クーリエ ·2018.12.16

未知の先住民「 最後のひとり」を追った今回が「最後のアマゾン取材です」
「イゾラド」とは「隔絶された人々」という意味のアマゾンの密林に住む謎の先住民族である。そのイゾラドが30年前頃から文明社会の領域に姿を現すようになった。
その姿を追った2016年NHKスペシャル「最後のイゾラド 森の果て 未知の人々」の大反響から2年、その続編「アウラ 未知のイゾラド 最後のひとり」が放映される。
20年間にもわたってイゾラドを追うディレクター国分氏に私たちは聞きたかった。追い続けるのは使命感もあるのか?文明を拒絶する彼らと交流できたのか?未知なるものを解明することに答えはあるのか?
国分ディレクター書き下ろし:未知の先住民イゾラド、最後のひとりとなった「アウラ」を追って
忘れられない表情がある。
どこか怯えているようだった。ぎこちなかった。見たことのないものだった。
その人の過去に何があったのか、私は考えざるを得なかった。
30年前、アマゾン奥地で素っ裸の二人の男が見つかった。彼らは文明社会と接触したことのない先住民「イゾラド」。ブラジル政府は一人を「アウレ」、もう一人を「アウラ」と名付けた。アウレの表情が頭から離れない。彼はもうこの世にいないのだが──。
二人は誰にも理解できない言葉を話し、時に暴れ、文明に触れていった。言語学者のノルバウ・オリベイラさんは一つひとつの言葉の意味を拾い、アウラが同じ話を何度も語ることに気づく。それは、「死」についてだった。
アウラとはいったい何者か。ある民族の最後の一人になるとはどういうことなのか。
12月16日(日)、NHKスペシャル「アウラ 未知のイゾラド 最後のひとり」が放映される。番組を制作した国分拓ディレクターは、アマゾン奥地の取材を約20年続けており、『ヤノマミ』『ノモレ』といったノンフィクション作品でも知られる。
「今回でアマゾン取材は最後です」
挨拶もそこそこに国分さんはそう切り出した。これで最後……画面には何が映っているのだろうか。
出会った時から二人は二人だけだった
──アウラとアウレに出会ったのはいつですか?
はじめて取材したのは、2001〜2002年のことです(放送は2003年)。そのときは、ノンフィクション作家の沢木耕太郎さんと一緒に現地に行きました。今回はそれ以来です。ただこの期間も、アマゾンへ行くたびに二人の様子を政府に聞いてはいました。
関連記事:文明と接触したことのない原住民「イゾラド」を初めて撮影したNスペがすごいことに!
──最初に「イゾラド」を知ったとき、その「寓話性」に惹かれたと聞きました。
それはたぶん、ものすごくリアルに知ることができないからでしょうね。テレビでは「文明の罪」などと言ったほうが視聴者に届きやすいですが、それは小さな話。イゾラドは、人間とは何か、人類史の何かとか、そういう大きな問いにつながる存在だと思います。
いつから二人になったかわかりませんが、1987年の「出現」時点ですでに二人でした。100年前には、何百人、何千人といたはずです。彼らは何者なのか、どのように生きてきたのか。その言語が独特なこともあり、わからないことがわからないまま地上から消えていくわけです。
それはしかたないと考えることもできますが、ぼくはたまたま出会ってしまった。そのご縁があるので、このまま消えていく民族が現時点でいること、そして過去にはもっと多くいたこと、それくらいは残しておきたいと思ったんです。珍しく義侠心が出てきたというか。
二人の暮らしを見てきて、最初は完璧にバリアがありました。それで、過去になにがあったのかが迫ってきた。ぼくらのせいである、という感じが伝わってきた。ぼく、ではないですが、ぼくら、ではあるわけで。だからちゃんと最後まで見届けたいと思ったんです。
2003年国分さんは初めてイゾラドに遭遇した
──一足先に「アウラ 未知のイゾラド 最後のひとり」を観させていただきました。正直、救いがないというか、なにもできない感覚に陥りました。
ぼくもなにもできないですからね。
──でも、放ってはおけない。
現実的に放っておくのってむずかしいんです。絶滅しちゃうので。保護するか、放っておいて人知れず死んでいくかの二択。それは国が決めることです。そこに100点の答えなんてない。ぼくは記録するというズルい立場でそこにいるだけです。
──ブラジルやペルーの人はイゾラドにあまり関心ないんですか?
