経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

台風と慣れ

2004年08月30日 | Weblog
今年の台風は、ほとんど鹿児島をそれて四国、高知、徳島にというのがほとんど。四国には友人が多いので、いつもはらはらしていた。それが新潟、福井、ついには青森までとなると、私の友人の多いところをねらい打ちでもされたのかと思うぐらいだった。16号は、鹿児島薩摩半島へ上陸。あばら屋のわが家にとっては最悪のコースだが、これまでとちがってやきもきしなくてすむ。その理由はなんといっても自慢じゃないが台風慣れしているせいだ。ものごころ着いた頃から、台風はいわば生活のつきものとして、この地で育ってきたわけだから、みな体験から生まれた「慣れ」を持っている。
 台風で心配なのは、瓦、それにここは田んぼの真ん中だから、お百姓さんの道具が空を舞うことだ。たとえばビニール、ベニア板。牛小屋の壁、こうしたものが空から振ってくる。以前は、これで窓を破られ、家が浮きかけたことがあった。次は停電。内は自家水道だが、ポンプが止まるとお手上げ。まずトイレが使えなくなる。だから風呂水を満タン。それだけでなくため込んでいたペットポトルに水を貯蔵しておく。その他、これまでの経験から、事前に打つだけの手は打っておく。
 「慣れ」とは、実はこうした過去の経験を活かすという意味であって、災害に鈍感になる、ということではない。また「なるようになるさ」という諦めでもない。「慣れ」は事前のリスク管理によって生まれるものなのだ。

毒味

2004年08月26日 | Weblog
 仕事が忙しいことは、それだけ自分が頼りにされ、人様に役立つわけだから、ありがたいことである。特に私みたいに「売り込みをやらないこと」を専門に研究している者にとっては、自我の欲求をも満たされることになるから、ことさらだ。だが、忙しいことで粗製濫造になることが恐い。8年前にそれで後悔したことがあり、以来できるだけ仕事の数を落とすように努めてきた。すると今度は、生活ができない状況まで、仕事数が減少してきた。質は量に、量は質に反比例なのである。これしかたがない、ではすまされないぐらい落ち込んだ。理想は、ほどほどであれば、と思っていたのだが、この原則は両極端に機能することがわかった。
 思いが通じたのか、閻魔大王が同情したのか最近、また少しづつだが仕事が増え始めた。これまでの例だとこれが加速化し、身動きがとれないぐらい増え続けるはずだ。ハテ、どうしよう。
 こうしたことを繰り返しているようでは能なしだ。だが、実は今回はすでにその解決策は見いだしている。だからドーンとこいだ。
 それ何だって。それはまたの機会、いずれお話ししよう。隠すほどのこともないし、もてるもの、知るもの総てを公開し、皆様方と共有するのが私の生き方であるから、隠すなんてことはしない。だがこの解決策、仮説に過ぎない。つまりやるのはこれからの話で、うまくいくかどうかの実証ができていないのである。毒味をしないうちに、「うまいですよ」と、皆さんへ披露する勇気は私にはない。お店には、「食べてみてから、おいしいですよ」といってね、と指導している立場なのだから。

毎日が日曜日

2004年08月25日 | Weblog
 お金に関心がないわけではない。むしろ欲は強い方だ。
だが22年前に脱サラしたとき、18万を越す失業保険を、一回もらった限りで捨てた。当時13万円もあれば、田舎の生活のことゆえ十分やっていけた時代である。
 
 その理由は、何もかっこ付けたわけではない。雇用保険を今で言うハローワークにもらいに行くわけだが、そのときの役人の態度、横柄さ、受け取るこちらの屈辱感。自負心が人並みにある人なら、当時のあれは、我慢できるものではない。それに耐え切れなかっただけである。
 妻から、えらく叱られた。それから妻が働き、夫は毎日が日曜日の生活が2年続いた。
 だから年金も、今日まで申請せずにいた。しかし結局また妻とその応援談にの説得に折れ、いただくことにした。振り込みで受け取りに行かなくて済む、これが第一の妥協の言い訳。第二は「できるだけ、年金で生活し、生活のための今後の仕事をやらない」。
 これでまた、「毎日が日曜日を楽しむことができる」。(^_^)



