経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

天と地をも戦術として

2006年05月18日 | Weblog
「負けるが勝ち」という言葉がある。
小さいとき、祖母や母から、言われた言葉は、慰めの意味である。負けが、あるはずがない。子供にもそれぐらいはわかる

 今は、それはそうとして、そうした言葉の語源があるに違いない。そのことは不勉強で未だもって、調べていないが、やはり「負け惜しみ」や「なぐさめ」ではないことは確かである。
 真意は負けることによって、最終的に勝つ。いな勝つために、負ける、という意
味である。これは戦法として孫子の兵法にもあるが、勝つという戦略を果たす戦術の一つとして負けるというやり方がある、ということだ。
 ノウカイ的にいえば、勝つことが戦略で、その間の敗戦は、勝つという戦略を得
るための戦術である、ということである。
師の城野 宏は、その例を小牧の戦いで話してくれた。

「秀吉の天下取りの仕上げは、家康を形だけでも配下に治めることであった。どうしたか。コテンパーにやっつけるという選択肢もある。しかしそれでは、見方の損害も大きいし、なによりせっかく味方につけた武将たちが離反する恐れもある。それが、例の小牧の合戦である。家康に花を持たせることで、彼をして自ら、秀吉の臣下に立たせる、と戦略を立て、見事に成功した。」

 この師の話を聞いて初めて、祖母と母の「負けるが勝ち」が誤用であることを知った。

 その後、偶然、映画で「戦争と平和」をみた。17歳のオードリ・ヘップパーンのかわいさにも驚いたが、ここで戦略としての「負けるが勝ち」のすごさに、驚愕した。
 この戦略の創案者は、ロシアのクトゥーゾフである。彼は、時間、地、天、といった、いわば神様の分野まで戦略具現のための戦術化し、そのため上層部、民にまで罵声をあびつつ、自らの戦略を貫き、国を救った。
 詳細は、映画、「戦争と平和」やトルストイの原作を見ていただくとして、ここでは簡単に、ブログ「じゃっどんええが」より抜粋しておきたい。

「フランスの大軍を率いてロシアに乗り込んできたナポレオン軍は、連戦連勝。しかしこれが、ロシア軍総司令官クトゥーゾフ将軍の戦略だということには、最後まで気がつかず、ロシアの戦略どおり、最後は壊滅状態で敗退したのである。ではナポレオンはロシア兵に破れたのであろうか。違う。フランス兵を大敗に追い込ませたのは、戦わず逃げる民と軍隊と冬将軍の混成軍だったのだ。ロシアの土地のとてつもない広さと冬の極寒というもてる資産を活かしたクトゥーゾフのこの大戦略は、恐るべし。」