経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

今日、確信したこと。

2004年12月30日 | Weblog
食べ物であれば,消費者のクチに入り、フンとして排泄されるまで、企業はマーケッティングの範疇としなければ、生き残れない。もう今のマーケット理論ではやっていけないのです。

歳末に一言

2004年12月30日 | Weblog
 鹿児島は冷え込んでいます。昨日は、北の山間部では初雪も聞かれたようです。
 おかげさまでは、創作に関しては、充実した1年になりました。仕事にはまったく結びついていませんから、自己満足かもしれませんが、それは自分の能力と関心が、世間に役に立てるものではないと証ですから、この点生活のためにも、来年の励みにしなければ、と考えています。
 数日前から、これまでに断片的に書いたものを整理しています。それに疲れ、飽きたら読書、佳い本に出会ったので、それを1行1行、考えながら読み込んでいます。
 もちろん専門書ではありません。自然の原理を、信じ込みそれを80年間、試行錯誤し自分の会社に実践してきたこの本、あまりにも地味で淡々と書かれていますが、万巻の本を読んでも及ばない、佳い本に納得を感じています。一方、「なんだ、、自分より先に見つけた人がいるんだ、」と、自分の非力を棚に置いて少々がっかり?、悔しい思いもしないではありません。
 今年は、長いお付き合いの仲間達に加えて、この本に教えられたことで、何とも言い難い、有り難い1年になりました。改めて私を支えてくださった師、仲間、そして仕事を通じてご縁を頂き、私の知らない世界を教えてくださった大勢の皆様方へ、心より感謝を申し上げます。
 
 

「今」

2004年12月28日 | Weblog
 枯れかかって萎れている花を前にして、
 バラ色の未来を語ってなんになろ。
 枯れかかって萎れてしまった花の、かっての美しさを賛してなんになろ。
 今、大切なことは、目の前の花どうするかだ。
 枯れさせて後悔しないために。
 そして未来ではなく現実がバラ色になるように
 今、どう動くかなのだ。
 
 商店の原点とか、地域貢献。品質保証、顧客中心主義、みな立派なことさね。
 だが口にしたり、書いたりしているだけじゃない。
 それでは過去が変えないられないのと同じこと。
 未来を、今やらないことの先延ばしにつかっているだけじゃない。

 問題は、今、どう動くかだ。
 商いであれば目の前のお客に、過去の悔いが今再現されることのないように。
 今蒔いた種が未来をバラ色にしてくれるように。
 祈りではない。念仏でもない。理屈でもない。
 事実、行動で具体的に為すことだ。

 過去の分析が悪いとはいわない。未来を語ることもいいことだ。
 お店の先のこと、過去の分析だって経営に役立たず無駄だとか、とは言わない。

 でも最も大切なことは、今、お店に来てくださっているお客様のことを、
 一所生懸命、案じてあげ、喜んで頂くことよう行動すること。
 その目の前の大切なことそっちのけで、きれいな言葉を並べて
 経営計画作ったり、経営理論の覚えるために赤い線を引いているなんて。
 あなた。学者になりなさるの?

 そうでないとしたらそりゃ、逃げじゃないんですか。
 この今から目をそらし、背けること。それ逃避そのものだ。
 過去に逃げるか、未来に逃げるか。
 そりゃあなたのかってですが。
 どちらにしろ、今いるお客さんに対応しないことにゃ
 逃げちまう。お客が逃げたら、明日はない。
 過去もない、未来もなくなってしまいますよ。

