経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

両面思考

2009年01月30日 | Weblog
新年会でのトップの話は、
「今年は大変厳しい年で、」と言った
枕詞で、声を落として始まる。

それは、乾杯の場面で、切り替わる。

●●である。しかし、だからこそ、我々は
がんばって○○にしようではないか。かんぱい!

暗を転じ、明を盛り上げるといった話術の1つ
なのだろうかもかもしれない。

話術だけではない。
川端康成の名作、『雪国』は
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。・・・」
で始まる。暗と明、黒と白の対比描写である。

ちなみに、そのあと、
「夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。」、
と続く。越後湯沢の一面白の風景が目に浮かぶではないか。

しかし、一方、厳しいとか大変な年で、と切り出せば、
必然的にその根拠なり背景なりがリンクされ、
聞く人々の多くは、自分の企業の先行きに不安を
感じることも、否定できないことである。

1に、暗い方に物事を予測し暗いことに関心を示す。
2に、自分の能力や低業績の言い訳のプレ予告に使う。
3に、自分のが自信がないこと、力のないことの補強。

私たちには、うまくいかなかった場合の言い訳や
心理的リスクの軽減、予防線、あるいは無意識に
他人からの同調を求め、裏書してもらうといった。
他者を巻き込みあう融通手形を出し合う癖が、
大なり小なり、心にある。
それを云々したいのではない。

だからこそ、と続けたいことは次のことだ。


情報発信者には、そこに恣意性があろうと無かろうと、
こうした何らかの意図がある、ということを
承知しておくこと。つまり脳力開発でいう
暗を見たら明を。表を見せられたら裏を見よ、
といった両面思考で、物事を判断することが
不可欠ですよ、と申し上げたい。

そしてその結果が、どちらに転ぼうと、
自分にとって進歩発展するように、
活用する姿勢と行動が重要であるということである。

「転んでも只ではおきない」という言葉がある。
転んだらそこらにある金目の物を掴んで、
また立ち上げる、というのもいい。

それに加えて、転んだらその転んだときの姿勢、
視点から物事をみてみる、考えてみる。良い機会だ、と
考え、しばらく、ドップリと浸ってみることを進めたい。
こうした両面思考が、新たな進歩発展を創る。
今、時代は、それに最適の時、と見ている。

変わった結婚式

2009年01月25日 | Weblog

花嫁に向かって、
「あなたは、この女性を夫として・・・」
フランス人と思われる牧師が尋ねる。

参列者から、ほんの少しどよめきが起きたが、
めでたく式は終わった。

新婦が、女性を夫に?、これを変わった、というのではない。
牧師のアヤマチ。神も許してくださるはず。

変わった、という思いは、披露宴の席に着き
あらためて参列者108名の名簿をみてのこと。

新郎は教育委員会勤務、新婦は小学校の教師である。
当然、招待客の大半かこうした関係者とご両家の親戚。
ご両人の友人達がほとんど。

新婦の父Tさんは、県で3本の指に入る
大手建設会社の管理職である。

だが、この父の関係者は、誰もいない。
新郎の父の関係者も然りだ。
両家を通じて、親戚でもなく、ご両人の仕事関係でも
友人でもない招待客は、私たち夫婦と、Nさん夫婦だけ。
この夫婦は、Tさんたちの故郷の幼なじみらしい。

最近の結婚式はこんなものだ、
と一口で言い切ってしまうと身も蓋もない。

そこには子供達の幸せを願う両家の両親の意思が
と、なんでも「なんでや」と考えるくせがでる。

人はまず自分を中心において、ものを考える。
それは過去と未来を考える場合でもそうだ。
Tさんは,55歳。Mちゃんは24歳。
父は過去が長い。娘は過去より未来が長い。

Tさんが自分を中心に考えると、
今日の参列者はがらりと変わるに違いない。
それが、これまでの披露宴ではなかったろうか。

爾来、多くの結婚式は親のミエで人選した過去の長い人が主で、
老い先短い長老が、並み居る中高年の肩書き者にむかって、
「エー、僭越ながら・・・。両家の末永いおつきあいを」
といった挨拶をする茶番をやっている。
それにたいして何の違和感も覚えることはなかった。