捨てる、ということ

2004年08月22日 | Weblog
 今真剣に、捨てるものを探している。いな「捨てるもの」はわかってる。問題は、その捨てる物を捨てられない自分に、いつの間にか堕落してしまったということだ。
 その理由もまたわかっている。これまたいつの間にか、小さな世界に閉じこもってしまって、その小さな世界の中での、大事なものと思っているものを、たった二つしかない手に手一杯握り締めて、放そうとしない自分が、そこにいるせいだ。
 そこでまだ理性が働いているうちにと、対策を考えた。1に幸い一週間ほど手が空くから、その間、可能な限り、別の世界をの垣間見る体験すること。これには旅が1番なのだが、余裕がないので、24時間*5日、見れる限りのビデオをみる。音楽、落語に浸る。2にこうして人為的に広げた別の世界を通じて、「捨てるべきものの」を決め、捨てようと決めた。
 このことは、今即、捨てる勇気のない言い訳かもしれない。大事なもの、欲しいもの、かけがえのないもの、支えてくれたものといった視点で、次々手にし、抱え込んでいるいるもので、私の二本しかない、大切な手は、もう支えきれないくらいいっぱいだ。そうしたもので手一杯になって疲弊している状態である。
 にもかかわらず私は、もっといいものはないか、もっと財はないか、もっと役立つものはないかと次々欲しいものを追っているのである。だからほんとうに真剣に捨てようと思ったてやってみた。だがやっているうち、気が付いた。手にするときは、より重要ななもを手にしたのに、手放すときは、より重要でないものから捨てている。このことに。
 これは実は、自分の価値観という物差しが、なんら変わっていないこと示していることになる。そのことに気が付いて愕然とした。だから冒頭に記したように、価値観をもう一度別の世界から見直してからの方がいいと思ったのである。
 肝心なのは、価値観という物差しなのだ。これを変えない限り、手いっぱいなものを捨てて、手空きになる。その空いた手が次に掴むものは、間違いなく捨てたものと同じものになるに違いないのだ。ここまで考えて私はまたもしばらく放心状態に陥った。
 自分が釈然とするまで時間を掛けてみたい、と思っている。

創作「経営もんどう」

2004年08月21日 | Weblog
 [経営の勉強したいのですが、どういう本読んだらいいのでせう]
という相談が、けふあった。「どうして?}、といふと、「事業がをかしいくなったから」といふ。「あなた、風邪を引くたび内科医になろうとおもったこと内科医?」とたづねた。「ない」といふ。[そうだよね。でも今、あなたは、これとと同じ質問をしたのでせう」
[n?,n?]
[わかんない?、事業がうまくいかなかったら、上手くいくようにしたらいいだけさね。それをどうしてとおまわりして、経営のお勉強をというのさ。お勉強すれば、経営よくなるの?関係ないよ」。
「勉強する暇があったら、売場にいって接客でもやりなさいな。資金繰り苦しいのに、資金繰りを楽にする本など読んでいたって、楽になんないよ。どうせ読むのだったら、落語の本とか、池波さんとか、最近のであれば横川さんだとか、何でもいいやおもしろい小説読んだら、おもしろ(楽)くなるから。エッその手にしている本、なに!ダメだよ”。”出来る経営者が読む経営の本100冊”だなんて。だって、できてないのだろ。あなたは。
 そうしたつまらないおもしろくもない本。古本屋んでも持っていって金にして、社員といっぱいやった方が、できる経営者といわれる可能性、たかくなるのでせう。ちがふ?」
 経営者は経営のお勉強をするのが、仕事ではないとよね。

捨てる

2004年08月18日 | Weblog
手詰まりという、手にいっぱいという、打つ手がないという、手を尽くしたという、手に負えないという。どれを採っても、考えてみたらこの私が欲張りすぎて抱え込んでいる今の状態だ。こんな簡単なことが、自分のことになると気づかなかった。友のロブのカキコミが目を刺した。かねがね自分が他の人に言っているセリフがそこにあった。「捨てればいい」。わかったが、捨てるには勇気がいる。「もっといい物を拾える」。友の文章は、叫び声に聞こえた。ありがたきかな。もっと自分に満足いけるこれからの人生のために、「捨てる」ことにした。空いた軽くなった両手で、何をするかは捨ててからの話なのだ。

幽霊

2004年08月17日 | Weblog
 今朝の「双申の部屋」への嶋崎喜一先生の、次男仙次郎さんとのやりとりがおもしろかった。何度も読み返してから、思うことを、次のようにメールした。

1-感服した点、2点。。
1つは、父が子を観るのに、客観的であること。これ100%近い親ができていなくて、子がそれをいやがる。特に母親が、子を自分の人格の中に取りい込んで思考していることは、日本で多いパターン。子を自分の付属と見て、会話する、といったことです。
2は、子(ここでは仙次郎さん)が父を、自分の世代の空間を理解してくれている、という理解と自信がある。
 これは子の方が、父親とは最初から「場」と「空気」を共有できないと思って、話さないか、長い解説がが入る、というのがどこでも観られるものです。

2-触発されて、考えたこと。
 子供時代のほうが「自分の言葉」だったような気もしますが、いやそうではない、という気もします。いつか、なぜ、どこからか自分の言葉でなく、「他人の言葉」を使い出したのか。その理由、時期、押さえてみたら、何かが出てきそう。

 自分の言葉を持たないオームがオーム返しをすれば、立派だとほめられようが、大の大人たちが人の借り物の言葉で、人生を過ごしているのを見ると、なにか幽霊とつきあっているような感すらする。

