経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

低級官僚と接客

2007年10月31日 | Weblog
何のため接客や販売員が必要なのだろうか。
 答えは簡単である。売るためである。
 だから、販売員を増強した、といった場合、二つのことを考えなければならない。
1は、売れないから増強したのでは、という見方。2は、手が足りないから増強したという見方。肝心なことは、前者、後者がまるで反対、ということである。

 また実のところ、この売るためにいる販売員が、お客に厭われ、売れないことの要因を作っていることが多いのである。そうなると、販売員を減らすことで、売り上がることも可能性としてはある。
 
モリや元痔菅、低級官、夫婦でゴルフ・焼き肉三昧の栄華のおり、せっせと、悪の露見の情報発信を、実はみずからやっていたのである。

 その情報は、ひとつからげでいえば「隠す」ということである。い悪いことだか、こそこそやらねばならないし、隠す必要がある。だから「隠す」ことで、悪いことやってますよ、という情報発信をしていることになるである。
 
 モリや元痔菅、低級官僚も倫理規定以前で問題ない、と強く疑惑を否定していた。なぜか、人は自分に嘘をつけない。だから、「違反している」、ということが自分ではわかっているから、繕い、強く否定するのである。繕うといことは、小学5年の頃、裁縫でも学んだことだが、綻びがあるものを繕う作業である。

 証人喚問の撮影は、動画に決まったが、最初は静止画と主張していた。これは嘘をつくときの表情をさらされるのを恐れたためである。さらされて困ることがなければ嘘をつかないでいい。そうであれば動画でも静止画でもいいのである。

 彼を、「官僚としては有能であった」と政治家が言っていた。これは、泥棒に、泥棒としては有能であった、言うのと同じこと。だからこの政治家は、自分が人を診る目がない無能であること(情報)を発信しているか、あるいは自分の監督責任を問われた時を先取りしての、予防線を発信しているか、どちらかであろう。

 会社の組織変更で、社長が、営業本部長を兼務するようなときは、まずその会社は営業面に問題がある、ということである。
 かってマツシタで、幸之助さんが、営業本部長を兼務したことが、何度かあったが、みな営業不振の時である。
 
 「販売員が、売れない商品を熱心に売る努力をすればするほど、その店は売れなくなる」。だからそういった販売員が多い店を、「いい店だ」と錯覚するのは、販売教育のインストラクターであって、目の肥えたお客なら、「これだけ熱心なのは、売れない店ではなかろうか」と警戒する。それは、バーなどで、美女に取り囲まれ、高い酒を勧められた客体験を持っているからである。

 すべからく、こうした解なり理由は、自分がお客になったとき、よくわかること。であれば、お店で商品をあの手この手の接客テクニックで売り付けられたとしたら、次にまた喜んで買う気になるかどうか、自分のお店で、こうしたチェックを入れる習慣作りを導入したら、どうだろう。

 自分の消費者体験が乏しい人が、「お客の立場にたって・・・」と思っても、言っても立てるはずはない。だから、ほとんどこういうケースの場合、口先に終わる。

 どんな店でも繰り返し来店して貰って成り立っている。だから無理に売り付けたり、買ったのちに後悔するような売り方をしたのでは、一時的には売り上げは上がるが、お客の不評を蓄積させているのだから、やがて営業不振に陥るのは自明の理である。

 売る立場でお客に接しお客の選択権を犯す販売員がいる店は、接客がうまければうまいほど、結局はその巧さが、客数減の要因になっている。

 こうしたことを果たしてどれぐらいの経営者が認識しているであろうか。特にノルマや販売奨励金を出しているお店は注意を要する。販売奨励金は、倒産奨励金と呼んだ方が、実態に近い。

 繰り返す。売れないときに売る努力をすることは、命取りである。売れないときにには、1に、売れない理由を除去することと、2に、買ってもらえる条件を付加することである。

情勢判断は、1つ、多角的角度からみる。2に、様々なケースに共通する普遍性の高いもので、置き換えてみる。情勢判断学を専門にしているわたしにしたら、先日このブログで、「モリヤとりや」とかいたように、同じに思えるのは、この2の置き換えである。

 まだあるが、この2つだけで、まず本質から大きく外れない、情勢判断は、誰にも出来るので、明日は、マーケット戦略のやりかたを、モリヤ証人諮問のTVで学んでみるのもおもしろいのではなかろうか。