披露宴には、「引き継ぎ」や「引き合わせ」の意味合いもある。
旧世代を新世代への儀式、結婚式が二人だけのものではなく
「家」のイベントであることの証でもある。

もっといえばこれまでの自分が築き、培ってきた縁を、
子供に?がせる、といったことである。

だが何事も両面ある。
それが、しがらみ、縛り、寄りかかり、甘えになるといったことも、
山崎豊子著「華麗な一族」の金平、銀平といった子供達の悲劇になる。
それはけして小説の世界だけではないのだ。

ほんとうに、祝いたい人たちが集まっている。一番良い形かな、
と披露宴で、好物の赤ワインを飲みながら、そんなことを考えていた。

明けて今朝。雪の寒い朝。見事な快晴。
だが私は、ここ数年経験したことがない二日酔い。
隣の妻のにらみを無視して、赤ワインを
飲み過ぎた(恐らく1本以上)せいである。

せっかくだから、これを切っ掛けにダイエットを始める
と、妻に宣言。妻は「明日には忘れる」と、つまらん水を差す。

「そのときは、また赤ワイ」。09.1.25

105円が語る

2009年01月24日 | Weblog
自然の現象は、人間の意志に無関係に変化する。

だから、こと自然現象を予測することは難しい。
ならば、どうせ人智のおよばないことなら、
明るい方に、と私は思っている。

ただ、ここで間違ってはならないのは、
黒を白と認知することではない、ということだ。
白を黒と言い聞かせることではない。
白は白、黒は黒であり、それを認知してでのことである。

景気が良いと自分が認知したのなら、
これを追い風に、と考える。

景気が悪いと自分が認知したのなら、
これを向かい風に、どうしたらもっとうまくいくか。
すなわち経営であれば、売れて儲かるためには、と考える。

どちらに転んでも、自分の発展のために、それを活用する。
そうしたしぶとさ、たくましさを含むものが、「対応」である。

 上に、「自分で」を加えたは、理由がある。
かって世紀末に近づく数年前、
地球崩壊や人類滅亡論を説き、人々の心に不安感を植え付けた
似而(えせ)神様や自称預言者、それに一部の学者や
コンサルタントなどがいた。

彼らは明らかに人智では、いかんともしがたいことまで、
人智の範疇に属する経済行為に置き換えて説き、
人々に恐怖を流布したのである。
その対価で、彼らは潤った。

その証が、今、古本屋の棚に105円で、ずらりと並んでいる。
それらの本から、裏切られた多くの人たちの悔しさを感じる。
その著者たちが、いかにでたらめを書いたかの証、ここにある。

私は、この中から8冊買い、手元に置いてこの原稿を書いている。
それは過去のこと。だが、その8冊の著者が、
今回の不況に元気を取り戻し、
また似たような著書を出版しているのである。

つまり彼らは、不況、暗さ、危機を、手を変え品を変え
それらを強調することで生業(なりわい)を立てているのだ。
当然、無視する限り、実害はない。

 ところがそうしたものに、飛びつく人が多くいて、
中にはそれをクチコミで拡げて、彼らのよいしょしている。
その彼が、いわゆるトップであったりするのだ。

王様が、素晴らしいドレスを着ていると言っても、
「ウソーっ。そんなことなかよ。王様は裸ジャン」、
と言った子供のように、自分の五感で見て、聴いて、感じて、
判断して欲しい、と思うのだ。これが理由の1.

もうひとつは、自分で感じた思いを、
他人に押しつけてはならないということだ。

王様が、「この水は甘い」、とつぶやくと、
多くの臣下は、「あまくないや」と思いつつ、押さえて従う。

こうして組織に、金太郎飴になる。異見、異論、
ましてや諫言を受け入れない風土が出来る。

この2点が、「自分で」を加えた理由である。

自分の五感を信じる。それが他者の五感をわかる
つまり他人の痛みがわかるといった「共感」
の根本にある。その共感なしに、他人に同調するのは
へつらい、おべっか、よいしょといった誹りを受ける
だけでは終わらないことを、心しておかねばならない。

因果は巡る

2009年01月23日 | Weblog
昨日、野口悠紀雄氏の経済講演を,鹿児島市まで聴きに行った。
鹿児島商工会議所の主催で,200名定員に対し300人のエントリーという。