関心ないんですよね。日本人からすると、「イゾラドが出てきて村を襲った」とか、キャッチーですよね。何が起きたのって、単純なドラマツルギーがあるじゃないですか。でも、南米の人はそういうのが好きじゃないみたいです。イゾラド出現については、2013〜2014年ごろにペルーのローカルテレビで放映されましたが、全国放送にはなりませんでした。。
アウラと暮らす言語学者ノルバウ・オリベイラ
──そんな中、言語学者のノルバウさんは30年間、彼らと一緒の時間を過ごしています。
彼らの怒りの発火点がわらかないのです
1987年の段階で、二人の小屋の横でハンモックを吊して寝るなんて、普通できません。彼らも人を殺していますからね。怒りの発火点がわからなくて危険すぎます。
──発火点がわからない……
人を殺したときは、木の実などモノを取られたから、怒ったんでしょうね。イゾラドにとってはそこまでのことなのかもしれない。彼らの家をのぞいた人がいると、政府の小屋まで行って、暴れて、柱をナイフで傷つけ……侵されるのが嫌なんでしょうね。
──でも、ノルバウさんは唯一、彼らから信頼を寄せられる存在となっています。どのようにして馴染んでいったんでしょうか。
まず30年という期間の長さでしょうね。もともと政府から一度調査をやれと言われたんですが、それ以降は支援がなかった。だから、彼は先住民の保護区で教師をしつつ、自ら許可申請をして言語調査をおこなっているんです。
──ノルバウさんはもともと未知の言語を解明する使命感でアウラとかかわっていたと思います。いまはどういう気持ちなのでしょうか?
もう言語学者としての野心や使命感は捨てていると思います。やっぱりアウレが死んでからは、アウラの最後を看取りたいという気持ちでしょうね。彼は敬虔なクリスチャン──ものすごく理想化されたキリスト教徒のような人──で、だからアウラと一つだけ話したいとしたら、神の存在についてと言っていて。何度もトライしているみたいですが、まだその会話は成立していません。
──コミュニケーションするにあたって、アウラはこちら側の言葉を覚えたりするんでしょうか。
わかっている言葉はいっぱいあると思います。ノルバウが言うには、ブラジル人(アワ族)の言葉もわかっている。でも、しゃべらない。それは、単に頑固なのか、拒絶の背景があるのか、想像してしまいます。
ポルトガル語は2つの単語を覚えていて、「プラトゥ(皿)」と「サッコ(袋)」とは言います。ただ、サッコのことも「サッ」と言って最後のところが抜けていて。だから、完璧に正しい発音ではないんですが、袋がほしいときに袋をくれとか言っているみたいです。
──アウレが生きていたころは、なにを話していたんですかね?
ノルバウに映像を見せたり音声を聞かせたりしましたが、まったくわからない。二人の間ではたしかに言葉のキャッチボールがあって、ところどころ知っている単語は聞こえるんですが、内容は全然見えてこないんです。
ずっと二人で生きてきた
──番組ではアウレの映像も出てきますが、その表情がずっと頭にこびりついています。
相当なトラウマ、具体的には目の前で殺戮を見たんだと思います。それ以外で、あんなに怖がっている表情を見せないでしょう。精神が壊れていると言う人もいましたが、彼はちゃんと暮らせてきたし、アウラとだったら会話もできていた。生活ができない精神疾患ではなく、やっぱり他者に対するものなんですよね。
──アウラの方は笑ったりするんでしょうか。
2001年のときは、ほとんど笑顔はなかったですが、今回はちょっと笑うようになっていましたね。
──殺戮後、ずっと二人で生きてきたんですね。
二人だけで生活していた期間はかなり長いと思います。ある学者は、彼らが弓矢の矢だけをつくることを指摘しているんです。矢を何千本とつくっているのに、なぜ弓をつくらないのかがわからない。沢木耕太郎さんは、弓づくりが継承される前に「何か」が起きて、矢だけが継承されたという説を唱えています。どうやら人類学的にはありえる話だそうです。
あと、言葉についてはトゥピ語族に属しているのは間違いないんですが、文法があいまいなんです。アウラとアウレが10代前半のときににみんながいなくなったのではないかと仮定して、それから二人で生きてきたからこうした言葉になっている、という説もあります。自活できるギリギリの年齢だったんでしょう。
──いまのところ、文法は見つかったんでしょうか。
