経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

個々に売れるこつあり

2009年08月30日 | Weblog
どんな事業であろうと、売れなければ成り立たない。

売れるには、買うという購買活動をしてくれる事業外の人々
の存在が不可欠。その彼ら、彼女ら一人一人の購買行動の結果が、
「売れた」ということで、金庫にその分のお金がためる。
これが売上げだ。


この「彼ら、彼女たち一人一人」をこれを束ねて
「消費者」というが、錯覚してはならない。

「消費者」という個人も固まりでも、そんなもの存在しないのだ。
消費者という団体さんがいるわけではない。
お客様という集団がいるわけではない。
消費者という人がいるわけではない。
お客様という個人すらどこにもいない。
みなバーチャル。存在のないものだ。


そんなこと。わかっているよ。
おまえさん、なんど同じことを繰り返すんだ!

とうんざりされるだろうが、あえて言おう。
わかっていても、わかっていない。
わかっていても意味することはわかっていない。


「昨日、お客様からクレームがあった」
「朝礼に遅刻した者がいた」
「最近の消費者は・・・・・」


わかる。それが便宜上の代名詞ってこと。
いちいち固有名詞をあげることはできないから、
ひとっからげに代名詞として使っている。

「そうせざるを得ないじゃないか」。

その通り。
だが代名詞でもってグルーピングしていると言うことは、
社内のリストで、その固有名詞の存在があることだよね。


今、東京駅の丸の内、中央口の改札口はラッシュのはずだ。
そこに君がいるとする。
駅員が、「本日のご利用に感謝します」とアナウンス。
君は自分に言われたと思いますか。
「ああ、感謝されているんだ」と、思われますか。

では、 「本日のご利用に感謝します」、なんのため?
このことの投資対効果は?
駅長、何を考えてるんだ!・・・・思いませんか?


もっとも今は、ほとんど自動改札機だ。

だからこそ、(今はどうかわからないが)以前、
JR高松駅で、改札口の駅員さんが、一人一人に、
「おはようございます」と挨拶された(その程度のこと)で、
私は感激し、写真を撮って、今でもアルバムにとってある。
これ、余談。元に戻す。


理解していただきたいのは、
代名詞で一緒くたにくくりつけるのは、本来のことではなく、
あくまで売り手側の便宜上だ、ってことだ。
売り手側の都合。自分たちの怠慢、と気が付くこと。

ここに、対応が秘されている。
個々の存在である「消費者」を自分たちの都合でグルーピングし、
そのことで個々の固有名詞の人が見えなくしている。

だけでなく、それを理由にひとっからげの対応に、
何の?も感じず、これ是なりと、思うにいたり、
今や、思うに至りさえ、思わなくなった。
そんなところへ、言葉だけの「感謝」。
自販機同様の言葉を発している自分に問うて欲しい。

「おれ、ほんとうに感謝している?」
「私の給料、お客様から。ほんとにそう思っているかな」
「社長の飲み代、神様からかな?」


これが売れないの背景にある。
まさに自業自得、その結果だ。



とすれば、対応の「方向」は、見えているではないか。
売れないともがいたり、新しい手法探しをする暇があったら、
各人、この方向でやることを、今朝から始めればいいじゃないか
というのが私の提案である。

名札は、何のため?
ここで自分たちのメリット、お客にとってのメリットを、
それぞれ5つ以上、あげてほしいな。


自分たちは、お客に見える名札をぶら下げさせ、
自分のお客は、お客としか見ない。
それをおかしいと思わない?
この自分たちのおかしげ、怠慢ぶりに、自分を叱れ
といいたいな。

次にその体験事例。

道具変われど

2009年08月28日 | Weblog
個々のニーズが分散し感動の対象が
細分化しすぎると文化は形成されがたい。


文化を例に取り、長々と「分化現象」について、話を進めてきた。
売れる時代から、売れない時代へ転換したのではない。
売れることには変わりはないが、作り手、売り手の対応が
そぐわなくなって、売れなくしているのだ。

そのそぐわなくなった背景の潮流として、
「ニーズの細分化」にあると見てきたが、実はこれは変化ではない。
元々人の細分されているのが常態で、それが本来なのだ。

そうした本来の人のニーズを、作り手、売り手の
便宜追求のため、買い手に我慢を強いたきて、売上げと益出し。
それで経済の発展、我が社の増資増益を果たそうとしてきた。

それが正しい経済、経営のあり方、方向と、作り手、売り手、
そして買い手すらも、そうした過去のしばり、刷り込みで、
そのことに対して、違和感を感じず、ここまできた。
こういうことではないか。


だが、今のありかたでの作り手、売り手は、お手上げになる。
同じものが売れないといったことであれば、
極端をいうと受注生産。手作りといった昔返りしかない。

それは後退になるのか。違う。断じて違う。

ここで私たちはヘーゲルの弁証法の柱、

「螺旋的発展の法則」

を思い出さねばならない。


その上で、繰り返し繰り返し述べている
大衆分化・分散の潮流が、今、そして将来のキーワードといったこと。
この二つを重ねて、経営について考えてみる。


大衆分化・分散への対応となると、
作り手、売り手としては、個別対応、受注生産の方向しかない。
が、そのやり方、道具が昔とは違う。
進化した道具でもってなされるのだ。
またそれでないと退歩になる。
歴史で文化も含めて退歩の歴史はない。

