経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

目指すものは

2012年08月30日 | Weblog
企業が本来目指すものは、
「売れる体質づくり」なのだ。

その「戦略を具現するための戦術」を画策し、
組み合わせ、実践する。
これが経営の正しい営みといってよい。

だから、「これは戦略を具現するための戦術」であるかどうかが、
戦術を講じる際に吟味され、今日明日のための一時的成果、
一過性的な戦術は戦略に反する戦術として、
選択から排除されなければならない。

なぜなら一過性的な効果を求めて手を講じることは、
体質づくりのための戦術行使の先延ばしになり、
また折角育ち始めた体質が崩れてしまう契機にすら
なりかねないと考えるからである。
事実、そうしたことで挫折する事例がなんと多いことか。
 
そうしたリスクをさけるために
経営者自身が、事業の本質を、あるいは存続の前提を
人と人との出会い、人と人の関係づくり、人との交流の場
として捉え、事業経営の営みの根幹に、
縁ある人との信頼関係を積み重ねていくこと。

このことに重きを置き、その思い(理念))を、
ひとりひとりの従業員、組織の隅々まで浸透させ、
組織風土化することである。

ちなみに、そうした苦心の過程で生まれた
様々な創造性的システムがいわゆる「我が社ならではのノウハウ」
といえるものである、と私は考えている。

ともあれ人は理念と戦略に共感し共有して、
初めて他者、組織のために動く。
消費者も然り。理念と戦略に共感、共有し、
自らの意志で購買行動をなすのである。
そして戦略を共有する「仲間」の数の多いほど
そのパワーは大きくなる。
これが購買力といわれるものである。

事業戦略は、
経営手法やテクニックをあれこれ考える以前に
理念、戦略、戦術という一種の流れに、大きさと勢いを
構築することを最優先の営みの課題、存続のための課題
として優先、考え,構築することが重要である、と考えている。

鹿児島6次産業化サポートセンターのホームページをアップ

2012年08月27日 | Weblog
鹿児島6次産業化サポートセンターのホームページをアップしました。
予算がないので、よさんかという声もありましたが、私が簡単なホームページづくりに取り組みました。
苦節3日目、完成してからお披露目では、いつになるかわからない。

 未完成の侭、アップすれば、少しは完成も早くなるかも、ということで、「ええエイのエイ!!」と「鹿児島六次産業化サポートセンター」のホームページをアップした。私の記事が多いですが、これは他のメンバーのソースが入手次第入れ替えていくので、今しばらく、お許しを!!http://jatsudon.jimdo.com/

それ、繰り返しても一過性

2012年08月27日 | Weblog
きれい事で言っているのではない。
倫理や道徳の話をしているのではない。

人間の持つ本能、欲望からみれば、
人は皆、自分が可愛いに決まっている。
自分の利を欲する。

だから利を与え続ける人を求め、見つけたら放したくない。
こうした気持ちは当然のことだろう。

これが逆に経営者が自分の儲けのため、自社のことだけを
考える人であると、消費者が知ったとしたらどうであろう。。

最近の消費者は実によく商人の姿勢と行動を見ていて、
いつも自分にとって、いわゆる「正義の味方」を支持している。

かりに2つの目では見逃すことがあったとしても、
夥しい数の大衆の目をだまし続けることは不可能なのだ。
だから一時的に儲けを得ることはできたとしても、
その後、儲け続けることはまずできないのである。

繰り返すが、消費者、取引先、従業員、この3者から、
支えられることによってのみ、事業の永続的存続が許される。

その関係は自分の利を主張した途端に崩れ、
相手に利を与え続けると継続するからである。 

こうした3者のが支えてくれる人問関係の構築こそ、
私は、事業の本質と理解している。


このことが理解はできたとしても、
言うは易く行うは難し、勇気と根気がいる。

相手の利は充足されても、分かっていたとしても、
自分の利は満たされないことは、はっきりしているからだ。

だからこそ、その苦しさに辛抱できない多くの経営者が、
即効性を求め、売り込みを行う。

もちろんその時はそれなりに効果がある。
しかしそれは繰り返すが、あくまで一過性的であり、
そうしたことをいくら繰り返し、積み重ねようと、
「売れる体質づくり」には結びつかないのである。