中央駅から、歩いて1時間少々で,会場のホテルについた。
受け付け開始は14時半からだったが、14時前に着いたのは,
主催会議所の職員の皆様方に,
年始の挨拶をしておきたかったからである。

案の定。私が1番乗り。
前方中央の,舞台からみて、ど真ん中に荷物を置いていると、
野口先生が,数名の職員と舞台に上がるのを見かけた。

「えっ、なんだろう」

見ていると、ライトの調整,演台や花の位置の位置など
細かに調整している。

「これは早く来て,儲けもの」

氏の性格が読める、プロとしての根性が読める
話し手のプロとして見逃せないと、高見の見物を始めた。

マイクの調整に拘る人はときおり見かけるが,
氏はマイクではなく,演台とライトのほんのわずかの位置に
拘っている様子である。

先生は、元大蔵官僚、経済学者。超整理手帳の創案者としても著名。
専門は、日本経済論、ファイナンス理論。
現職早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授、

話を伺うのは、2度目。
話に強弱を付けてぐいぐいといったタイプではなく,
典型的な学者の話しぶりで、まるで大学の講義。

内容も経済指標の推移を押さえながら、誇張もなく,飛躍も無し。
観衆の300人の大半は寝ていた。
私も、ちょいと前半、うつらうつら仕掛けたが、
目を叩きほっぺを突いて耐えた。
それでも、大いに収穫があった。
経済の話には,楽観論、危機論の2つがあるが、
このおだやかな話を淡々としている氏は、超危機論者である。

先生は,円が「70円前半」。これが通常なのだという。
つまり,昨日時点で92円だから、20円高に落ち着いても、
円高ではないく、当然のレートだと。
それは,これまでの円安のツケ、揺り戻しだと。


70円台に定着した後、輸出業ベースの会社が、
どうするか。どうなるか。だから危機、と。こういう主旨である。

この話が出たのは90分の持ち時間が残り20分ぐらいになってから。
だから、どうしたらいいかの話は,残念ながら,という次第。

輸出する自動車は、円高で大変。
だが一方、素材を海外から輸入し製造しているから,
円高恩恵も多いはず。この点に言及無し。

こうした不満は残ったが、遠くから傾聴にきたかいはあった。

16時半から新年会。これはひどい。
ものの20分も経ないうちに、料理はゼロ。
一口も食べなかった人がいたのではないか。
3000円×250人の売上はどこに。

第三セクターのこのホテルの,狙いが丸見えのやり方だ。
そして、「だから」,赤字続き」なのだ。

経済の世界でも、因果は巡っているのである。

大統領、(泣)

2009年01月22日 | Weblog
昨年、暮れ。オバマさんの選挙中の演説集を買った。
ほとんど聴き取れないまま、付録のCDを何回も聞いた。
そして、就任演説を聴いた。
涙が出た。理由は良い。とにかく涙がでた。

夫人と抱き合ったまま、この大統領はうっすらと涙した。
それでまた泣いた。

私は自分が判らなくなった。
自国の総理の演説に、笑い、怒り、
何の効果もないのにブログで誹る。

その数分後に、他国の大統領の演説に、
胸が締め付けられるような感動を覚え、涙する。

これはもう、自分がおかしいと
いうことにでもしないと、ケリが付かぬ。

なんでや、とは考えないことにしよう。09.1.21

首斬り考察

2009年01月20日 | Weblog
ある会社(かりにAとしょう)の朝礼に参加した。
元気いっぱいのA社長の後ろには、
白地に赤く「今期、売上倍増!」とある。

この不況が巷の話題の中で、これは元気の良いことよ、
と感服した。 しかし・・・・。いや、案の定か。

朝礼後、社長室で、そのことに触れた。

「当社は、3月決算でしてね。その頃はものすごく好景気で、
倍ぐらいは軽いと思っていたのですが。
10月にはあきらめましたよ。大会社で、あんなことですから。
倍どころか前年維持ができるかどうか」と苦笑いする。

自分の中では、とっくに看板を下ろしているが、
従業員には、そんなことはいえない」としおれる。
正直な人だと、思った。

A社のように売上倍増、という目標を立てたとしたら、
売上を昨年の2倍。これ以外に本来は戦略はない
戦略は譲れないものなのだから。

だから、戦略なしで、A社は、漂うことになる。
ま、最初の倍増の戦略も、浸透していないだろうから、
と考えれば、看板を下ろしても問題が無いか、
と、彼に伝え、ともに笑う。