自動車が様々な意味で問題視されたことで発展してきたし、
自動車がなくなるとしたら、それに変わるものができたときだ、
という形でいつの世も、常に螺旋的進歩発展してきているのである。

これが螺旋的発展といった意味だ。

マスプロダクト、マスセール、同じものを作ることで、
コスト削減し廉価でドンドン売れば、どんどん消費される、
といった図式が崩れさっている。

それにもかかわらず、慣性の法則か保守性の原則か
(私はこうしたことを縛り、刷り込みと称して論を進めてきた)
依然同じ対応を続けているのである。

その結果は、「売れない」。当然ではないか。


嬉しいことには皆、喜ぶ。
悲しいことは皆、悲しい。

熱いお湯に指を入れれば、皆、熱いと感じる。

個別対応と言っても、このように普遍性は昔も今も将来も変わらない。

だから葬儀中の家を避けて「おめでとうセール」のポスティングをする。
こうしたことから初めて、さらにそれを一歩進める。
それで、驚くほど効果があるのだ。

そのことは、いかにこれまでのあり方、対応が逆撫で型であったか。
実行した人は一応に気が付く。

葬式に結婚祝いを。結婚式で弔いの挨拶、といったことを、
なんの抵抗もなく行ってきた。

そうしたことによって迷惑を受けた人はごく一部。
だがその人たちにとっては一大事。
その鬱積が、井戸端会議に掛けられ、地域に広がる。

その鬱積が蓄積され怨念となり、様々な形で爆発する。
そして今日を迎えたといった取り方をするべきであろう。

ここに、これからの対応のあり方が秘されているのである。
井戸端が、BBS,ブログ、ポスティングがメルマガ。

新しい道具に変わったが、使い方は昔のまま。
ここだ。私の申し上げたい最大の問題は。

細分化

2009年08月27日 | Weblog
文化の潮流に関するレポートが中断してままである。

再開に当たり、簡単にこれまでの考察を振り返っておきたい。


封建社会のニーズ(発注先)の主流は体制側にある。
だから、当然としてこれらにおもねた文化が権勢を究め、
それが、歴史に今我々が垣間見ることのできる文化である。

それは体制の交代の度に直前の文化は否定され葬りさられた歴史である。
そして、その後、新しい体制に容認される文化が芽生え、勢力をもつ。

唄は世につれ、といった言い方がある。

この「世」こそ、体制を意味する。
つまり体制の変化とともに文化も新しく塗り変えられてきたのである。
したがって文化の歴史は体制の歴史といってよい。

前時代の否定という形で権力者は発生しているから、
文化もそれに従わざるを得ないからである。
文化は体制と切り離された存在ではなく、
言葉は適切ではないが体制に隷属した文化という側面が
あることを見逃しては、ことを見誤る、と考える。

少なくとも文化は時代を追従して構築されてきていて、
今だかって文化が時代をリードした歴史を私は知らない。

体制に対する反体制という図式のもとで
大衆が位置づけられた時代には、大衆の大衆による文化が
存在している、と前に述べたではないか、といった反論もあろう。

それも体制の存在があったからだ、とお答えしたい。
体制を仮想敵とした大衆が一体化、強力なエネルギー化して文化を構築、
といった図式がなければ、大衆のエネルギーが束ねられ、
エネルギー化したその結実である文化の花が開くわけはないと考える。

平和時の特質は大衆が個々ばらばらで分化していることである。
大衆が、分化すればするほど、体制文化は育ちにくい。

以上が、これまで述べてきたことの要約である。
続けたい

 
つい最近まで、「文化事業」はスーパーやデパートが競って推進してきた。
それは文化を売り込むというより文化を押し立てることで、
本業を売り込む、といったしたたかな商魂が垣間見えるものであった。

当時、CIばやりの頃。同じ饅頭でも包装紙を変えれば売れる、
といったことで、肝腎な饅頭よりCIに資金が投じられといった
現象が起き、私はそのことを案じ、コラムに何度か書いた記憶がある。

企業の狙いは文化にあるのではなく、文化という包装紙でくるんだ
ものを、売るところに目的があった、ということである。
また、分散している文化、小粒の文化を束ね、新たなくくりつけで、
「文化」という製品を商品化し、販売すると云ったものであったと云って良い。

そのころはまた、「ものばなれ」といった言い回しを
マーケッターたちが、口泡飛ばして得意げに言っていた時代でもあった。

鹿児島新報の正論異論というコラムに、
手足のない「もの」が、離れていくわけはない。
「そんなもん、いらん」と、人が離れていったのだ。
だから、そんなものを包装紙(CI)を変えて、売れますかいな?」

こんな嫌みもコラムに書き、ひんしゅくを買った。


そのIC革命代に結構なお金を投じてから、それに気が付き引いた。
馬子にも衣装と言うから、うちのうまくない饅頭にも衣装(意匠)、
それでほんとうに売れると思って、経営者たちは投資をしたのであろうか。