証人尋問、久間を凌ぐ

2007年10月29日 | Weblog
 倫理の入り口を広げて、そこへ質問を寄せこみ、謝罪。それでもって本来の問題を隠匿しようという、定石通りの、答弁シナリオである。

 だが、この元役人は、大きな誤りを、いくつかしている。3つだけ、挙げておきたい。

 1-ジャブだけで、軽い追求し、しかも徹底的に追い詰めなかった政治家を甘く見てしまったこと。
 細かいジャブをだし、その答えの裏を取れば、次の機会は、口利きに絞り、追求できる。 このジャブだけで、刑法に触れることを認めさせた。それを彼は軽く見過ごした。

 2-これで終わりではなく、これを下敷きに参院でも行われる、ということ。
 参院は、民主の質問時間が長い。ここに、委員長と弁護士の議員を二人、3人で、今日逃げたところと、矛盾、付添人に相談しかけた、ところを叩けば、案外いけるのでは。

 3-「一切ありません」は。「一切ある」という表現と根本的に違うのは、偽証罪になることだ。

 一方、議員の方も、甘さが明確。
 1は、自民は、民主の方へ、民主は、自民の方へ、政治家の責任へ振ろう、持っていこうという意図がありありで、党利党略が出過ぎ、これを、この悪徳に見透かされたこと。

 2は、共産と民主。沖縄の国会議員を使ったため、局地戦になり、せっかくのこれまでのやりとりを活かせず、この悪徳に余裕を持たせてしまったこと。
 
 3に、民主の松野氏に不慣れか、おおよそ追求する気があるのか、と思われるぐらいお粗末さ。だがもう一人の川内氏がかなりの言質を取ったので、10点満点7点。自民5点。

 政治家を知り尽くしている元低級役人が、政治家の泣き落としで、ウルンウルンするような、玉か、といいたい。

 自民の政治家の関係をちらつかせ、民主の関心をそちらに寄せて、矛先を買わそうとしていることに、民主がはまれば、思うつぼ。

 ロッキード並、以上の大きな事件になる。出なければあれだけのリスクを払い、倫理問題を認めるわけはなかろう。

 自ら、真相を葬ることがないように、民間の関係者も含めて、微罪で良いからとっつかめて、牢屋で、厳重に身辺保護してあげることだ。

 速報。れいの元防衛大臣が、きゅうまを凌ぐためかか、緊急入院。きゅうまになれば、逃げ出すこの元防衛大臣。 どうも、こうもしょうがない男だ。


美しい豚

2007年10月27日 | Weblog
商工会の吉元さんが、18日、帰りの飛行機の時間まで、観光案内を、というお誘いを受けた。会員さんのために毎日夜まで忙しくしている彼を知っているから、お断りしたが「予定を取ってるから、ぜひ」というご好意に甘えて、観光ではなく、前回からぜひ見ておきたかった、今回の受講生の、池宮城さんの養豚舎を、見させていただくことにした。

沖縄もずくを3%飼料に加えて、それも1日3回清掃のため、場所替えをし、その間豚舎を清掃、豚にはシャワーを浴びさせていて、匂いのしない養豚舎、という話を、9日にお会いしたおり、池宮城さんから伺っていたので実際見てみたくて、楽しみにしていたのだ。

 うるま市の郊外、海岸端にそれはあった。当たりは砂浜と草原。近くには霊園があるだけ。まるで外国に来たような風景である。

 建物は、想像以上に古く、粗末なものだった。それに車を降りた瞬間、予想に反して海風に乗って、匂いが鼻を突いた。

 だが、それは誤解だと言うことは、後ほどすぐわかった。その異臭は、夜中に子豚を狙って集まる夥しい、野犬の糞の匂いだったのだ。

 池宮城さんは、その対策に、この250頭の豚所の4隅に、それぞれ4-5匹ずつ猟犬を配置、見晴らせている。それでもつい最近、20頭の子豚を殺されたそうだ。

 池宮城さんの話の通りだった。写真で見てもわかるとおり、どの豚も毛並みまでブラッシングされているように、綺麗。薄いピンクの肌の豚たちは、まるで女風呂の如し(見たことないが)で、おもわず目をそらしたくなるぐらい美しく色気さえ覗えた。豚舎の中は、まったく匂いがないばかりか、実に綺麗に磨き上げられている。美しい、綺麗だ、と声を掛けたくなるほどだった。

