経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

観光における「交流」

2004年10月24日 | Weblog
 今後の観光の主流になるのは、「交流」と、私は思っている。
「交流」には、場と橋渡し役が不可欠。
たとえば京都から来た観光客と東京から来た観光客が偶然に○△町で同じ日に、同じ時間にばったり、そうしたことはあるだろう。しかしその二人が、名刺交換しあい、以降末永い交流が、というのは奇跡だ。この奇跡を誰も奇跡にすることもなく、またもとのところに帰って行く。
 この町の人たちは何をやっているかということだ。接着、介在をしていない。出会いの場所であり、それを取り持つ地元住民の役割という認識が、ほとんどの観光地に抜けている。
 鹿児島大島郡笠利町の(株)ばしゃ山はその「交流」を観光資源の中心に据え希有なところとして、私は高く評価している。
奥 篤次社長を先頭に全員で、観光客同士、観光客と当社のスタッフ、地元住民との交流の場を、積極的に「作っている」のだ。
 観光は想い出産業、お客の思い出づくりが私たちの仕事。その想い出は、人と人との出会い、ふれあいに勝るものはない、という奥社長の哲学から生まれたもの。
 ここでの数日間は、一生忘れることのできない思い出になると、ばしゃ山村を訪れた観光客は口をそろえて言う。
 その理由は、すてきな景色はあくまで背景・舞台。あくまで「人」が主役。この村を訪れるフツーの人たちが、ここでは王様、お姫様になれる。これは人生の絵巻きだ。夢だ。こんな夢ならさめないで欲しいし、何度でも見たいと思うのは当然だ。
 だから高料金に関わらず、長期連泊とリピーターで一杯になるのである。
 お別れの時には「またここで逢おうね」と、皆で握手する。ドラマの主人公になった気分に浸れて、帰るとき涙ぐむ。
 交流、これまでの観光に最も欠けていたこの「交流」を、ばしゃ山村は採り上げただけでなく、観光の資源の一つとしている。


嬉しいこと

2004年10月24日 | Weblog
 嘘のものや人が売れたら面白くない。極端に不快になる。それを男の嫉妬といわれようと、絶対によいしょしない。非難を受けることなど百も承知で、名前は挙げないがそんな身勝手な情念に駆られてさんざんこき下ろしてきた。

 本当のものが、隠れてしまい売れないことも面白くない。それが自分のことでなくとも腹が立つ。十日町・小嶋屋の蕎麦は、そういう意味で全国的に売れなければおかしいと思った。越後湯沢のポンシュ館も然り。お茶の亀屋も。梶谷のお米も。ばしゃ山村も。etc。
 そんな身勝手な情念に駆られて、身びいきしてきた。

 あきれた人々から、「極端だ」といわれた。そのとおりだ。だから反論したことはない。
黒白をはっきりしないと、エネルギーにならない。これが「戦略」の本質だ、と私は思っている。 つまり情念に駆られてこそ戦略が明確になるのである。

 こんないい物があるのに世に出ないのはおかしい、その情念に駆られた延長線の先に、私流の販促の理論が構築された。
 わかりやすく言えば、こうだ。
 いい物が、砂漠の砂に埋まっているときは、そこを人々がたくさん通ってくれるようにしたら、誰かが見付いてくれる。そしてそのことは彼らにとって喜びになる。
 嘘ものが、人通りの多い銀座で宣伝され、売れに売れたぶん、買った人の怒りになる。
 
 だから、私の販促は、元来売れないがらくたを、売るのには、、無関心、無機能なのだ。
 嶋崎さんのTGは、前者だ。7年ぐらい前の初めての出会いから、この男とTGは砂漠に埋もれたキラリ財宝だと思った。
 だが人が通らない砂漠に、砂をかぶせていたこのキラリの砂を払い、こういう光るものあるよ、と人混みの中で小声でいいつづけていれば、きっと多くの値打ちのわかる人、自分のものにしたい人、人それぞれの思惑を持って集まってくることになると確信していた。
 どうやら今、それが確定に近い。兆しが出てきた。その彼らの中から、キラリとひかる人を選べばいい。嬉しい限りである。

検便

2004年10月21日 | Weblog
 正確ではないかもしれないが、薩摩の古い格言に、「とぼかい。なこかい。なくよりひっとべ」というのがある。子供が小川を前に躊躇している。向こう側まで跳べる自信がないのだ。この場合考えていたってどうしようもないことなのだ。そこで先輩達がはやして言う。「跳ぼうか、跳ぶまいか。迷うぐらいだったら跳びなさい」。

