経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

二の鉄を踏むな

2006年05月02日 | Weblog
 ダイエー、西友、十字屋、長崎屋、ニチイ、ジャスコ、伊藤ユーカー堂、壽屋、ヤオハンなどは、当初はスーパーチェーン、その後、大型店、多量廉売店、ビッグストアなどと呼ばれた、どう呼ばれようと、どう定義づけられようと、その理論的裏打ちとして標準化、同質化、マニュアル化、システム化であり、「そのことは消費者にとってどうか」という論議が成されることはなかった。
 彼らは「安ければ、消費者は歓迎してくれる」ということを、頑なに信じていたからである。
 
 だから、「消費者にとってどうか」ということに関心は薄く、これら標準化、同質化、マニュアル化、システム化自体が目的化し、その手段の1つとして、人をそれらに置き換えるリストラ(ここでは人員削減策の意味に限定して使う)に夢中、始終してきた。
 同じ論理で、コスト削減のために産地・地場特性を無視、そして鮮度などを犠牲にして生鮮食品まで集中仕入れを行い、物流センターに集約させ、結果として品質の劣化をなしてきた。
 ひっくり返して言い直せば、自分たち社内の増収増益具現のために販売戦略、店舗戦略・オペレーション、マーチャンダイジング、そしてコスト削減の手段として、消費者に不利益を成す行為を、高邁な理論で、裏打ちし行ってきた。
 消費者に忠実であるより、チェーンストア理論に忠実であった。これが彼らの歴史である。

 当然、競争は、「価格競争」に限定されてきた。競争にもいろいろ選択肢があるにも拘わらず、価格に限定され生き残りを懸けた熾烈な競争が行われた。その競争は、街を土俵として、キングコングとゴジラが相撲を取るようなものだから、結果として街がめちゃくちゃになった。
 こうしたバトルの結果、ほとんどのビッグストアは消えていった。
典型的な天動説型企業、そして理論の推進を是として、消費者を無視する企業の末路なのである。結果はどうか。

 消費者は、彼らが考えている以上に利口である。とりわけ利に聡い。自らの不利益を察すると背を向ける行動を起こす。
 このことは、消費者が背につくか、背を向けるか、といった論理を範疇外とした理論が、いかに悲劇を生むかの典型的な事例といえる。 
 
だがこうしたビッグストアの誕生から消滅までの極めて短いライフサイクルが、例外、特例とみてはなるまい。生まれてから消滅するまで短命であっただけに、それらは貴重なものを遺してくれている。我が身に置き換えて学びとるべき教訓は多いのだから。

 しかし、実態はどうか。今なお、多くの企業で、その高邁な天動説型理論を支えに、いぜんと変わらぬ経営が継続されている。
 否、以前以上に、大きな声で、「顧客第一主義」、「地域社会に貢献」といったことを叫ぶことで、そうした実態がかき消され、見えず、聞こえない状況になっている、と言える。 大声で叫ぶことは、他者の声をかき消す役割もあるが、欺瞞に対する自己の良心を打ち消し効果もある。 
だが、企業を支え、背に突く、選択する立場の消費者は、まったく以前と違う。冷静、慎重である。なぜか、購買・消費活動を身銭を切ってやっているからである。

 良くも悪くも勝ち組・負け組という言葉が、よく言われる。それは、消費者の選択眼が冷厳になってきていることを示す。
経営や商売が難しくなったと、よく聞く。それは消費者が、企業の経営姿勢や商いのやり方に、小難しくなってきていることを示す。

 経営にしろ商いにしろ、対象は消費者であることを忘れた理論やツール、ノウハウに惑わされては、二の鉄踏むことは必至である。 2006/05/02