経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

ネジと努力

2008年09月30日 | Weblog
「中小企業は、金なし人なし」

と、よくご当人の中小企業経営者は言う。

これも状況。与えられた与件。
情報といってもいい。
問題はそれを受けて、ご当人がどう対応するかである。

こうしたことを口にしているということは、
それを認識しているには違いない。

それで、「どう対応されましたか?」と、尋ねると、
たいていは怪訝な顔をされる。
実におかしいことだ。


「ただ何となく、口癖で言ってみただけだ」、

と言った答えもある。

いずれにしても、こうした貴重な状況、与えられた与件。
情報を、活かしてはいないのである。

そして、
「中小企業には、なかなか情報が入りづらくて」
と、またぼやいている。

念押ししておきたいが、
こうした場合、「対応すること」が目的で、
状況。与えられた与件。情報は、
そのためのツールである。

それを道具は欲しがるが、
それを使って目的を果たすことはやらない。
「なんじゃ!、それ」、といいたいところである。

ところでこの場合、対応には、2つの選択肢がある。
対応するか、しないか。

しないのなら、ここで論ずることはない。
するとなれば、対応戦略には、
2つの選択肢がある。

金なし人なしなら、
1に、金をかき集め、人材を入れる戦略。
2に 金なし人なしでやる戦略だ。

1ではなく2を選択したとし、例を営業に取る。

金なし人なしなのだから、
自分でがんばって営業をやるより、人に営業してもらう方。
これを考えればいいことになる。

与件、制約条件があればこそ、こうした他人の褌を使って、
売れて儲かるシクミづくり、という
まことに素晴らしい戦略が生まれることになる。

戦略が確定したら、それを具現するための方法(戦術)を、
これまた自分一人の脳みそより、
他人の脳みその数の総和が大きいのだから、
大いに人に知恵を出して貰えばいい。

これが、私が創案したMMAPの神髄にある。

こうした話を、様々な機会でする。
だが、先にふれたように、みなさんは怪訝な顔をされる。

怪訝な顔は、私がしたい。

資金が無くて困っているのに、
会議ででる提案は金がかかることばかりである。
がんばってここまで来た結果、ダメになったのに、
出る言葉は「がんばろう」だ。

私にしたらおかしくてしょうがない。

金がないのなら金のかからない方法を
どうして考えてみようとしないのだろう。

がんばってもダメなら、その方法は、
がんばるほど死に急ぐことになる。
がんばりが足りないのでなく、
がんばる方法なりフィールドが
間違っているのではと、どうして考えないのだろう。

抽象度を上げる。俯瞰的に見てみる。
こうしたことで選択肢を拡げれば、
生か死か、勝つか負けるか、丁か半か、
といった博打みたいな狭いフィールが広がり、
けっこういろいろ選択肢があることに、
歓喜するに違いないのである。

たとえば、この例の場合、
売れない物を工夫と努力で売る方法もあるが、
売れないものを売らず、売れる物を売る方法もある、
といったように。

ちなみに、私は典型的な怠け者だ。
そのお陰で、努力をしてうまくいかないのなら、
努力をせずうまくいかない方がましだと考えている。

だが、実のところホンネをいうと、、
努力をせず、 売れて儲かるシクミをカセット、ポン。
これだ。これに尽きる、と考えている。
それで、 「売れて儲かるシクミ研究会」on WEBまで作った。
経費ゼロ。労力少々。

ともあれ、私は努力はするというのは、どこかに無理がある、
という警告と解。

これは別の場所を探しなさい、という情報と受け取り、
さっとうまくいくフィールドを探す方へ転じる。


雄ねじと雌ねじは、努力でねじ込むものではない。

いいいきかた

2008年09月29日 | Weblog

世の中、総て人の営みを主軸に構成されています。

他の動物、生物からクレームがでるかも知れませんが、
人間が作った人間社会ということで、ここは許して頂こうと思います。

でも1000人中9999人は、
そのことを考えずに経営を考えているのでは、
と私は独断偏見で思っています。

その根拠として、経営の話や経営の本に
人、とりわけ消費者を主語にしたものほとんどない。
しかも「我が社は・・・」、「売上目標は・・・」とか
「情勢が変化」、あるいは「会社は君を必要としない」とか、
人間以外が主語として使われています。

