経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

下り坂に

2013年02月10日 | Weblog



「うちの値下げ攻勢で、そのうち競合店が脱落するから」

ということだろうが、その願望は相手も持っているから泥仕合になる。

そもそも願望的要素を戦略に組み込むこと自体重大な誤りである。



 それにこの値引き対策の結果、客層ががらりと変わってしまう。

このことは当たり前のことなのだが、案外に見過ごされ,

そして、後々の危惧要因になっているのだ。



混ぜなら、客層が変われば、

企業の戦略、コンセプト、方針等々との整合性に

ブレや齟齬(そご)が出る。

時には、企業の根幹を再構築する必要すら想定される。



ところが、これだけ値下げ戦略が話題になる中で、

そうした問題が論議、検討されるという話は聞かない。



ということはほとんどの企業が、値下げ戦争は、

他が脱落するまでの臨機体制、一過性的とみてよい。





最近、ある経営評論家が、デフレ時代においては、

皆さんの会社も例外なく低価格旋風に巻き込まれ,

好むとこも先ずとも関わりなく低価格戦争に泣き込まれます。

ですから、早めに低価格戦略に転換しないと生き残れません、



と言っていたが、私から見たら,無責任きわまる発言と考えている。

だってそうではないか。

お金の価値は変動する。その変動に連動して

「ものの価値=物価」が上下する。

それで上がるのがインフレ、下がるのがデフレ。

今、間違いなくそのインフレ時代だ。



だから、低価格商品を作ったら、作ったその商品の価格が

価値が下がるのである。

それは、下り坂、アクセルを踏み込み,加速せよ」

といっていることに他ならない。・・・・・



晒せば

2013年02月03日 | Weblog
人が考えていることは、文字、言葉、それに絵、音楽など
形として表現されなければ、自分にも、
ましてや他の人にわかるものではないし、
伝え、伝わることはありません。

そうした当たり前の話を、30年近く以前に、
師の城野先生から教わり、以来自分の思うこと、
考えることを毎日、書き続けています。

当て所もなく書いているのですが、
文章を書くときには、頭に「相手」がいます。
いつの間にかその人に対して書いている、
といった言い方が近いかも知れません。

そのことを強く意識したのは、メールを書くとき、
あるいはいただいき返信を書くとき、
頭に浮かんだことが考える切っ掛けになったり、
あるヒラメキが生まれたり、といったこと。
こうしたことを、しばしば体験したからです。

そのことから、文章を書くには読んでいただく相手が必要だし、
その相手を意識して書けば書きやすいということに気がつきました。
だから、私はメールを定型文で埋め込むことや、
打ち返しは、エチケット云々の問題ではなく、
場や機会を捨てることになりますからやりません。

そのおり頭に浮かんだものを、そのまま書き連ねる。
それが相手の方に関係ないことに広がったったり
あるいは、長文になり目を通すにあたり迷惑になる、
と考えたときには、その部分をメールから削除し、
メモソフト箱に入れて、醗酵を待ちます。

ちなみにこの文章も、先日貰った知人へのメールの
返信の一部から、書き出したものです。


事務的、無味乾燥なメールのやりとりこそ、
私に取っては、時間の無駄、もったいないこと。
このことは、ここに何回か書きました。

また他の人に、自分のおりおり考えていること、
あるいはかねがねから思っていることなど、
さまざまな機会を通じて、自分を晒すこと
この効用が、私を仕事を支えていいるのです。

自分を形にし晒せば他の方から様々なことを教わる。
こうしたことで人と人は補完関係にある、といったことも、
この晒すことから得た大きな学びの一つです。

以下蛇足。
強い表現で言うならば、
自分を晒さない人には一歩引いてしまう。
自分のことを伏せて、聞く耳を研ぎ澄ましても、
その耳には真の必要なものは入ってこないのではないか。
私はそう思っています。