どんな事業であろうと、売れなければ成り立たない。
売れるには、買うという購買活動をしてくれる事業外の人々
の存在が不可欠。その彼ら、彼女ら一人一人の購買行動の結果が、
「売れた」ということで、金庫にその分のお金がためる。
これが売上げだ。
この「彼ら、彼女たち一人一人」をこれを束ねて
「消費者」というが、錯覚してはならない。
「消費者」という個人も固まりでも、そんなもの存在しないのだ。
消費者という団体さんがいるわけではない。
お客様という集団がいるわけではない。
消費者という人がいるわけではない。
お客様という個人すらどこにもいない。
みなバーチャル。存在のないものだ。
そんなこと。わかっているよ。
おまえさん、なんど同じことを繰り返すんだ!
とうんざりされるだろうが、あえて言おう。
わかっていても、わかっていない。
わかっていても意味することはわかっていない。
「昨日、お客様からクレームがあった」
「朝礼に遅刻した者がいた」
「最近の消費者は・・・・・」
わかる。それが便宜上の代名詞ってこと。
いちいち固有名詞をあげることはできないから、
ひとっからげに代名詞として使っている。
「そうせざるを得ないじゃないか」。
その通り。
だが代名詞でもってグルーピングしていると言うことは、
社内のリストで、その固有名詞の存在があることだよね。
今、東京駅の丸の内、中央口の改札口はラッシュのはずだ。
そこに君がいるとする。
駅員が、「本日のご利用に感謝します」とアナウンス。
君は自分に言われたと思いますか。
「ああ、感謝されているんだ」と、思われますか。
では、 「本日のご利用に感謝します」、なんのため?
このことの投資対効果は?
駅長、何を考えてるんだ!・・・・思いませんか?
もっとも今は、ほとんど自動改札機だ。
だからこそ、(今はどうかわからないが)以前、
JR高松駅で、改札口の駅員さんが、一人一人に、
「おはようございます」と挨拶された(その程度のこと)で、
私は感激し、写真を撮って、今でもアルバムにとってある。
これ、余談。元に戻す。
理解していただきたいのは、
代名詞で一緒くたにくくりつけるのは、本来のことではなく、
あくまで売り手側の便宜上だ、ってことだ。
売り手側の都合。自分たちの怠慢、と気が付くこと。
ここに、対応が秘されている。
個々の存在である「消費者」を自分たちの都合でグルーピングし、
そのことで個々の固有名詞の人が見えなくしている。
だけでなく、それを理由にひとっからげの対応に、
何の?も感じず、これ是なりと、思うにいたり、
今や、思うに至りさえ、思わなくなった。
そんなところへ、言葉だけの「感謝」。
自販機同様の言葉を発している自分に問うて欲しい。
「おれ、ほんとうに感謝している?」
「私の給料、お客様から。ほんとにそう思っているかな」
「社長の飲み代、神様からかな?」
これが売れないの背景にある。
まさに自業自得、その結果だ。
とすれば、対応の「方向」は、見えているではないか。
売れないともがいたり、新しい手法探しをする暇があったら、
各人、この方向でやることを、今朝から始めればいいじゃないか
というのが私の提案である。
名札は、何のため?
ここで自分たちのメリット、お客にとってのメリットを、
それぞれ5つ以上、あげてほしいな。
自分たちは、お客に見える名札をぶら下げさせ、
自分のお客は、お客としか見ない。
それをおかしいと思わない?
この自分たちのおかしげ、怠慢ぶりに、自分を叱れ
といいたいな。
次にその体験事例。
売れるには、買うという購買活動をしてくれる事業外の人々
の存在が不可欠。その彼ら、彼女ら一人一人の購買行動の結果が、
「売れた」ということで、金庫にその分のお金がためる。
これが売上げだ。
この「彼ら、彼女たち一人一人」をこれを束ねて
「消費者」というが、錯覚してはならない。
「消費者」という個人も固まりでも、そんなもの存在しないのだ。
消費者という団体さんがいるわけではない。
お客様という集団がいるわけではない。
消費者という人がいるわけではない。
お客様という個人すらどこにもいない。
みなバーチャル。存在のないものだ。
そんなこと。わかっているよ。
おまえさん、なんど同じことを繰り返すんだ!
とうんざりされるだろうが、あえて言おう。
わかっていても、わかっていない。
わかっていても意味することはわかっていない。
「昨日、お客様からクレームがあった」
「朝礼に遅刻した者がいた」
「最近の消費者は・・・・・」
わかる。それが便宜上の代名詞ってこと。
いちいち固有名詞をあげることはできないから、
ひとっからげに代名詞として使っている。
「そうせざるを得ないじゃないか」。
その通り。
だが代名詞でもってグルーピングしていると言うことは、
社内のリストで、その固有名詞の存在があることだよね。
今、東京駅の丸の内、中央口の改札口はラッシュのはずだ。
そこに君がいるとする。
駅員が、「本日のご利用に感謝します」とアナウンス。
君は自分に言われたと思いますか。
「ああ、感謝されているんだ」と、思われますか。
では、 「本日のご利用に感謝します」、なんのため?
このことの投資対効果は?
駅長、何を考えてるんだ!・・・・思いませんか?
もっとも今は、ほとんど自動改札機だ。
だからこそ、(今はどうかわからないが)以前、
JR高松駅で、改札口の駅員さんが、一人一人に、
「おはようございます」と挨拶された(その程度のこと)で、
私は感激し、写真を撮って、今でもアルバムにとってある。
これ、余談。元に戻す。
理解していただきたいのは、
代名詞で一緒くたにくくりつけるのは、本来のことではなく、
あくまで売り手側の便宜上だ、ってことだ。
売り手側の都合。自分たちの怠慢、と気が付くこと。
ここに、対応が秘されている。
個々の存在である「消費者」を自分たちの都合でグルーピングし、
そのことで個々の固有名詞の人が見えなくしている。
だけでなく、それを理由にひとっからげの対応に、
何の?も感じず、これ是なりと、思うにいたり、
今や、思うに至りさえ、思わなくなった。
そんなところへ、言葉だけの「感謝」。
自販機同様の言葉を発している自分に問うて欲しい。
「おれ、ほんとうに感謝している?」
「私の給料、お客様から。ほんとにそう思っているかな」
「社長の飲み代、神様からかな?」
これが売れないの背景にある。
まさに自業自得、その結果だ。
とすれば、対応の「方向」は、見えているではないか。
売れないともがいたり、新しい手法探しをする暇があったら、
各人、この方向でやることを、今朝から始めればいいじゃないか
というのが私の提案である。
名札は、何のため?
ここで自分たちのメリット、お客にとってのメリットを、
それぞれ5つ以上、あげてほしいな。
自分たちは、お客に見える名札をぶら下げさせ、
自分のお客は、お客としか見ない。
それをおかしいと思わない?
この自分たちのおかしげ、怠慢ぶりに、自分を叱れ
といいたいな。
次にその体験事例。