 このことからわかるのは、
この世は人が経営していることを軽視、忘れている、ということ。
少なくとも、強くは意識していないということです。

人が生きるための営みが、すなわち経済、経営ですから、
人を知ること、人を主語において考えることが、
もっとも重要、欠かせない大切なことだと、
私は思っています。

販売も人と人とによる等価交換、これが経済の原理です。
根本はすべからく「人」です。
 

本や人に会うとき、会社もそう。
そこから人間の営み、息吹、情念、人間くささが
伝わってこないものを、私は、胡散臭いものとして、
一歩引いてみるようにしています。
そしてその疑いが濃厚であれば、破滅、地雷、詐欺師だと理解し、
できるだけ触れないようにしています。
 
逆に初対面の人でも本でも、すこしでも人間臭さが感じられたら、
とても親しみをもって、さっと長年の友達だったかのように
入り込んでしまいます。

そうして出会った人たちに、自
分の希望や夢や欲望をメッセージするのでなく、
まずはこの自分でお役に立てることないだろうか、
それを考え、実践していくこと。

これがそもそもの事業の根源ではないのか
、私はそう思っています。

「人生はたやすいぞ。人を助ければ、自分が助かる」
       (宮城谷昌光著「孟醤君」)

何度も書いていますが、これは史上最大の商人、白圭の言葉です。
これぞ生き方・事業の本質と確信し、
私はこれを根本に生きることに決めたのです。

すごく売れた本ですから、このことを引用し、口で唱える人は、
この本を読んだ人の数だけいることになります。

でも、どうでしょうか。
たいていは、自分の希望や夢や欲望を果たす、
そのためにどう相手とつきあうかにもどってしまう、
のではないでしょうか。

私もそうです。
ですから、「たやすくない」と少しでも感じたら、
どこかおかしいのかな、と黄色信号だと判断し、

止まることにしています。
まずそうしたとき、100%、人を助ければ、ではなく、
自分が助かることへ思考、行動が寄っている。

黄色信号で、立ち止まり考えることで、
それがわかり、修正する。その繰り返しです。

でも螺旋階段を上っていることは、実感しています。
進歩発展って、こんな感じだな、
と思えるようにもなりました。

信頼・信用の蓄積

2008年09月28日 | Weblog
地域の商店街や商店が、地元から心が離れたり、
信頼を損なったりしたのでは、
何を持ってその存在意義を主張したらいいのか。

江戸がダメなら、長崎が、という論理が成り立ちがたいのが、
し続けることによる信用、信頼である。

対して、壊れるのは一瞬といわれるのであろうが、
そもそもおうした壊れるような自体を招くことがなく、
壊れがたいのが、信用、信頼なのだ。

だから一瞬で、魔がさして、といったこと自体
本来は、起こりえない。
そうした盤石なものが、積み重ねである、といってよい。

だが、現実として、これは明らかに私の理想論にすぎない。
このことは、私自身、いやというほど、
体験、見聞きし、知っている。

いや現場では、あるべき姿すら、あり得ないごとく、
その反対で動いている、といったら過言になろうか。

たとえ些細なことであろうと、
口上手に売り込んだものが
事実と異なる、といったことがあり、
結果として地元住民は裏切られた、ということは、
売る側も、買う側も目くじらをたてることない、
ごく普通の光景なのだ。

現実は理想と違うよ、という。その通りだ。
だからといって理想が不要とか、
理想を現実に合わせるかというと、
それはとんでもないこと、と考える。

かりにと届かぬ理想、夢であったとしても、
そこへ到達するための、
信用、信頼の蓄積のため日々精進していく。
自分の代で蓄積したものを、次の世代へ、
そしてそれをまた次の代へ。

これが、老舗、企業のゴーイング・コンサーンを,
支える、主柱である、と私は思っている。

威儀、異義、意義

2008年09月25日 | Weblog
起源の根底になるものを、はしょってニーズと呼ぼう。

商店は、近くに酒屋があったらどんなに便利だろう。
魚屋が近くにあったら、峠の先の漁師町まで、買い物に行かなくても良いのに、
といった住民のニーズに酔って生まれたものといってよい。

