経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

両面思考~最近の講演から

2005年06月29日 | Weblog
コンピューターで、コンピューターを動かす操作というのは二進法なんです。 十か-なんです。つまり電流を止めてるか、止めるかのこの組合せによって、あの複雑なプログラムが出来てるんですが、その前提になっているのが脳の働きなんです。我々は十(プラス)思考をしなければいけないという工合に、ずうっと「すりこみ」されたえいる。その犯人はほら、陽転思考としきりに言っている人たち。彼らはマイナス思考の人たちなわけですよ。
 
 ここでちょっと誤解を覚悟で申し上げたいのは+(プラス)も-(マイナス)も組み合わせて、幸せな道を選べばいいんじないか。自動車で言うならばアクセルだけの運転の方いらっしゃいますか。俺はブレーキはいらん、前へ進むばかりだからブレーキいらんぞって。
 
 なぜ自動車がうまく運転出来るかと云うと、アクセル(+)とブレーキ(-)、これを上手に組み合せて、こうやって「こんにちは」とお会い出来るんじゃないですか、使う頻度は遵うにしても、(+)(-)の組み合せなんですね、(+)と云う概念は、もっと解り易く申し上げるならば、右手という概念は、左手があるからだ、右手だけだったら右手という必要もない。
 
 表があるから裏もある、長所があるから短所がある。お腹があるから背中もある。事物はみな両面ある。なのに我々は片面だけを見て、たとえば長所だけを見て、アクセルだけを使って、今までやって来たといったことがあるんじゃないか。経営についてはですよ。

 生きていると云うことについては上手に(+)(-)とを組み合わせている。これが脳力開発の一番のポイントだと思います。その(+)(-)を組み合せて我々が何を狙っているかと云うと、繁栄とか、成功とか、幸せとかを殆んどの方が目標とされてると思うんだけれども、実際は努力していることが成功につながらない。むしろ不幸せな方に一生懸命向っているのが実態なんです。

 実は、いま儲からなかった。俺はどうもツイテない、頑張っているのに旨くいかないと言う方は、実は旨くいかないように戦略を立てて一生懸命その方をやられているんです。もっと解り易く申しますと、朝顔の種を蒔けば朝顔の芽が出て花が咲くかどうかは100%の確率ではないけれども、夕顔が咲く訳ないんです。この朝顔を幸せのためと思って下さい、夕顔を不幸せのためと仮定いたします。不幸せの種を蒔いて、やがて朝顔(幸せ)の花が咲く訳はないんです。だから今の皆様方の状態が他人の意見を聞く必要もない、自分で胸に手を当てて幸せであるとしたならば、それは紛れもなく過去に於て幸せの種を蒔かれた結果であるし、不幸だと思われる方は紛れもなく夕顔の種を蒔かれた結果であって、何も間違いでない。
 そうしたならば私たちは、どちらを選ぶかと言うのが今日のテーマなんです。

幸せの形、みた。

2005年06月27日 | Weblog
25日、実践経営学会の関西支部会。往復、宿泊等入れると6万かかる。それでも、参加させていただくのは、自分の浅学を知り、ひとりでは何ともならないということを体感できる機会だからである。今回は、「MMAP」に関する報告を行った。
 パワーポイントを使えない私が、挑戦できたのはパワ^ポイントのイロハから、最終仕上げまで、福井の嶋崎先生に、メールやCDのやりとりで、それこそ手と足を取って指導してもらったからである。会場の設営では、彼や田中先生の手助けを頂いいる。

 今回の会場は、近畿大学の日本一のメデア教室で、すごい設備。メカとかデジタルメディアに弱い私は、んもうそれだけで棒立ちでした。

 おまけにあれだけ嶋崎先生から言われていたのに、どういう訳か、会場の音響と画面がかみ合わず、結局音を消し、即興で話をしました。
 それもパワーポイントの操作をお願いしている嶋崎先生を無視し、一方的に話を進める始末。
 それでも会場の反響はよく、特に竹内先生から学生に、という話を頂き、前からそのことを念じていただけに、嬉しかった。

