経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

求められている所以(ゆえん)

2006年05月01日 | Weblog
これまでは工業界が標準化、同質化、マニュアル化、システム化によって牽引してきた経済を、消費者との接点を担う商業界を押し上げて、ここまできた。
 しかしその工業的発想や手法による成功要因が,消費の6割を担う民間消費を司る商業界の、未曾有の「売れない」現象へ誘導した元凶となった。

 その意味で、脱標準化、脱同質化、脱マニュアル化、脱システム化への戦略転換を計りえていない商業界は、景気が買う服した今も、体質、構造的には、まったく変わっていないのである。今の景気回復も、商業界会における構造革新とは、無縁の物、といってよい。
 
 誤解して欲しくないのだが、このことは工業、一次産業をないがしろにしているわけでもないし、景気回復に水を差すことを言いたいためでもない。

 つまり本来は、消費の牽引役の商業界が、牽引すべき役回りを、依然として、一次産
業や工業、製造業に担わせていることへ、危惧と警告しておきたい。これが言いたいことである。
 今後少子化が続くことは必死である。当然消費のマクロ的パイは否が応でも小さくなる。そのことは一次産業の規模縮小を意味する。となると生産性向上や規模メリットは、マクロでの供給過剰となり、価格下落かでの消費不振といったマイナス要因になる。

 この悪魔のサイクルをデフレと呼ぶ。これから脱却するには、商業界の構造的確信により、消費者の拡大を図る以外にないのである。(輸出拡大という方策があるが、これはグローバルでみれば、本質的な解消ではなく、輸入の増加という反作用を招き、デフレを増進させるという側面があるので、ここでは論議から外して、進めたい)。

 だからこそ第一次産業のためにも、直接に消費を担う商業に経済の牽引役を本来に戻して交代させる必要がある、ということである。
 もう少し踏み込んでいうと、経済の牽引役としての主役が、これまでの工業界から商業界へ変わらなければ、デフレからの真の脱却はならない、と申し上げているのだ。
 
 そもそも工業界は、標準化、システム化といった廃「人的」思想や手法によって、発展し、結果として経済拡大が図られた。工業に口があるなら、「図らずも、わてが代行し担うて参りましたが、もう商業界さん。あんたさんへ、お返しますさかい、あとはよろしく」と言うことだろう。
 「よっしゃ。まかしときなはれ。わてがあんじょうやりますさかい」と応えたい商業界だが、実はそれができない。

 理由は、工業界の手法が、商業界に取り入れてきているところにある。代わり映えしないというより、商業界本来のリーダーとしての「要素」が育っていないのである。ここでも工業界から借りた成功要因を使ってきたために、自前の成功要因を創り上げる機会を逸してきたことによる。
 長い間、賃貸し住宅に甘んじてきたため、持ち家を持つこと逸した、と言ったことと同じ現象である、と例えればご理解いただけるであろう。
 
 ではなぜ工業界での成功要因を、商業界が引き継いでは、いけないのか。これまでうまくいっていたではないか、という素朴な疑問があろう。

 理由は簡単である。消費を担っている人々にとっては、画一的、標準化など不都合だからである。誰一人として自らが標準化、同質化、マニュアル化、システム化の中の一人であることを望んでいないからである。人それぞれ違い、一人として同じ人間は存在しないのだから、当然である。

 としたならば、改善、対応の戦略は明快だ。商業界における工業的志向から脱却し、自らが消費の牽引役となるべく、まずは、標準化、同質化、マニュアル化、システム化からの決別、そして具体的には人による差別化、人によるサービス、人による接客などの、人の持つ五感を活かした本来の「商」のあり方へ戻すことである。
大変だろうが、大変とは、大きな変化。大きな変化には大きく変わらねば、ということ。それが、商業界での構造的革新が求められている所以である。