 一通りかってに見学してから、豚舎の片隅にある、当社の事務所へ池宮城さんを訪ねた。
ここは、豚舎とはがらりと違い、書類散々。足の踏み場もないほど散らかっていて、その落差、豚にかまけて、自分のことに気が回らない彼の人柄に、笑った。

彼の悩みは、売らないのに、売れて売れて、需要に対して、供給が全然追いつかないことだ。「供給増」、これが今回の経営革新の彼のテーマである。
 だが、それは危ない。9日にそれを伺って私は心配になって、彼へしっこくアドバイスをした。
 「それが怖い。販売、営業について根本から勉強しなければ、えらいことになる」。
 そのとき、ご一緒した照屋社長も、同じ思いだ、と相づちをしてれた。彼も並の経営者ではない。慧眼だ。

 だが、池宮城さん自身は、私の意することを理解してくれたようには思えなかった。

  この日、この後、市内にあるトンカツの専門店に再訪問して、私はまたも驚くことになる。おおよそすぐ出来ること。それはすべて改善されていた。かれは、私たちのアドバイスを理解して、即、実践していたのである。それも私の持論。「期待は高い方に裏切る」の実践でもあった。私は自分の不明を彼に謝ることも忘れ、嬉しかった。仕事冥利を体中に感じつつ、帰路についた。 


金返せ。モリヤトトリヤ

2007年10月25日 | Weblog
国防の隠れ蓑をきせて、自分だけではなく、妻にも只でゴルフをさせていた最低級の高級官僚。しぶしぶ退官してからも、大嘘を繰り返していた恥ずべき人物がいる。
 それを最高位につけ、夫婦にただゴルフをさせ、5年も重宝、3年での退官を、のばした政治家もいる。

 ブランドを嵩に、儲けを企んで、のこのこ昨日になって出てきて、美しい秋田弁を、嘘の鶏の血で汚した鶏屋もいる。

私の関心は、企業の増収増益の体質構造づくりにある。ここで言う構造とは「永続的
に増収増益を生み出すしくみ」と解して頂きたい。
 一過性の増収増益は、必ずしもゴーイングコンサーン的増収増益には結びつかない。いやむしろ、そうした本来めざすべき体質作りを妨げることになる。モリヤトリヤも然りと言うことだ。

 起業・創業であれば、最初に増収増益の構造を組み込んでおけば、その事業は必然的に増収増益の途を歩まざるをなくなる。これが私の理想とするところである。
 その意味で、経営革新の難しいところは、これまでの一過性的カンフル効果の連続で企業を維持していくという考え方を捨てて頂き、今を耐えてでも強い体質を構築していく、ということの難儀さにある。このことは再生・再建はなおのこと。

 このことは別の表現をとれば、過去の成功要因が、現状の陰りなり挫折なりの起因になっている、という経験的定理による。この過去の成功要因が失敗要因になっていること自体の実感が全くと言っていいほど、本人(企業経営者)にないのだから、やっかいなのである。
 だからたいてい不振に陥った企業は、さらに一過性の売上げや利益を求めて、これまで以上にカンフル注射や精力剤を打ち込み、頑張るからである。モリヤも夫婦のゴルフにがんばったしリヤも、益出しに廃鶏を解体したのだ。

 過去を捨てなければならないこと。そして一過性的なやり方で永劫的な繁栄は得られないこと。こうしたことは、みな頭の中では承知はしているものの、現実にはそれを「やらないこと、止めること」を、恐れる。それで、ゴルフもごまかしもここまで続けてきたのだ。

 誰しも先の恐怖より、今の恐怖を避けたい気持ちがある。だからその現状の不安を、絶え間なく一過性的なるものを打ち続けることで現実逃避する。そこを突いても、「今、大変なのに、先のことなど考えられるか」とか「そんな先のことを考える余裕はない」という言い回しではねられる。倫理規定が施行した以前だ、というのは、それだ。倫理とは規定があるなし、といった問題ではない、といったことすら、とぼけるのは、実は、今の恐怖に駆られてのことと、見ることも出来る。

 だから、そうしたことが螺旋状態に繰り返され、エスカートすることになり、確実に露見する。悪魔のスパイラルとでも呼ぼうか、そうしたシクミに共通の結論で帰結する。
 露見と身の破滅は間違いなく来るのは、そのセスカレーターに乗っているからだ。モリヤトリヤも例外なし。
 「わかっちゃいるけど、止められない」は、実は過去の成功体験を止めたり、捨てたりすることが怖いのである。
 怖いからこそ、 肩書き、地位、ブランド 信用、信頼を担保に、国民や消費者だますことも平気(をよそおって)でやる。

