経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

めいだい

2015年03月16日 | Weblog
命題について考えている。
書きながら考える。いや考える前に指が動いているのかも。

とにかく、これを書きたくなって、
念のためにネットでしらべると、
これ、命題とは、
~一般に「何々は何々である」といった平叙文が
表現する意味内容のこと。

良く混同されるが、命題は文そのものではなく
文の意味内容である~とある。

なんじゃこれは。
書いた本人、わかっているのか。まるでチンプンカンプン。
これにとらわれれば、書けなくなるから無視して、
ここでは、学者から誤用じゃ、とのそしりを恐れず
文字通り、私は「命に与えられた題(テーマ)」と
定義して、考えてみたい。


生まれたと云うことは、死というゴールがあると云うこと。
つまり「生」の達成点は「死」であるが、
これでは人生は寂しく、つらい。

だから、この死にいたるまでを帯体を命と設定。
この帯体にタイトル、すなわち各自、自分の目標を設定する。

それも楽しく愉快なものとし、死に置き換える。
この帯体で、死を包み隠して生きるためのもの。

これを「命題」と考えることにしている。

事実、この死を覆い、包み隠している目標を失うと、
「死」がのそっと顔を出し、恐くなる。

死を覆い隠す以外に、死の恐怖から逃れる考え方としては
死の先に、天国あり、という考え方が広く布教している。
しかし、一方では地獄もあるぞ、としている。
死者に選択権があるのなら、まず心配ないが、
例えば天国が満席で、ということになれば、
あるいは神仏が機嫌悪くて、この私を地獄へ
といったこともあるから、どうも穏やかではない。

で、戻すが、命を、命の帯とし、この帯のデザイン、
柄などの織りなしのテーマを、各個人に与え、
あるいは設定させ、すばらしい帯を織りなされ、
これが、まさに命題であるぞ、と、
私は、この思いつきに、悦に入っているのである。

なんでも自分の都合にいいことに、楽しいことに
嬉しいことに、愉快なことに、こじつけをすることも
また、わが得意とする命題である。

ちなみに、出た学校も明大。



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