 「今」が、過去と未来を作っている。
 生きているのは、この「今」だけなんだから。
 

来年こそ日常の中に経営を取り戻そう

2004年12月25日 | Weblog

 旅先、街を歩くとき、立ち寄ったお店、散歩先の風景、仕事ではない日常の生活空間に心身を浸したとき、本当に大切なものが見えてくる。そういうスタンスで私は、経営をみて、日常の中から学んできました。書や講演やセミナーから学び、それを仕入れとして再生産、自分の生業(なりわい)とすることをキッパリ止めて15年になります。
 具体的には、たとえば食事で立ち寄った店で、なんで自分はたくさんあるお店の中から、ここを選んだんだろう」、「ほぅ、ほとんどの人がカレーくってるじゃない。」。こうしたことから始まって、「この店の売上げ、◎▲万円ぐらいじゃろ」、だけど、「この店の売上阻害要因はこれこれ。これこれを除去すると、2倍は売れる」と、いったことを考える。いうなれば式を立てて、その答えを考えだすことを、楽しみの習慣、勉強にしてきました。
 そうしたことで得たものを検証し、実際やってみる。いくつかやってみてみな成果が上がれば、普遍性があるわけですから、自分なりのノウハウとして取り入れる。転用してうまくいかないものは特殊性が高いわけですから捨てる。こうしたことを繰り返して、自分なりの理論を作っていきました。

 こうしたスタンスの背景として、経営は庶民の日常生活をサポートするというのが中心・主流だというl、信念があります。これにもとずき経営という専門、特殊な視点からみては、経営の是非はわからない。だから日常生活の中心を担う人間、消費者の観点から経営を見みよう、というのが私の仮説設定の根拠です。
 
 日常生活の視点からみたら、経営は特殊、異常です。一番多い事例をひとまとめにしていうと、「経営を見て、消費者を見ない」。わざわざ手暇をかけて経営をやり、その結果お客様が背を向けるようにしていることです。まぁ、こうしたことを含めて、こんなこと、あんなこと、学んだ経営を実施することによる無駄な作業コスト、負のコストは、バカにならない金額になっているのではないでしょうか。利用するはずの消費者を不愉快にし、追い出し、悪口のクチコミをさせているのですからね。本来は こうした逆効果に費消されるべき金額を、消費者・利用者が喜ぶこと、感心することへ振り替え、かつよきクチコミになるようにしていくことが、一番即効性ある経営革新と思っています。
 
 経営は実学です。売上げは消費者が買上行動を起こすことで成り立っている。安全で美味くて、安いものに群がる。きわめて生物的な単純行為です。なのに遠回りして、本、セミナー、○×手法、といった、お客に関係のないいろんな勉強に熱心ですし、行動するのに遠回りが大好きです。消費者を迂回し、消費者以外から掴むもうとする。どうしてそんな馬鹿な無駄をするか。
 
 政治家の我利が、待命分としては「国民のための奉仕」行為が、國の財政を超破壊的赤字になしたと同様、内実は経営トップ自身の利益や栄達、名誉欲の充足のために行っている、といったことではないでしょうか。それを「お客様のため」とか「会社発展のため」と錯覚したり、時としてカモフラージュしているのでないのでしょうか。もしそうしたことがあなたやあなたの会社の目的や狙いであれば、消費者は離れ、自滅するのは当然です。
 
 そうではない未来永劫の存続をのために、頑張っているというのであれば、以上述べた特殊性を主流とするといった誤りを糺し、これを日常性の中の消費者・利用者の喜ぶことに還元することです。これで皆さんの事業は「労少なく益多し」で右上がりになること、間違いありません。
 新しい年は、こうしたことをさらに推し進めて、消費者から支持され続ける企業づくりに邁進したいと考えています。

栢野先生へ

2004年12月23日 | Weblog
 最近は、講演やセミナーの後。何処でもアンケートを取るようになりました。この結果をを私たち講師が見ると、時には腹も立ちますが、それ以上に、勉強になります。ところがこれも主催者が見ますと、次に呼ぶかどうかといった判定資料になるわけです。言い換えると講師の人気ランキングになる、といえます。そのことは講師もわかり、意識しますから、ついつい受講生におもんねたり、迎合したり、そこまでいかずとも、主体者、お客様である受講生の投資に対して、どれだけの見返りを差し上げるか、という本来をはずした。いわゆる「受けのいい内容」のものになってしまいがちです。他の人のことをを申し上げているのではなく、私自身の心の揺らぎを申し上げています。
 主催者が、そのことをわかっていないと、担当がわかっているの人でないと、栢野先生が言われるようにああした押さえる講演は、めったにやっちゃいけません。恐いです。確実に仕事場が狭くなるからです。
 ですから真のプロは、会場で、キーを合わせられるかどうか、どこにキーを置くか、そして終わってその後、アンケートの結果ではなく、参加者の実利がどれだけあるか、という処を念頭に置いてやっているのですが、はて私の場合、残された人生で出来るかな、というのが正直なところです。