 私の知る限り、多くの経営者はこの子供と変わらない。
 仮にでもいいので、まず戦略(意志決定)を決める。そして行動してみる。このことが先である。当然結果が出る。戦略だから結果は、うまくいくか、いかないか、2つのうちどちらかに決まっている。いずれかの結果が出てから。理屈や理論を付ける。「こうすればうまくいくんだ」、「こうしたからうまくいかなかったんだ。じゃ次はこうしてみよう。」と、うまくいくまで試みるから戦略でうまくいくと決めた人は、皆うまくいく。

 考えてから、勉強してから、なにかやろう、動こうとするのは順序が逆だ。検便してもらうのに、検便してからからうんこするなんて、おかしなこと、やれっこないはず。

 「考えてから行動せよ」ととったことを社長が徹底したため、業績がおかしくなった事例を、」羊たちのちんもく」に書いている。
 その理由は、考えていて、誰も行動しなかった為である。
 勤務時間だけで足りず残業して考え続けても、出て行く金だけで、入る金はゼロなのだから。

単純なことよ。

2004年10月17日 | Weblog
 言葉尻を捉えているつもりはない。
 ダイエーの高木社長の記者会見で、いつも気になることだが記者などに対する言動が不遜というかしごく横柄だ。今回も質問に対して、「うん」と答えていた。「ウーン」ではなく「ウン」である。別に記者に対し尊敬語を使えとは言わないが、聞き、見ているのは、消費者なのである。
 
 それを多分に自分の部下に対するような応対は、うかつ、というより彼らのかねがねの「真意」が、コロットでたものといってよいだのではないか。もちろん、ダイエーや彼だけでなく、かって22年前に私がいたニチイでも、57年に亡くなったた西端行雄代社長を例外として、ほとんどの役員、幹部に共通して見られた。
 
 消費者を高い位置から見る彼らの姿勢、言動こそ、消費者が彼らに背を向けてた背景にあるというのが私のかねがねからの持論である。
 そのことはもう「どうしようもないぐらい組織の隅々まで徹底的に浸透していることは、店舗を歩いてみれば、だれしもわかることである。
 
 ずいぶん以前、「岩田屋は、おかしくなるぞ」ということを新聞のコラムに書いたことがあるが、それは博多の本店の通路、真ん中を闊歩している幹部を見たのが、きっかけであった。
 
 経営の有り様は、必ず良いこと、悪いこと関係なく、現場を通して不特定多数の消費者に伝わり、彼らの「この店を選択すべきか、しないか」、「買うか、買うまいか」、「よく言うか、悪口言うか」の判断材料となる。
 
 大胆に言い切るとしたら、経営は消費者を背に付ければうまくいくし、消費者が背を向ければだめになる。白圭風に言い切るなら、「それだけの単純なことよ」。

乾杯!

2004年10月13日 | Weblog
 福井の嶋崎喜一先生から、メールで乾杯!を頂いた。楽天の日記「奢り」に対してである。
嬉しかった。

 ふと考えた。
 昔、FAXで1万円送ってくれた人がいた。
 昔、沖縄の夜、と名付けて真っ黒に塗りつぶしたハガキを送ってくれた人がいた。
 もちろんジョークである。
 そして「あなたのこと、心に留めてます」というメッセージも伝わる。

比べるわけではないが、「乾杯!」の嶋崎さんのメールは、もっと素直に嬉しかった。

 即、返信。以下ほぼ原文。

一人で握手も拍手も乾杯もできません。乾杯してくださる方がいる。嬉しいです。
窓をどんなに広げても、見る人は、極少ない。だからむなしいではなく、少ないから
こそ広げなければ、と思っています。

TGのことで、先生にそうしたことを言いながら、自分は小さい窓でしか見ていませ
んでした。

 自分に納得いくまで、自分にこびりついているものを剥がしてみたいと
思いました。
 300冊ほどの本を名前出さないことで大学校へ寄贈し、この部屋同様、
気分もすっきり。
 「余計なものが自分自身を小さくしている、と改めて実感しました。

 大切なものは、見つけるという手と、不要なものを捨てまくって最期に残
ったものを大切なものとする方法がありますが、私にはやはり後者です。

 わからない人にわからせる手と、わかる人に存在だけを知らせる手があり
ますが、私にはやはり後者がに似合います。(以下省略)


投げる。

2004年10月11日 | Weblog
楽しみは、先に放り投げておくと、どんどんやってきます。
 悲しみは、後ろへ放り投げるとどんどん遠くなってきます。
早い、早い。のんびりすればするほど、時の通過は早くなる感じです。

 夢中ごとが時間の流れを止めてくれるのでしょうが、その夢中まで後と
先に放り投げて、非・夢中ごとを明日までは続けなければなりません。
 でも放り投げる体力があるからいい、放り投げられなくなったら、どう
なるのでしょう。昨夜はそんなことを考えて、夜更けまで過ごしました。