 露見しても、たいしたことない。これまで得た利益から見たらわずかのコストとたかをくくるどうしようもないものもいる。モリヤトリヤも然りかもしれない。
 そうした連中のなした罪が、軽いものであるとしたら、それは信用、信頼、ブランドに対する挑戦だ。

 信なくば、政治(まつり)事も経済も成り立たない。その根本を汚した罪は大きい。
 釣り合えず、ゴルフ接待(だけではないですぞ)の最低元役人モリヤトその詰まらん妻がうけとった、億は超えているだろう退職金等と受けた接待料は、即、お返しなさい。年金二重取りの役人も、返しなさい。鶏屋も肉の代金、お返しなさい。美しい秋田弁を汚したことを、秋田県民にお謝りなさい。
 よさのさん、そうした「お返しなさい」をすましてからですよ。予算に消費税を取り上げるのは。鉄幹がおこってますよ。「ヨサンのかい?」と。

経営革新塾報告-2

2007年10月24日 | Weblog
なにせ、参加者32名全員の計画承認を目指そうというのだから凄い。

うるま市は沖縄本島の中部に位置する具志川市、石川市、中頭郡勝連町・与那城町の二市二町が2005年4月1日に合併し、人口11余万の沖縄県第三の都市が誕生した。

 市の名前は沖縄方言(ウチナーグチ)で「サンゴ(ウル)の島(マ)」を意味する「宇流麻(うるま)」から来ており、元は「琉球」と並ぶ沖縄の雅名であり、方言がそのまま地名となった珍しい例である。 2年後の2007年4月1日に商工会も合併。 
 合併後の第一回になる経営革新塾に招かれた。仕掛け人は、吉元さん。実は6年ほど前、中小企業大学校・直方校での経営指導員研修「基礎2」での受講生である。まあ6年もよくぞ、覚えて下さっていたものだと、感激。2つ返事ではなく1つ返事で、今回の研修を承った。

沖縄県以外の「経営革新ゼミ」は、延べで100回は超えているが、沖縄では始めて。他県でもプレセミナーではなく、本番、長期でこれだけの参加者というのはない。

しかも、無理してかき集めた人たちではなく、100%自主参加。それだけに大変な意気込みで、圧倒された。セミナーはまずMMAPで。終わった後の懇親会も、1時半まで100%経営談義。講師冥利に尽きる受講生に囲まれ、しこたま泡盛を飲んだが、朝は6時に起きて頭すっきり。目はぱっちり。2日酔いの気配はまったくなし。



経営革新塾報告

2007年10月23日 | Weblog
とにかく、今眠たい。19時には沖縄から帰宅したのだが、食事をしたら、急に眠くなった。

うるま市での経営革新革新塾は、今月の9日に始まり、中5日を開けて、16-17日、2回を終了した。32名の参加。ほぼ全員が、経営革新報告書を作り上げたのだから、参加者の皆さん方の熱意は凄い。なにせほとんど休憩も取らない。何人かは個人指導を受けるために、セミナーが始まる18時半の1時間前には顔を出される。その熱意に引っ張られる形で、私も熱が入った。 こんなやりがいを感じる革新塾は初めてだ。

 21時半に終わり、遅い食事に、外に出るのだが、そこでも泡盛片手に、翌日の1時過ぎまで、経営革新談義。
 とくに昨夜は、送別会を開いて下さって、今朝の2時半まで、泡盛付き補酒会。
 今朝は6時半起床。少し仕事をして、10時半。吉元さんと、参加者の方の養豚場を視察。におわない、そして肌がピンクの肌色でピカピカの250頭の豚にびっくり。
 実に勉強になった。この豚のこと。そしてうるま市のこと、折をみて、また書くつもりだ。今は、眠くて、眠くてしょうがないので、筆を置く。

 あれもこれも、うるま市商工会の経営指導員、伊波さん、吉元さんのご縁と熱意のお陰である。心から感謝したい。
 

内から、内は見えない。

2007年10月21日 | Weblog
 給料を払って、会社や社長等上位者の代行者、意向を汲んで行動する社員を雇用しているほど、怖いことはない。大至急、お客さまの味方、お客様の代弁者となって、堂々会社に注文をつける社員に替えるか、育て上げなければならない。理由は明快である。前者は会社を潰し、後者は経営者が楽をして儲かる方法だからだ。

