経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

功名が後に-3

2006年12月31日 | Weblog
以下、少しその2の続き。

 本当のあるべきリーダーは、定義や議論で決まるものではない。他者に求めるものではない。戦術に長け、巧妙さを売りにするもの、己の功名のために巧妙にたち振る舞う、といったものであってはならない。

 ドラッカーの言葉を借りるまでもなく、経営そのものが革新なのである。これは変化に対応し続けるということだ。したがって、リーダーは革新をリードする人ということになる。
 信長然り、秀吉然り。保守派の代表みたい誤解されている家康も、また然り。

 勝頼は、革新を否定し旧来のありかたにこだわるあり方を美学とし、それに囚われ現実と革新を否定した。その時に使った「卑怯」という言葉は、換言すれば「潔(いさぎよ)しとしない」という本来の意味で、日本人の美学から、大衆から嫌われる。彼の言っていること「卑怯」という言葉自体は、誤りではない。
 ここでは明智光秀がそうだ。日本人は、のちほどの小説家の取り上げ方も含めて、彼にけして同情的ではない。あのやりかたは、日本人の美意識にそぐわない「卑怯」なやりかただからだ。

 だからリーダーとしては本質的な資質を欠く者として、人々は嫌悪感を抱き、拒否された。土民に首を取られたというが、同じような場面で土民から匿われた事例を知るものにとっては、やはりリーダーとして人物的問題があった、といわざるを得ない。

 逆に卑怯者を成敗した秀吉が、民から讃えられたのは当然である。当時の意識として、仇討ちは立派な美学なのだから。人望も資質であり、また民から拒否されたらリーダーは持たないという強い意識を持つことも不可欠であることを、秀吉と光秀の対比により浮き彫りにできるのではないか。

 さてこの稿。山内一豊の話に戻さねばなるまい。
結論的に言えば、彼は、これまで見てきた「真のリーダーの条件」をよく知っており、その条件の備えた殿様の率いる会社に就職し、しかも自分を引き上げてくれる、出世しそうな上司を見つけた、リクルートの達人であった、ということである。

 司馬先生も触れておられるが、平凡な彼が功名を得て出世するために選択した戦略は、伸びる会社に入り、出世しそうな上司に仕え、上司を押し上げることで、自分を引っ張り上げてもらおう、ということである。その頃、チャンバラに強いと言うことと、戦上手が、出世のための2学科だったから、やはり著者が、秀吉の口を借りて、一豊を「奇人」と言わしめているのは、そういう意味であろう。
 ちなみに千代さんは、「評判を作るのが、武士です」と、夫に常にいっていたという。武道だけが、功名につながることではない、という解である。
 ああ、うちの妻にこの本を若い内に読ませておけば、とついおもってしまう。おっと、これは愚痴。

 ともあれ、リクルートのうまさもまた立派なリーダーの資質に加えてよいのでは、と思う。このことに関し次のその4で「一豊のリクルート」と題し、整理して触れてみたい。(続く)

忘れていないか

2006年12月30日 | Weblog
長崎屋も、壽屋も、マイカルも、ダイエーもだめになったが、
近くのたばこ屋は、明治時代から、小さいままで
生きている。


 大きくなり、だめになる
 大きくなっても、生き続ける

 小さいが故に、だめになる
 小さいままで、生き続ける
 
 生き続けるところ、だめになるところ

 何が違うのか。どう違うのか。

 小さな石を少しずつ入れると、水が持ち上がる。
 大きな石をいっぺんに入れると、水はこぼれてしまう。

 これもある。

 小さい器に、石を入れ続けたら、水はこぼれてしまう。
 大きな器に、石を入れたら、石が足りない。

 これもあるかもしれない。

 だが、肝心なことを忘れていないかな。

 いったいその器を誰が持ち上げるんだい?