私の一日

2004年10月10日 | Weblog
当然のことだが、1週間超の出張の後は、やたらと忙しい。まずは郵便物。時には返事を要したり、締めきりのある物もある。案の定、県の審議会の案件で締めきり12日というのが、大きな宅配便で送られてきていた。本来ならこれをまず片づけるべきだろうが、怠け者の私はうんざりが先に立ち、明日へ先送り。そしてやってもやらなくとも、また急ぐ必要の全くない新聞のスクラップに取り組んだ。
 ちなみに、こうしたことに理屈をつけたのが、MMAPでの「金のかからないすぐやれる順」である。
 これも15分も続けたら飽きてきて、HPのTOPの写真入れ替え。ついで旅先で撮った写真をパソコンへ。流していたテロップから台風22号が東海地方へ流れたので、FMをAMに切り替え、東海地方の知人・友人にお見舞いをメール。
 ふとレンタルビデオの帯を見たら、2巻とも明日の返却期限。「恋に落ちて」、「氷の微笑」。
前者は、実にいい作品だ。見終えたら16時。久しぶりに散歩に出る。身体が重いのがよくわかる。いつものコース、田んぼ途は、今日は稲刈りラッシユで、沈んでる気分でいちいち挨拶したり、声を掛けられるのがいやなので、避けて別のコースをとる。9月29日以来のわが家周辺ももうすっかり秋の気配。考えてみれば、考えずとも今年ももう2ケ月ないのだ。
 夜9時から、「氷の微笑」を見る。
 これが私の1日でした。
 

人にさらす

2004年10月08日 | Weblog
人吉校。前夜は久しぶりにビデオを見る。おもしろくない割にはえらく長い映画で、途中で見るのを止めたかったが、止めても他になにかやる気力もなかったので、酒を飲みながら見終えた。11時過ぎ。部屋のガラス戸を全開して、夜景を肴にまた飲み続ける。先ほどまで騒がしかった2階の受講生たちも、眠りについたらしい。酔い覚ましに、再度温泉にいり就寝。1時過ぎ。
 朝、6時起床。温泉に入り、7時半からの朝食、読書。それでも時間があったので散歩にと、外に出たとたん降雨。「チェ」と言いながら、本心は「よかった」。
 
9時20分、ゼミ開始。4名の精鋭主義、個別対応が売りのゼミだ。だがせめて5-6人
が、私としては理想だ。
 しかし長期コースに時間と大枚を掛けての参加者、レベルが高い。青森でほぼ完成を見たノウハウを彼らと相談しながら、ゼミを進める。
 途中途中の質問に対応するたびに、良い手直しが計られ、さらに盤石のものになっていくようYで実にうれしかった。人にさらすほど、人の知恵が頂ける。
チョキコース

北国、青森を後にして

2004年10月07日 | Weblog
ひさしぶりの快晴の青森。これから人吉校へ向かいます。
MMAP,しかっと千葉さんにお伝えしました。

脳開とMMAPは私の人生のすべてです。これだけが、私がこの世に命を受け、人生してきた証。それ以外ないのです。
 自己の欲望の具現のツールとしてではなく、多くの中小企業者の光明に活かして頂ける方へ伝導すべくこれからの残された人生、志同じくする人たちと、穏やかに歩んでいきたいと思います。
師から与えられた脳開、自分で生んだMMAPとその理論、上に述べて志とは違う目的で使われることがあったら、師に詫び、父母に謝し、この二つは私の手で破壊し、私の命とともに終焉します。でも絶望しているわけではありません。
 こうした旅を続けている中にも、これはという人物をみいだすことがあるわけですから、きっと良い後継者が、私を待っていてくれる。どこかに、きっと、と確信しています。
黒石、十和田、むつでのセミナーでの確かな手応えに意を強くして、青森を後にできますこと。そうした機会を頂けましたことに、御礼を申し上げます。。
 ありがとうございました。タノウエ

白圭の哲学

2004年10月04日 | Weblog
 人が働くこと。そのために学ぶことは、白圭の生き方を借りていうなら、人様にお役に立つためである。それによって自分の人生に輝きが加わる。この考えを是として仮説設定すると、自分の欲や野心を果たすため、すなわち自分の成功のために学ぶことは非になる。
 この場合○○のための○○のところが戦略になる。その戦略を具現するために、何を学ぶかという無限の戦術がある、ということである。
 
 回りくどい言い方をしているが、端的にいえばこうである。1に学ぶことは戦略的である。2に
その戦略は、自分の野心のためであてはならない、ということだ。
3に、どうしてかというと、人は人に役立つことでのみ生きる糧を得られる、からだ。
 これが私の理解する、大商人白圭の哲学である。