私の関心分野の経営は、演繹的、学問的なアプローチではなく、
市井の日常の営みの中に経営を位置づけて考える、といったこと。
市井、日常、普遍性、といったことをスタンスに、
このライフワークとして生業をしています。
元来勉強嫌い学問に疎く浅学で、現場経営が長い。
こうしたことが理由です。
最初から積極的にこうした考えでといったことではありません。
が、今はこうした自分の経営スタンスが気に入っています。
ですから集まりとか会議室とか、経営から離れた場所で、
経営者にお会いするより、企業現場をご一緒頂きながら話を伺うことが、
とても好きです。趣味と言ってもいいぐらい楽しいのです。
企業には二通りあります。
業績がいいところと、悪いところとです。
現場を見たり聞いたりするとき事前に自分でどっちかに決めます(仮説設定)。
たとえば「業績がいい」とみたら、なんでや。なんでや、と
理由を探し、考えながら現場を見るためにです。
「仮説」というのは、勝手な思い込みみたいなもの。
あの人はいい人と思い込んで会うとその人のいい所だけが目に付く。
磁石効果。それです。それをやる。
重要なことは、次に必ずその反対の仮説設定もきちんとやることです。
思い込みとは、片面思考ですから、必ず両面を見る。
正面から見たら反対面を。反対面から見たら正面をみて、
初めて全容がつかめ、仮説の判定ができるからです。
それでも、「なんであんなにうまくいっていないのか」、
といったことは、まず明快につかめるのに、
「なんであんなにうまくいっているのか」ということは、
具体的につかめない思いことが、時折あります。
だからといってすごい経営者だ、彼は特別なのだで終わらせては、
私の仕事にはなりません。
ましてや「天才経営者」、「経営の魔術師、「経営の神様」」
としたのでは、そこから学ぶことは何もできない。
ですから、こうしたタイトルの本や、講演が役に立たないのは当然です。
多くの経営者は、天才ではないし、魔術師、神様でもない。
またカリスマといったレッテルではなく、その中身が知りたいのです。
なにゆえカリスマなのか。1にこれ、2にあれ、3に、それ。
と具体的につかめて、私たちは学べる。
それで、「なんであんなにうまくいっているのか」と調べたり、
考えたりするのですが、わからないことが最近多いのです。
それでまた、このことについて、「なんでやろ」と考え出す。
これもやがてわかりました。
37歳の時からこの仕事を始めましたが、
以来たくさんの現場を見ている。
経験を積んでいる。これが関係している。
そうした経験がかなり蓄積され演繹(さび、しがらみ、しばり)となり、
それにとらわれて、現場を見ている。
青い色眼鏡で、物を見ると青に見える。
それで世の中、青じゃないか、といっている。
これ、今を見ているのではなく今のつもりで過去を見ている。
「ここ」を見ているつもりで、「別」を見ているのと同じ。
こうしたことに気がついて、かなりショック。愕然としました。
年取ったことは悪いことではない。
経験を積むことも悪いことではない。
だがそれらにとらわれ、世を見たり、考えたりすることは、
明らかに上の「青い眼鏡」と同じことです。
でも目が悪いのではない。青い眼鏡が悪いのではない。
青い眼鏡を掛けて見ている、そのことに気がつかなかった
自分の選択が間違いだったのです。
老眼鏡を掛けて、遠くを見てかすむのは、
かすんだ世界がそこにあることでも、老眼が悪いのでもない。
遠くを見るのに老眼鏡で見た自分の選択、判断の誤りなのです。
「なんでやろ」と考えて、自分で手が打てる答えが掴めたとき
まず1日は最高の爽快な気分に浸れる。
市井の日常の営みの中に経営を位置づけて考える、といったこと。
市井、日常、普遍性、といったことをスタンスに、
このライフワークとして生業をしています。
元来勉強嫌い学問に疎く浅学で、現場経営が長い。
こうしたことが理由です。
最初から積極的にこうした考えでといったことではありません。
が、今はこうした自分の経営スタンスが気に入っています。
ですから集まりとか会議室とか、経営から離れた場所で、
経営者にお会いするより、企業現場をご一緒頂きながら話を伺うことが、
とても好きです。趣味と言ってもいいぐらい楽しいのです。
企業には二通りあります。
業績がいいところと、悪いところとです。
現場を見たり聞いたりするとき事前に自分でどっちかに決めます(仮説設定)。
たとえば「業績がいい」とみたら、なんでや。なんでや、と
理由を探し、考えながら現場を見るためにです。
「仮説」というのは、勝手な思い込みみたいなもの。
あの人はいい人と思い込んで会うとその人のいい所だけが目に付く。
磁石効果。それです。それをやる。
重要なことは、次に必ずその反対の仮説設定もきちんとやることです。
思い込みとは、片面思考ですから、必ず両面を見る。
正面から見たら反対面を。反対面から見たら正面をみて、
初めて全容がつかめ、仮説の判定ができるからです。
それでも、「なんであんなにうまくいっていないのか」、
といったことは、まず明快につかめるのに、
「なんであんなにうまくいっているのか」ということは、
具体的につかめない思いことが、時折あります。
だからといってすごい経営者だ、彼は特別なのだで終わらせては、
私の仕事にはなりません。
ましてや「天才経営者」、「経営の魔術師、「経営の神様」」
としたのでは、そこから学ぶことは何もできない。
ですから、こうしたタイトルの本や、講演が役に立たないのは当然です。
多くの経営者は、天才ではないし、魔術師、神様でもない。
またカリスマといったレッテルではなく、その中身が知りたいのです。
なにゆえカリスマなのか。1にこれ、2にあれ、3に、それ。
と具体的につかめて、私たちは学べる。
それで、「なんであんなにうまくいっているのか」と調べたり、
考えたりするのですが、わからないことが最近多いのです。
それでまた、このことについて、「なんでやろ」と考え出す。
これもやがてわかりました。
37歳の時からこの仕事を始めましたが、
以来たくさんの現場を見ている。
経験を積んでいる。これが関係している。
そうした経験がかなり蓄積され演繹(さび、しがらみ、しばり)となり、
それにとらわれて、現場を見ている。
青い色眼鏡で、物を見ると青に見える。
それで世の中、青じゃないか、といっている。
これ、今を見ているのではなく今のつもりで過去を見ている。
「ここ」を見ているつもりで、「別」を見ているのと同じ。
こうしたことに気がついて、かなりショック。愕然としました。
年取ったことは悪いことではない。
経験を積むことも悪いことではない。
だがそれらにとらわれ、世を見たり、考えたりすることは、
明らかに上の「青い眼鏡」と同じことです。
でも目が悪いのではない。青い眼鏡が悪いのではない。
青い眼鏡を掛けて見ている、そのことに気がつかなかった
自分の選択が間違いだったのです。
老眼鏡を掛けて、遠くを見てかすむのは、
かすんだ世界がそこにあることでも、老眼が悪いのでもない。
遠くを見るのに老眼鏡で見た自分の選択、判断の誤りなのです。
「なんでやろ」と考えて、自分で手が打てる答えが掴めたとき
まず1日は最高の爽快な気分に浸れる。