 小さな器なら、持ち上げる人は、少なくてもいい。
 水と石がたっぷり入った大きな器を持ち上げるには、
 たくさんの人の力が必要だ、ということを。

 大きくするのは良いが、大きく重たくなった器を、
 持ち上げてくれる当てはあるのかい。

安倍政権の憂い

2006年12月28日 | Weblog
 民主という意味は、文字通り民(たみ)が主であるということである。代議士とは、その主人である民に代わって民の幸せに関する論議、決議をする士(殿に仕えるという意味)である。
この観点で、小泉政権以前の政治、小泉政権、そのあとの安倍現政権をみてみたい。

 国民の支持率がすべてではない。だが国民の支持率、自民党内での支持率、国会内での支持率の3つがあるとして、どれがもっとも重視されなければならないかは論じるまでもあるまい。

 物事には、内と外がある。
 国会から見たら前の2つは内のこと。民は国会の外にいるから外。一方、 国民はどうした見方をするか。代議士たちが、自分のこと、身内のこと、政党内のことで言動することは、その分民とは関わりがないことに関心がいっていると国民はみて、とりわけ無党派層、若者、女性は政治に関心を失い離れる。支持率低下の外側、つまり投票しないという形の支持離れも増える。

 「自民は、前の政権の時と比べて、内のことばかり優先し私たち民のことをないがしろにしているのではないか」という思いを、前政権との温度の差で明確に判定する。寒暖、心地、幸不幸などなど、違いとは過去、他との比較なのである。

 例の復党問題は、安倍政権はそのことを強く意識するべきであった。国民は、踏み絵的観点から、裁断を見つめていたからだ。
 参院の選挙を控えてのボスAやKの意向を受けてのことだろうが、そのことが透けて見えていたからなおさらのこと。だから逆に参院惨敗の因となる恐れが高くなった。
 問題はそのことで終わらない。国民が「私たちへの関心より、身内への関心、昔返りか」と暗い方への想像を広げる理由になったからである。
 人は、いったんそうした思いこみのキッカケを見つけると、それに類した事例をどんどん収集し、自分の仮説(思いこみ)の裏書きをしたくなるものである。それをまた国民のニーズと受け取り、ジャーナリストが根を掘り葉を折る役割を引き受け始める。官舎に女性がいることをフォーカスするといったことに精を出し始める。
 政治家はよほどの人でない限り、表に無ければ裏に、裏に無ければ周辺に、なにかホコリなりチリはあるものだ。ちなみに評論家田勢康弘氏は、前政権はそうしたことが例外的に希有であったことを、長期政権になった理由の一つとしてあげている。
 
 一つのキッカケが、こうしてどんどん悪い方向へ向かわせる。これまでの政権の行く末をみたらわかることである。

追いかけて功名-2

2006年12月27日 | Weblog
 前稿の続きである。その2、サブタイトル「リーダーの美学」

 有名な話だが、武田家の二代目武田勝頼が鉄砲を取り入れなかった理由として、「鉄砲を用いるは、武士にあるまじき卑怯なり」という話がある。
いかにも美学的に聞こえるが、その実、道具、戦術にこだわり、本質を無視。つまり戦術により戦略を失う、リーダーとしてはあるまじきミスを犯すこととなった。
自分の論を、武田家の威をもって押し通し、部下の諫言(かんげん)を押さえ込み、武田株式会社を倒産、創業一族、社員一同を殺す結果となったのである。
 こんなのは美学でもなんでもない。偉大な父、前社長にたいするパパ・コンに過ぎない。
 
 今でも多いのではないか。論議を、「俺が社長だぞ」といって、親父時代からの番頭をおおよそ論議にならない形で押さえつけ、自分の方へ持って行く輩(やから)が。  ちなみに、威とは上が上から下に流すものではなく、下のものが上を崇めること、と私は定義している。

 地位なり、威を嵩さに、有名なところでは、経営の神様といわれて自らの会社を倒産させたワンマン経営の坪内寿夫さんや、リーダーに関する本を何冊も書きながら、社員に総スカン、セクハラで逮捕された元球団社長のKさん、部下に責任を転嫁し、部下から捨てられたホリエモン、・・・・。その他大勢を挙げたらきりがないのではないか。
 