このように戦略は択一。たとえば生きるか死ぬかだ。
だから、当然生きるために売上の目標を断念し、
急遽別の戦略を立てざるを得なくなる。
真意は不本意ということだろうが。

そこで急遽別の戦略を立てることになる。
A社と違って、戦略なしでは回らない図体だから。
となると、馬鹿のハンコ押し。
だれでも思いつく、コスト削減による益出しだ。
それもコストの中で、金額が多いのは人件費。
それが今社会問題化している雇用調整。首切りだ。

以前、同じようなことをやった折には、
「リ・ストラ」という本来の意味とは違う言葉を使って
批判をかわしてたが、今回は、契約打ち切りとか雇用調整。
どう呼ぼうと、首切りだ。
首切りは、首を切られる人が痛いのであって、
首を切る方が痛いことはない。
妻が投げた茶碗が、私に当たり、と隣のYさんが、痛い、
と言うことはないのだから。

苦渋の決断と、苦しい表情で言っているが、
その実感があるはずがない。
だが、まさかニコニコ笑いながらの決断、
笑って首切りというわけにはいかないので、
「苦渋で・・・」とそらせているわけだ。

首切りで、自分たちの命が永らえるいう判断
なのだから、それが出来たということは、
「してやったり」か「しめしめ」。
「これでひとまず」といったことが、本心ではないか。

そうした皮肉はさておいて、経営者の資質として、
大きな問題を露見させたことは事実である。

問題は、そのことを彼らが、どう考えているかだ。

例を挙げる。以前の首切りも苦渋の決断であったはず。
それから10年余。過去の教訓が生きていない、ということ。
2に、上に挙げたAさんは、零細企業者だ。
(だから許される、という意味ではないが)、
いやしくも世界を代表する巨大会社の経営陣が、売
上低迷した場合、それ以外の選択肢が無かったかどうか、
用意しなかったのか、ということだ。

一番わかりやすいのは、1に株主配当、2に、夥しい内部留保。
1は、首切りより痛みが少ないだろうし、
2は、全く痛み自体はないはずだ。

そして何より重要なことは、将来の自社のことを考えたならば、
果たして首切りがベストの選択であるかどうか、
ある程度自明の理に近い確実な読みが出来るはずだ。
この確実性の高いリスクを結果的に考慮していないという事実である。
 
あれほど巨大で、あれほど戦いの上手な、連戦連勝の項羽が、
最後に悲劇を迎えたのは、ライバルの劉邦に負けたことではない。
項羽が民の信頼、後押しをないがしろにして、自滅したからである。
残った劉邦が、漢の皇帝になった、ということだ。

畢竟、歴史の重き教訓をないがしろにする者は、
たとえ王者であろうと自滅している。
こうしたことに逆らった、彼らを行く末を、
経営の研究で食している一人として、注目しておきたい。

五木村への誘い

2009年01月19日 | Weblog

「五木村への誘(いざな)い。    09.1.19
      
       中小企業診断士・農林商工連携コーディネータ
                       田上 康朗    
      

♪ ♭
おどま、かんじん、かんじん♪ ♪

だれしも,一度ぐらいは
耳にしたことがあるだろう。
五木の子守歌である。

今は,川辺川、あるいは川辺側ダムが、
マスコミを賑わしている。
確かに道路は、変わった。
村の中心地も見違えるように変わっている。

だが、それは表面的なこと。
五木は,昔の五木のままである。
五木の村人は、みなシャイで素朴で,ぼくとつで、
そしてこよなく自分の村を愛している。

その五木村の地域興しのお手伝い人として、
いや仲間に加えて2年目に入った。

その五木村で,下記のようなイベントが開催される。
講師の松田課長は、福岡から,
中村者社長は、鹿児島から、
手弁当で駆けつけ講演をしてくださる。

講演の後は、夜なべ談義だ。
五木の子守歌も踊りも飛び出すに違いない。
それに五木の特産品を使った郷土料理、焼酎も。
みんな、この24日の、この日のために,
村の人たちが総動員で用意するものだ。