 こちらから見た誤解は、お客様から見たら正解です。私の今の力では50人いて、1ー2人の方とだけ、私も正解、受講生も正解というのががせいぜいでしょう。さらに実利になりますと、友人の梶谷さんみたいに15年迷ってやっと得たという苦労・努力人もいれば、瞬時、1週間もかからず、という人もいます。どちらがいいと言うことでは、決してありません。でもそれらを合計しても1%、高くても消費税なみ、それぐらいです。
 確率が低くければ、率を高める努力の方向と、分母を増やす方法があります。たまたま私は旅が好きなことと。努力が嫌いなので結果のとしての、カモメと海猫の下北半島まで広げざるを得なかったんだ、ということです。
 早い話が、地元で評判悪く、食えなければ、悪評が聞こえぬ地へ流れる、というのは昔から、悪人ども採っている戦術です。彼らの知恵から私が学んだに過ぎず、「狭地深耕か広地浅耕」かといった高邁な,マーケット理論を持ち出すまでもないこと。
 栢野先生の方が正解で、うらやましくも思います。
 
 
 

「大欲をもって欲しいのです。」

2004年12月20日 | Weblog
うるさいことを言いましたが、これはあなたと社にとって、さらなる飛躍のチャンスだから、と考えているからです。

 こうした大災害、大危機の時は、不謹慎のそしりをあえて無視して言うなら、経営者にとっては、経営戦略的に千載一遇の大チャンスなのです。
 皆の心がすさみ、住民がご苦労されている中で、焼け太りをといったよからぬことを考える人、や金にがつがつする人たちがいる。そこにあえて美しい商人を演じるとしたらば、間違いなく人々の感謝と賞賛を得られる。かって小さい頃のヤオハンがそうでした。最近では三原のサービスセンターの伊達さんがそうです。自分のことより、地域の人たちを案じて、行動された。白圭の言う「助けた者は、助けた人に救われる」という、人生の至言を確信し、なにのためらいもなく行動に移された。
 それを目先の利を取り合いするようでは、敵を増やし、陰で誹謗され、ことの次第では地域、消費者から背を向けられかねません。飛躍のチャンスを逃すだけでなく、後々の命取りになる。そのことを案じてうるさく申し上げているのです。
 経営者は、こうしたときこそ大局的、戦略的観点から、今を捨てででも、後の信用という巨利を得るという大欲者であるべきです。
 そうした経営者でなければ、これから企業を発展させることは出来ない、というのが私のスタンスです。ですからきれいごとで申し上げているのではないのです。
 来永劫的繁栄を望むなら、戦略として、そこまで読み、計算し、今なにを、度婦なしたがベストかを考えるべきなのです。このことは歴史が示していることです。
  人間としての器に商人としてのたくましさ、そして戦略の妙を上手に使いこなせる、さらなる大きな経営者になっていただきたい。来年はその第一歩、やろうじゃありませんか。真の経営者、大商人白圭を目指そうじゃありませんか。
 それでは1月14日、白圭塾でお会いしましよう。


売りもの

2004年12月17日 | Weblog
 昨夜、ラジオNHK第一、元エログロ専門の映画監督司会の番組に、ゲストとしてこまどり姉妹が出ていた。今の時代、ほとんど知っている人はいないと思うが、もういくつぐらいだろう。60はとっくに超えているはずだ。幼い頃から薄幸で、歌手になってからも不幸なこと(ばかり)に見舞われ、といった話を、別に熱心に聞いてきたわけではないが、こうした番組で繰り返し涙声で話をすることで知られている歌手だ。それを司会者は聞き出す。これがデビーューから、一貫として続いている。聞いている方がほとんど覚えている。今回もわずか40分ぐらいの出番に、その何度とも聞いた同じ哀話を2度も繰り返す(話のネタギレ)。そしてまたも二人で泣き合う。また二人が泣き合うように司会者が持って行く。
 茶番なのだ。だがまてよ、とおもった。頃は高度成長期、この世界ではひばりの全盛期、同世代にピーナツがいる。そのあとはピンクレディ。そうした状況でオーデションですら受からなかった流しの歌手が、生きていくためには「唄」は売れる商品にならない。
 彼女たちの売りは、唄ではない。これだ、という人がいたとしてもおかしくない。このことは、これも彼女たちの話の哀話ストーリーに必ず出てくる「○○先生がいなかったら」といった話、その先生、で裏付けられる。
 テープに撮っておけばより明快なのだろうが、この話。40年前、30年前、20年前、そして今、きいても同じストーリー、パターン出来ている。