スポーツなどのスポンサーもそうだ。
景気が良いときには、企業のステイサスや企業イメージに貢献すると考え、
また宣伝の媒体として領していたが、景気後退に伴い
露骨に本音が出て次々撤退している。

このことは文化といえども金という価値で捉え、
そろばんを使わないと評価できないという事実をを示している。

そこから見えることを仮説的に述べておくと、次の2つである。
1に、文化は本来、体制や金という価値で支配されるものではないという、
建前論が、崩壊したということ。
2に、文化といえども、大衆のニーズが分化、細分化されると、
マス(固まり)としての文化は成り立ちがたい。


途中だが、一言まとめを。
いいたいことは、「細分化に対して、未だマスで対応だよ」、
それでいいのですか、という持論の展開。
その説明のため文化すら分化している
という話を縷々続けているのである。 以下、後日。

的を外すと当たります。

2009年08月24日 | Weblog
頭で考えず、やってごらんなさいな。

ボールでも弓でも良い。10-20メートル先に、
半径10センチぐらいの的を設ける。20センチでも良いですよ。

それで、その的(円)の外側を,的として ボールでも
弓でもいいから、狙ってみる。

的外れ、そう。的を外す練習をしてみていただきたいのだ。
頭で考えず、やってごらんなさい。何回も何回も。

どうしても無意識に的を狙おうとする自分に気が付かないかい。
どうしてなんだろ、ということは、この文章の最後の1行に
書いてあるからここでは、考えない。

そうした気持ちがなくなるまで、的を外す練習をしたらいい。
それでまったく意識せず、的以外を射たり、
投げたりできるようになったら

今度は、的を狙って、やってみてください。

どうだろう。どう違うかは、ここには書かずとも
やった人はわかるはず。だが、書きますよね。

当たる確率が高くなった。違います?
上達、著しい。違います?

嘘だ、とやりもしないで言う人は、
弓道の達人先生に聞いて、みてごらんなさい。
そうだ、そうだ、と言うよ。

達人は、弟子に的を外す練習を徹底してやらせている。

その先生は、立派な達人だと、私は太鼓判を押すよ。

なぜなら脳は、失敗することで、その反作用として失敗しない、
すなわちうまくいくことを覚えるように創られている。

だから、失敗の経験をさせない親は、親落第。
失敗をさせない教師は、教師落第。
失敗や負けの経験のない子は、けして強くなれない。
負ける体験をさせないと、強くなれない。

失敗は許されない、という人こそ、許されない。
教えると言うことは、親切ではない。残酷なことだ。

さて、次です。

今度は頭で考えてみよう。なあに、簡単なことです。
的と的以外とどちらが大きいか、ってこと。
なぜ的を小さくするのか、って。

的を目標、将来(さき)の目標と置き換えてみて欲しい。
自分の目標は小さい方が良いのだろうか。
皆さん方は、大きい方がお望みなのか

どっちが当たりやすいか。
的は大きい方ほどいい。同様に目標は大きいほどいい。

えっ、それとこれとは違うって!

そう思う人がいたら、すり込まれている人だ。
刷り込み、縛り。縛られていて、目標達成なぞできるわけはない。

過去も、親も他人も、先祖も本も、知識も経験も、
縛り、縛られるものではなく、活かし、活かされる関係。

まずは、一時的でも良い。縛られている、縛ろうとしている
自分を解放してみることだ。

なぜ的に縛られるんだ。なぜ的を狙おうとするのだ。
なぜその的は、小さいのだ。なぜ的に近づき、当てない?

               (最近の講演会より)

喜んでくれる人に

2009年08月23日 | Weblog
新規創業関係のセミナーで必ず申し上げていることがあります。
それは、次のようなことです。
「あなたのことを一番待っていてくれる人と、お取引なさい」。
「あなたがいてくれたおかげで助かったよと喜んでくれる人とお取引なさい」

なぜならその人達が、一番感激、喜んでくださるからです。
そして他の人にその感激を伝えてくださるからです。

このことは、落語の「ザコ八」から、教えてもらいました。
一度つぶれかかったザコ八(米屋)が、
上方から帰ってきた養子によって
繁盛店になる。それを舞台した話なんですが。
その中に経営の秘訣が、二言三言出てきます。

私はそれこそ驚愕しました。話自体は、あまりおもしろくもなく、
笑える所も少ないのですが、話の中に商いの原点ぽいところに、です。

経営は経営書にありではなく、まさに庶民の生活の中の
気遣い、心がけ、しぐさの中で生まれ、育ったもの、
ということを実感しました。
商いのもっともシンプルな原理です。
いえいえ、わざわざ「ザコ八」のテープやCDを買う必要はありません。

畢竟、それは、一番感謝してくれる人に売る。
それだけのことです。
一番喜んでくださる状態を作って売ることです。
世界のどこかに、あなたを待っていてくれるそういう人を見つけ、
探し、その人に売ることです。