「坂の上の雲」を、坂の下から仰ぎ見たら素晴らしいものに見えた。その雲を目指して坂を駆け上る。その頃の私も、「功名が辻」のちりばめられた箴言を黄色のラインを引き、書き写し、必至に功名を求めて坂を駆け上がろうとした一人である。体重のせいか、息切れして登り切ることは出来なかったが。

 坂の上にのぼって、人々はあの美しい雲がどこにもみあたらないことに気づく。雲は身近でみると霧。水滴にすぎないからとうぜんである。人々は目指していたものが幻想に過ぎなかった。坂の上に立ち、雲をつかむ思いをした人々が、ここにはつかむべきものは何もなかったことに気づく。バブルである。夢が破れたのである(それでも気づいた人は幸いで、未だ気がつかずの人が多いのでは)、次に余儀なくされたことは、この坂を下ることである。

 登り続けてきた人たちは、登りにかけての経験、ノウハウには長けているが、下りの経験はない。こうして日本経済は、デフレの時代に入って、現在、やや落ち着きの場に至ったように思える。
 
だが、企業におけるリーダーたちは、老若問わず、依然として登りはうまくても、下りは下手、中には下りは、「それ卑怯なり」といった勝頼レベルの人が、まだまだ大勢いる。そうした遅れの、エセリーダーたちの企業が、毎朝、新聞やTVで、バッタバッタ、バッタみたいに頭を下げているではないか。

追いかけて功名-1

2006年12月27日 | Weblog
司馬遼太郎さんの「功名が辻」を、取り出して読み始めた。

1973年3月に買い、読んだもので、すでに黄色く変色している。細部どころか、大筋でも記憶はほとんど残っていない。
だが、その頃、感激し頭に入れておきたい箇所は、黄色い色鉛筆でマークしていたから、それを記憶の引き出しとして、さまざまな思いに浸ることができ、昨日は思いがけないいい一時を過ごせた。
 
「功名が辻」、だけではなく、そのずっと後にかかれた「坂の上の雲」まで、先生の本は、まさに、「それいけどんどん、坂を上れ、功名心をもって」、といった高度成長時代の人の思いを背景にかかれた本だ、ということが、今読み返してみて明白に実感される。

ちなみにこの頃の司馬先生の文体が、後の私が記憶している文体と、別人の思われるぐらい違っている。この時代、まさに高度成長真っ盛りの頃。私は32歳。会社が急成長する中で、課長になった。その年、中小企業診断士にも合格した。今思いだしても、まさに有頂天、天狗に時代であった。

 のちの作品「坂の上の雲」は、タイトルで司馬さんが示唆されているように、この前後から日本の高度成長に薄くではあるが陰りが見えだした頃である。改めて、司馬先生の作家としての将来(さき)を読み取る慧眼に感服した。

 時代とともに、世が求めるリーダーのあり方が、大きく異なっている。司馬さんの著書を年代ごとに並べてみると、それが明確にわかる。
先頭に立ってリードする。指示命令を、号令をかける武将、川中島の合戦のシーンなどまさにその典型である。だが長篠の合戦でから、リーダーの概念が変わった。つまり信長が創案した火縄銃を、機関銃のごとく使う戦法の採用で、変わらざるをえなくなった。

この時点から、あるべきリーダー論も変わったし、大きくは勝ち組、負け組の分岐になった。「功名が辻」の主人公、山内一豊の目線をとおして、そのことを示唆されている。

 小説の上しか知らないといってよい西郷隆盛、坂本竜馬をみると、リーダーには、人間性、人間の器、志、理念といったものが前提にある。これがリーダーの本質で、「ものども。それいけどんどん」型の武将(今も多く見かける)や、山本勘兵衛や楠木正成などがもちいた戦法、戦術は、あるいは衣装や装身具みたいなものではないか、と思えたりする。(続く)



