砂糖が真っ茶色に見える。蟻が集っているのだ。CM、入れたわけではない。チラシを蒔いたわけではない。
街が衰退する理由に、「車社会への対応の立ち遅れ」といった指摘をよくきく。もっともに思えるが、果たしてそうであろうか。
私には渋谷や新宿などの繁華街が車であふれているとは思えない。大阪の難波も心斎橋にしてもそうだ。ずばり言って車ではなく人があふれているのである。
もちろん地方と大都市では現状が全く異なる。東京、大阪などの大都市は、実は車社会などではなく、伝統的な公共交通や歩行に頼っている街なのである。車で通勤やショッピングする人なんてほとんどいない。だからこうした街には歩く人があふれているから賑わっているのである。つまり。街の賑わいは、歩く人の数であって、車は決して賑わいを構成しないだけでなく、むしろ弊害になっているというのが実態である。
地方商店街の中心は、昔は人通りの多かった旧国鉄駅前通りや国道沿いであった。ここらの土地は密集度も高く、地価も高価で、後発の大型店は郊外への出店を余儀なくされた。郊外となれば、歩行客は限られるから、それなりの駐車場がいやでも不可欠になった。また地方では、日常の生活において一個所で用を足せないから車を使わざるを得ない状況下にある。こうしたことが郊外出店が余儀なくされた背景にあるわけで、それをあたかも流行やブームのごとくいうのは誤りである。
繰り返すが、元来商店街は歩くということを根底になりたっものであるから、商店街としての駐車場は必要にしても。個々の商店には客用の駐車場は不必要ばかりか、個々の商店が駐車場を持つことで、商店街としての本質的な機能性を喪失したマイナス効果の方が大きかったといえる。なぜなら、車でくる限り、歩行者は減少するし、商店街の回遊性もワンストップショッピング性も喪失する。このことが地方の商店街の衰退理由である。
当然、人が歩かない駅前通りは寂れる。幹線はもはや歩行者の道路どころか、町の生活道路としての機能も侵食され、通過車両をいかにスムーズにさばくかが幹線道路の衷心機能となってしまった。したがって、そのための拡幅工事やバイパス道路の整備により、買い物の場所としての適合性を殆ど失ってしまった。このことがまた車が消費者を郊外へ運びさり、中心商店街を寂れさせたのである。
だから、商店街にとって、必ずしも「駐車場対策」が問題の解決策にはならないのである。
換言すれば、生活環境としての町全体の社会的システムが脆弱化した結果、人々が足でなく車を使わざるを得ない状況に陥ったことこそ問題の本質である。それをいきなり「車社会への対応、すなわち駐車場」というのは,明らかに主客転倒した論理といってよい。
だから消費者からみて購買地までの距離が遠くなったこと、買い物場所や個々の商店の非連結性や分断化に対して、これを車で結べば解決という考えもまた短絡的かつ一方的である。
賑わいは、人が醸し出すものである。蟻に砂糖だが、街に人が群がるには、はて人には?
街が衰退する理由に、「車社会への対応の立ち遅れ」といった指摘をよくきく。もっともに思えるが、果たしてそうであろうか。
私には渋谷や新宿などの繁華街が車であふれているとは思えない。大阪の難波も心斎橋にしてもそうだ。ずばり言って車ではなく人があふれているのである。
もちろん地方と大都市では現状が全く異なる。東京、大阪などの大都市は、実は車社会などではなく、伝統的な公共交通や歩行に頼っている街なのである。車で通勤やショッピングする人なんてほとんどいない。だからこうした街には歩く人があふれているから賑わっているのである。つまり。街の賑わいは、歩く人の数であって、車は決して賑わいを構成しないだけでなく、むしろ弊害になっているというのが実態である。
地方商店街の中心は、昔は人通りの多かった旧国鉄駅前通りや国道沿いであった。ここらの土地は密集度も高く、地価も高価で、後発の大型店は郊外への出店を余儀なくされた。郊外となれば、歩行客は限られるから、それなりの駐車場がいやでも不可欠になった。また地方では、日常の生活において一個所で用を足せないから車を使わざるを得ない状況下にある。こうしたことが郊外出店が余儀なくされた背景にあるわけで、それをあたかも流行やブームのごとくいうのは誤りである。
繰り返すが、元来商店街は歩くということを根底になりたっものであるから、商店街としての駐車場は必要にしても。個々の商店には客用の駐車場は不必要ばかりか、個々の商店が駐車場を持つことで、商店街としての本質的な機能性を喪失したマイナス効果の方が大きかったといえる。なぜなら、車でくる限り、歩行者は減少するし、商店街の回遊性もワンストップショッピング性も喪失する。このことが地方の商店街の衰退理由である。
当然、人が歩かない駅前通りは寂れる。幹線はもはや歩行者の道路どころか、町の生活道路としての機能も侵食され、通過車両をいかにスムーズにさばくかが幹線道路の衷心機能となってしまった。したがって、そのための拡幅工事やバイパス道路の整備により、買い物の場所としての適合性を殆ど失ってしまった。このことがまた車が消費者を郊外へ運びさり、中心商店街を寂れさせたのである。
だから、商店街にとって、必ずしも「駐車場対策」が問題の解決策にはならないのである。
換言すれば、生活環境としての町全体の社会的システムが脆弱化した結果、人々が足でなく車を使わざるを得ない状況に陥ったことこそ問題の本質である。それをいきなり「車社会への対応、すなわち駐車場」というのは,明らかに主客転倒した論理といってよい。
だから消費者からみて購買地までの距離が遠くなったこと、買い物場所や個々の商店の非連結性や分断化に対して、これを車で結べば解決という考えもまた短絡的かつ一方的である。
賑わいは、人が醸し出すものである。蟻に砂糖だが、街に人が群がるには、はて人には?
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