実態も歴史も見ないコンサルタントが、
「この町は、自然発生的商店ばかりで近代化が遅れている」とか
「不足業種だらけである」。
あるいは、「核がない」とか

こうした聞いたようなセリフを並べた「商店街診断報告書」
なるものをよく見かけるが、まさに噴飯ものと言わざるを得ない。

自然発生したのは雑草ではない。
生活の糧を供給するお店だ。
住民に、必要とされたからだ。

不足業種があるとは、
それがなくとも暮らしに不自由しないからだ。

核がないのは、各店が個々お得意さんを持っていて、
また遠くからお客を引っ張り込まなくとも、
穏やかに生活の中に溶け込んだ商いが出来ていたからだ。

もちろん、それでいい。これからもそのままでいけ、
と言っているのではない。

過去の意義を探求する。ここまで存続してきた実績に敬意を払う。
その上で、過去から学ぶ謙虚さが、
商店や街作りの近代化、高度化に携わる者に、駆けていたのではないか、
反省することだ、といいたいのである。

一方、商店側も、本来なら地域住民に必要不可欠とされ、
良き評判が浸透した店や街を、お客が容易に離すはずはない。
それがおかしくなるのは、自分たちのどこかに問題があるのではないか、
と謙虚に自己点検する姿勢が必要ではないか。

実のところ現状はどうか。
確かに、街の商人も言葉の形が丁寧になった。
だがそれが売らんがためであることが、みえみえだから、
地域消費者にはなんとなくよそよそしく思え、
背を向けお世辞をいわないセルフストアへ走らせたのではないか。

個性だらけのお店が、同一化、画一化、標準化してしまい、
どうせ同じなら、遠くても大きなお店に、と走らせたのではないか

同一化、画一化、標準化してしまうと、大きいところ、
名が売れているところを、社会的信頼性の意味からも
選択するようになるのは、当然である。

そのことを消費者から見たら、
買い物、選択のおもしろさ、楽しさを
そぎ落とされたことになる。
地域のお店、商店の、それらをそぎ落とした当事者はだれか。
商店主である。
側面から行政である。
それを手伝った経営コンサルタントである。
住民ではない。お客ではない。

こうしたことで、地域の商店街や商店が、
地元から心が離れたり、信頼を損なったりしたのでは、
何を持ってその存在意義を主張したらいいのか。

今、商店、街は、この設問にためらうことなく、
解を与え、金がかからぬすぐやれるとこから実践していく。
その機が来た、といっていい。

信頼は、日常の消費者との接点で生まれる。
日々の積み重ねである。
商店の威儀、誇りは、お客から信頼されている、
頼りにされている、ということで生まれる。

商店、街の本来の意義を問い続けること。

そうしたことが、信頼を取り戻す、本来のあり方だと、
異議をもたれるかたもあろうが、私は思っている。

ありがたや。ありがたや

2008年09月24日 | Weblog
山を越え、川を渡り、商人が来た。
大きな荷物を背負って、商人が来たときは、
この集落は潤う。賑わう。

が、なにかの事情でこの商人の到着が遅れることでもあると、
ここの住民達は、枯渇する。

「地元に、商店があったなら、こうした苦しみはないのに」

と人々は、思ったに違いない。

こうしたところに、私は、地元商店の存在根拠と意義があると思う。


「おらが村にも、おらたちのお店が出来た」。

そのことで、どんなに村人は喜んだことか。
そのお店の主は当然、村の住民である。

これが、「地元の商人は信頼できる」という
基盤にあるのではないか。


もう25年前、鹿児島県大島郡大和村の、
村から離れた集落にある7坪のお店の改装を
お手伝いをしたことがある。

その店名、「株式会社 鬼木商店」である。

若い夫婦が、親のあとを引き継いでやっている、
この集落、唯一のお店。

このお店は、何でもある。
いや村の人が、鬼木さんに注文すれば、
彼は、車で2時間近く駆けて、名瀬市(当時)にいって仕入れてくる。
老人達に代わって、町の病院に薬を貰いに行くこともある。

なんで、こんなちっちゃなお店が、株式会社?、私は、そう尋ねた。

株主は、この集落、全所帯なのだ。

以前から鬼木商店はあった。
だが、こうした小集落にも大型スーパーの支店が進出し、
また町から移動販売車が来るようになった。
集落の人たちは、みなそちらで買い物をするようになった。
安いのだ。新鮮なのだ。品揃えが豊富なのだ。当然だ。