 藤 慶子は、不幸な少女としてデビューし、一躍有名になった。そして、それがデビュー曲に会わせての演出で会ったことを、それが理由で押し上げてくれたマスコミが、それを理由に引き下ろした。
 このことと、このこまどり姉妹をならべてみたら、やはり彼女たちの薄幸は、本物なんだろう、とおもう。否、歌手としていくつづける為には、薄幸で有り続けなければならい、という一種の恐怖感が彼女たちのどこかにあるに違いない。無能昌元師から、「不幸であり続ける人は、幸せを恐怖する」、という話を聞いたことがあるが、これだ、とおもった。

 真実であろうと幻想であろうと、支持されるものが前者であればそれを貫かねば生きられない。支持される理由が後者であれば真実ではなく、幻想を与え続けなければ生きてゆけない、という潜在意識があると無能さんはいっているわけだが、もしそれを彼女たちやその関係者が意識してやり続けているとしたら、これはむしろすごいことと、驚嘆すべきことなのかもしれない。
 だから、彼女たちは、不幸であり続けるために、不幸を取り込んでいるのだ。仕入れているのだ。
 どちらだろう、という謎解きには、私は関心はない。

 ブランド、信用、のれん、こうしたものとどう違い、どこかに共通性があるか、それを展開し、考察するのが私の関心である。
 
 ところで、私が、映画監督ならこの元監督、司会より太鼓持ちの役で、使ってみたい。

シーザーまたはカサエル

2004年12月12日 | Weblog
子供達のためにリサイクル品の供出の日だ。今朝は9時頃から回収が始まるから、7時にはうちの分を玄関先にだし、そのまま散歩に出た。いつもは夕方の散歩だが、リサイクルの日は朝に決めている。何故かと言えば、貴重な情報収集のためである。各家庭の庭先に出された飲み物、新聞、雑誌を見るだけで、実に貴重な情報が得られるので、もう20年も続けている。

 最近の顕著な現象は、焼酎である。薩摩川内市内でのシェアは大手の山元酒造の「五代」が、92%を占めているといわれたいる。しかし最近は、「島美人」の人気で、間違いなく80%台に落ちていると、私は見ている。念のため2つの集落を回ってみたが、焼酎瓶の8割は島美人、五代は1割もない。

 この調子では五代7割台に落ちたかな、と仮説しておいて、後はデーターを調べ裏付けを取る、といったやり方が、私なりの勉強だ。

 作家、塩野七生さんによると、シーザーは1つの戦略(こと)をなすのに、常に複数の成果が得られるように考える習慣があった、という話を、もう20年も前に聞いたことがあり、以来私もそれを倣うようにしている。

 ちなみに私の今朝。私は、リサイクル商品から情報を得、歩くことで健康保持、その間好きな音楽を聴き、俳句をひねり、発声練習を行い、今朝は郵便まで投函した。

聴く耳

2004年12月10日 | Weblog
 聴く耳があるかどうかが、その人を決める。耳に入ってくる音には様々なモノがある。だがその耳の持ち主を主体において、二つに分けると、耳障りのよい甘言と耳障りの悪い諫言との2つに分類できよう。経営戦略を専門としている私が吐く言葉は、ほとんど聞く人にとって後者の方だ。人に取り入ることを専門にしている、たとえば詐欺師は、ほとんど前者だ。

