経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

楽しみの歯の治療

2004年06月29日 | Weblog
6月23日10時に、予約入れていた鈴木歯科へ。昨年は川内から、この鈴木先生のところへ5回通ったが、今年は初めて。歯の治療が楽しみでたまらない気持ちになるのはここぐらいであろう。たっぷり1時間半も加療してもらった。近ければ弁当もって毎日でも通いたいのだが、なにせ片道10時間半、交通費だけで6万円かかるから、そうも行かない。精算を済ませ鈴木先生に御礼を言って出ようとしたとき、ケイタイへ電話。青年部長のクリニーン屋の新ちゃんだ。歯が治ったなら、昼飯へと誘い。それで小林さんの新店、和亭へ。医者から暴食を止められていたので、ソバ3人前とテンプラを頼む。こころなし本店と比べてパサツキがあり、少し落ち感じが気になったが、無事胃袋には収まる。
 新ちゃんは、クリーニング屋だが、チラシづくりの名人である。教も新作を持ってきてくれたので、あれやこれやチラシ談義。 食事後新ちゃんと別れ、歩いて宿へ。宿で仮眠と早めのお風呂を取り、17時からの、講演に備える。

初日、十日町

2004年06月28日 | Weblog
日記なのに出張中は、休んでしまった。否、旅のお供のノウトから入る方法がわからなかったのである。WEBの更新ができないのであれば、軽いとは言っても2キロ近いパソコンを持ち歩く必要はないわけだ。心だけが軽くなっても重い体と重い荷物から解放されない自分を少し反省。
 川内を6時13分の新幹線に乗り、新潟・十日町市に着いたのは16時半。ホクホク線十日町駅改札口には、なんと小嶋屋の小林さんがまっててくれていた。夕食には間があるというので、彼の別荘「山小屋」へ。新緑に囲まれた山小屋で缶ビールをいただく。小一時間ほど山の空気を吸って、里に下りて、3店ほど梯子しながらの飲食。禁を破り暴飲・暴食し、宿、原田屋に戻ったのは23時過ぎであった。

台風の一日

2004年06月21日 | Weblog
台風が近づいている。鹿児島にとってはこの時期からの年中行事みたいなもので、あまり驚くことはない。お百姓さんたちも、雨に恵まれた思いで、田植えに入った。
 たまらないのは、蒸し暑さである。風が吹いているのに、こってり水分を含んでいて、汗がだらだら流れてくる。
 数日前に友人から、焼酎の事を調べてくれとメールが入っていたのを思い出し、あっちこっち調べ始める。このIT時代、パソコンで調べれば、といわれるかもしれないが、そうした情報ならみな自分でやるわけで。だからIT時代になると、情報取りが逆に難しいのである。これで半日。
 とにかく暑い。じっとしていても暑いときは体を動かす仕事に限ると、まず火曜日から1週間の旅の準備。次に年に一度のスクラップの廃棄作業だ。これが結構時間がかかる。いや実際はかからないのだが、捨てる記事に引かれたり、懐かしい思い出に引かれて、「すてるか、もう1年とっておくか」と、くだらないことなんだろうが、思考を揺らがすので、これで時間をくう。
 こんな軽作業ですら、たっぷりと汗が流れ、大仕事を済ましたような気分に浸った。これでさらに半日終わり。
 気づいたら、ビデオをみる時間をとっくに過ぎていた。で、楽しみは明日へ回し、HPの更新をする。実は、私は同じHPを、ご丁寧にも2つ作っていて、一つがUPされている間、もう一つを改修している。これを相互に入れ替えているわけだ。無駄なことを、と思われるかもしれないが、これにはそれなりの深いわけがあるが、それは死ぬ間際までの秘密。(^_^)

