経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

学びの本質

2012年11月26日 | Weblog
うまくいく、うまくいかない。勝つ、負ける
その繰り返し中から普遍性の高いものを集約して
常勝のノウハウをルール化していく。
こうしたものが、学びの本質。

ことをなし、うまくいく、行かないを繰り返す、
といった体験の繰り返し、積み重ね、
そこから学び、創造することが本来。

そしてそれらをお互い共有しあうことで、
組織、社会の学びとなり、
普遍性高いものはルール化され、蓄積される。


こうして人は学び、学び合い、成長する。
ともに組織、社会も学び、進歩発展していく。
さらにそうした社会、組織から個々人は学ぶ。

こうした相互の交流の繰り返しで、
知恵、文明、経済といったものが、
螺旋状に進歩発展していく。

そして、その過程で、
人、個々が学んだことは知的個人財産から脱し、
組織、社会の共同財産化され、蓄積、あるいは消費される。


互い学び合い、互恵しあう関係をイメージし、
それを広げていくと、そんな風に私には思える。

こうしたことを裏返しし、強く言えば、
厳密にみて純粋に自分だけで学び得たものが、
いったい存在するのであろうか、とも思う。

一方、自分で体験せず、学ぶ、といったことを省き、
出来合いの教えを外に求める、
他人に求める、
神仏に求める、
といった傾向、ここで繰り返し触れてきたが、
このように知的財産の創造には関知せず、
ただひたすら、他者の知的財産の取り崩しに
勤しむ姿勢はいかがなことか、と思うのである。

なんでだろう?

2012年11月24日 | Weblog
大きな黒板に白いチョークで先生が、
数式を書いている。

生徒が見ているのは、黒板だろうか。
それとも数式?



こんなことからも、
私は、経営にとってすごく大切なことを沢山教わってきた。



大きい黒板より、t小さい方の数式を見ている。
なんでだろ?


数式、文字でも良いのですが、
これが生徒に、見えるのはなんでだろう?

お陰様、つてのは、影のお陰で、
日当たりが見える、ってことなんですね。



黒板があり、黒いから、
お陰様で白い数式、文字が生徒に見える。

お日様は実に謙虚ではありませんか。
黒板は、縁の下の力もちではありませんか。


ホワイトボードに、白いマーカーでは目立たない。

ならばなぜ皆、横並び、画一化をめざすのだろう?

お日様の謙虚さを見習いなさい、といいたくなりませんか。

先生が、一生懸命話ししているのに、
上の空、あるいは窓外を見ている生徒がいるのは、
何でだろう?


などなど。

倒産

2012年11月15日 | Weblog



ところで、倒産には、

消費者からみたらもうこれ以上は支えないよ、通さないよ、

といった側面があります。これが1つ。



倒産しない企業から見たら、

お陰様で俺んちが生き残れるよ、

といった側面があります。



この2つの側面虫、前者については既に触れました。

で、後者について。



Aというお米屋が倒産したから、今晩からお米が食べられない

といったことはありませんから消費者は困ることはない。

冷たいようですが、それが現実です。。





問題は、この冷厳な事実が、国などの統制により

機能しなくなるといったことがあれば、

それは、それは不幸なこととなります。

このことは「落ち、こぼれる」の原理のところで

触れましたので、ここでは割愛です。





倒産がある。

だから倒産しないよう工夫する。

工夫を競ってくれるお陰で、消費者は選択の楽しみと、

より便宜性を味わえる。



それがまたマクロの消費を増やす。

こうしたサイクルこそ、

「種」、そして社会、国家、企業の永続的発展の礎にある。



そうしたことを、私は経営支援上の経験から、

直観的に、これって自然の摂理かな、

と思ったりしているのです。





おわりを考える

2012年11月12日 | Weblog



恐竜が滅亡した理由

三葉虫が絶えた理由を考えてみる。





その場合、



ここで、「良い加減」、あるいは分限、到達点、ゴール

といった言葉を、頭に置いて欲しい。

それも、始まりあれば終りあり、ではないのだ。



終りを決めておいて、スタートする。

いや、終りがあるからスタートするのだ。

終りを決めてスタートする。



恐竜は、自分がどれぐらいまで大きくなれば、

終りにすると、先に決めていなかった。



そごうは、自分がどれぐらいまで大型にすれば

それが限界と、さきに決めていなかった。



三葉虫は、自分たちの種がどれだけふえたら、

やばいことになる、さきにと決めていなかった。



ダイエーは、自分たちの支店が種がどれだけふえたら、

死点になる、とさきにと決めていなかった



倒産は、上の2つのいずれかを決めていない場合に起きる。



いい加減にしなさいよ、と叱られてから、

のではなく、最初に設定しておいて、はいスタート!



これが重要なことなのです。

終りあれば憂いなし。

終り設定していれば、倒産無し。



表と裏

2012年11月06日 | Weblog
表は裏を削った。裏も、表を削った。

その結果は双方にとって恨めしい結果になった。

表は、これで憎き裏がいなくなった、と思った瞬間、

自分の存在が無く舞ったことを知る。

否、知るまもなく消えてしまった。





裏は、これで憎き表がいなくなった、と思った瞬間、

自分の存在が無く舞ったことを知る。

否、知るまもなく消えてしまった。



排他の論理はここに行き着くことを知らねばならない。

否、共存の論理のもとに、繁栄の構図を描かねばならない。

地球レベル、自然界という視点で考え、言えば、

天敵を失う、あるいは自然の系から離脱することで、

天下無敵の世界

その種にとってはこの世を制覇した思いに浸れるであろう。



しかし彼らは、

上の私の作り話、表裏と同じ運命を迎えることになるのだ。



創造主のすごさは、こうしたことを想定し、

ある種が一方的に増えて、この地球が滅びることがないように

天敵と系を創ったという、そのことである。



ならば、この今の自分に置き換えて、

生き方、経営のあり方を、見てみる必要あり、

と、私は、私自身に警告したいのだ。



私は、天敵は、戦略限界点、分限を知ると置き換えている。

系はリンク。つながりと置き換えている。



消滅の因

2012年11月04日 | Weblog
消費者が、

「自分たちに、貢献していない」、

「なくても困らない」、

といった判定をくだした結果。

「落ち、こぼれる」、「倒産する」



これが調整機能だ。



自分たちの会社では、供給過剰になれば,

工場の操業調整をしているではないか。

人員過剰とかいってレイオフしているではないか

残業カットもそう。



ところが、これがマクロの企業になると、

国が嘗ての社会主義国家並ではないにしても、

保護政策を採っている産業がある。



こうしたことで調整弁が働くことがない産業、

あるいは企業は、三葉虫と同じ運命で、

やがて消滅するのでは、と案じているのである。



おそらく、三葉虫には、増え続けることが種の繁栄、

という方針しかなく、そうしたことが想定されておらず

もともと調整機能がなかったのか、あるいは・・・

種ぐるみで、取り外しの令、

「それ無視せよ」、の通達を出し徹底させたのか



「俺たち三葉虫族が、天下を取ろうぞ」



「おう、おう!」。



ここに、表裏一体という話がある。





表裏という珍しい木片があって、

人々は表を見ては、感服し、裏を見ても感服した。



表は、裏さえなかったらおれだけが褒められる。

裏は、表さえなかったらおれだけが褒められる。



それで、表は裏を削った。

裏も、表を削った。



私の作り話であるが、その結果は・・・・・・。