 ここで言う「聴く耳を持つ」は、もちろん後者の諫言を聞く人のことを言う。諫言を吐く人と甘言を弄する人と、どちらがあなたに役立つかと問えば、これまたほとんどの人が間違いなく前者と答える。なのに、ほとんどの人は甘言を喜び、諫言を厭う。

 歴史を見れば、諫言を歓迎する人は残り、甘言を歓迎する人は消えている。だから諫言を呈してくれる先輩や、友人、部下を持つている人は、それだけで成功の切符を持っているといえよう。

 私は経営者の成否を読むのに、この「聴く耳を持っているかどうか」を一つの基準にしている。




知識にこだわって。

2004年12月07日 | Weblog
 「過去」は、文字通り「過ぎ去る」と言う意味。過ぎ去って、今はないのだ。近鉄奈良線の東生駒駅から上本町下車。それから空港バスで伊丹空港まで行けばいい。その空港バスが事故で2時間近く遅延するという。仕方がないので梅田に回ることにした。30年ほど前は、古市に住んでいたしそれ以前にも千林、寝屋川、高槻にいたことある。その過去の知識が、明らかに原因で、地図でわずか阪急御堂筋線に乗れば2駅先の梅田へ行くのに、JRにのり、1時間も掛かるというミスをしでかした。それでいて切符は2区間の190円だから、環状線の内外を間違えたのだろう。
 過去の「ない」という記憶が、今、「ある」ものに振り回された。あういは、過去に「あった」ものを、今は「ない」のに、こだわって、いずれも記憶を追って、記憶に頼ったためだ。
 現実に対して、記憶は幽霊にすぎないのに、だ。

 住んでいたいたところ、すなわち経験十分でよく知っている街だ。これは知識だ。だが考えてみれば知識はその鮮度の差はあるにしても、すべからず過去のものだ。過去のものである知識を持っているが故に、今の状況、変化をその知識で見てしまった。それが私の、今回のミスの原因である。では初めての街で、まったく知識がなかったら、こうした場合、私はどうしただろう。
 わからないから、情景を見る。看板、案内等々。それでもわからなかったら、人に聞く。何しろ夥しい人が歩いているし、お店も交番もある。過疎の町ではないのだ。つまり過去にこだわらず、あるいは過去の知識がなかったら、情景に素直に対応できただろうし、謙虚に人に教えてもらえるのである。

 結局、なんだ。私がこの件で恐ろしさを思ったのは、過去の記憶された知識にこだわり、情景に対応しなくなっていたこと。わからないことを人に聞く、という謙虚さを失っていた、という事実である。それは間違いなく、私に老化現象が始まっていることを意味する。それに気づいて恐かった。

 もう20年も使って黄色く変色したノートを取り出し、20年間、全く同じ話をする。ジョークまで同じ、こうした学者を揶揄した話を聞いたのは、たしか30代の頃。実際、現実に最近ですらそれほどではなくとも、それに近い人が少なくない。その彼らに対して、この私、61になったとはいえ、そんなことはないぞと、どこか鼻の先で笑っていた当人が、このざまだ。

 否、老いのせいではない。やせ我慢でなく年のせいではない。過去の知識、経験で、今をこなせる、という私の心の怠慢、奢りなのだ。あるいは新しいものを避けようと言う弱気なのだ。
 
 離陸10分前、なんとか間に合ったその飛行機だが、台風27号のため四国の空から、もとの伊丹空港まで引き返す。新大阪駅、21時着。鹿児島までの列車は、とっくにない。
 
 深夜、暗闇の中を熊本へ走る列車の中で思った。この列車がうまく、鹿児島へつながってくれなければ、明日10時からの講演をドタキャンしなければならない。
 もうこんな嫌な、辛い、情けない思いは二度としたくない。だがどうにもならない飛行機の引き返しのことは、いい。問題、反省は、上本町からの、あの自分の心のぶざまなあわてふためきだ

 古いものを捨てよう。過去の経験にこだわらないようにしよう。新しいことにもっと関心を持とう。もっともっと謙虚で、素直であろう。
 
 そんなことを、祈るような気持ちで思った。深夜1時29分、熊本までは到着。さて、これからだ。反省を活かすのは、、、。