で、この個人商店「鬼木商店」は、店を閉じた。

ところがある夏、台風がこの地を襲い大型店の支店は崩壊、撤去。
やがて大型スーパー自体が倒産。移動販売も来なくなった。

住民達は、ここで初めて、地元店の存在の有り難さを
自分たちの死活問題として、身にしみ見て知ることになる。

お店がなければ、生活が出来ない。
だからみんなで金を出し合って、鬼木商店を再建しよう。


それが、株式会社「鬼木商店」である。
その店舗改装のご縁を頂いたことで、私は
商店の意義が、初めて理解できた。
私に取って、鬼木商店は一生忘れることのないお店である。


お店は、「売る、買う」、という経済行為の底に、
人々の生活を守る欠かせない存在意義があることを
頭でっかちの、私に教えてくれた。
だからこそ、住民にとっては、地元の商店は
自分たちの生活を守る有り難い存在であり、
商店主にとっても、自分の暮らしを支える
有り難き人々なのだ。


後日談。
過疎の集落の多い奄美では、こうした事例は少なくないのだ。

それは、まさしく、
商いは、売る人と買う人、双方の
生活を守る、かけがえなのない存在、

という実証ではないか。

そうしたことすら知らず、論を説いていたのだ。
今も、赤面する。

これもニーズ

2008年09月22日 | Weblog
薩摩川内市百次町 上野城下、という地に、
27年前から住んでいる。

薩摩藩時代、百次城という出城があり、その城主が上野氏。
今、高齢で病院住まいだが、その子孫が、隣人である。
お城の下(しも)だから、私の住所の元々の字(あざ)は、上野城下。

26年経て、2世帯増えたが、それでも26世帯の小集落である。

今年の75歳以上の敬老対象者が、19名。
隣の集落(和田自治会)にあった近くの農協の出先が消え、
そして今年の1月、唯一、最後のF商店も店を閉じた。
 
一番近いコンビニでも、歩いて1時間、
大型スーパーへ行くには、さらに20分ほど歩かねばならない。
ちなみに、歩く道は県道。歩道はない。
道路沿いあるのは、老人向けの病院1,老人ホーム2,
民間のケアセンター1,それに大きな葬儀場。
人生後半の関連業種がきちんとそろっている。

戻す。

で、買い物はどうしているかというと、
町に住む息子や孫が、日曜日、買い出しにいってくれる。

ヘルパーさん、宅配組もいる。
病院通いのついでに、タクシーの運転手さんに頼む人もいる。

だが、たいていは、1時間余かけてスーパーへ歩いていく。
当然、行きはよい、よい、帰りは、ということになる。

歩くのは健康に良いから、
あながちこうしたことを、
かわいそう、と決めつけるわけではない。

だが、自治会長をして、判ったことだが、
病院通いは友達に会えて、話が出来るが、
このスーパー通いは、行って、買って、帰り着くまで、一人。
口を利く機会がない。それが足を重くするというのだ。

それでもまだスーパーはいい、と彼女たちは言う。
スーパーより800メートルほどコンビニの方が近い。
品揃えが、若向きのせいかと思い、念のため尋ねてみる。、

「二度と行かない」。

理由がある。

一番いやなのは、「こんにちわ」と
声がするから、自分たちも、頭を下げ、
挨拶をしたら、こちらをむいている人はいず、
大声で、挨拶を返した自分が恥ずかしかった。

こういったことだ。

高齢化、高齢化に対応というコピーは氾濫している。

だが、ほんとうに高齢化時代の真のニーズ、
高齢者の叫びについては、
もっともっと、考えてみることが、
あるのではないか。

かってあった、そして今はない。
そしてかっては、なくて、
今は、求められているニーズが。


飢えは、腹いっぱいを、ニーズにし
腹ふくれるは、ダイエットをニーズになす。
人、煩わしもニーズなら、人恋しさもニーズ。

濁流の中で

2008年09月21日 | Weblog
大分・佐伯の竹津さんから、
「こちら、全然大丈夫」と、連絡があった。
ブレーンの高橋さんから、「台風、大丈夫ですか」
と、昨夜から何回ともなく、気遣いの電話が入っていた。

鹿児島・薩摩川内の空は、どんよりとはしているが、雨も風もない。

予定通り、予定の新幹線、予定の特急に乗る。
列車からの空は、心持ち明るくなった気配。
都城を過ぎて、雨が強く降り出した。
車内放送が、「激しい雨のため減速運転をします」と流れる。
ほぼ同時に、ノロノロ運転。
それも長くは続かなかった。
田野駅近くで、止まる。