3つの条件

2012年08月25日 | Weblog
 「コーイングゴンサーン、生き残る、強い企業(家)」は、
どんな条件を備えているのだろうか。
私は次の3つを挙げたい。

1-消費者の支えの上にのみ企業はその存続を許される。
だから経営者のなすべきことは、
何をさておいてどうしたら消費者に支持され続けるか、
という命題を立て、それを前提にその範疇内で戦略を立案することになる。

2-それを手と足と口を使い、消費者に伝達する行動力が不可欠だ。
どんな高遭な'念や戦略が採用されようとも、
具体的に見える形で表現されないのでは無意味になるからである。

3-消費者を含め、仕入先、取引先、それに従業員の協力を
いかに有機的に結合させ、いわゆる組織力として機能させ得るか、

以下、上の3点に少し解説を付する。

個々企業の業績は、好不況といったマクロ的
あるいは外部要因にあるのではなく、
正しい理念・戦略、そしてお客に支持される戦術を選択し、
それを取引先や従業員の協力を結集し、
具体的に示しえるかどうかの経営者の手腕にあることになる。

こんなせち辛い世の中で、しかも競争激化の中で、
そんな悠長な考えでやっていけるか、という反論もあろう。
たしかに一時的に、そしてより簡単に
増収増益を得る方法はいくらでもあるだろう。

しかし、それらの方法では、繁栄し続けることは決してない。
また急激な一過性の成功が、後に大きな不幸や悲劇を
生務要因になっている、といった事実は、
これまでの夥しい事例が証明しているところである。

とくに消費者を結果的にだましたり、取引先をいじめたり、
従業員の犠牲の上に得られた業績は、まさに砂上の楼閣に等しい。

舞い上がった高さだけ落下することは必死で、
会社や個々人に与える傷は往々にして致命傷になっている。
真にその行動が、「消費者のために」であるなら、
消費者が支えてくれる。仕入先も良い取引先として支えてくれる。
従業員の幸せを考える事業であれば、従業員は一生懸命働く。
このことを確信しているからだ。

2点につきる

2012年08月23日 | Weblog
信用、信頼は、

人と人との関係。

人と人との関係には信用、信頼が前提。



これが根本。ぜったいに永久不変の理。





となれば上に見てきたように、

大きい企業は、人的関係という側面からみれば、

そのままではハンディがあることは明白である。



だが殆どの企業では,そのことに無関心で放置されている、

というのか実態といってよい。



ここだ!

