「一分の益、九分のムダ」
どの市町村でも観光案内とか、路案内板が作られているが、まずわかりにくい。それに土地のものでしか読めない地名に振り仮名がついていない。これは案内板を、誰が見るのか、なんのために作るのか、といったことをまったく考慮しない人たちの産物の典型例である。
こうした看板やパンフレットを見る人はその土地に不案内な人に限られる。だから、作り、設置するのだ。わかりきったことである。それなのに、不案内な人には役に立たない、町の人には無用な看板やパンフレットを作る人の感覚
はどうなっているのか。こうした視点で街を見回すと、至る所に自分の財布からお金を出さない人々の無駄遣いの例は見られる。
たとえば、「おもてなしの街」、「地球に優しい地域作り」といった看板をみて、「そうか、おもてなしをやらんといけんばい」とか「なるほど、ええことやっるやんけ」と、思う人が一人でもいるのか。「えぇーえ、財政逼迫の昨今、、」と出すべき時には、金がない。こうした無意味なことになると、金が出る。こうした「しくみ」というか「構造」は、笑止に堪えない、とののんきなことを言ってはおれない。笑うのを即止めて、止めるよう市民が動くことである。
一事が万事。こうしたことが莫大な投資を伴う、箱造り、街づくりだったら、どうであろうか。完成するまでの経済効果という甘い言葉と、それを決断した首長の名が残る、といった極限られた効果のため、市民の多くが、未来まで縛られるツケ、失うものは大きい。 2006/05/11
どの市町村でも観光案内とか、路案内板が作られているが、まずわかりにくい。それに土地のものでしか読めない地名に振り仮名がついていない。これは案内板を、誰が見るのか、なんのために作るのか、といったことをまったく考慮しない人たちの産物の典型例である。
こうした看板やパンフレットを見る人はその土地に不案内な人に限られる。だから、作り、設置するのだ。わかりきったことである。それなのに、不案内な人には役に立たない、町の人には無用な看板やパンフレットを作る人の感覚
はどうなっているのか。こうした視点で街を見回すと、至る所に自分の財布からお金を出さない人々の無駄遣いの例は見られる。
たとえば、「おもてなしの街」、「地球に優しい地域作り」といった看板をみて、「そうか、おもてなしをやらんといけんばい」とか「なるほど、ええことやっるやんけ」と、思う人が一人でもいるのか。「えぇーえ、財政逼迫の昨今、、」と出すべき時には、金がない。こうした無意味なことになると、金が出る。こうした「しくみ」というか「構造」は、笑止に堪えない、とののんきなことを言ってはおれない。笑うのを即止めて、止めるよう市民が動くことである。
一事が万事。こうしたことが莫大な投資を伴う、箱造り、街づくりだったら、どうであろうか。完成するまでの経済効果という甘い言葉と、それを決断した首長の名が残る、といった極限られた効果のため、市民の多くが、未来まで縛られるツケ、失うものは大きい。 2006/05/11