最初は、「ここで待機。様子をみる」
といっていた車掌の動きが慌ただしい。
早めに手を打たねば、えらいことになりそうだ、と考え、
佐伯の竹津さんに電話。「こちらは、小雨程度。やる」の返事。

車掌を捕まえ、状況を聞く。
どうやら、代行バスの手配をしているらしい。
それも何時になるか判らないという。
竹津さんに連絡を取る。
彼が駅と連絡を取って、
南宮崎から大分の間は、動いていることを確認。
ありがたや。ケイタイ。
それで、タクシーで南宮崎まで走り、南宮崎で列車に乗り
間に合わせて欲しいとのこと。
ブレーンの高橋さんから、電話がはいるがついに電池切れ。

車掌に、タクシーを手配して貰い、
ドアロックを開け線路に出る。
ずぶ濡れになりながら線路を歩くが、高い柵で上がれない。
やっとプラットホームまでたどり着き、よじ登る。

タクシーの相乗りがいれば、と後ろを振り返った。
が、後続する人はいない。
ぐずぐず出来ないので、待っていてくれたタクシーにのる。

道は、まるで川。途中、軽自動車が浮いていた。
国道10号線にでると、この国道が完全に濁流と化していた。
幸運なのは、北に向かって流れていたことだ。
反対車線の車は、向かい水で、立ち往生している。

20年以上、ここで商売しているけど、
こんな大水、初めてだ、と運転手さん。
実に親切で、運転がうまい。

南宮崎に近づくにつれ、国道の水は見られなくなった。
空も随分と明るい。

大急ぎで3960円払うと、駅を駆け上がる。
ここの駅は2階にあるのだ。
ついていた。4分の待ち合わせで、乗り継ぎの特急がでる。
15時26分。順調にいけば17時半ぐらいには、佐伯に付ける。

10分ほど遅れて、特急へ。全身ズムぬれ。
着替えようとバッグの着替えを取り出したがこれも濡れている。
靴は縮んでなかなか脱げない。
腹は減らないが、夜の食事に、と買い込んでいた
飲み物や珍味を食べて、身体を温めた。

大雨の中を、線路を歩く。
まるで映画の1シーンみたいな体験。
そうしたことを思い浮かべながら少しまどろんだ。

昔、通った道

2008年09月20日 | Weblog
畢竟、
変化も、1つの繰り返しである。

季節の移ろい、
道のありよう、
人の1日のあり方、
企業の一年、

おおまかにいえば、繰り返しである。

繰り返しだが、昔通った道は舗装されている。
同じ道だが、同じ道ではない。
通る人間もそうだ。
かっての子供は、大人。
かっての小学生は、今は大学生。

ヘーゲルは、このことを弁証法で言う。
ヘーゲルの弁証法の「螺旋的発展」だ。
物事は同じところを通りつつ発展していく。

これを借りるなら、その前提の変化もまた、
同じところを回りながら変化していることになる。

戻す。
口を利いてくれない商いのあり方に、
消費者は、倦んできた。
物足りさ、いや不満すら抱くようになった。

人の代わりの自動販売機は、煩わしさはないが、
孤独感を癒してくれない。
釣り銭忘れたよ、、と声をかけてくれないじゃないか
コンビニでのマンガの立ち読みの、あの孤独感。

いつのまにか、口を聞いてくれないお店から
お客が離れ始めてきた。始まっているのだ。

だがその受け皿が少なくなったまま。
過渡期は常にそうなのだ。

「これ、大丈夫」と、パソコンが書くより、
へたくそな朱塗りの親爺のPOPが、笑えるじゃないか。

さらに、そうしたまどろこさを飛び越えて、

「おっちゃん、これ、ほんまにいけるんかい?」
と声をかけてみたいみたいのだ。

尋ねても、「ほんまなやがな。いけまっせ」と、そっけない、
何の裏付けのない返事が返ってくるだけかもしれないが
人は、人の声で、安心するところがあって、うなずく。

山中で迷ったとき、人の声。
そんな気持ちかも知れない。

飢えは、ニーズ。
人恋しさも、ニーズ。

あの靴欲しい、この服着たい、といった
ニーズ以前に、そうした自分の心の渇きを
癒す、そうしたものの充足が、欲しいのだ。

人は、今それを、実感し始めたのかも知れない。
どちらが、広いか。深いか、どちらが先か
といえば、モノに充足した今は、
ダントツ、此方なのだ。


それが嵩じて、その延長線に
街還り、商店還りがある

身近な地元の街で、
昔から見知っている人のお店で買い物ついでに
いや、買い物を口実に、世間話やうわさ話をしたい、
というニーズ還りが、徐々に大きくなってきている。