となれば、個々相互に顔が見えやすい,

地場の中小企業が,これを強みとして認識し,活かせば

断然有利になるのである。



もっともかせばの話だが,

大企業願望志向の強い多くの中小企業は

これを強みなどといった認識は乏しい。

これを宝の持ち腐れという。







強み、と行ったが、それは活かさないと意味がないし、

逆にその経営や私生活のことでよからぬことがあると、

身近なゆえに丸見えになり、不利になる、

といった諸刃の剣になることを知っておかねばならない。



皮肉なことだが、

この諸刃の剣が,マイナスに働いているのが

地域型中小企業に多く見られる実態といえる。





信用、信頼の構築のための根本は、

先に,簡単に触れたが、もうひとつある。



それは積み重ねだ。



10年でビッグになった企業と、100年続いている企業。

どちらを信用するか、と問われたら、まず後者であろう。



時間的積み重ね、つまり歴史は、 ごまかせない。

それに追い越せない、追いつかれないのである。



日経が採り上げている「二百年企業」には、

企業はほとんどなく,大きくても中堅程度。

多くが今なお、そしてこれからも中小企業のまま、

しかも時間の積み重ねを強みとして,今日まで生き続けているのである。



畢竟、要約すれば、企業の普遍的あり方としては、

1に、人と人との繋がりを重点とする。

2に、未来永劫的な存続を目指し、信用・信頼の積み重ねをする。



この2点に,尽きる、といえるのではないか。


イケメンは嘘つかない

2012年08月20日 | Weblog
「ママより、君がいい」



せっかく大きくして多くの女の子を高給で雇用し,

個々まで大菊発展させてきたのに、

「ママより・・・」といわれ、言われるだけならまだしも

その中のチーネーちゃんが次々、独立し、

大切なお客様をごそっと持って行かれる。



世の中は,侭ならぬもの、とママが嘆いても

もう取り返しがつかないこと。





大きくなるということ、

人間関係が広がるということ、



そうしたことは、必然的にひとりひとりの関係が

「疎」になる、ということを、

やはり最初に心して、「如何せん」

とそれをカバーする方法を考えておかねばならないのだ。





で、人的関係が疎になりやすい大企業は、

どうしても人的要素以外で、信用、信頼を得ることに

主眼が移りやすくなることもやむを得ない,ということか。



たとえば多店舗展開、あるいはお店の大きさをアピールする。

立派な本社ビルをパンフやHPに掲載する。

上場していることを。前面にだす。

売上や資本金の大きさをアピールする、といったこと。





「立派なスーツを来ている人は,信用できる」

「立派なセリフを吐く詐欺師は,信用できる」

「映画の悪役は,悪い人。イケメンは嘘、つかない」







しかし、これらは信用・信頼とは関係がないこと。

そしてこの錯覚を演出するのは企業PRも詐欺師も変わりない、



まったく関係のない組み合わせ、論理に合わない論理で

の言動、宣伝、それをおかしく思わなかったりする、

といったことは,日常でもけして珍しくはないことである。



このことをアピールする方、見せられる方、

双方とも承知しておかねばならない。



しかしこうしたことがあろうと、

組織的に大であろうと小であろうと、

念押ししておきたいが、信用、信頼は、

人と人との関係。これが根本である。

このことは,ぜったいに永久不変の理である。

うらめしや

2012年08月16日 | Weblog


幽霊が「うらめしや」というのは、実は・・・・、
ということを頭に置いて、以下、話しを進めたい。


生きていくことは、つまるところ人と人との関係を基盤としている。
当然、生活も経営も人と人との関係の上に成り立つものである。
その関係は、虚と実で構成される。
本稿では、人を介在する「関係」を実と置く、

人以外の関係を虚とおく。
そうすると、幽霊は「虚」と言うことになる。

虚は人間だけではない。
「うちとおたくの会社は、取引は緊密だ」、といった言い方がある。
ここで、うちとオタクとは、会社の関係である。
だが、会社同士の関係の内実は、両社に属する人達の人間関係のことである。
会社と会社が知り合い、名刺交換した後、取引しはじめたとか、
会社同士が好意を持ったとか恋愛し始めた、
ということではないから、虚である。

「会社としては、君は首だ」と言われたとする。
ここでは会社も首も虚、君というのはこの場合、固有名詞であるから実。
こう考えると、虚が実を首(これも虚で、実は解雇)にしたことになる。
そこで実なる私は、腹を立て対策として抗議に行くわけだが、
何処をさがしても、私を首にした会社さんは見つからない。
存在しない茂のが私を首にするはずはないから、
「誰が俺を首にしたんだ」と、私はいきり立ち実を探すことになる。
その結果、「実は・・・・」と名乗って出てきたのが、
上司のO部長であることが明らかになる。
この「実は・・・」で、初めて実態が掴めることになる。

