経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

体感が地球を救う

2009年12月31日 | Weblog
たくさんの選択肢からこの無名人のブログを選択して頂いた。
その手応え、実感が、365日、毎日更新できた理由です。

ありがたいな、ありがたいなと思う。
心から御礼を申し上げ、来年もどうか支えて頂けますよう
お願いを申し上げます。 ありがとうございました。


今年最後の原稿。昨日の続きです。

ともあれ、だからことデフレに関しての体験は、
まっとうな消費生活を営んでいる庶民が体感的には強い。
政治家とはつきあっても庶民との接点と日常生活を舞台としていない
大企業のサラリーマン経営者より中小企業経営者が勝って当然のこと。
だが子供の頃から、いや封建時代以来、自分の体感より他の声、
とりたて天の声、お上の声、専門家の声に弱く恐れ入る
といった刷り込みが自分の体感が優れていることを阻害している。
それに感じたことを表現する機会が少ないことで大きな声に消されている
といったことで、いやはやもったいないというか悔しいことである。

なにごとであれ人は経験したことがないことには弱い。
経験したことがあってこその経験者、体験をしてこその体験者、
過去のノウハウが活きてこそのデータベース。
先進モデルがあってこその先進地視察。過去のデータ、
文献を脳に蓄積、それを元に今をみてコメントするのが専門家。
いわば遅れの情報、文化の担い手、といっても過言にならないと考える。

では私たちはどうしたらいいのか。
先覚者、専門家といったそうした人たちがいないビビットな現場
すなわち未知の状況下では、只ひたすら自らの体感を経て、
試行錯誤を繰り返していく、対応への無意識の作業こそ、その実対応。
そうした過程で得たものから創造、普遍化していくこと。
コピー風にこれを表現すると、「自己体験の普遍化を図る」ことだと思う。
こうしたことで庶民ひとりの体感でひとつの「もの」を得たすれば、
世界人口の数だけの体感が得られる。この中から普遍性の高いものを集約していく
私は、この作業によって人類は今日まで進歩発展してきたのだと思う。そしてこれからも。

一握りの英雄や偉人が世界を変える、といった思い込みこそ
私たち庶民が、地球レベルで警戒しなければならない
地球滅亡の刷り込みではないか、と思っている。

「体感が地球を救う」と少々きざなしめくりで今年のブログ納め。

ご愛読、ありがとうございました。
では、新しい年まで、しばしさようなら。09.12.31

体感が地球を救う

2009年12月31日 | Weblog
たくさんの選択肢からこの無名人のブログを選択して頂いた。
その手応え、実感が、365日、毎日更新できた理由です。

ありがたいな、ありがたいなと思う。
心から御礼を申し上げ、来年もどうか支えて頂けますよう
お願いを申し上げます。 ありがとうございました。


今年最後の原稿。昨日の続きです。

ともあれ、だからことデフレに関しての体験は、
まっとうな消費生活を営んでいる庶民が体感的には強い。
政治家とはつきあっても庶民との接点と日常生活を舞台としていない
大企業のサラリーマン経営者より中小企業経営者が勝って当然のこと。
だが子供の頃から、いや封建時代以来、自分の体感より他の声、
とりたて天の声、お上の声、専門家の声に弱く恐れ入る
といった刷り込みが自分の体感が優れていることを阻害している。
それに感じたことを表現する機会が少ないことで大きな声に消されている
といったことで、いやはやもったいないというか悔しいことである。

なにごとであれ人は経験したことがないことには弱い。
経験したことがあってこその経験者、体験をしてこその体験者、
過去のノウハウが活きてこそのデータベース。
先進モデルがあってこその先進地視察。過去のデータ、
文献を脳に蓄積、それを元に今をみてコメントするのが専門家。
いわば遅れの情報、文化の担い手、といっても過言にならないと考える。

では私たちはどうしたらいいのか。
先覚者、専門家といったそうした人たちがいないビビットな現場
すなわち未知の状況下では、只ひたすら自らの体感を経て、
試行錯誤を繰り返していく、対応への無意識の作業こそ、その実対応。
そうした過程で得たものから創造、普遍化していくこと。
コピー風にこれを表現すると、「自己体験の普遍化を図る」ことだと思う。
こうしたことで庶民ひとりの体感でひとつの「もの」を得たすれば、
世界人口の数だけの体感が得られる。この中から普遍性の高いものを集約していく
私は、この作業によって人類は今日まで進歩発展してきたのだと思う。そしてこれからも。