鹿児島、街、店みてある記

2004年06月18日 | Weblog
 回数券消化もあったし、床屋のこともあったから、鹿児島市まで出かけた。床屋はホワイト。ここは指名制だが、私はやらない。でもいつもの人であった。席に着く前に、例の時計。鏡からみたら読めて、ちょくせつみたら反対文字の時計の写真を撮らせてもらった。先月、気づいたものの、カメラを忘れて撮せなかった逆さ時計だ。「これ、別注なのかな」。彼は知らないふうであった。「お客さん、写真がご趣味なのですか」、「いや、こうした変わったものを撮すのが、趣味なんだ」。彼は鋏に入った。
「見栄えより、あつくないように、ぎりぎりまで落としてね。」 そのまま寝入って、目を覚ましたときはもうほとんど坊主。
「おきゃくさんね、肩こりが異常ですよ」。だったらもうすくし、もんで欲しかった。釣り銭渡すとき、いかに美人ギャルであろうと、手の平を、べちゃっと挟まれるのはどうもやりすぎ。それ、二人きりの時、お願いしますよ。
 次は、山形屋百貨店。地元最大の巨鑑だ。まず階段で一番上の界まで上がる。ところが六階。売り場に出られない。階段には婦人衣料のラックが並び、そこで店員が作業していたからである。
 確か12月の書房書の査察で注意を受けたのではなかったか。
、若いトップに代わり、ルーズになっている。私は、だまったまま、ラックをどけるのをまつことにした。ここはお客専用の階段なのだから。
 金曜日ということもあり、ほとんどの階でバーゲンムード。とても落ち着いて商品をみる分に気分にはない。
 こうしてお店は、お客を閉め出しているのだ。高級ブランドのインショップにはものものしく、ガードマンがはりついている。坊主でTシャツ、詐欺世ズボンにリック、お腹の突き出たおっさん、私のことだが入ろうとすると、じろっとみる。

こうして1時間程楽しみ、次はいくつかのアーケード街をそぞろ歩く。金曜日の昼中というのに、結構な賑わいだ。皆が休み、皆が失業ではなかろうに。
 急成長の讃岐ウドンの「花テン」に入り、食事。実にうまいし安い。加治屋町に、やはり讃岐ウドンチェーンの別の店があったが1年もせず先月撤去した。まずくて高いという評判だったので、一度食べてみたが、うわさどおり。ウドンにかき揚げで720円は、いまでも恨みに思っている。
 次はベスト電器。郊外にコジマ屋やヤマダができて苦戦と聞くので1階から5階までつぶさに見て回った。
 ベストは、価格が高い。それを自他共に認め「うちはサ0ビスで勝負」と言っているが、川内店はその勝負のサービスが他店より悪い。案の定、客はすくなかった。

 9月には鹿児島中央駅の駅ビルがオープンである。今こそ、お客をがっちり捉えておくべきだと思うのだが、見えてくるものは、怠慢時のゆるみでしかない。
 なにはともあれ、収穫の1日であった。


毎日が日曜日

2004年06月18日 | Weblog
 さしあたって、特にやらねばならないことはない。今日も私にとっては日曜日の1日だ。午前中はメールの返事と積ん読いた雑誌に目を通し過ごす。午後は、申し訳程度に7月講演予定先のレジメの準備。妻が、介護で泊まりの日だったので、一人で夕食。風呂。そして9時から「奇跡の人」をみる。当たり前に思っていることが当たり前でないことを教えられた。ラストシーンの水に手を当てるシーンは、じーンときた。せりふ回しでなく、触感で伝える感動の場面である。
「インソムニア」は1昨日,「熱いトタン屋根の猫」は昨夜、今「奇跡の人」を見れ、いい映画に恵まれ幸せをにひたれた。
 ぼちぼち仕事をしないと日干しになるのだが。声がかかるまでは、この状態を楽しみたい。



 

