いつも申し上げていることですが、どんな事業であろうと、
例外なしにお客が買わないことには一円の売上も上げらないのです。
この当たり前のことさえ理解していない経営者が多いのに驚きます。
経営者の相談といえば「どうしたら売上が上がりますか」といった類(たぐい)ばかり。
接客、店舗、販売促進等、すべて売る側の論理と都合からのご相談です。
売れるということは、消費者が買った行為の結果です。
だから、どうしたら買っていただけるかという側面の方が先、入り口です。
入り口を経て中に入り、始めて出口の概念がでてくる。
中に入っていないのに、出口から出るといったことはないわけで。
同様、買わないのに、売れるが先に来ることもないのです。
売る側の人が「お客様第一主義」とか「お客様は神様である」といった言い方をする。
言葉だけであったら、だれでも幾らでも言える。
実際やれているのであれば、言う必要もないでしょう。
できていないから、そうしたコピーを掲げている。
自社の恥をPRしているようなものじゃないですか。
そもそもそんなことを言っているトップが、内実、
「お客と自分の業績、どちらを第一に考えているか」
など社員はみな知っているわけです。
それが雪印をはじめとする企業のおびただしい事件です。
党利党略どころか自分の派閥や自分の利権に熱心な政治家だって、
選挙の時のみならず、この大震災直後の国会で、
は「日本のため、国民のため、復興のため」といっていますが、
国民は、自分たちの政争であることを、みな知っています。
これと同じで、身内である社員が信じていない。
それを、お客が信じるわけないじゃないですか。
言葉やコピーで信じたり、感じたりするわけはないですから、意味がない。
だからそんなことはどうでもいいのです。
問題は、お客の方が「なるほど、お客様を第一としている主義のお店だな」、
「私を、神様みたいに大切にしてくださる従業員さんだなあ」と感じるかどうかです。
そう感じるように、意識して行動しているかどうか。
少なくとも、買う側の立場で考え具体的に行動しているかどうかで、
やがての企業の盛衰が決まってしまう。
額に掲げたり唱和したりする暇があったら、そのこと、
日常の行動や考えに具体的にどう現れているか、
自分の胸に問うなり、自分のお店の現場を見てみることです。
現場では、みな会社第一、上司を向いて、自分大事、ノルマ必達で、
一生懸命。そしてそれを頼もしく思う、自分がいる。
例外なしにお客が買わないことには一円の売上も上げらないのです。
この当たり前のことさえ理解していない経営者が多いのに驚きます。
経営者の相談といえば「どうしたら売上が上がりますか」といった類(たぐい)ばかり。
接客、店舗、販売促進等、すべて売る側の論理と都合からのご相談です。
売れるということは、消費者が買った行為の結果です。
だから、どうしたら買っていただけるかという側面の方が先、入り口です。
入り口を経て中に入り、始めて出口の概念がでてくる。
中に入っていないのに、出口から出るといったことはないわけで。
同様、買わないのに、売れるが先に来ることもないのです。
売る側の人が「お客様第一主義」とか「お客様は神様である」といった言い方をする。
言葉だけであったら、だれでも幾らでも言える。
実際やれているのであれば、言う必要もないでしょう。
できていないから、そうしたコピーを掲げている。
自社の恥をPRしているようなものじゃないですか。
そもそもそんなことを言っているトップが、内実、
「お客と自分の業績、どちらを第一に考えているか」
など社員はみな知っているわけです。
それが雪印をはじめとする企業のおびただしい事件です。
党利党略どころか自分の派閥や自分の利権に熱心な政治家だって、
選挙の時のみならず、この大震災直後の国会で、
は「日本のため、国民のため、復興のため」といっていますが、
国民は、自分たちの政争であることを、みな知っています。
これと同じで、身内である社員が信じていない。
それを、お客が信じるわけないじゃないですか。
言葉やコピーで信じたり、感じたりするわけはないですから、意味がない。
だからそんなことはどうでもいいのです。
問題は、お客の方が「なるほど、お客様を第一としている主義のお店だな」、
「私を、神様みたいに大切にしてくださる従業員さんだなあ」と感じるかどうかです。
そう感じるように、意識して行動しているかどうか。
少なくとも、買う側の立場で考え具体的に行動しているかどうかで、
やがての企業の盛衰が決まってしまう。
額に掲げたり唱和したりする暇があったら、そのこと、
日常の行動や考えに具体的にどう現れているか、
自分の胸に問うなり、自分のお店の現場を見てみることです。
現場では、みな会社第一、上司を向いて、自分大事、ノルマ必達で、
一生懸命。そしてそれを頼もしく思う、自分がいる。