一握りの英雄や偉人が世界を変える、といった思い込みこそ
私たち庶民が、地球レベルで警戒しなければならない
地球滅亡の刷り込みではないか、と思っている。

「体感が地球を救う」と少々きざなしめくりで今年のブログ納め。

ご愛読、ありがとうございました。
では、新しい年まで、しばしさようなら。09.12.31

あいてて良かった

2009年12月28日 | Weblog
先日来、言葉、事物にたいする意味づけのことを書いている。


昨日は師匠がパレアナといったことのの紹介で閉じた。
出かけ前の時間を使って以下、その余談。

以前から、駐車場、トイレ、列車の席が混んでいても
困ることは滅多にない。
できるだけ、目的物に遠いところ、
不便なところを選んでいるからだ。

同時に歩く距離が増え、運動不足を十分カバーできる。

また、いろんなところのロッカー、靴箱、など、
空いているのを一発で見つける。

これは、こうである。4,か42を狙っているからである。

随分以前のことだが、日本パレアナ学会の「パレアナ通信」に
連載した「パレアナの研究」に日本人の「4」に関する思いについて
書いたことがある。 http://jatsudon.in.coocan.jp/page054.html

4は死に通じるということで、昔から一般的に忌み嫌う。
一方、4つ葉のクローバーは、幸運の印として、探し回ってまで求める。

それで、居酒屋や銭湯、列車の長距離の指定券も、
常に4,か42にしている。
以来空いている所を探し回ることがない。
以来、4,44,42,4989といった番号は、
私にとってはラッキーナンバーだ。

ちなみに、飛行機は使えない。
日本を飛んでいる機は外国製造だからだ。
それで13を、ということでITで予約しようとしたら13はない。
この点、キリスト教圏では日本より徹底しているようである。


言葉に情感

2009年12月26日 | Weblog
事業は人と人の関係作りで成り立っている。
しかし、その関係は、自分の利を主張した途端に崩れ、
相手に利を与えつづけると継続する。

だから事業なりが存続していくためには、
どうしたら自分が利するかではなく、
どうしたら、消費者の利の存在が継続するかどうか、ということになる。

安売りもその1つ。良き接遇もその1つ。おまけもその1つ。
その1つを組み合わせるのもその1つ・・・・・・。

その1つはいくらでもあると言うことだ。
だがこちらがその1つとおもっても、それを利と判断するかどうかは
相手である。

売れないと言うことは、売り手のその1つが、
相手から見た場合、利と判断されなかったということである。

その1つを否定されたからと嘆くことはない。
その100あったとしたら、あと99もその1つがある。


日々、相手を喜ばすといったことを考えてその1つを増やし続ける。
ここのことを昨日、1日3つ以上ノルマとしたSSのことを書いた。

楽しい、悲しい、嬉しい・・・、
こうした情感に「の」を付けて考えてみる。
「私の喜び」として、自分の誕生日だけに限定すると、
この人は年に1回しか喜びを味わえない。
家族の喜びとすると、5人家族では5回。
お客様の喜びとすると、来店客数に近似する。
さらに消費者のとすれば、まだ増える。
誕生日以外の喜びを加えると、さらに倍加、倍加となる。

そういった情感には、実は主語がない。所有権はない。
だから、私の喜びだけで足りなかったら、
自分以外の人の喜びで、脳、心を在庫一杯にすればいいことになる。
他人の褌より、他人の喜びの方がなんだか、美しいではないか。


ところが、人にも依るが、人は嘆きのネタを無意識に見つけて、
自分の心、脳に放り込む癖がついている。
不況だ、売れないね。最近いいことないね、こう言ったこともそうだ。

それで、嬉しいことを無意識に見つけて、
自分の心、脳に放り込む癖を従業員に付けてもらいたいと言うことで、
ノルマ化、ゲーム化といってもいいが、Tさんはそれを試みたと言うことだ。
他人を喜ばせることは、自分が喜ぶことだ。
そうした体感の積み重ねが、喜びの回線を作る。


言葉に意味を付けているのは人である。他人の意味づけにすり込みされず、
自分で、自分にとって楽しい、うれしい意味づけをして、生きる。
喜びのゲーム。
実は、これには原点がある。
「少女パレアナ」(エレナ・ポータ著、村岡花子訳、角川文庫)


中小企業のサンタ

2009年12月24日 | Weblog
トップがきちんと、ロマンを語り、戦略を示し、
あとはそれを受けて現場が戦術をあれこれ組み合わせて
対応することで大抵のことは乗り切れる。

