屈的には、
 1 潜在労働力の確保(専業主婦など)
 2 外国人雇用拡大
 3 機械化、省力化
 が、考えられるが、1-3ともその受け入れ体制が、全くと言っていいほど整っていない、という現状がある。

 としたら、それらの受け入れが整わない限り、企業としては労務倒産を避けるためには、規模縮小の途しかないではないか。

 まさに風が吹けば、企業が小さくなるのである。

社会システムと経営者能力

2006年03月15日 | Weblog
ことの元は、この今、必要な分だけつくっていた。様々なものを作っていると、得意不得意がでて、それが得意分野の専業を生む。専業とし、これで糧を生むとなるとなれば、小より大が良し。逆に言えば、「手作りで作っただけ売る、売れただけ作るというやり方では大きくなれない。大きく離れないから、規模の利益を求め
 みな大きくを目指して具現したとしたら、小の機能を果たすものはない、ということになる。

 となれば、「大には大の、小には小なりの機能と使命があり、これの目的的有機的結合されたものが社会システム。だからこそ、小なりの機能と使命を果たすなら小でも存立できる」というシステムの論理、そのものが成り立たないことになる。

 小の役割をすて、大の末席をに座る、そのことはとりもなおさず大資本との戦いのフィールドへ入ることになるのだが、そうした道を歩むのも経営者自身の人生観、経営戦略上の選択の問題である。

 だが、私から見ればそれは、「システムの一大危機」に映る。くりかえしになるが、個々それぞれアイデンティティをもって存在感をなし、豊かな個性を謳っている。小も、中も、もちろん大もそれ自体が個性である。だからこそ、たとえば小であれば、小であればこそ、自分、自社の規模とその役割との整合性を強く意識し、本能的な規模拡大欲に対して、抑制心を持つことが、その未来に予見される危機を未然に防ぐことになると思うのである。
 大きくすることや近代化することも革新であるが,伝統を守るということもまた,別の側面からみた革新である。その見極めこそ経営者としての能力である、と考える。

♪♪ようてい、要諦、ほらヨウテイ♪

2006年03月14日 | Weblog
 「3つの要諦」
 間違ってはならない。消費者は作り手・売り手に満足させてもらおうなどと思っているのではない。ましてや、進化など望んでいるわけではない。
 自分が満足しそうな企業と商品を選び、買っているだけだ。だがこの試みはしばしば外れる。その都度、消費者は振り捨てる企業と商品を増やし、そのプロセスで取捨選択の眼力が進化、また現状に飽きたらず、革新を欲する。
 つまり進化するのは消費者であって、企業ではない。
 これが1つ。
 企業のやるべきことは、そうした消費者に「対応」することだ。とすれば「対」の先に、何をおくかによって、成果に大きな開きがでる。これが要諦の2。

 繰り返す。消費者への対応こそが、彼らに支持される企業体質構築の道であることを確認し、そのための根本原理をつかみ。具体的方策を実践することにある。
 「実践すること」。これが要諦の3である。

ひとつ数えてみて欲しいことがある

2006年03月13日 | Weblog
雇用の流動化減少が、企業に及ぼす影響は大きい。このことはこのブログでも他でも述べてきた。今日は、対応に関して、触れておきたい。

 とりわけ若者のアイデア、話題、関心を積極的に聞き、理解を示す職場の風土づくりを目指すとともに、経営に対する興味を持たせるような職場組織、環境を変革させることである。

 その意味するところは、これまでの如く、「事業の全容と彼らの分担職務との関わり、会社ならびに職場、部課の長中期の目標と、そのために何をいま成すべきかの理解をさせること」ではない。
 
 経営戦略と経営に関わる情報を、すべて共有する。そしてそれにより彼らに自らの仕事の分担と内容が、経営においてどういう位置づけになるか、すなわち経営を担う一因として、自分の仕事、職務に関心と意義を見い出し、自ら動く、という形へ職場の仕組み(システム)を持っていくことである。

 具体的には、戦略と、必要な情報の可能な限りの提供を行ったうえで、思い切った権限の付与を行う。すなわち戦略を示した後は、戦術については彼らに任し結果だけは問う、というシステムにするということになる。

 このことは単に権限委譲の問題ではない。上司が部下を管理するという縦組織を上司が部下を支援するという逆さ組織への意識改革と、一人前の経営者候補として扱うことを意味している。

 さらに付記すれば、経営者→経営層→管理層→社員、あるいは上司、部下、先輩、後輩という関係ではなく、従来言われ続けてきた能力主義でもない、お互い一つのプロジェクトを遂行し成果を得るための経営仲間、同士である、と言う新しい組織概念の構築への転換を意味する。

 旧来の上司と部下との関係、あるいはそれぞれの仕事の違いを、いわゆる役割分担の違いと、捉えると理解しやすいかもしれない。

 若造に経営などまかせられるか、という経営者がいたら、1つあなたより若い経営者が、社外に何人いるか数えて欲しい。その彼らをあなたが、仲間として取り込めるか、あなたとあなたの会社のライバルとして外に放つか。さて、それはあなたの選択問題だ。