楽しい日

2004年06月16日 | Weblog
午後8時頃から、メールソフトが立ち上がらなくなった。経験済みなので、手動で開いてみたら、これも経験済みだから驚かなかったが、おびただししい(70までは数えた)、ウイルスメール、エロメール、出会い系、サラキンがセットで送られていた。これを消すとメーラーがまた新しいメールを流してくれる。これもそっくりまた70以上。全く同じものである。これが10回ほどjくりかえされたころで、やっとメーラーの方が空になった。次はその証拠を、点検。その中に、昼頃、サラキンから電話あって、むげにあしらった、そこに似ている個所を見つけた。これだ、とおもって過去のものと比べてみた。割り出せる、と確信し、この方面の仕事をしているM弁護士と警察へ送ることにした。人のやること。必ず「癖」がある。これでまたイモづるに、逮捕かと思うとこうしたことでも世間のお役に立てるとうれしくなって、ビデオ「インソムニア」をみた。これ、また当たり。いい映画だ。楽しい一日であった。
 どうでもいいことだが、なぜこうしたことをしているかというと父方の祖父、母方の叔母二人とも警察官、それに現役では、父方の従兄弟が静岡で現役の刑事、妻の甥っ子が2人警官。家系なのだろうか、小さいときから推理すきで、大学のゼミは犯罪心理学、サラーリーマン時代は内部監査部の仕事。犯人捜しが、いわば趣味みたいなもので、迷惑メール防止などをブランタリーでやっている同級生の弁護士のお手伝いをしている。それになにより、日本一暇、退屈な男なのである。

退屈な日々

2004年06月15日 | Weblog
 毎日、同じものを食べていたら飽きる。これは、「もうそれはその栄養素は足りてますさかい、いらへんわ」と体のセンサーが告げているからだそうだ。ここ数年来、新しい本を買っても、数ページ読んだだけで、「これ、もええわ」と投げることが多く、「なんでや、年のせいかいな」とおもっていたが、たぶん食べ物の時と同様、センサーが「もうそんなん、いらへんで」とはねているのではなかろうか。消費の低迷の底にも、案外そうしたセンサーが働いている、といったことは頭の中に老い解いて良さそうである。
「なにゃ、みなおなじようなもんばかしゃないか」とみたとき、「買う物、あらへんやんけ」ということで消費が低迷する。
 それで作り手・売り手は、コストダウンはかって低価格にする。100円のニンジンを50円に下げても、充足されていることには変わりがないから、売れない。安くしても売れないから、さらに安くする。これで立派なデフレ不況になった。
 こう考えれば、災害には人災と天災があるが、これは明らかに人災。人が、作りたいものを作り、売りたいものを売る、った結果引き起こしたからである。
 何が満ち足りているか、何が足りないかは、買い手、消費者に関わることである。しかも人それぞれ違う。それを「あんたさん、これがほしいんやろ。安うしとくで」ともっていっても、センサーはノウを出す。
 ここまで書いて気づいた。「ほうか、わてが忙しい割に、退屈しとるん、これやな。今、ほしいんのは刺激や。センサーをキュンといわしたる、情報がほしんや」。

疲れの日々

2004年06月12日 | Weblog
司馬遼太郎著「街道はゆく~北のまぼろ」の中に、吉田松陰が、宮部鼎蔵との約束を守るために脱藩し、予定通り竜飛岬まで行く話があったことを思い出している。
 当時の脱藩は極刑である。それだけ「約束を守ること」に重みを置いていたということにある。
 それに対して、最近の、もちろん私も含めてであるが、約束を守ることにたいしてクチの軽いこと。時間を守れない、言い訳をする、約束を違える。言い逃れをする、責任転嫁することに、ほとんど罪悪感など感じていないのではないか。
 クチで「誓います」、という。クチで「もう二度と」いう。くちで「こんどぜひご一緒に」、クチで「そんなことは絶対ありません」という。その数日後には、それらが全部クチからの出任せであるといったことが、この1月、私の周りで続き、振り回され、心理的にヘトヘトになっている。M社みたいに犯罪になれば、社会が戒めてくれるが、「悪意はないよ」の類は、気をもって行き場がない。「悪意はないよ」どころか、言ったこともご本人が忘れていることの方が多いし、さらに違えたという自覚もないこともしばしば。では聞き流しておけばよいということだが、聞き流したときに限って、「約束した日が参りましたが、、」とくる。
 こうした不信感が占めている時代にあって,信とか義とか、きちんと守れることは、その人の大きな財産になるのではと思っている。以下、私の意図も不純みを帯びるのだが、この財産になるまでのコツコツした積み重ねを律儀に続けていくことで、新しい経営のあり方が、出てくるのでは、という仮説をたてて、実験を試みているのだが、いやはや疲れる日々でございますよ。 