殿様はマス目大盛りでも感謝しないが、
庶民は喜ぶ。殿様は一人。庶民は、江戸の人口-殿様1 だけいる。

他の商人は、偉い殿様に媚びを振る。
ざこ八は、殿様にはしゃくし通り。庶民には大盛り。
そのことが、市井の人たちの評判を呼ぶ。
当時の口コミの場は、井戸端です。
いわゆる井戸端でのクチコミで広がる。

薄い利益でも多売でやりくりできる。
いや宣伝料や賄賂が入らないぶから、むしろ利益が出る。
これ必然です。


他の商人は、殿様や武士に、賄賂を贈ってサービスする。
ですが、殿様達は、井戸端会議しませんからね。
ザコ八は、そこまで読んでやっている節がある。これ戦略です。
いやぁ、なるほど。そうか、そうか、と感心しました。

ムチをふり、ふり

2009年08月21日 | Weblog
体制下のもとで大衆文化の花が開くとしたら、
それは体制によいしょ組おもね派か、体制に非難的なものだろう。

後者は、表だって非難ができないから必然的に諧謔性の高いものになる。
そうしたことで文化の概念が拡がったことは事実である。

が、一方そうしたものが真の意味での大衆文化と言えるかどうか、
という観点からは逆に遠くなった、という批判もできよう。

いずれにしろ体制からの縛り、押さえから解放されたとき
それらは一気に噴出すのであるから、
長期スパンでは是と見て、私は前者に与する。

平和が平和と意識されない常態が続くことが、真の平和。
何事につけ大衆が個々ばらばらに分化していることが良い常態、
というのが私の中の平和である。

健康の時代が叫ばれるのは、不健康の人が増えていることだ。
平和を叫ぶ前提には、不和、争いの認識があってのこと。

最近は愛国心がない、と嘆き憂う人がいるが、
愛国心は敵がいるときと、体制が仮想的を創り
体制維持を図るときに生まれ、平和とともに消える。
ニキビは青春時代に増え、年齢ともに消える。

その意味で、そうしたことが大衆分化と平和の証と解する。
これが当たり前の人なのである。

むろん、そういう意味で文化が大衆化し拡散し、
大衆が分化すればするほど体制としては「こと」が
やりにくくなるのは当然である。
だから、体制は次々、国民に縛りの手を打つてくる。

「体制、困ったときは、賞だのみ」

国は、国民栄誉賞といったものを創設し、
お上が不人気の時の切り札としてこの賞の授与を行っている。
賞を授与された方々の名誉のために念押ししておくが、
このことは、あくまで体制側の意図の問題。
受賞者のことを云々しているのではない。
誤解してほしくない。


国民栄誉賞を例にとったが、たとえば、この童謡。

「チーチーぱっぱ、ちーぱっぱ。雀の学校の先生は」
「口をそろえて、ちーぱっぱ」

の、雀の先生こそ体制のこと。
「口をそろえて」が彼らの体制の刷り込みの目的。

雀が鞭を振るわけないのに、雀に置き換えて、
体制が鞭を振ることは、国民への愛情ゆえの教育であるよ、

考える事について、まず大切なことは、

「縛りを解いて、新たに考える」こと、である。


とても大事なことである。それでいてうまくいかないのは
縛りを解かず、縛られたまま、新たに考えているからだ。

ぐるぐる巻きされた状態で「自由に動きなさい」と言われるのと同じ。
両手に大きなリンゴをつかんだまま、新たに粟粒を掴むことと同じ。
簡単なようで、できない。

ここまで書いたところへ、ドアホーンがなった。

私事。
埼玉・熊谷に住む妹夫婦が銅婚記念に南九州に1週間の旅行にきている。
夫婦二人だけの旅行は、新婚旅行以来だし帰郷も25年ぶり。
鹿児島市のホテルに滞在し、そこを拠点とし、
レンタカーで自分の育った思い出の地を、鹿児島、熊本、宮崎と
夫とともに訪ねるというので、私たちも余計な構いはしないようにした。

その夫婦が、顔を見せたのだ。
子供たちにお土産をというので、市内の著名な老舗の菓子店補へ。
昨年、大改装し、大きく、立派な店舗に生まれ変わっている。

改築以来、私はなんどか県外の知人を案内しているが、
少し気になっていたことがあった。


私に気兼ねをしつつ、結局、妹夫婦は何も買わなかった。
その理由も、私にははっきりとわかった。
ものの3分たらずで出た。

昼13時過ぎのこの店の店内には、店員は一人。
それも隣続きの喫茶部でコーヒーをドリッピング中。
こちらに顔を向けただけでそのまま自分お仕事を続ける。

従業員の教育が、といことではない。
従業員の数や、ローテーションが、といった問題ではない。
経営者に、根本的な以前とは違う。これまでとは違う「考え」。
それも私からみたら根本的な考え違いが、生まれている。

それがこの店、店員からぷんぷん発散され、
素人のこの夫婦にも感じられたのだ。

入れ違いに入ってきた男3人連れのお客が、おどけて
「おーい、お客様だ。鹿児島市からここの銘菓を買いに来たんだよ」
と、店の奥に向かった大声で呼んでいた。こだますら帰ってこない。