いやあ、それもわからないんです。本当は時制を切って質問をしたいわけです。でも、その聞き方がわからないので、いつの話をしているのかわからない。たとえば、アウラが「血」の話をしたとして、われわれはどうしても過去の惨劇と結びつけてしまうんですが、昨日怪我をしたときの血を指しているのかもしれない。その単語がどこを向いているのか、結局は想像するしかありません。時制がわかれば、全部わかるんですが……。
アウラに父はどうしたのかと聞くと
「死」と答え、母は死、女は死、
子どももいない、と
──「夜」といっても、悲劇の夜なのか、月が出ていた夜なのか、特定できないですよね。
ノルバウはアウラから何十回も同じ話を聞いています。彼がカライ(非先住民)の話をするとき、「夜」とか「ひげ」、「カヌー」、「火花」、そうした言葉が決まって出てくるんです。
アウラに父はどうしたのかと聞くと「死」と答え、母は死、女は死、子どももいない、と。そう考えると、やっぱりみんなが目の前で殺されたとしか思えないですよね。
アウレの死、そしてアウラは一人
──アウラとアウレはどんな関係だったのでしょうか。
二人は兄弟説とかいろいろあるんですが、たしかなものはなくて。でも、アウラがボスとして必ず何かを命令していて、アウレはそれに従っていました。ノルバウが言うには、相当キツい関係性だったようです。
──絶対服従のような関係だったんですね。
なので、ご飯をもらいに来るのも決まってアウレでした。しかし、ある時期からアウレが外に出てこなくなったんです。アウラが来るようになり、アウレが来たとしてもなんか痩せたなあと思って。それである日、看護師が小屋に行ってアウレを診てみたら、睾丸が膨れていて、ガンだったんです。
そのときアウラがはじめて泣いたそうなんです
普通は全然動けなくなったら、小屋には処理できていない糞尿の匂いがするはずですが、しなかった。アウラが全部片付けていたんじゃないかなあ。
それもあって、発見が遅れてしまった面もある──骨に転移していたので、早期発見してもダメだったと思いますが。そこから病院に行くための説得もたいへんだったみたいです。絶対嫌だと。でも、そのときアウラがはじめて泣いたそうなんです。
──ええっ。
看護師がボディランゲージで説明するじゃないですか。かばん詰める!あっち行く!この人注射!そしたら治る!みたいに。アウラは頭がいいので、何をしようとしているのかわかったはずなんです。で、何日後かにやっと袋に荷物を入れ始めて病院に行きました。彼らはトイレを知らないので、病室で排泄して、それを手ですくって、窓から投げていて。さらには、便器の水を飲んで……。そこに水があるから、飲み水だと思ったんでしょうね。
──そして、アウレが亡くなり、アウラ一人になりました。
アウレがいなくなった喪失感は大きかったでしょうね。アウレの死についてはノルバウの証言もありますし、病院で相部屋だった人全員にあたりました。探すのが本当に大変でした。でも、貧困層の病院だったので、当時の住所に行っても誰もいないし、本名が違っていることもあって、見つかりませんでした。死んだ瞬間を誰も覚えていなくて、一人の看護師が見ていたそうですが、泣いてもいなかった。
──その後、アウレは埋葬されたんですよね。
ええ。ノルバウはアウラを埋葬に立ち会わせるべきと言っていたんですが、政府はそうしなかった。理屈がよくわからないんですが、ハレーションが怖いと。アウラを施設から病院に運んできて、穴を掘っている様子は見せて、それから別の場所に連れて行って、その後にアウレを埋めました。
全部見せるとアウラが塞ぎ込んだり暴れたりするリスクを否定できないというのが政府の公式見解になっています。ただ実は、ドライバーが帰りたいと言った説もあって。午後5時に仕事終わりだったところ、現場に着いたのが4時50分くらい。だから、すぐに帰りたくなったと、ドライバー本人は証言していました。
──アウラがお墓に行ったことは……?
ないですね。でも、連れていけば、覚えていると思います。ノルバウが埋葬を見せるように強く言ったのには理由がありました。埋葬を見せないとわれわれ(こちら側)がアウレを隠したり奪ったりしたと思われるかもしれない、だから死んだことをちゃんと見せるべきだ――そういう考えだったんです。それは誠実な態度ですよね。
アウラと国分さんの“交流”
──アウラは国分さんのことを認識しているんでしょうか? また、距離が近づいたかどうかわかるものでしょうか?
