経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

これは費用対効果の話である。

2006年05月04日 | Weblog
 取り付け看板に「とれ、とれ活魚」と掲げている魚屋がある。冷たくなった揚げ物に「揚げ立て」とPOPが付けてある。

 本当だろうか。偽りないのか。

 「よしてよ、まさか数日経った魚とか、揚げ立てではない総菜とPRするわけにはいけないじゃないの」。

 だが、こうしたことを、なんの疑問も罪悪感もないまま続けている、そうしたは商人や商店に、消費者は、少しずつ不信感を抱くようになる、ということはないのだろうか。

 少なくとも、消費者はや「本物」、「本家」、「揚げたて」、「手打ち」といった言葉を、額面とおり受け取っていない。結構披露宴で、新郎新婦が褒め称えられるのと同じことだが、こちらは自画自賛だから、より不利だ。

 佐賀・唐津市の伝統のお菓子を売る店が立ち並んでいる通りがある。あるお店に、「元祖」とあった。数軒おいて、「元祖宗家」とあり、さらにその近くに、「真の元祖」とあって、落語通りだな、おかしかったことをおもいだしている。
 だがこうしたことは珍しくはない。

 問題は、こうした積み重ねにより、消費者がそうした言葉だけでなく、商人自体に不信感をもっていることである。

 だから本物を「本物」と接客してもまったく信用しない。接客する人、お店の人を信用していないからである。接客もチラシも信じられない。
 お客ががけ面道通り、受け取らないものに人件費、チラシ代という経費をかけている。

 「本当の本物ですよ」と強調することではなく、そうした問をされ、そうした会話を買わすことその事自体を、商人として、お店として恥じる、その真摯さが求められるのではなかろうか。 そうした不信感を与えたのは,誰でもない商人自身であるから。

 この話は、道徳や倫理の話ではない。費用対効果の話である。