両親、良心、うざい

2006年12月26日 | Weblog
先日、イタリア映画の名作「道」を見た。1940年代の古い、白黒映画である。

 人の心の奥底までのぞき込むような、考えさせられるすばらしい作品である。人のエゴとその対比の純粋さをこれほど浮き彫りにした作品は未だ見たことはない。エゴの固まり、主人公のザンバードは、自らの行動におおよそ良心の呵責のひとかけらも感じさせない男である。だが、失うものを失って5年後・・・(ネタバレ・ストップ)

 以前から見たくて探していたのだが、最近DVDになったのか。やっとレンタルビデオ屋さんで見つけることができた。

 時代も国も、モチーフも全く異なるが、一昨日見た「バッファロ‘66」と主役の女優さんがなんとなく似ていたのが、意味もなくおかしかった。

 人には誰しも両親と良心がある。正しい道を歩んでいないと子供の頃は両親を恐れ、その顔を伺うことで行動規範の自己調整を行い、育つ。大きくなれば自分の良心から外れることで、良心の呵責を覚える。
 
 この良心の呵責で、心がチクリと痛んだら、規範の違反のシグナルと思い、そのチクリの根因を除去、今後一切同じ過ちは繰り返さない。こういったことで大人になっていく。人は、あの「レ・ミゼラブル」のジャンバル・ジャンみたいに、過ちをキッカケにまっとうな生き方ができる。チクリを無視したら、新聞紙上を賑わすことになる。(後述)

 なんとなくこんな学科「倫理学」の模範解答みたいなことを書きながら、先週見た、「オリーバ・ツイスト」のことを思い浮かべたのは、生まれたときから両親に育てられた経験がない捨て子のオリーバが、なんであんなひどい悪人だらけの環境の中で、あんなにも頑なぐらい純な気持ちをもてたのだろう、という、いまさら少し照れるが、素朴な疑問である。「ええが、じゃさかい、ええがけんなものよ(意訳→映画だから、そのへんいい加減なつくりもの。そんなものなんでとりあげるの?)」と流してしまえば、将来(さき)の栄華は遠のくと堅く信じている私は、こうした疑問にはこだわる。

 純、清らか、といった顔形と違い、見えない心を司っているものは、なんだろう。遺伝とは思いたくないな。だって自分の心の司りを、親や、ましてや知らない先祖のせい。つまり、良くないコトしたときの逃げ道、良いコトしたときのご褒美が先祖に持っていかれる、といったのでは、私はどうも生きていく楽しみが半減するような気がしてならない。
 俺は、俺で生きたいと思っているのだが、そういうわけにはいかないのかな。昨夜は、名画の余韻に委ねて、そのことを考え、夜更かしした。

 今日、墓参りに行ったついでに(叔母、見ていないよな)、亡き母の従妹のところへよったら、「あんた、千鶴子ねえさん(私の母)に、だんだん言うことが似てきたよ(23年連続言われている)」。
 25年も前の幽霊と比較されるの、やはり、うざいなぁ。