高齢化時代

2004年08月15日 | Weblog
 盆と正月は、私の家から、2キロと、離れていない、妻の実家で、子孫が集まってささやかな宴を開く。わずかに3家族の8人の集まりだ。最少年齢8,最高年齢91。平均年齢69才の宴
妻は二人姉妹だから、当然姉がいる。岩手から婿入りした義理の兄賛平が後を継ぐはずであったが、親父が78まで現役を続けたことと、この賛平が飛び抜けて人間はいいのだが、職人気質の義父のめがねに合わなかったこともあり、数年前賛平の長男 誠を養子にしてしまった。つまり、子を飛び越して孫が後継者になった。なんで、という気が当時はしたが、考えてみれば高齢化社会になれば、こういう事はありがち、というよりそうした手を打たなければ、企業の若返りはできないのかもしれない。
 鍛えに鍛えた義父は78才までこの重労働に耐え、現役であったが、サラリーマンから30になって、この途に入った義兄には、これ以上この激務を長くは無理であろうと、義父は思ったかもしれない。 高齢化時代は、こうした問題も含めて、いろんな問題が出てくる可能性がある。この私、62ににもなっても、親戚回りすると、90代の爺婆から子供扱いされているのだから。

「むにゃむにゃ」

2004年08月12日 | Weblog
こうも暑いと、車にクーラーを付けていない私は、どうしても外出を控えてしまう。でも昨日は、親戚参りと墓参りをいっぺんに片づけてしまいました。墓は、本籍地で市内南(熊本寄り)、自宅から車で30分ぐらいの佐目野という集落にある。幼い頃の思い出がいっぱい詰まったところだ。もと爺婆が住んでいた場所は、彼らが亡くなった後、私たちを学校へ行かせるために、父が売ってしまって、前々知らない人たちの屋敷になっている。
 親戚のほとんどは、この佐目野地区に住んでいるから、年2回墓参りのついでに挨拶へ行く。皆高齢者ばかりで中には寝たっきりという人もいるから、簡単にすますようにしている。
 数年前までは、私のおむつを替えたという大婆達が生きていて、私が生まれた頃から、大きくなるまでの思い出をとうとうと聞かされ閉口したが、今はそういうこともない。
 だが時折「あんたの仕事はなんけ?」、と聞かれる。大正生まれで百姓の生活しかわからない彼らに、「経営コンサルタント」などといっても、わからない。そこで「むにゃむにゃ」といってごまかしているから、会うたびに尋ねられることになる。
 昨年も、今年もまた「むにゃむにゃ」。
 こうしたことで親戚間は、「あいつはろくな生業にはついとらんらしい」とか「いや、ぶらぶらしとるそうな」、ということなっているらしい。
 今回も、「オヤジは、税務署でかたかったのになぁ」と80代後半の爺婆がつぶやく声を背に、次を急ぐ。言われているその私、61才。
 暑い、そして汗をかきっぱなしの1日であった。 

ばたばたの日々

2004年08月10日 | Weblog
 ここ1週間、バタバタしていた。何があったという訳ではなく、きっかけは、パソコンに検索機能のソフトを入れたことである。何かしら不良のファイルで、その検索機能が停止してしまうので、ことの重要性を考えず、ひっがってるファイルを次々と、削除して、いった。ところがこれが間違いの元。HPを中心に、例えば音声認識のファイル名刺管理のファイルとと、などなど、あちこちが、消えていて方々に不都合が出た。とりわけ痛かったのは、HPインデックスファイルが、どこかへ消えてしまったことである。パソコンを開くたびに、見当たりません。行方不明で関連付けができません。消えてます。そういった警告が出る。もちろん知る限りの方法で復元を試みたり、一度消えたファイルの復元ソフト買ったりして、いろいろ試みたが結局断念せざるを得なかった。
 時として、そういうときに野暮用が重なるものだ。妻から、年金手続きを急ぐよう言われていたが、肝心の手帳が見つからない。そこでまたあちこちをごそごそというわけだ。 人様より整理整頓は、仕事柄きちんとできているし、仕事の段取りも他人様に、指導しているぐらいだからプロだと自負していたのだが、どうもいけない。まぁ、こういうことで、3ー4日は、まったく仕事ができなかった。
 一番やっかいなHPの不調については、あちこち原因う調べて修復を始めたのだが、途中でふとあほらしくなってやめた。
 「作り治した方が早いや」。
 不思議なもので、それからトントン調子が上がり、追いついただけでなく、先の仕事の前倒しまで、今日に終えた。
少々弁解じみているが、時間があるときは、無意識にその空き時間を恐れ、その時間を埋めるために、無意識にこうしたトラブルや厄介ごとを発生させているのではなかろうか。
そう考えてみると、今中って、原稿書き。一つをとっても締め切りに間に合わなかったということないのである。いつも「ダメだ。今回こそダメだ」とぼやき、焦りながら、それでいて、締め切りの前日ぐらいには送っているのだ。
それに忙しときにはやたらにやりたい仕事が増え、暇なときには、やりたい仕事が、いつの間にかなくなっている。摩可不思議と言わざるを得ない。、