ここの社長とは、長年の友人である。よく会合でも一緒する。
お客様第一主義、お客様を大事にすることを自他共に認めている。
それが、と思うと私はショックだった。


実は、その3人のお客の参加したイベントは、
ここの社長が主催者の1人として企画したものだ。
妹夫婦が来なければ、私も参加予定していたのである。


経営は、投資という氷の固まりを、先に投入し、
それを少しずつ溶かしながら、維持していく。
だじゃれだが、これを小売りという。

氷を溶かし作った水は、人にとって必要不可欠なものだが、
それに味や彩りを添え買い手にとっての付加価値を
つけてやらねば、どこにでもあるただの水を、だれが購買しよう。

以前の店時代と異なり、
積極的に様々な工夫やイベント、企画を積極的に行っている。

だがそれは、「売る努力」なのだ。
その努力は自分の想定した売上げ、つまり氷代回収のための努力であり、
また店員を減らすといったことは、その想定売上げを具現するのが
難しいと見て、経費でそれをカバーしようということなのだ。

もちろん、それは意識されたものではなかろう。
無意識に、それが出ていると見てよい。

意識してであれば、正せばいい。意識を外せば止まる。
彼ならすぐ正せるだろう。
だが無意識であれば、これはやっかいだ。


売る努力と売れる努力には、根本的、かつ微妙な大きな違いがある。
努力そのものは悪者ではない。そもそも努力自体に善悪があろうものか。

ここでいいたいことは次の2点。
1に、努力せざるを得ない状況を把握するのに、
 努力を重ねることは本質からの逃避になり見えなくなる。
2に、努力の必要を感じたら、まず努力なしに売れるには、
 という本質的命題へ取り組みなさいという信号と解すること

 
イベントをすれば、多くのお客が店に来る。
そのためのイベントだからそれはよい。
しかし、大勢の固まりとしてのお客様に馴れると、
固まりではない1人のお客が粟粒のごとく、極端に小さく見える。

そんなことはわかっていること。
だから経営者はそれを先に想定しておき
それをどうするか仕組みとして講じ、また口癖の如く店員に言い聞かせ、
手を講じておかねばならない。だが、この例は、トップ自身に、である。

このブログを読んだら、自分のことと気が付くだろう。
だが読んだから、真意が伝わることは、まず難しい。

「縛りを解いて、新たに考える」、すなわち 「リンゴを捨てて粟粒をとる」

このことは粟粒に意義あり、価値ありといった
価値観の置き換えを伴うだけに容易ではないからだ。

余談。
余計なことだが、彼がこれを読んだとして、
「良いこと書いてある」と解したらまずだめだ。

不快ととれねば改善望みなし。それは私の経験から断言できる。

人は自分が不快に感じたことは、いやだから、
それを無意識にも、意識してでも自ら正そうとするものだ。

そのために彼ぐらいの人物であれば、不快の理由を考えたどり着く。

赤信号を無視したら、えらいことになる。赤を青に見てもえらいこと。
そうした「えらいこと」にならないために、「赤」がある。
ここへ至る人が、偉い人だ。
赤は、赤のまま受け取り、いったん停車、
左右を慎重に見回すことである。
君たちのことを考えて、と今も教育ママ・パパが言っているが。

自分たちの狙いを童謡に託し子供たちを鼓舞、洗脳していた節を感じ、
私はこの歌詞を見るたび寒気がするのである。

だが雀はもちろん、体制もやたらに鞭は使えない時代になった。
そこで飴。アメとムチの飴。
体制の得意技。企業経営まで浸透している飴と鞭。

体制が民におもねてほしいとき、従って欲しいことがあるとき
体制は様々なのあめ玉を作り、無料配布する。
今、選挙カー、まさに飴引換券の移動ばらまき車だ。
もちろん引換券は、選挙後はほとんど使えなくなるのだが。

こうした茶番も含めて、根底には大衆が分化し大衆文化に浸りきりで、
体制に無関心である状況が、常態になったということである。

これは、以前ここのブログに書いた論語の話をひもとくまでもなく、
国民大衆としては、国が良いあんばいの時だからだ。
だが、そのことは永田町や霞ヶ関にとっては様々な意味で困る。

むろん、そうした分化の潮流は政治の世界だけではなく、
歌のベスト10が消え、紅白歌合戦の低視聴率化、
総合雑誌や週刊誌の廃刊、国民的アイドル不在、等々。

あらゆる世界で見られる。故に潮流という言葉を使っている。

これは大衆の好みが細分化し束ね、
グルーピングすること自体が難しくなったためである。

様々なこと、現象を、背景要因は大衆分化による
大衆文化の時代が到来したことによるもので、
みな同根という仮説でみていけば解ける。

今、なぜ売れないか。それでも売れるものがあるのはなぜか
といった経営の問題、課題、対応まで容易につかめるのである。

庶民のすごみ

2009年08月20日 | Weblog
封建社会のニーズ(発注先)の主流が体制である。
だから、これらにおもねた文化が権勢を究め、
それが今。私たちが垣間見ることのできる文化の主流である。