 なぜか? 自分の荷物を運んでも金にならないが 、お客様の荷物を運ぶことは金になる。これが仕事だからである。だから販売員や営業パーソンは、お客の購買アドバイザーをして、買い物を有意義にしてあげるのが本来の仕事。本来の仕事ではなく、会社や上位者の替わりに仕事をしたのでは、金は入ってこない。ところが実際、会社を見てみると、お客に関係のない前者で、忙しがっているところが実に多いのである。

 これを後者、すなわち消費者を中心に据える。そして会社なりお店なりの物事の判断一切を、より直接的にお客に貢献する順に優先順位をつけて行動することで、組織は生産性を帯びてくる。だから、もったいない話。怖い話と申し上げているのである。
 そのためには、次の二段階の習慣作りが有効であると考えている。
 まず社内で行動する際、判断する際、「自分が買う場合だったら」、「自分がお客だったら」、また「そのことはお客様にとってメリットは、直接的にも間接的に、あるいは短期的にも長期的にもどれだけあるだろうか」、といった問いかけを行う習慣づくりである。 経営計画も作業段取りも、組織もそうした観点から作る。

 たとえば、「従業員たるもの、うちの店で、買わないのはけしからん」とやって、社員割引制度を導入し、つまり安売りしても買ってもらえないのはなぜか、といったように問題の本質を売り手の方からからみるといった習慣。また会社の立場からの言動を徹底的に払拭すること。この両面からの習慣作りが第一ステップ。

 次に、消費者体験である。たとえば、旅館やホテルであれば経営者が一人のお客として宿泊してみること。理髪店であれば、顔を知られていない他県の床屋へ行ってみることだ。スーパー経営者であれば、奥さんの買い物籠もちをやってみることでもいい。ただ念押しだが経営者としてでは、まったく意味がない。
 
 経営者が、消費者体験を十分積むと、販売会議などで、社員がいかに会社本位の論議をしているかが見えるようになる。その中から、一番ひどい人に、消費者体験を積んでもらうようにする。
 
 これで、社内ががらりと変わる。変わるが、ここでも経営者が変わらないと、また元に戻る。またかなりの個人格差がでる事も事実だ。だから、常に消費者の立場から、経営するという習慣作り、つまりお客として体験を重ね、どうしても経営者や売り手の意識が抜きってしまうことである。
 
 抜けたたかどうかは、長い間、休暇を取っていて、ある朝、久しぶりに出社したら、えらく会社の問題点が見えてきたという形で自分でわかる。
 なぜ、と問うより、実体験してみたらいい。経営を離れていたら、経営が見えてきたということは、自分で自分の身体が、ほとんど見えない、といったことと同様である。
売上げは、自分で挙げることは出来ない。これは自分の身体を自分で持ち上げることができないことと同様である。
社内から、自社はみえないが、外から見える。外から消費者は、此方をみて、購買するかしないかを図っている。

 こういったことが、しかとわかると、経営もおもしろくわかるようになる。

やるもやらぬも

2007年10月19日 | Weblog
  沖縄行きの朝、早起きしてF県の創業企画書のレフリーをしている。
 創業するのは難しくない。存続し続けることが難しいのであるが、たいていはこれを飛ばして、学ぶ者も、時にして学ばせる方も、いかに発展するかに心が飛んでいるのが「新規創業経営計画」の類である。

 まず案じなければならないことは、お客がいるのか、来るのか。どれだけ来ていただけるかであろう。事業を支えてくれる消費者の存在が、事業を維持し続けるだけ、どれだけ確実性を持って見込めるか。そして足りないとしたら、それをどう補填するか、といったこと。これが死活を決めるわけだが、その認識がない。開業したら、こちらの経営計画通りお客が来てくれる、という前提で、すべてが発想されている。

 ターゲットとかセグメントとか、聞いたようなキーワードをちりばめて書けば、胸ワクワク、バラ色の夢がまるで実現したような思いに浸っている人たちを見れば、思わず苦笑してまう。私は苦笑で済むが、創業者はたちどころに破綻の苦労を味合うことになる。