熊本市内から1.5時間でいける。
鹿児島からも2時間半ぐらい。
どうか、24日。五木村へ。

問い合わせは、五木村商工会のホームページに。
http://ituki-shoko.ecgo.jp/page0101.html


             記
五木村よかもんプロジェクト農林商工連携セミナー&交流会
開催日時:平成21年1月24日(土) 午後4時~
開催場所:五木村伝承館
講   師:九州経済産業局産業部 中小企業課長 
 松 田 一 也  氏

      産学連携道場HP http://www.kitec.or.jp/sangaku/
      有限会社えこふぁーむ 
            代表 中 村 義 幸  氏 
http://www.ecopig.jp/ecofarm/

五木村の住民と五木村を愛する人々が、集まって、
村の将来や夢について熱く語り合いたいと思います。
参加無料です。
最後は球磨焼酎を飲みながら夜なべ談議です。
是非是非、足をお運び下さい。
09.1.19



さもしい人

2009年01月18日 | Weblog
受け取れば、「さもしい」。
受け取らなければ、「消費かさ上げに、反する」

さて、どっちかな、とおもっていたら

「受け取る」とのこと。

自らの言葉に縛られ苦渋をしていた
我が国の首相の決断だ。、

これこそさもしい決断と、笑いたい。

もうこれだけで、世界の中の日本、
さもしく見られてしまう。

国民が不況におびえ、中には首を切られ
住む家もないといったことが報道される中で
なんと、さもしいことだろう。

戦いには連戦連敗、弱い劉邦が、
覇王 項羽に勝てたのは、劉邦が民を背に、
項羽が民から憎悪されたからである。
この1点にある。
彼だけではない。自らを高い位置に、民を眼前に置き、
見下したのではどんな帝王であろうと、
永くは存立できない。これは歴史が証明している。

ナチスやヒトラー、スターリンだって、
民衆を背に付けたときは勝ち、背を向けて自滅していではないか。

古今東西、名君はそのことを学び、
民を主に立て、民が王の背についた。
それで国を栄えさせ賛され敬われ一生を全うしている。

今、この国の彼の状況は、背に付いている民、20人前後。8
0人は背を向けている結果が出ている。
子供にもわかる多勢無勢の関係だ。

愚君は、その歴史の定理を知らないか無視。
結果として民から嫌われ、
周囲の者により舞台から引き下ろされる。

「言動」というではないか。
「有言実行」というではないか。

これは言葉が、先に有り、その言葉の寄せる力で
物事が動き実行されていく、という意味だ。
言葉が、目標。それに向かって動く、と言い換えてもいい。

その言が、誠に軽いし、ころころ変わる。ぶれる。
右へ行け、といった言葉が、民の耳に届く頃には、
左へ、と言っている。
これでは、国が右往左往するのは、当然だ。

そうしたことが日本という金魚鉢を、外から見ている諸外国には、
丸見えだから、馬鹿にされている。
以前からの北朝鮮だけではなく、最近の中国、
韓国の態度は、まさにその表れだ。

政治を語っても埒があかない。
だがこの際私たちも、それを政事だけ見ず、
民が「主」を消費者が「主」だと置き換えて、
歴史が語る教訓から学び、経営を見直す機会にしたら、
埒があこうというもの。

消費者は、企業のあり方を、
自分たち消費者を根本、中心においているかどうかを
かねがねから冷厳な眼で見ているのである。
そして結果を「否」としたとき、その企業に背を向け始める。
この時から消費の低迷、経営不振、組織の崩壊が始まっている。


未曾有の好景気、どこまで続くか、といわれ、
舞い上がっていたときに、実は民が背を向ける要因、
消費者をないがしろにした事実があるに違いないのだ。

選挙がなければ、このさもしい首相を
交代させることはできないが、
自分のこと、自分の企業のことなら出来る。

ちなみに、大辞林で「さもしい」を、
検索してみると、以下の通り。
[形]さも・し[シク]

1 品性が下劣なさま。心根が卑しい。
 意地汚い。「―・い行為」「―・い根性」

2 見苦しい。みすぼらしい。

この言葉、今年の流行語大賞になるかも。
もっともその頃は、彼はいまい。

読み

2009年01月16日 | Weblog
脳と心の幻想には、限りがありません。
どんどん夢想は膨らんでいく。

これからさらに進む消費低迷、市場縮小・・・、
こうした幻想がますますふくらみ
やがて、その幻想が大恐怖に膨らむ。

これはものを作り、売る企業経営者にしたら、
まさに恐怖、その幻想が現実化するという
恐怖感への対応として、生産調整体制を描き、
実際面で雇用調整を、先取りする行為に出た。
これが、今起きていることです。

