商品とサービス、良く使われる対語である。
いうまでもなく商品は貨幣によって購買される
使用価値を持ったモノ=ハードである。
これは目にみえるからよくわかる。
しかし、サービスとなると、ちょっとあいまい、難解である。
たとえば「商品だけでなくサービスを添えて」とか
「サービス精神で」といった風にしばしば使っている。
ではそのサービスの中身・本質は、と問われたらハタッと困る。
そもそも中身がわからず、具体的に表現できなかったら
第三者に伝えることができないではないか。
実際に確認のため、次のことをやってみたらいい。
「今日は1つサービス精神でもってお客様に応対しなさい」と
従業員に命じてみてください。
閉店後、やったことを聞き取る。
命じられた彼らや彼女たちは、何をどうしただろうか。
やってみてのお楽しみだが、
かりに何も変わらなかったらなぜだろう。
投資対効果は?やりもしないことを命じた責任は?
まあ、こんな風に考えるのも、の二八の楽しみではなかろうか
ところで、サービスというとまず頭に浮かぶのは価格サービスであろう。
「サービスしなさいよ」とお客が店主に迫る。
これは値引きの要請である。
同じ使い方で「誠意を見せなさいよ」といった言い方もする。
とすればサービス=誠意であろうか。
しかしこの誠意という言葉もどこかあいまいであやしげである。
この誠意は、損害賠償、それも金銭がらみすら連想される。
だからサービス自体もあいまいになってくる。
そもそもお客やその折の気分でサービスとか誠意を見せる
とかいって値段をまけるというのは一物一価の原則に反しており、
近代的商法から外れている。
「モーニングサービス」や「サービス定食」はどうであろうか。
喫茶店が、手軽な朝食を用意するといったこと、
またばらばらのものを組み合わせ(セット)にしたサービス定食は
便宜性の提供といったサービスになろう。
が、サービス定食はそれぞれ単品で注文するより若干安くなっている、
というのであれば一種の値引き。
しかしそれがそれなりの味、量なら、なにもサービスしたことにならない。
サービスランチの食材の仕入れ先は、昨日の折り込みチラシを見れば
わかる。多くはスーパーの特売品、ということもある。
こうした曖昧、意味不明のことばに、消費者は踊らされ、不快を感じている。
だからこれを明快にしたら、違いなく売れる。
これは私が実際、現場で実践済みである
いうまでもなく商品は貨幣によって購買される
使用価値を持ったモノ=ハードである。
これは目にみえるからよくわかる。
しかし、サービスとなると、ちょっとあいまい、難解である。
たとえば「商品だけでなくサービスを添えて」とか
「サービス精神で」といった風にしばしば使っている。
ではそのサービスの中身・本質は、と問われたらハタッと困る。
そもそも中身がわからず、具体的に表現できなかったら
第三者に伝えることができないではないか。
実際に確認のため、次のことをやってみたらいい。
「今日は1つサービス精神でもってお客様に応対しなさい」と
従業員に命じてみてください。
閉店後、やったことを聞き取る。
命じられた彼らや彼女たちは、何をどうしただろうか。
やってみてのお楽しみだが、
かりに何も変わらなかったらなぜだろう。
投資対効果は?やりもしないことを命じた責任は?
まあ、こんな風に考えるのも、の二八の楽しみではなかろうか
ところで、サービスというとまず頭に浮かぶのは価格サービスであろう。
「サービスしなさいよ」とお客が店主に迫る。
これは値引きの要請である。
同じ使い方で「誠意を見せなさいよ」といった言い方もする。
とすればサービス=誠意であろうか。
しかしこの誠意という言葉もどこかあいまいであやしげである。
この誠意は、損害賠償、それも金銭がらみすら連想される。
だからサービス自体もあいまいになってくる。
そもそもお客やその折の気分でサービスとか誠意を見せる
とかいって値段をまけるというのは一物一価の原則に反しており、
近代的商法から外れている。
「モーニングサービス」や「サービス定食」はどうであろうか。
喫茶店が、手軽な朝食を用意するといったこと、
またばらばらのものを組み合わせ(セット)にしたサービス定食は
便宜性の提供といったサービスになろう。
が、サービス定食はそれぞれ単品で注文するより若干安くなっている、
というのであれば一種の値引き。
しかしそれがそれなりの味、量なら、なにもサービスしたことにならない。
サービスランチの食材の仕入れ先は、昨日の折り込みチラシを見れば
わかる。多くはスーパーの特売品、ということもある。
こうした曖昧、意味不明のことばに、消費者は踊らされ、不快を感じている。
だからこれを明快にしたら、違いなく売れる。
これは私が実際、現場で実践済みである