 やるのも決断なら、やめるも重要な決断。勧めるのも指導なら、止めるのも指導。このことをしかと意識していないと、不幸を生む。

評価と視点

2007年10月16日 | Weblog
 庶民の生活が豊かであるということは、そこの王様が良い政治をしていたことを物語るが、王様が良い生活をしていることは、庶民が良い生活をしていることを表さない。こうしたことを考えながら、歴史館をみると、そこは、当時の「生活の場」をかいま見れるという意味で、まさに情報の宝庫なのだ。
 
 歴史を、文献だけでみるだけではなく、歴史が残したものとつきあわせることが大切だと思う。文献は、歴史の過程での権力者の保護と濾過によって残っていることを知っておくべきである。
 
 私が、経営を文章から学ぶ傾向がつよくなったことを憂うのも、そこに理由がある。
特殊性は、如何に堆積しても、あるいは連結しても、全体と事実を表すことにならない。だが人が保管し、記録に残そうとするものは、決まってそれらなのだ。紙が貴重品であった時代の文献は、全体の5%の特権階級の代弁者にすぎない。しかも彼らに都合の悪いものは抹消されている。そうした文献からみては、歴史の「事実」がゆがめられる。こまったことに歪んだかどうかもわからない。

 それだけに「普遍性」、「日常性」の用具や生活道具といったものが保存されている歴史館には意義がある。たとえば長崎・口之津の歴史観など。
 
 ものを正しく判断する場合、「生活している場」という視点。加えて、時間軸的にみること。この両者は、極めて大切なことと考えている。
 
 成功者、成功企業とは、この二つの視点からの吟味に応えられたものをいうのであって
 自分で自分の成功談を語り、自画自賛する輩(やから)に、もとよりその資格はない。なぜなら評価は、上に挙げた二つの視点で、第三者が評価するものであるから。

赤福さん、せめて言い訳は

2007年10月14日 | Weblog
博多から鹿児島への列車の中で、考えていたこと。
それは、やはりあの赤福のこと。

人間は歳を重ねるにつれて、だんだん身体が硬くなっていく。これが通常である。だから対策としては、ストレッチをしたり食事に配慮して、少しでも堅くならないように努力する。もちろん、私みたいに、対応しないものもいる。

同様に、事業を続けていると、だんだん固定資産が増えてくる。これが通常である。
なぜか。「本社ビルを建てた」「車を増やした」、社員が増えたから、事務用デスクを買い足した、といったように、流動資産であるお金を投資して、固定資産を手に入れるという作業を繰り返している。企業診断の成長をみる指標に、総資産の増加率がある。是には流動資産と固定資産の両方があるのだが、増えるのはおおむね後者の方。

かくして私たちは、固定資産が増えることを、個人的にも、企業的にも望ましいことと、信じていたわけである。だから固定資産が増えても、取り立てて問題視しなかった。
一方、流動資産の、とりわけ現預金により、そうした固定資産が購入されるわけだし、定期預金や売掛金も理論上では流動資産だが、拘束されていたり、入金が遅れ、焦げ付いていたりで、実質的には徐々に固定化してくる。

だから、企業の血液の流れ、すなわちキャシユフローに悩まされることになる。
これはまた、企業内のモノの流れが、鈍化したことをも意味する。
作ったものを、冷凍しチョキ保存すると言うことは、血管の流れでいえば、溜(りゅう)ができ、流れが澱んできたことだ。経営で言えば、在庫が滞留化することだ。どうしてそう言うことになるかと言えば、纏めて作ったからである。それは、そうした方が合理化、コストダウンが計れるということで、「そうしよう」という経営的意志決定が行われたからだ。 餡(アン)が意志決定するわけはない。経営陣が意志決定したはずだ。

今、多くのや企業で、固定化現象という人間でいう成人病が起きている。固定化現象のスピードが、償却を上回るから、ただでさえどんどん企業は肥満化していくことになる。これが財務面だけの影響であれば、まだ何とかなるが、経営者の頭、というか脳が反応が鈍くなるので、企業の舵取り、判断力も鈍ってくる。

濱田社長が、記者会見で、「法律を知らなかった」といっていたが、当社のHPでは、「できたてを出荷」とある。それに年に、1回は保健所が立ち入っていたはずだが、保険所も法律を知らず、30年間も当社に警句をしなかった、とでも言いたいのだろうか。
せめて、赤福さんには、言い逃れだけはして欲しくなかった。
いったこと、「真っ赤な嘘」、と叩かれたのでは、シャレにもならない。

それにしても、これだけの老舗でも、大きくなりすぎての成人病を押さえられなかったのか。 2007/10/13