このように脳と心中で、大不況、恐慌が広がり、
実際行動へドミノしていく。

それが今、現実に起きている
と、私は考えています。


なぜ、経済の専門家でない私が、
こうしたことを考えるのか。
その質問に対してはもうお答えしている。

もう一度整理しますと、次のようなことです。
1に、専門家は日常性、普遍性をそぐ。
そして専門性、特殊性を取り出す
ところが、私は、日常性と普遍性を主流において、
経営を捉え、考える。
ですから専門家に寄りかっていては、私の仕事、
経営をよくする対応戦略を描けないからです。

2に、構造的あるいは潮流的変革に対する対応は、
一時的にでもシガラミ、流れから切り離してみる。
これでないと見えない(金魚鉢の例)のです。
その水槽の中の真ん中にいるのが専門家だからです。

3に、専門家は、旧来の流れの中に教訓を見つけ、
それでもって、私たちに努力・工夫するを進める。

すなわち 旧来を道、枠、道で、

 努力が足りない→もっと努力を!
工夫が足りない→もっと工夫を!
そうしたら、良くなる。大きくなれる。
といった、処方を出す・
専門領域の遵守と専門性を継続するといった
保守と慣性の法則からの処方を提示する。

潮流変化、構造的変化は、これでは掴めない。
掴め得ないから、正しい対応は出来ない。
これでは、私は正しい経営指導が出来ない。
人の寄りかかり、演繹的切り売り、過去帳の紐解きで、
今、目の前で大変している企業への処方はできない。

ならば、という思いで、日常、現実、現場から、
帰納に現象を自ら観て、判断し、処方するしかない、
というのが、私の思い。
基本スタンスです。

民心離反

2009年01月15日 | Weblog

通貨は金に支えられていた(寄りかかっていた)。
つまり金との相対価値によって通貨たりえたのです。

しかし今は、決して金本位制ではないのです。
建て前は金本位でも実態はそうでない、
ということをみんなが知っています。

金の後ろ盾がない通貨は紙以外の何ものでもありません。
金バッチをはずした政治家同様。

かなりの期間、金が後ろにあるぞ、という幻想のもとに
通貨は通貨として、何とか信頼されてきたのです。

が、あまりにも米国がドルをばら撒き過ぎたことにより、
その幻想に、化けの皮がはがれてしまいました。

それでもドルは円の裏書きで威信を保てたのです。
米国と日本は兄弟なのだから、とレーガンの時代に、
ドルの威信保持の為日本を勝手に弟分にしたのです。

金持ちの弟、日本の保証があってなんとか、
今までドルの威信が保てたのです。
が、ここへきてその保証人の日本が怪しくなりました。

1に、小泉さんの後の政権不安定です。
 
2に、米国大統領との兄弟関係が解消したこと。

3に、米国大統領のていたらくと日本の総理の短期交代です。

4に、輸出偏重の経済構造です。
5に、日本経済の構造的債務超過体質です。

この5点。

そうしたところへ、米国の低所得者向け
高金利型(サブプライム)住宅ローンの焦げ付き。
これが、引き金になりドミノが始まりました。

図体の大きい兄が弟に倒れ込む。
両者は、お互いに寄りかかり。
融通手形交換のお友達なのですから。

大兄弟のドミノは、たちまち世界へ。
世界的な不況感の根元は、ここにあります。
通貨と政治に対する不信感は世界中の人々を
不安で揺り動かすから、当然です。

幻想は実態がない故に、無限に広がる。
幻想は人々の心の問題で、歯止めが利かない。
国境も、言語、時間と行った制約がない。

幻想に恐れおののいた、大手企業は
どうした行動へでたか。

政治に頼れない。頼っていてはえらいことになる。

これが、大手がこぞって行動を始めた根本にあります。
「政治不信」。
政治には、期待できない。
中国やローマ帝国などの歴史を読むと、
国の崩壊の始まりは、まず民心離反

今の、政治に対するキーワード「民心離反」。