念押しするが、このことは体制外の文化が
存在しないということではない。
表あれば裏あり。念仏を禁じられれば隠れ念仏の如し。

文化について、もう一つ触れておかねばならないことがある。
体制は体制によって破壊されることが通常だから、
体制交代の度に直前の文化は否定され、
葬りさられることがしばしばである。

日本で例を挙げると、信長時代の一向一揆、明治初期の廃仏毀釈など。
妻に死に別れした家庭にと嫁いだ女性の、最初の仕事は、
その家庭にある前妻の使っていたもの一切を取り除くことである、
ということだから、やはりこの心理には普遍性あり、といった良い。、


破壊とまでは行かなくとも、前任者との違い、特異性を
強調したいのは、現在における企業のトップ交代でも同じである。
人の心にある普遍性とはそうしたものであろう。

逆に言えば、「え-前任者の良き点は引き継ぎ・・・」と挨拶はするが、
まず引き継がれることはない、といえる。
こうして消えていった資産(もの)は、おびただしい。
そこに着眼し、「前任者の残してくれたふんどしで」といった人は
最近の後継者塾で良く見受けられる。
だが、そうしたおぼっゃまとは違い、全員者の良き資産(もの)を
活かしつつ、自分の独自性を、といった希有な人や、
前任者の幽霊や臭いが「消えるまで改革をしないといった人もいる。



ともあれその後、新しい体制に容認される文化が芽生え、勢力をもつ。
そうした点から、文化の歴史は体制の歴史ともいえる。
前時代の否定という形で権力者は発生しているから、
文化もそれに従わざるを得ないからである。
 
縷々述べたように、文化は時代を追従して構築されてきている。
今だかって文化が、体制や時代をリードした歴史はないといってよい。

体制に対する反体制という図式のもとで大衆が位置づけられた時代のみ、
大衆の大衆による文化が存在している。

体制に恣意たぎられた大衆が、一体化して強力なエネルギーを醸しだし
文化を構築、支える。この事例として垣間見るのが、お盆などで行われる
「祭り」ではないか、というのが私の仮説である。

焼野に咲く一輪の野花。
過酷な生活を余儀なくされた民衆が、この祭りで鬱憤をさらす。

かって越中・八尾の風の盆に凝った。
最初行ったとき、舞台で唄われる唄と、真夜中1時から、
夜流しのそれとはまったく違うことに気づいた。

8回通ったが舞台の演舞で、涙するものは一人もいない。
だが夜半過ぎ、観光客が去ってから行われるときには、
それを見、聞く者で涙をしない者を探すのは難しい。
本来は、哀しい夜祭りなのだ。なぜなのだろ。

舞台では、表向き。風(台風)よ、きてくれるな、といった意味での
「風のためのお盆」といった豊穣祈願の唄、

だが夜流しの方は、遠く漢の国からこの地に住むことになった
自分たちの祖先とともに望郷の祭り。これが風の盆ではないか。


このことは、後日改めて、書きたい。
ここで言いたいことは、体制の縛りの中で、
表だって逆らうというやりかたではなく、
自分たちの意志を現すといった庶民の知惠、すごみ、しぶとさだ。
お祭りに見られる。もちろん民話などもそうだが。

今仕事させていただいている、熊本・五木村の、著名な「五木の子守歌」。

その歌詞の2章節は、次の通り。

おどまかんじんかんじん あん人たちゃよか衆(し)
よか衆ゃよかおび よか着物(きもん)

上の「おど」は、おどん、こちらの方言で我、私のこと。
「かんじん(勧進)」は,勧進,,物乞い、乞食、貧しい人という意味である。

だが、これを「韓人」とすると、八尾の風の盆同様、裏は望郷の唄になる。
表に裏を埋め込む、庶民の知惠が文化を創っている。ただただ驚嘆。

体制の中に、表に埋め込まれた庶民の心。そうした裏の文化を訪ねるのも、
歴史の楽しみである。

ええじぁないか

2009年08月19日 | Weblog
たとえば水野忠邦の天保の改革など。

江戸幕府が行った経済改革は、財貨はもちろん、文化の類が、
商人層になだれ込むことにブレーキをかけることに本意があった。

これらは、富豪商人に対する彼らの嫉妬、意趣返しがあるとみていい。
要するに、武家の俺たちは安月給でやりくりしている。
対して、おまえたち商人どものはなんじゃ、ということである。

水野の経済改革といっても、その柱は倹約令。その中身は上の如し。
景気が落ち込むと、きまって江戸に火事が増えた。
そして冷え込んでいた深川の材木相場が上がる。

庶民は、これを江戸の花と呼んだが、その実、景気対策のため、
水野の意を受けた付け火だったという話がある。
材木相場が落ち込むと、つまりスポンサーの材木商の意向を受けて、
材木の需要と値段を上げるための放火させたというのである。