センチメンタルテックな日

2004年06月10日 | Weblog
体調が、今ひとつ。今日は午後から川内市から30分の東郷町へ。こんな近くなのに10年ぶり。いかに私が地元を疎かにしていたかと、反省しきり。21年前ユータン後、ここの商工会に育てて頂いたというのに。街づくり事業、2年続けての経営塾、たくさんの仕事と友も得た。その頃の商工会長、Tさんは亡くなっていた。今の会長は当時の青年部長の木原さん。お店を覗くが不在の様子。
 昨年までの町長、田代さんも私の塾生だった。この町で知らぬ人はいな。それぐらいお世話になったのだ。それを10年もご無沙汰。自分が情けなかった。今日の仕事先のKさんんもその頃からの知人。当時7000万の売上げが5億を超えている。元気いっぱい、どん欲な事業意欲を見せる彼のおかげで、終わる頃には少し体調も良くなった。
 介護で妻が泊まりなので、一人で夕食をすませ、仕事をほんのちょっぴりした。今日は、2年ぶりに、福岡のT指導員からケイタイへ電話があった。異動の知らせと、彼のふるさとの活性化についての相談だ。懐かしく長電話。ふるさとにいるのにふるさとを疎かにしている私の目をさましてもらった、そんな一日であった。
 明日は、精密検査だ。これも病気をしたことのない私にとってはいい経験になる。楽しみである。それにしても懐かしい町、懐かしい人たちとのセンチメンタルテックな1日であった。

メルトラの一日

2004年06月09日 | Weblog
 積ん読本の山(少しおおげさかな)、がいっこうに低くならないのにまた本を買った。友人のSさんやNさんが、「いいよ、いいよ」とBBSなどに書き込んでいた本、「佐賀のガバイばあちゃん」(島田洋七著 徳間文庫)」である。
 先週、「当分は本、買わない。この山、崩れるまで」と固い決意をしたばかりであったが、今回もまた固い決意を破る罪悪感などみじんもわかず書店へ走ってしまったのである。ついでにというか、9日から高知の「よさこい ソーラン祭」が始まるのを思い出し、ビデオ「釣りバカ、14」をかりた。
 帰宅。「さあ後入れ先出しで」と洋七の本をパラパラにめくっていると、メール受信の音。案件はW社から私の送った原稿を紛失といったこと。
 私が担当者が変わったことを知らず、前任者へ送ったことがその理由。ここで私は腹が立った。前任者と後任は、2メートルと離れていない席に位置している。そうでなくてもまず社内で調べてから、再送信を依頼するのが常識であろう。
 後からわかったのだが、原稿紛失ではなく、私の送ったメールを開いておらず、当然添付も見ていない。
 あきれたことではあるが、よく考えたら、これがメールの怖さではないか。送った。見ていない。送った人には、見ていないのかみたということは、返事を書かない限りわからない。その返事を見ないとわからない。
 こうしたことは手紙でもFAXでも起きえることなのだが、私にはメールの方が、こうしたトラブルが多発しそうに思えて、この際と、本を閉じて過去のメールを調べてみることにした。
 3月以降、相手に返事を依頼したにも関わらず、なしのつぶてだけひろって7件。それも4人(3社)に限定されることがわかった
 つまりそういう人、そういう組織体質にあるところへ限定されるというのが、仮説に対する中間結論である。
 ほぼ一日潰したが、これで安心。相手の会社、相手をみてフォローすれば、こうしたトラブルは避けられるということである。他人は変えられないが、自分の対応を変えればすむ。こんなことに腹を立てて損をしたのは、これまた私の方。自分に嫌悪感。「他社のへマで私が腹を立てるなんて、なんて馬鹿な私だ」。
 安堵して、23時から「つりバカ」をみる。内容より、三国蓮太郎の老いぶりが痛ましかった。若い頃、若い佐久間良子を襲う彼の猛烈シーンを脳裏に焼き付かせているファンにとっては、直視できずという感じであった。