で、私は初めて首になる理由を思い当たることが出来るのである。

私の仕事での聞き取り、ヒヤリングは、この「実は・・・・」を
如何に聞き出せるか、診断、支援の正否は
まさにここにかかっているのである。



ママより君が

2012年08月15日 | Weblog
「ママより、君がいい」



せっかく大きくして多くの女の子を高給で雇用し,

個々まで大菊発展させてきたのに、

「ママより・・・」といわれ、言われるだけならまだしも

その中のチーネーちゃんが次々、独立し、

大切なお客様をごそっと持って行かれる。



世の中は,侭ならぬもの、とママが嘆いても

もう取り返しがつかないこと。





大きくなるということ、

人間関係が広がるということ、



そうしたことは、必然的にひとりひとりの関係が

「疎」になる、ということを、

やはり最初に心して、「如何せん」

とそれをカバーする方法を考えておかねばならないのだ。





で、人的関係が疎になりやすい大企業は、

どうしても人的要素以外で、信用、信頼を得ることに

主眼が移りやすくなることもやむを得ない,ということか。



たとえば多店舗展開、あるいはお店の大きさをアピールする。

立派な本社ビルをパンフやHPに掲載する。

上場していることを。前面にだす。

売上や資本金の大きさをアピールする、といったこと。





「立派なスーツを来ている人は,信用できる」

「立派なセリフを吐く詐欺師は,信用できる」

「映画の悪役は,悪い人。イケメンは嘘、つかない」







しかし、これらは信用・信頼とは関係がないこと。

そしてこの錯覚を演出するのは企業PRも詐欺師も変わりない、



まったく関係のない組み合わせ、論理に合わない論理で

の言動、宣伝、それをおかしく思わなかったりする、

といったことは,日常でもけして珍しくはないことである。



このことをアピールする方、見せられる方、

双方とも承知しておかねばならない。



しかしこうしたことがあろうと、

組織的に大であろうと小であろうと、

念押ししておきたいが、信用、信頼は、

人と人との関係。これが根本である。

このことは,ぜったいに永久不変の理である。

この強み

2012年08月12日 | Weblog
信用、信頼は、

人と人との関係。

人と人との関係には信用、信頼が前提。



これが根本。ぜったいに永久不変の理。





となれば上に見てきたように、

大きい企業は、人的関係という側面からみれば、

そのままではハンディがあることは明白である。



だが殆どの企業では,そのことに無関心で放置されている、

というのか実態といってよい。



ここだ!

となれば、個々相互に顔が見えやすい,

地場の中小企業が,これを強みとして認識し,活かせば

断然有利になるのである。



もっともかせばの話だが,

大企業願望志向の強い多くの中小企業は

これを強みなどといった認識は乏しい。

これを宝の持ち腐れという。







強み、と行ったが、それは活かさないと意味がないし、

逆にその経営や私生活のことでよからぬことがあると、

身近なゆえに丸見えになり、不利になる、

といった諸刃の剣になることを知っておかねばならない。



皮肉なことだが、

この諸刃の剣が,マイナスに働いているのが

地域型中小企業に多く見られる実態といえる。





信用、信頼の構築のための根本は、

先に,簡単に触れたが、もうひとつある。



それは積み重ねだ。



10年でビッグになった企業と、100年続いている企業。

どちらを信用するか、と問われたら、まず後者であろう。



時間的積み重ね、つまり歴史は、 ごまかせない。

それに追い越せない、追いつかれないのである。



日経が採り上げている「二百年企業」には、

企業はほとんどなく,大きくても中堅程度。

多くが今なお、そしてこれからも中小企業のまま、

しかも時間の積み重ねを強みとして,今日まで生き続けているのである。



畢竟、要約すれば、企業の普遍的あり方としては、

1に、人と人との繋がりを重点とする。

2に、未来永劫的な存続を目指し、信用・信頼の積み重ねをする。



この2点に,尽きる、といえるのではないか。


ここに原理が

2012年08月09日 | Weblog
相手に喜んでもらえる要素に比例して、
消費者がお客に変わる確率は高くなる。

この確率からはじき出された結果が「売上」。
だから、これ結果が目標になるわけはない。

また結果としての売上が上がったとして、
それで喜ぶのは自社だけである。
それもひょっとしたら経営者だけ
といったことかも知れない。

喜ぶ者をかりに100人と多めに設定したとしても、
その喜びに関係する人たちは、
地球人口-100人、いることになる。

多勢に無勢、まさにこうした情勢下で、
「戦い抜こう、中元商戦を。エイオー」とやっている。

私には刀で大砲に挑んでいるサムライより、
無謀なことに思え、滑稽にすら思えるのだ。

そこで、地球人口全部などといわない。
せいぜい30坪のお店であれば、10万人でも多すぎるが、
この10万人を味方に付けたら、100人+10万の力になる。
ここに商いの原理がある。