対応の要諦は、当方の戦略に相手に協力してもらう。
これである。

間違ってはならない。相手を動かすのではない。
相手が自分の意思で動いて、こちらの協力してもらう。
このことが戦略の本来である。

そして次にそれを受けて、そのためにどうしたら良いか
あれこれを組み合わせて戦略を成就させる。
そのあれこれを戦術というのである。

それを経営者がロマンを語らない。
戦略(勢いと方向)を示さない。
現場の人たちのあの手この手の戦術を仕切り、時には封じる、
といった全く逆のことをやっているから、
この「ていたらく」だ、といった結果しか得られない。

その今の数字が多かろうと少なかろうとその今の数字は本来ではない。
これらが本来どおり機能したらどれだけ数字は上がるか。
想像しただけで、うきうきしてくる。それが本来の数字なのである。

その意味で、経営者のロマンと戦略を組織に浸透させることができ、
目と心配りが行き届く中小規模、
そしてまた消費者の身近に位置ね存在とに存在している
中小企業が圧倒的に大規模より遊離なのである。

ちなみにこれが、「社長の顔が見える」という意味だ。
今、消費者は、企業に対していろんな意味で不信感でいっぱい。
それで消費をためらっている状況である。
安さだけでしか選択基準を与えられていない消費者が、
安心して購買の選択ができるとしたら
経営者の顔が見えるところだけといっても過言ではない。

消費者が切望していることを充足するに最適な規模の企業
それが中小企業企業。そして本来の中小企業有利性が発揮される
願ってもない時代に既に入っている。
そのバラ色を謳歌し、手に入れるのは、
長い間大きいことは良いことだとか、大きいもの後を追従していた
本来を外れたやりようを、元に戻すだけで良いのだ。

本来に戻すには今すぐにできるがクリスマスやお正月準備で
忙しいのなら、ちょうど切りが良い。1月1日からで良い。

来年こそ良い年にと念じ、何十年と言い続け実現でできなかった人も
来年は、「良い年のチャンネル」に戻すわけだから、
「良い年のチャンネル」のプログラムが365日続く。
チャンネルを変えない限り続く。

私がサンタになれたなら、
そうしたことを中小企業の皆様方にプレゼントして回りたい。

当たり前。それだけのこと。

2009年12月21日 | Weblog
やってみた。
もう15年前の話。

従業員が荒み、業績不振に陥っていたガソリンスタンドで。

安値競争の中、経営者のT氏のお店は、ノルマ制度を設け、
価格低下を数量でカバーする戦略に。
これで、見事に以前より悪化。

当然だ。
下り坂でアクセル踏み込んでのカーレースをやる
といったことを、暴走という。

ノルマが悪いのではない。
木加工していて小刀で指を切ったから、小刀が悪い、
もうを使わない、ということはない。

で、店の得すること(売上・利益)を目標、ノルマとしている。
それでけがをしたのであれば、
消費者の目標、ノルマを充足して差し上げるねこうした風に、
「使い方」を変えて、試みてみることである。

そこでTさんと一緒に正しい目標、ノルマの設定はなんだと考えた。

その結果、消費者の喜ぶこと、消費者が楽しいこと、消費者が得すること。
これらをひっくるめて、「お客様からありがとう、と言っていただけこと」。
これを目標に設定したのである。
そしてそれをノルマ化した。具体的には、次のこと。
「スタッフ一人あたり1日3回以上お客様から"有り難う"と言って頂く」。

最低は3,最高は自主申告、上限梨。まあ最初はおそるおそる5でしたが。
そのうちおもしろくなり10以上エントリーする人も出てきた。
人を喜ばせるほど楽しいこととはないから、これはやみつきになるのだ。