私もそれありなん、と思うが、残念ながら水野さんに確認できない。
いつの時代も体制の言うことは同じ。
大義名分は、「国、民のため」。やることは「自我の欲求具現」。


ところで、先に述べたように、元々絵描きや物書きは
体制の太鼓持ちとしてスタートとしている。

これが江戸後期になって富豪商人層へ、
さらに明治になって体制外の庶民に大衆文化が芽生えてきた。

江戸時代末期の慶応3年7月から翌明治元年4月にかけて、
東海道、畿内を中心に、江戸から四国に広がった社会現象、
「ええじゃないか」あたりが、私はその萌芽ではないかと考えている。

鬱積と将来(さき)に慶事を期待する庶民の心が、
体制側とは異質の文化を創る(やがて両者は融合されていく)。

体制のたががゆるめば、押さえつけられていた庶民の鬱せが爆発する。
体制を皮肉ったの形での文化が生まれる。
豊かな国でなければ乞食はいない。
同様にある程度豊かでなければ体制批判の小説家など存在し得ない。


彼らは元来書きたいもの書くという本質は持っていたのだが、
いかんせん体制に厳しく制され、また受け入れられるものだけしか
スポンサーがつかず、紙屋が紙を回してくれない。

そうしたことの鬱積が、溜まりたまっていた。
その堰が切れた(上に触れた「ええじゃないか」と同じ)のである。
いきおい、百花繚乱の如しである。

夏目、志賀、有馬、武者小路、島崎といった貴族ないしは
裕福層の書き手だけではなく、石川、樋口、小林、林など
貧乏作家がこの時期に数多く輩出しているのは決して偶然ではない。

後者の彼らは文化の時代、すなわち大衆の時代の到来が近いことを
独特の嗅覚でもっとも早く嗅ぎつけた先覚者であったといってよい。

だが、紙がなければものは書けない。描けない。
その背景には大衆相手でも商売になると読んだ
先見性のある紙屋がいたということを見落としてはならない。


しかし中には、その時代には受け入れられないものもいた。
金子みすずやゴッホみたいに後の世代に評価を得られる人は
まだしも、その後も評価されない者が多かった。

つまり、過去、あるいは現在受けいれられたものしか、
文化として歴史に記録、記憶されていないということを、
私たちは見落とししたり、重要だと認識していないのである。

そういった文化の歴史に残らないものの方が多く、
絶対大勢を占めていたのだから、その実その彼らの方が主流であり
その時代の文化を代表する主役であるはずである。


これを逆に言えば、数少ない売れっ子のみの代表作を見て、
後世の我々はその時代を読みとっているが、
これは必ずしも正しいとは言えない。

私たちは、「声の大きい者の声が、みんなの意見」と
いった刷り込み、しばりに陥っているのではないか、
ということを強く指摘したいのである。

その意味では、その時折のニーズに支えられることによって
存在しえたものを我々は文化と見て、疑いをはさまない。
しかし、それはほんとうに当時の主流であったろうか、
という疑問を常に残しておかねばならない。

「そんなこと、ええじゃないか」、という庶民の姿勢が
体制の腐敗を呼ぶ。誤りの事実を作る。


写真とフライデー

2009年08月17日 | Weblog
絵画や文学に続いて、写真を取り上げてみたい。

写真は、写実性が高く、歪曲になじみにくい
というところに、絵画や文章との違い、特徴がある。

だから、その意味では、写真は体制にとっては、
馴染まないというか苦手な道具である。
一方、そのことが体制などに、自作自演、
自らの正当性の証として使用されることもある。
たとえば最近の中国での暴動など。


一度、都合が悪い写真を撮られると、
撮らなかったことにとか、なかったことに、
とする以外に否定のやりようがないのである。
誰が見ても屍体の写真は屍体。美人の写真は美人。
これを生きているとか、美人の反対だ、と
論議する余地がない、ということだ。


写真が日本の封建制度の末期に登場してきたのは
体制にとってはラツキーであった、といえる。

逆にいえば体制支配の強い時代に登場しなかったことは、
写真にとっては、幸せだったともいえる。

なぜなら、写真が大衆化するにつれ、様々な多くの人たちが
1つの事物を撮すということは、多くが体制に媚をふるい、
おもねたとしても、真実の1枚の存在が、それらの欺瞞を覆す
ことが可能である。

確定的事実は、多数決ではない。真実は1つという意味で、
1枚の写真の存在が、他の多くを凌駕するのである。
この点、絵画や文章は、どれが真実かの判定は苦手なところである。


操作・加工を、体制が意のままにするツールとしては、
写真は、その名の通り、真を写すという本来の機能からして
そぐいにくいといえる。


唐突だが、上に述べた視点で、あの西郷隆盛の写真が
一枚も残っていないとされるのなぜか。

これは高校時代からの私の疑問であった。
ないものはない、写真嫌いだった、とするには、
明らかな不自然さがある。(そのことも謎とされている)

それで脱サラ後、暇にまかせて考察を初め、4年かけて
私なりの見解をまとめてローカル新聞に載せたことがある。
それも、近いうちに、ここに掲載するつもりであるが、
さきに少しだけネタバレしておくと、