 職員用のレストランで、懇親会。びっくりするぐらいの豪華な料理に驚く。名物の「キンダイ」にも舌鼓をうった。
 今日の会の世話をしてくれた田中ゼミの学生諸君と話ができた。昨年と違い、皆就職も決まり嬉しそうだった。それにしてもなんとすがすがしい、いい青年たちだろう。田中 弘先生のお人柄もあろう。師弟の軽口のやりとりに、子も孫もいない、学生諸君とのふれあいの機会がない私には、ほんとうにうらやましかった。もし幸福というものが、今形であるとしたら、この師弟だろう、とそうおもった。
 こうした気持ちになれただけでも、来て良かったと、思った。


プロがわからないこと

2005年06月23日 | Weblog
 商品を納入したら、赤いポスト・イットを納品先の皆さんに、相談案件、質問、困ったこと、クレームなどがあったら書いていただくようにする。自分が築いたことは黄色いポスト・イットに書き留める。これらがある程度あつまったところで、シートに貼り、分類整理する。それを眺めれば、その中に潜む本質的な問題点、課題をえぐり出したり、それらに共通すること、普遍性あることをピックアップ。これらに具体的に、1つずつ対応策を考える。これを問答集にしてHPに掲載。抵当にたまったら、小冊子やリーフレットにし、PR媒体として活用する。
 
 これは喜ばれる上に、宣伝になり、かつどんなことに消費者は迷うのか、などが掴める。そしてこれを続けていると、だんだん消費者自身が自分で解決してくださる。
 この戦略は、まさに私の思うところ。理想のモデルです。
 
 「そんなこと、やっている」と、多くの関係者は言われるに違いない。なるほど企業のHPにはQ&Aがアップされています。ところがそのほとんどは私から見たら、自社にリスクが来ないように狙った、A&Q、やらせといってもよい。

その土地を知り尽くしている看板屋が、書いた道案内。ほとんど用をなしていないのです。

 多くのユーザーは、メーカーなどのマニアル、ほとんど見ない。最大の理由はみてもわかるところは詳細に、わからないところは流してあるマニアル、という受け取り方しているからです。
 要するにかゆくないところも、かゆいところも掻いててあげましょう。これがいやなのです。
 自分で体験したら、わかることです。子供が、「そんなこと、わかっているよ」
と、大人の説教に切れるのと同じことなのです。
プロの思うわからない箇所と、消費者のソレとのズレが、プロには理解できていないのです。

 このズレは、プロのほうが、消費者から学ぶ以外にない、聞き出すしかない、ここらがキーになる、と考えています。

 自分のことをやっているのだが、それが多くの消費者に喜ばれ、感謝され、それでクチコミになり、新たな視点の仕事になり、それが事業を押し上げる、といった善循環、私はこれを「天使のサイクル」といっていますが、この循環を構築すると、事業は、楽で、楽しくなるに違いないのです。050623

組織の活性化

2005年06月20日 | Weblog
 組織の活性化を図りたいとのこと。

 組織は、本来、伸びやかで、明朗・快活、楽しいものです。そうでなければ他者が背を向けてしまいますからね。

 組織は、外部のエネルギーを取り込むことで進歩発展しますから、他者の協力が得られないことでは死滅するのは当然です。俺が、俺がでは人も組織もダメになる。

 外部の人の意思決定を、こちらに協力してもらうにはどうしたらいいか、というのが組織の戦略になります。組織の構成員は、その戦略に基づき、各自が伸びやかに自分の個性、能力を活かし、自分の裁量で戦術を組み合わせて、行使し、具現化を図る、これが仕事になります。
 
 この戦術部分が、実は外部の人に見え、彼らの判断基準になるわけです。理念とか戦略は見えませんからね。ですから理念、戦略をふまええ、それを具現化するための戦術の組み合わせと継続がが、彼らの意思決定を動かすことになるわけです。

 それが。たとえば効率とかノルマとかによって暗い、おもしろくないものとして具体化されたら、当然外部の人の意思決定は、「ノウ」になります。

 ということで、組織活性化の考え方は、次の通りになります。
 外部の協力を得る組織戦略、目標であるかどうか。そして外部の人々の意思決定が、自分の組織を選択してくれための組織体制になっているかどうか。これが組織活性化の1。