その成果を毎朝発表しあう(共有)ようにしたら、
3カ月もしないうち遅刻や無断欠勤者がいなくなり、
業績は劇的に伸びた。もちろん増収増益である。
 
なにも安売りで競争することはない。
高売りの競争もあるし、価格以外の競争はいっぱいある。

Tさんのガソリンスタンドでは、消費者に喜んでもらうことを選択した。
それだけの話である。

安売りがいいと思っている消費者は、安売り屋を選択。
それでいいのである。

こうした実例をいくら研究しようが、見学に行こうが、
実践しなければ、全く無意味である。

あれやこれややってみて、これだ、ということが掴めるからである。
やらないと、「掴めない」のである。

学ぶとは、昨日の大雨でできた大きな水たまりに、
大勢の魚釣りが釣り糸を立てていた。だから自分も、
といった落語の熊さんの「まなぶ」をまねをすることではない。

考え(戦略)が、消費者に支持されるポイントをあれこれやって掴む。
このこと、まなぶことの重要性をTさんは掴んだ。
学びの成果がでたということだ。

豆腐の工程に、泥を入れれば泥が出てくる。
工程ややり方が間違っているのではない。

豆を入れれば、豆腐が出てくる。
何を学び、どう使うかが、結果を変える。
それだけのこと。

ああ営業

2009年12月18日 | Weblog
商いの本質は「売れる」にあり、逆に営業の本質は「売れない」ということ。

売れるから商いが存在するのであり、逆に売れれば営業など不必要です。
商いの主要業務は人が困っていること、やりたくないこと、
いやがることなどをなすことにあります。
人は自分が一番かわいいから、楽をしたいから、
そうしたことをしてくれたら喜ぶし、
それを自分に代わってやってくれる人を求めるのです。

人の喜ぶことをなすということで、商いが成立し、
その喜びをなすという形で営業の存在が認められるのです。


お百姓さんは良き作物を獲るには、
土を育てることが一番大切だといいます。
でも大抵は土をいじって壊しているだそうです。

営業も似ていますね。
一時の収穫の多寡に一喜一憂することより、
もっと売れ続く土壌作りに関心を図ることだ思います。

今のように日々の営業成績を上げるやり方を続けていると、
ますます土壌を徐々にだめにして、売れなくなる。
やがて土が死んでしまう。

体質を直さなければならないのに、
あれやこれやカンフルなど薬に頼る。
販売不振の体質転換しなければならないのに、
流行するいわゆる〇〇法を次々追いかけ、
言葉覚えて、朝礼でその言葉を流し、それいけどんどん
やる気、背を押し、粘りだ、1日100軒回り靴底減らせ、

そうした押せ押せ営業でお客様を押し、押し出す。

だからお客様はたじたじ、背を向けて、敬遠してしまう。
それを撒き餌して、安売りして、声をからして。

こんな無駄、むなしいことです。


高くても売れないという。
また安くしても売れないという。
一方高くても売れると言う声もあり、
安くしたら売れたという声もある。

売り手からみたら、わけはわからない声だが、
消費者はそれぞれ、自分にとって最適の判断をして
購買しているわけだから何の不思議もない。
まだそういったい価格一辺倒でしか、
現象を判断しえない売り手が、分かっている振りして、
じつは何も分かっていないのだ、と思います。

いまだもって主客転倒の発想から脱し得ない人が
多いことは、私にとっては悲しむべきことです。

ああ営業

2009年12月18日 | Weblog
商いの本質は「売れる」にあり、逆に営業の本質は「売れない」ということ。

売れるから商いが存在するのであり、逆に売れれば営業など不必要です。
商いの主要業務は人が困っていること、やりたくないこと、
いやがることなどをなすことにあります。
人は自分が一番かわいいから、楽をしたいから、
そうしたことをしてくれたら喜ぶし、
それを自分に代わってやってくれる人を求めるのです。

人の喜ぶことをなすということで、商いが成立し、
その喜びをなすという形で営業の存在が認められるのです。


お百姓さんは良き作物を獲るには、
土を育てることが一番大切だといいます。
でも大抵は土をいじって壊しているだそうです。

営業も似ていますね。
一時の収穫の多寡に一喜一憂することより、
もっと売れ続く土壌作りに関心を図ることだ思います。

今のように日々の営業成績を上げるやり方を続けていると、
ますます土壌を徐々にだめにして、売れなくなる。
やがて土が死んでしまう。

体質を直さなければならないのに、
あれやこれやカンフルなど薬に頼る。
販売不振の体質転換しなければならないのに、
流行するいわゆる〇〇法を次々追いかけ、
言葉覚えて、朝礼でその言葉を流し、それいけどんどん
やる気、背を押し、粘りだ、1日100軒回り靴底減らせ、

そうした押せ押せ営業でお客様を押し、押し出す。

だからお客様はたじたじ、背を向けて、敬遠してしまう。
それを撒き餌して、安売りして、声をからして。

こんな無駄、むなしいことです。


高くても売れないという。
また安くしても売れないという。
一方高くても売れると言う声もあり、
安くしたら売れたという声もある。

売り手からみたら、わけはわからない声だが、
消費者はそれぞれ、自分にとって最適の判断をして
購買しているわけだから何の不思議もない。
まだそういったい価格一辺倒でしか、
現象を判断しえない売り手が、分かっている振りして、
じつは何も分かっていないのだ、と思います。