そうしたことができることこそ、
なにも、事改めて「フレンドリー」などと
カタカナで言わずとも、
親しみが持て、信頼できる証、ということ。
なぜなら、信頼とは、人を通してこそのもの。
それが本質なのだから。(続く))

信用・信頼

2008年09月18日 | Weblog
不信なできごとが、世間を賑わすと、そのうち人は、
もう少々のことでは動かなくなる。
そうした話題に倦んでくるのだ。

それは、人々が心のどこかで信頼できる人、モノに飢え、
切望しはじめの兆しであるといえる。

それがニーズ。それがキーワード、として感知し、
自ら動くことでビジネスチャンスになるし、
大袈裟に言えば、それが運命の転機すらなる。
そう思っている。

むかしむかしのお話。
店に入ったものなら、しっこく話しかけられ、
アプローチしてくる店主に、お客はヘキヘキした。
売り込みに逃げ出したくなった。
買わなければ、出られない独特の雰囲気を持っていた。
それが地元の商店であった。

ならば、これを反対にしたお店を作れば、
うまくいくに違いない。

ニーズはそこにあり、ということで、
セルフストアが生まれた。

日本で言えば昭和30年代か。売れた売れた。
彼らの店は、だんだん大きくなりビッグストアとして
一世を風靡、多店舗展開し始め、チェーンストアと別称され、
それが全国展開するとナショナル・チェ-ン。
しないものをローカルチェーン、
ひとまとめで量販店、と呼ばれ、
やがてショッピングセンターに出世。、
それにメガがついたり、マートをつけたり。

まるで出世魚よろしく、成長の過程で呼称が次々変わった。
だが、ブリが、なんとよばれようとブリ。
魚は、肴になることはあっても、鯨になることはない。
業種業態がいかに変わろうと、大きくなろうと、
あるいは消えて行こうと、消費者の支持次第。
この本質は普遍である。

だから、それを忘れたお店は大型店であろうと
商店であろうと消える。当然である。

パックの魚の値札が落ちると、
「これ、なんというお魚?」と、
お客の問いかけに、尋ねられ答えられない店員。


これは、私が何回も経験したことだが、
店員に売場を聞くと、
「私」、パートですから」とか、
「私、チェッカーですから」とか。、

珍しくなかった。、

「当店は、セルフストアですから」と、
堂々と答える店員すらいた。稀有でも大昔でもない。

消えたが、一世を風靡した「カーボイ」など、
が、そうだった。

「接客抜き安値を付けている。だから店員にものいわないでけれ」

といったことを、堂々といわれて、小嶋屋の小林さんと、
あきれかえったことがある(新潟・上越店)。
        

それでも、消費者も目くじらを立てることは少なかった。
それは消費者の関心、ニーズは、
そうしたところになかったからである。(続く)

褌の活用法

2008年09月17日 | Weblog
バラ売り、小さく作り、小さく売ること
こうしたことが、、

「買って喜ぶ、花1文め」。

買ったお客は、「綺麗ね」と喜び
売り手、売れて1文売上が上がり、喜ぶ。

といったことで、
偉大なるキーワードだ、と確信しています。

疎になれば、密が求められる、
ということを考えれば、人口減少時代と言うのは、
拡散から、密度、合理化から、手間暇、
といった方向の動きと
連動していなければならないからです。

これによって、作り手・売り手にしてみれば、
利益率が高くなる。
購買頻度が高くなる。
買上点数が多くなる。

良いことづくめです。


お客さんにしたら、出費が小さくなる。
残すといったムダがない。
(薬は直ったら、残りはなんの役にも立ちません)、
荷物にならない。置き場所に困らない。

これまた、良いことずくめ。
(もっとも良いことだけを拾っているので当然ですが))

このように、自分良し、他人良しの2者両得になる。

この「2者両得になる」ってこと。これが哲理なのです。
これまた、とても大切なキーワードです。