体制にとっての都合が悪い写真はどうするか。
これはもう、撮らなかったことにするか、なかったことにする

これ以外、手がない。その典型的事例が西郷隆盛の写真が、
というのが私の到達した結論である。

このことは、後日掲載するとして、ここではさておく。


今の素人写真家はやり、ブームはどうであろうか。
携帯にもカメラがついているから、大衆すべてが、
一世を風靡したフライデーの記者である。

その後フライデーは販売不振やらで廃刊となった。
その理由は、ここにあると、私は思っている。


これは表現を変えれば、人の生活に於ける脚色行為や
プライバシー部分が減少するということに外ならない。
要するに隠しても露見する。隠しようがないのである。

しかも民のプライバシーより政治家とか芸能人、スポーツ選手など
著名人のプライバシーの方が、仕事柄? 虚飾も多かろうし、
剥ぐ方も面白いし、第一話題性にもなる。

必然的に彼らは、いつも民による捌きの目を意識せざるをえない。
下手をすると偶像化し引き落とされ兼ねないからである。
これも大衆分化の特質であり、これによる世の中の浄化効果は大きい。

文化とよいしょ

2009年08月15日 | Weblog
人口の2倍も3倍もの神がいたとされる。

それも国の発展とともに神の数は増えていった。
このことから、次の3つが伺える。

1に、いかに神が大衆分化していたか、
2に、権力や体制が神を独占したり、統制したりしなかったか
3に、上の二つがローマ帝国が1000年続いた事実。


ところが、ローマ帝国半ば頃だったか、
ユダヤ教、それに続くキリスト一神教が誕生。
これまでの神と違い、この2つは 一神教である。
一神教は他の神の存在を認めないという排他性でもって成り立つ。
このことが争いを生み、結局は1000年続いたローマ帝国が崩壊。

この話を続けると生臭くなる。本稿の狙いからもそれる。
戻したい。


かっての日本は、まさに帝国同様、多神教であった。
多くの神々がいて、しかも庶民の身近に、まるで隣のご隠居さん同様、
庶民の日常生活の中にしばしば顔を出し、庶民ともに暮らしていた。

それは今もお地蔵様、田の神様、氏神様、おいなり様、山の神、
(うちのかみさんはふくまれる?)として存在している。

日本は、宗教統一を巡っての宗教戦争の歴史を持っていない国である。
その理由として、上に述べたように地域ごとに、
あるいは民が個々に複数の神様をもっていることによる。

これは民が宗教的にも分化していること、
体制の縛りからフリーであったこと、といったことの証である。


ともあれ、日本は他の国のように、宗教ごとに民が団結し
相互の勢力を争ったり宗教が政治に介入したりといったことが希有。
そうした土壌、風土、歴史を持っている、といってよいのではないか。
 
そういう意味では今、新興宗教流行りでいろんな宗教に現れるのは、
ことの是非はともかく、大衆分化現象の一つの現象としてみれば、
そのこと自体は、けして悪いことではない。

しかし、宗教が政治への進出、介入することは断固許せない。
宗教の政治介入は、その意図の有無にかかわらず
その排他性の行使、すなわち独裁にあるからである。

本稿のテーマである縛り、刷り込みに関する論述を、
神と宗教を例にとり見てきた。
もとより神と宗教を論じることに本稿の狙いも趣意もない。

で、次に「文化」を取り上げて検証してみたい。
まず文化と体制の関わりを先に要約しておきたい。


1に、文化は体制と結託することで育ち、維持、
 そして発展してきた過去を持つ。
2に、 文化は体制維持の手段として庶民の縛り、刷り込み、
 そしてガス抜きの方法として利用された
3に、文化は大衆分化されることで栄え、現在に至る歴史を持っている。

以下、その書き添え。

体制下における絵画は、当時の絵描きたちが食うための手段として
肖像画からスタートし、次に襖、屏風画と新規事業に広げていった。

これで、絵描きさんのお客、メインターゲットはだれかがつかめる。
庶民が彼らをお抱えできるか。ノウ。
体制の上に乗っかっている裕福層、すなわち皇族、貴族、殿様、
せいぜい代官様ぐらいまで。それに彼らを檀家とする寺社・・・・。

としたら、事実通り写実した肖像画や屏風画が書けるであろうか。
否、男は皆美男、逞しく強そうに、女は皆、美女、優しく色っぽく、
強調して書かれるのは、当然である。
当時の肖像画が当人を実写しているとは到底思えない。
これは、被写体がもう骨になっており確認のしょうがない。

昭和中期頃までは、人ぞしる文豪さんが伝記作家を兼ねていた。
私の手元にもその作家たちの本が残っている。
それで、それを読み返してみたが、まさに「よいしょ物語」。

これは小説が大衆分化していない時代はお抱えされ伝記を書くことで、
食べていかざるをえなかった当時の時代が忍ばれる。

考えてみたら、伝記はいやじゃ、とよいしょしなかった作家は、
ことごとく極貧生活を余儀なくされ、総じて早死にしている。

こうしたところに、文化の本質がにじみ出ていて、
調べていても興味が尽きないところである。