いまだもって主客転倒の発想から脱し得ない人が
多いことは、私にとっては悲しむべきことです。

ああ営業

2009年12月18日 | Weblog
商いの本質は「売れる」にあり、逆に営業の本質は「売れない」ということ。

売れるから商いが存在するのであり、逆に売れれば営業など不必要です。
商いの主要業務は人が困っていること、やりたくないこと、
いやがることなどをなすことにあります。
人は自分が一番かわいいから、楽をしたいから、
そうしたことをしてくれたら喜ぶし、
それを自分に代わってやってくれる人を求めるのです。

人の喜ぶことをなすということで、商いが成立し、
その喜びをなすという形で営業の存在が認められるのです。


お百姓さんは良き作物を獲るには、
土を育てることが一番大切だといいます。
でも大抵は土をいじって壊しているだそうです。

営業も似ていますね。
一時の収穫の多寡に一喜一憂することより、
もっと売れ続く土壌作りに関心を図ることだ思います。

今のように日々の営業成績を上げるやり方を続けていると、
ますます土壌を徐々にだめにして、売れなくなる。
やがて土が死んでしまう。

体質を直さなければならないのに、
あれやこれやカンフルなど薬に頼る。
販売不振の体質転換しなければならないのに、
流行するいわゆる〇〇法を次々追いかけ、
言葉覚えて、朝礼でその言葉を流し、それいけどんどん
やる気、背を押し、粘りだ、1日100軒回り靴底減らせ、

そうした押せ押せ営業でお客様を押し、押し出す。

だからお客様はたじたじ、背を向けて、敬遠してしまう。
それを撒き餌して、安売りして、声をからして。

こんな無駄、むなしいことです。


高くても売れないという。
また安くしても売れないという。
一方高くても売れると言う声もあり、
安くしたら売れたという声もある。

売り手からみたら、わけはわからない声だが、
消費者はそれぞれ、自分にとって最適の判断をして
購買しているわけだから何の不思議もない。
まだそういったい価格一辺倒でしか、
現象を判断しえない売り手が、分かっている振りして、
じつは何も分かっていないのだ、と思います。

いまだもって主客転倒の発想から脱し得ない人が
多いことは、私にとっては悲しむべきことです。

天の橋立だけでいい

2009年12月16日 | Weblog
魚を捕まえたいと追っても魚は背を向け、逃げる。

そこで撒き餌。だが釣り人が好きなお金を餌にしても魚は関心を示さない。
好きな餌をまいても、針が見えたら魚は背を向ける。
釣りではわかっていることが、商いとなったらなぜできない。


売上を目標としていたのでは、消費者は感心を示さない。
チラシで撒き餌を蒔いても、売り手の狙いが見えたら背を向ける。

なぜなら、売上=客数×単価だが、
この客数とは、お客がその店で買ったその数である。
その店で買うというお客の意志決定は、
店の売上向上とか業績アップといった店側の得にお客が協力したい
ということで、消費者の購買決定が成されることは皆無。

だからその意志決定に関わりないことを宣言したり、
目標にしたりしても消費者の購買決定には関わりないことだ。

こうしたことを「無駄」という。あるいは費用対効果が薄いという。
なのに、相も変わらず、年末商戦、必達、売って売りまくるぞである。


売り上げが欲しいのなら企業の目標は「売上」とか「利益」など
内輪のことや、さらに結果に求めるのではなく、
外部の消費者への関心と工夫、配慮・・・・・
すなわち、「第三者に選んでもらえる条件の構築」にあるのは当然だ。

上に結果と書いた。これは「売上は結果」に過ぎないということを意味する。
結果を目標としてどうするのだ。結果は過去の行為の集結したもの。

過去の行為とは、消費者の意思決定で購買された結果だ。
だから、どうしたら私の店を選んでくれるか、購買してくれるか
というのが、事業の命題になる。

命題など間違えようが、あろうがなかろうか、
意味のない結果を目標にしようが、結果的に売れている時代があった。

そうしたことでは消費者が購買しない時代になった。
その理由は、少子化、高齢化、一極集中などなどがいっぱいある。
理由をいくつあげようが、対策にならない。
そうした対策は、国家レベルの課題だ。
経営者の基本的対応としては、次の2点。
1-売れる、売り場、売り上げ、といった売り手の幻想か目覚めること。
2-消費者の購買が、結果を決めるのであるから、購買する、購買の場 
購買得、といった購買側からの発想に切り替えることである。

それは今までの見方が逆さまで、正常に戻すだけのこと。

股越しに景色をみて、逆さに見えると驚くのは天橋立だけにしておきたい。