ギンギラギンの続き

2006年12月25日 | Weblog
前稿の続きである。
ただし、この「場」に目的的、テーマ的といったことが強く出ると、いきおい場のマイナス面、デメリットがでる。さらに、場に強い目的性がつくと、みんな自分の目的に最適の「場」を求めて群れることになる。目的にそぐわない人々は、必然的に「場違い」の人として排除されるか、「場違い」として加わらない。ここまで昨日触れた。
こうしたことから、少なくとも2つの問題が生じる。
1に、需要と供給のバランスが崩れることだ。釣れるポイントに大勢の釣り人が群がるとどうなるか。当然結果競争の激化になる。2に、大勢が集まる場は、必然的に拡散、総花的、濃度が希薄になることだ。その結果、「場」に場末と場の中心といった格差が生じ、場当たり的にならざるを得ない。3に、「場」であろうとなかろうと、取引、契約はマン・ツー・マン。一対一の接点であることだ。その当たり前のことに関して、意識が希薄になっていく。端的な事例で言えば、個別対応の軽視、接客のマニュアル化、・・・・。
 このことは、接点を増やす場合に、点を求めることより、「場」の方が、効率的、合理的ということで、この「効率的、合理的」が目的化し、接点がなおざりにされ、切り捨てられてきた。こうした主客転倒現象が起きている。これが、今の好景気といわれている経済情勢で、個人消費が弱いという理由である。つまりマクロの場の好景気ではあっても、ミクロ、個人の好景気ではない。否、上に述べた場、ここでは法人優先の反作用として、個人をなおざりにし、その結果、個人消費における大きな機会損失を生じさせた、ということである。
つまり、今の好景気は、個人消費ではなく、法人重需要に依存している背景にあり、個人が豊か感を感じていない理由と、私はみている。
 冒頭のイベント。
「ご家族や、カップル、お一人も歓迎、何もないところで何もしない時間を過ごしませんか」、といったものにした。それから3年目。2組のカップルが誕生した。

「場」の目的具現には、皮肉なことだが、「場」に目的性を可能な限り希薄にし(無目的であっては、人は集まらないし、場はしらける)、縛りを緩やかにし、出来るだけ、「場違い」のが自由に参加できる。そういう「場」にすることである。ぎんぎらぎんの油ぎった目的志向、こうした「場づくり」の行き過ぎが、消費者が消費を躊躇している理由である。
映画「たそがれ清兵衛」で、清兵衛が友人と、川で魚釣りするシーンで、全く釣れない友人に、「そう釣ろう、釣ろうと力んでは、魚は逃げようぞ」、と言う。これである。

繰り返しておきたい。経済取引は、双方対等。消費者の選択権を縛るあり方が拒絶されるのは、自明の理である。
 来年は、のびやかにいきたいものだ。

ギンギラギンと場

2006年12月24日 | Weblog
4年前の話。ある離島の青年部から、「嫁対策の一環として、若い女性を格安ご招待といったイベントを続けたが、全然応募者が集まらない。なぜか、どうしたらいいか」、と、ご相談があった。よくぞ気づかれた、と嬉しくなった。企業のイベントでも同様である。国や企業の場合は、さらにあの手この手を考える余裕があるので、当たらない企画でも、「最近の消費者は・・・・」で、新たな企画に逃げてしまう。だからいつまでも空振りが続く。

取引には人と人の接点が絶対的要件になる。取引増には、一人の取引量が増えたと言うこともあるが、基本的には人の接点の増である。
 
 人と人の接点は、点というぐらいだから最小単位。1対1。これを原点とする。点がもう一つの点と出会い、意気投合して接点になるのだが、意気投合せず取り不成立、ということも当然ある。だから接点を、点として求めていたのでは大変不効率になる。

 ここに、「場」が必要とされるひとつの理由がある。たとえば、荷を背に負って、一軒一軒訪問して歩く行商は、1対1の接点。全国に今も見られる、「市」は、売り手と買い手を一カ所に集める「場」である。お見合いは通常、一対一だが、集団お見合いとなれば「場」。
 
 このように接点を求めるのに、「場」だと、そこに多くの人が、それぞれ接点を求めて群がってくる。それもその「場」の目的が概ね決まっていることが多いので、意気投合の確率も高くなる。また「場」自体に目的やテーマがあったとしても、そこへ群がる人は、場の目的とは別に、様々な人が、さまざまな目的を持っているのが通常だから、思いがけない方との、思いがけないつながりができる可能性がある。これはメリットだ。
 
 たとえば新車発表メッセといったものは商取引という目的性を、さらに新車と絞り込んでいるのだが、そこで出会った男女が結婚する、といった形の取引成立もでる、といったように、思いがけないことで、思いがけない人と意気投合する可能性だってある。
 