 組織内の人が、朝起きたら、早く会社へ出て仕事をしたくなるような、伸びやかで、明朗・快活、楽しい組織風土を創り上げているかどうか。これが組織活性化の2

 理念や戦略が、外部の人に、意思決定の判断材料として伝える技術力はどうか。これが組織活性化の3です。

 書けば簡単なのですが、実はほとんど上の逆をやっているのです。すなわち1に組織が暗い、苦しい、おもしろくない。つまり自縛状態にしている。2に、組織の理念、戦略が、組織内部良かれ主義で、実態は外部の人の協力はもらえないどころか、背を向ける根本要因になっている。たとえば「売りたい」、「効率」、「ノルマ」など。組織が外部から経営される活動を成している。
 3に、理念、戦略という形として、第三者に見えないものを、戦術という見えるものに置き換えて、始めて第三者の意思決定を左右できるのだが、これがほとんど「選択しない」意思決定の材料となっている。

 なぜか。これは多分に、経営者自体が、組織の本来をわかっていない。誤解している。そうでないとしたら彼自身が人間として孤立型。つまり人と上手にやっていけない人。このいずれかということでしょう。
 前者は、本来をつかみギアチェンジすれば大丈夫ですが、後者は難しい。経営者などやめた方が幸せだと思うのですが。

 まずはここから着手していくこちなります。

 




MMAPと現場

2005年06月17日 | Weblog
 言葉や文章で書くと、全体に対して肯定か否定の択一の判断になりる。それがポスト・イットだと全面否定も、全面肯定もない。1ラベル毎の是非をそれぞれ判断、取捨選択することにある。

 この二つを使い分けることが、実際に現場で仕事をする際、どんなにすごいことか、それを昨日体感された朴さんかが、自分のブログに書かれている。
    http://blog.livedoor.jp/tigerpark/

 簡単に言えば、「おまえのとこだめだ」とか、「これだめじゃん」、と全面否定的にいわれることが少なくなり、「ここんとこうまくいかんのだが」といった具体的、個別的、細分化された指摘になる。だから対応も具体的、個別的、細分化され対応ができ、現場は実に仕事がやりやすくなる。

 このことが実務的にどんなにすばらしいことか。現場で仕事をしている方なら実感されるだろう。一口ずつ、一歩ずつ解決していくのが、現場では当たり前だからである。対して経営者はマクロ的、抽象的、一気に解決したがる。この気持ちを現場にぶっつけることで現場はいつも右往左往しているのが実態なのであう。
 
 理念はファージー二、戦略は大胆に、要は経営者はアバウト。対して現場、戦術は細心に一歩ずつ、一口ずつ。それ以外にやりようがないのである。
 
 言葉の対話は、とかく拡散化し、抽象的になりがちだが、ポスト・イットは小さく、狭く
 いという制約のおかげで、短く、具体的に1つのことしか書けない。従って相手の要求が最初から限定的、具体的にならざるをえない。

 だから、1つのポスト・イットを、相手と1つずつ、丁々発止、確認・検討しあっていくことになる。これ丁々発止、すなわちこれで負担も、リスクも半々、これまでの50%で、理論的には収まることになルというわけである。

 今後さらに様々なシーンでやってみて、うまくいくか、いかないかを、どんどん進めてみてほしいものだ。
 この場良い、「進める」ことが肝心で、進めればうまくいくこともあるし、うまくいかないこともある。当然である。その場合、うまくいかないということは、うまくいくようにしたら、うまくいくという情報に過ぎず、ダメということではない、という理解が大切だ。

 これは実は脳のシクミ、そのもので、そのシクミをMMAPでモジュライトしたわけである。ですから、熟練してくるとポスト・イットなど不要になる。それまでの習慣作りとしてのポスト・イットだ、と思っていただけたらいい。

経営の学び

2005年06月13日 | Weblog
私は、経営の本などほとんど読みませんし買いません。それでもこうした仕事しているとなにやかやと本がたまります。経営の本は、古本屋でも買ってくれませんよ。それだけ価値がない証拠ですね。それでまとめて廃棄するしかない。

 でも小説は捨てず保管しています。古本屋でも買いますからね。それだけ価値あるモノを売るのはもったいないし、自分のへその緒みたいな大切なもの。生きてきた証を、売れますか、といった思いがあります。

 ところで、本やモノを捨てるとものすごくお腹がすいたような気がしてきませんか。その分、街等歩いたとき、新しい空気がすっと身体に入ってきて、それがなんだか身になるような気がする。

 それにしても成功に関する本、経営の本のなんと多いこと。著者、ほんとうに自分を成功者と思っているのでしょうね。そういっていて数年後に犯罪人になったり、会社潰した人、これまでいっぱいる。ま本代ぐらいの被害で幸いでしたが。経営者としては、ちょいと恥ずかしいですよね。いかに人を見る目が無かったか、と言う点から。