 また、「場」から、新たな、また想定外の1対1の関係、取引もでてくる。その場だけではない。次への楽しみといった異質のつながりが生まれることだってある。
 「場」にはそうした多様的な機能があり、実に魅惑的なものである、と考える。

 ただし、メリットの裏はデメリット。こちらも冷厳に、科学的計算性をもって検証し手置かねば、ことはうまくいかない。
 以下、次に譲る部分が、本稿で申し上げたいことである。(続く) 

続・企業の論理

2006年12月23日 | Weblog
自らの破滅、所属する企業の破滅を、自ら招くことこそ、自分たちの信条としている、採算の合わない投資は見合わせるという「企業の論理」に合わない、損することではないか、と先に書いた。

そのことは、またその企業に関係する者自身にとっても間尺に合わないことなのだ。そんなことはわかっているのに、その自身がマイナスになることが明白な判断をする。これは自虐、自殺行為ではないかとまで書いた。

その本意は、「俺が、俺が」、「今が、今が」、「今さえよければ」といった戦略眼を忘れた、短絡的な見方しかできない組織人を、皮肉りたかったのである。その意思決定をすることが、短期、中期、長期、将来からみて、どういう影響を自分に、組織に及ぼすだろう、と冷厳に考えたならば、そうした結論には至るはずがない、と申し上げたかった。

 そのためには、企業論理に徹せよ、というのが、以下の本稿である。

 そうした修羅場な状況で冷厳、冷静な判断が出来るわけはない、という声もあろう。それは当たらない。逆だ。戦略眼が希薄だから冷厳・冷静な判断力が出来ないのである。またそのことは組織的、個人的双方の、夢、目的、目標といったものが希薄であることも大きな理由と考える。
 だから企業の論理性から観ても、組織人、経営を担う者としては不的確性ではないか、と。

 人は、生きるか死ぬか、いいか、悪いか、得か損か、右か左か、といった択一の意思決定で生きている。このことは脳力開発を学んだものでなくとも自明の理だからわかっていることだろう。
 それが出来ていない人、私は、ここではそうした人を不適格者と呼び、そうした人が経営をやっているところが、企業犯罪を起こしている、と縷々述べている。

 私たちは、こうした事件の発生のたびに、多言になる。「世の中、馬鹿な連中がいる者だ。結局ばれるのにね」と居酒屋での肴にする。そして自らが当事者になったら口をつぐむ。
 こうした繰り返しが、次の不祥事を呼ぶ。
 
 他社・他者を非難することやさげすむだけでは人として、組織人として、あるいは経営者として大きな機会ロス。すなわち「もったいない。
 何のためにゼミにでて、学習効果とか意識的観察という言葉を学んだのか。予算を取って先進地、先進企業から学びたいとアメリカまで研修に行ったのか。

だってそうではないか。せっかく身近に他社・他者が、先進事例、反面教師として、一石も二石も投じ、存亡に関わる学習事例を、無料で提供してくれたのである。こうしたことを常に他山の石として、自分の戒めとして、わが身やわが社を振り返って、組織改善を計る、良き体質作り、良き習慣づくりの強化の契機にし、自社が、未来永劫的に存続し続ける(ゴーイングコンサーン)企業の礎(いしずえ)を積み重ねる。投資少なく、益多し。これが企業の論理ではないのか。

また他社、他者での間題を、現実の自分の問題として取り込み、その痛みを感じることを、人の知恵、謙虚さであり、死を誘う魅惑から逃れえる"おまじない"にする。

 こうした人として、経営者として、企業としての学びの姿勢、さらに「しぶとさとたくましさ、どん欲さ」といったものが、企業の論理の本意だと、私は思う。

企業論理の根本は、損得である。これ自体は悪ではなく善でもない。むしろ突き詰めて、「ほんとうに、長い目で見てどちらが企業(自分)にとって得なのか。損なのか」の、全社的見極め、そのことの組織内への徹底こそが重要であろう。