 そもそも人の食べた後のモノ(経営書)で、食らいついていいとこある訳はない、と思うのですがね。でも使い「かす」と言ったのでは、本、売れませんから、みな成功の本。

 成功の本がたくさん出回ることは、そうした本をを読んでも、けっして成功しないことを証明していることになります。水虫の薬と一緒でね。

 そもそも成功者が、金をもらって、成功者していない人が、金持ちの方へ金払うって、逆ですよ。それじゃ成功していない人から搾取して、金持ちがより金持ちになることになる。
 こんな馬鹿なことってありますか。

 みなさん、このことに気付いているんでしょうか。うまくいかない効き目のない本買うぐらいだったら、子供さんとラーメンくったほうが、うまいでしょうに、と思うのですが。

 一家団欒、ラーメン食う、そうした空間と場から、経営というものは生まれる。友人との語らいやメールのやりとりから触発されたものから、自分でつかむ。これが本来の経営の学びだと、私は思うのですが。 


「松茸のーーー」

2005年06月11日 | Weblog
お店の業績は決算書を見なくてもわかる。
 
たいていのお店の壁などに貼り紙が貼ってある。これまでの私がみた記録は、熊本・御所浦の食堂での17枚。

 昨日いった道の駅の食堂では6枚。その一部が目を引いた。
「美味い!○○ビール」といったポスターに重ねて、「トイレはこの先です」の赤マジックの手書きの貼り紙である。デジカメでさっそくメモ。

 なぜ貼り紙か。理由は簡単である。従業員がお客にいちいち尋ねられ、口で説明するのが面倒くさくなったから、その対策である。

 本来、経営者は彼・彼女たちを自分に代わって、消費者との接点確保のために雇用し人件費を払っているのだ。だが従業員は、その自分たちの仕事を減らすために、会社の経費でマジックインキと紙を購入し、そうした貼り紙をべたべた貼る。経費の上塗りである。

 「美味いビール」にトイレのPOP。これで売上げは減少する。

 売上げを落とし、無駄な経費をかける従業員に、無関心な、かつ自分が何屋かすらも自覚しない経営者の顔を見てみたかった。

 ついでにそのトイレにいった。やはりあった。「松茸の、しずく、飛ばすなーーーー」。

 

手暇こそ。

2005年06月09日 | Weblog
今、セミナー1つにしても、1つの試みをしています。たとえばカムサ主催の「真・商人塾」が他のセミナーと大きく違うことは、やたらと手暇をかかるように工夫していることです。

 このメール時代にFDを使い、レジメを一回分づつ全員に渡す。一回ずつ資料の入れ替え、打ち出し、ポストイットや用紙を参加者に準備してもらう、などなど。主催者が面倒、参加者が面倒、私も面倒。これをあえて狙っているのは、以下のような目的があるからです。

 多くの経営者は「消費者接点を増やそう」といったこと、朝礼で叫んでいるはずです。実はそのためには、こうした手暇を相互にかける、という小さな面倒なことを頻繁にかつ継続して行うことで可能でなるのです。それを叫び声を大きくして、繰り返しいったら接点が増えたってことには絶対にならないのです。

 手面倒を積み重ねることで、このゼミのこと、相手のこと、消費者のこと、仲間のこと、自社・自分のこと、そしてゼミで学んだことを意識せざるを得ない。つまり相互に小さな行動による刻印がおこなわれることになります。こうして、学んだことを身体に落とし込むことになり、習慣、体質として、身に付くのです。

 彼女が彼のことを思うとは、彼へ着てたもらうためにセーターを編んでいるときであり、料理を作っているときであるはずですよね。おなじことなのです。

 それに小さな手暇が自分の方に余計来るような仕事、企画を考えたら、ライバルはいつのまにかいなくなっている。独壇場の世界を構築できます。これではじめて、「オンリーワン」ですよ。
 そう考えたら、ちょっと変わったことを、ほんの少し先行している企業がオンリーワン、と宣まわっているのを見ると、笑いたくなります。

 結局、余計な手暇を継続していくことが、消費者接点(ドット)が増えることになり、そぃて企業は年数とともに盤石になるのです。
 
 人生はこのドッドでどんな風に自分を形作っていくか、の楽しい作業だ、というのが、私の考えです。

 最後に。接点へは投資を惜しまない。ここへ集中すべきです。接点とは人と人しか、なし得ない。だが、爾来、土地や設備投資のために借入をする経営はごまんといても、人の投資は惜しむ。

 人への投資といっても、人材教育と称して手暇を惜しむ知識型人間を創り上げ、人間味をそぎ取っていく。消費者との距離とバリアを作っていく。機械人間創るのなら、最初から機械投資がいい。こんな考え、間違っています。間違っています。 「人と人の関係作り」、これがすべからく根本なのですから、そうした人を、いっぱい育てていくことです。

 手暇こそ人と企業を発展させるのです。どうかこのことを一生忘れないで。
 。
 

白圭とセミナー

2005年06月08日 | Weblog
TGもMMAPも、また脳の働きの原点である脳力開発も、思想・理念、戦略に属する「もの」ですから、熟達したインストラクターが欠かせません。逆にこれが普及が滞っている理由になっていることも否めません。その結果、似非インストラクターが、自らの生活と誇示の道具・戦術のために使って、ひんしゅくを買っているのはご承知の通りです。

 時間かけても、まず良いインストラクターを育てなければ、と考えています。ここで「良い」という意味は、「人間性の如何」と「理念・戦略」を重んじることを念頭において云っています。
 
 「カムサ 真・商人塾」では、MMAPで、理念・戦略の再構築を、参加者企業の全員を巻き込んで図り期間中に結果を出す。

 TGは、CD版で、次回までに12期やっていただき、その成果と気づきを、MMAPで次回にまとめる、ことに、といった試みをやります。
 
 TGは 1-時間食うこと、2-TGはやってなんぼの世界なのに、口先でわかったとする人がほとんど、3-数字として成果がみえない(これでいいのですが、経営者はそういう)、4-次の参加者へのクチコミ、5-先に挙げたインストラクターに力がないと、何のためのセミナーか、遊びになってします。こうした受講生のアンケートなどからいただいた課題を活かして、考えたものものです。
 
 それに、参加者46名ですが、これに平均1社あたり20名の社員へも波及させる工夫をし、同時進行としておおよそ1000人近い教育をやる。これを各社の取引先までで増やしていけば、2000人に影響
を与え得ることも難しくない。これをもとに、第二回の受講生を確保する。これが戦略です。
 
 教育は戦略ですから、相手会社との戦略との共有化を図ることを主軸にしなければ、相手先にとってお役に立てるセミナーになりません。
 
 経営者、皆必死です。その必死をどうしたら助けてあげれるか、これが私の願い、このあり方を完成させ、自分の存在価値、強みとして貢献度を上げることが課題。

 「他者への貢献を通じて、自らもいい生き方で生きられる」。この史上最高の商人白圭の思想に、やりがい、生き甲斐をかけています。

二つの視点を経てこそ

2005年06月07日 | Weblog
 庶民の生活が豊かであるということは、そこの王様が良い政治をしていたことを物語るが、王様が良い生活をしていることは、庶民が良い生活をしていることを表さない。こうしたことを考えながら、歴史館をみると、そこは、当時の「生活の場」をかいま見れるという意味で、まさに情報の宝庫なのだ。
 
 歴史を、文献だけでみるだけではなく、歴史が残したものとつきあわせることが大切だと思う。文献は、歴史の過程での権力者の保護と濾過によって残っていることを知っておくべきである。
 
 私が、経営を文章から学ぶ傾向がつよくなったことを憂うのも、そこに理由がある。
特殊性は、如何に堆積しても、あるいは連結しても、全体と事実を表すことにならない。だが人が保管し、記録に残そうとするものは、決まってそれらなのだ。紙が貴重品であった時代の文献は、全体の5%の特権階級の代弁者にすぎない。しかも彼らに都合の悪いものは抹消されている。そうした文献からみては、歴史の「事実」がゆがめられる。こまったことに歪んだかどうかもわからない。

 それだけに「普遍性」、「日常性」の用具や生活道具といったものが保存されている歴史館には意義がある。たとえば長崎・口之津の歴史観など。
 
 ものを正しく判断する場合、「生活している場」という視点。加えて、時間軸的にみること。この両者は、極めて大切なことと考えている。
 
 成功者、成功企業とは、この二つの視点からの吟味に応えられたものをいうのであって
 自分で自分の成功談を語り、自画自賛する輩(やから)に、もとよりその資格はない。なぜなら評価は、上に挙げた二つの視点で、第三者が評価するものであるから。