 組織内にこうした「短期だけでなく、中、長、未来永劫的に間尺に合わないことはやらない」といったメルクマールを周知徹底させることで、インターナル・チェックシステム(内部牽制制度)が機能し、企業犯罪の減少もはかれるのでは、と考えている。

あの国が、こう見えてきた。

2006年12月22日 | Weblog
あの国は、前回もそうだったが、今回も条件の一つに「現体制維持の保証」を入れている。国際協調をとってない国が、なぜ自国の体制の維持に、他国の保証を要求するのか。

私は国際問題どころか自国の政治にも疎い。閣僚どころか政治家誰一人とて会ったことはない(この3月、結婚式でG議員とたまたま同席したことはある)。国会に行ったこともない。霞ヶ関も知らない。政治の本を読んだこともない。素人にすぎない。
 
 だから、こう考える。社長が手形に裏書きを欲しがるときの真意はいかん、と。そして次にそのときの自分の心に浮かんだものが、普遍性があるかどうかをみる。
 以下、その私の妄想の範囲での話。
 
 本来は、さっさとどこかの時点で妥協して経済解除をしてもらった方が、と思うのが常識だが、この常識を取らない。それはなにも意固地とかメンツがあるわけではなかろう。そんなもの、食えないときにはなんの足しにもならないばかりか、じゃまになる。

 ここに、3つの「こと」が見えてくる。
 1に、彼ら、否、彼の真意が、国の飢えより、我が身の保証にあること。現体制維持を望んでいるのは、彼と彼のファミリーと取り巻き一部であって、国、国民ではない(あくまで想像の範囲だが)ということ。

 2つめ。とはいっても敵対国関係者に向かって、おねだり、お願いはやりたくない。夫婦げんかは、近所に知られたくない。ましてや、だ。
 それをあえてというか、厭わずやっているからには、よっぽどの事情がある、と考えざるを得ない。それにこの条件は、以前はなかったことを考えれば、事態は逼迫している、と考えたい。

 3つめは、強硬姿勢は、やはり、「恐れている」ということ。恐れは2つが考えられる。1に国内の暴動、暗殺といったこと。2に、中国、ロシアから見放され、ひょっとしたら先のイラク、やがてイラン、次に俺のところも同じ状況に、といった不安、恐れをイラク。これをイラン心配という。

 人には誰しも両親と良心がある。正しい道を歩んでいないと子供の頃は両親を恐れる。大人になれば、自分の良心から外れることで、イラク心配をし始め、いろいろ妄想し始める。その過程で自分の心がチクリとする。これを良心の呵責というが、これは人が本来持っている良心に反した行為は、他人ではなく自らが気づく。それで微調整することで生き抜くことが出来る、といった解で大きくは外れていないと思う。まあ標準体温と体温計の関係みたいなもの。

 ちなみに、イラクも、イランも、この国も共和国(ともに和するくに)である。このコピーと実態の乖離は、なにも企業のお家芸ではない。自分の良心からそれがわずかではあっても外れたことで、チクリとすることを無視していると、こうした大きな乖離すら不思議に思わなくなるぐらい、言葉が堕落している。良心に代わって、そうしたことでチクリとこないことが常識、常態化し、それが一種の規範となり人を知らない間に縛る。体制者はこれを活用するわけだ。いずれにしろ、チクリを感じない心、そのことが一番怖いことだ。

 経営も然り。
 この論を、置き換えで考えれば、企業は、大きくするものではなく、お客様の支えの手応えで大きくなっていくもの。それを大きくしようというところが、当たり前化し、おかしいな、とチクリも感じなくなった。それが見よ、毎日新聞を賑わして、というおきまりの私の持論になる。賛同していただけるかな、と思う。

 大きくなりたい、と急ぎ、力む背景には、やはりあの国と同じ、3つの憂いがある、と観ていい。そうした企業の行く末が、倒産という形で出るとしたら、今、栄華を誇っている企業の行く末を、この今、観るのはそう難しいことではない。