わかりますね。アウラもぼくのことを覚えているんです。現地に白人や黒人はいるんですが、モンゴロイドは珍しいみたいで、彼らとはモンゴロイドというくくりでは同じなんですよ。
もちろん、最初は距離がありました。それを詰めたほうがいいのかどうかも考えました。人間としては近づいたほうがいいですが、テレビ番組としてはどうなのか、と。でも、最終的には、ぼく一人で彼のもとに行っても平気でしたね。ちょっと嫌がる感じはありましたが。
アウラは一人になってから文明に依存しきっています。一人では生きていけないので、慣れたんでしょうね。(ノルバウが作った)800単語が書かれたノートを手に持って、しゃべりかけると反応してくれたりもしました。
──いまや服も着て、すっかり文明に馴染んでいる。
1987年の出現時には、政府の役人が約200キロ離れた施設に連れてきました。そのときにはじめて服を着たんです。でも服というものを知らないので着ることはできなくて、ズボンも片側に両足を入れたり、サンダルを手に身に付けたりしていたようです。
最初の3年くらいは服を着なかったそうですが、次第に慣れて着るようになりました。服のおかげで外的な恐怖から身を守れるし、寒くなくなるし……やっぱり、便利なんでしょうね。ズボンのベルトのところにナイフをバチッと差しておけば、両手が空いて別の作業もできます。
──アウラは生きるために、文明を受け入れていったんですね。
一人になって、圧倒的に変わりましたね。
──きっといろんなことをあきらめたんですね。
ええ。ぼくとノルバウはそう考えています。イゾラドだったころの何かを捨てたんでしょうね。
──何かを、捨てた。
アウラは賢いから、ここでの生き方をわかっているんでしょうね。でも、アウラが文明と馴染まざるを得ないと決めた感じは、本当に伝えるのがむずかしいです。
アウラの感情
──たった一人で寂しいと感じることはあるんですかね……。
どうなんでしょう。でも、イゾラドには、自殺がほとんどないと思うんです。そんなこと言っている場合じゃない。差別的になりますが、癲癇(てんかん)でも殺しちゃいますから、そういう危険性はある。現地で自殺のこともたくさん聞いたんですが、みんな知らないと答えていました。
──日本では自殺が多く、死にたいと言う人もいます。アウラのことを知ると、人間ってなんなんだろう、って考えてしまいます。
彼らはたった一人、二人で暮らしていたので、社会性はありません。妬みもない。あるとすれば、女性が現れて奪い合いになるケースくらい。人が少ないから、社会での評価とかもどうでもいい。
──競争とかも……。
ないですよね。
──欲はあるんですか?
それで言うと、今回久しぶりに会うにあたって、アウラにお土産を買って行きました。小屋に入る大義のためでもありましたが、ハンモックとビーズをあげました。アウラはものづくりが好きで、釣り糸にビーズを通したものを足首に付けたりしているんです。
──アウラ、喜びました?
すぐに違うこと喋りだしましたね(笑)。そして、全部奥に隠しました。アウラのところに滞在するのは、20分くらいが限界です。今回ノルバウと一緒に3回小屋の中に入りました。最後のお別れのときには、ぼく一人で行きました。お別れの言葉を教わって、それを伝えて。
──お別れのときは、どういう感じでしたか?
つくったビーズ細工を見せてくれました。切なくなりましたね。
──そんなアウラに会いたくなることは?
いつかアウラが亡くなったとして、その知らせを受けたらお墓に行くかもしれません。嫌だなあと思いますが。このインタビュー取材を受けるにあたり、政府の役人に「アウラ元気?」と聞いてみたところ、「サン・ルイスの病院で改善した」といったような返事が来て。言葉の間違いであればいいんですが、アウラは気管が弱く肺炎になりやすいので心配です。
カタルシスはいらない
──今回、「最後のひとり」を記録したわけですが、次も考えているんですか?
アマゾン取材は最後のつもりでやりました。
──国分さんのラスト・アマゾン。これを観た人はどう思うんでしょう。
昨今の人気のコンテンツには、共感とカタルシスがあると思っています。最近の『ボヘミアン・ラプソディ』はまさにそうでしょう。反対に、今回の『アウラ 未知のイゾラド 最後のひとり』はそのどちらもない話です。
もちろん、カタルシスがあるようにつくることもできた。視聴者がわかるように多くの説明を入れることもできた。でも、絶対に嫌でした。できるだけ隙間をつくることを意識しました。
アマゾン奥地で一人残ったアウラがいる。その独り言を懸命に聞くノルバウがいる。まもなく民族ごと消えてしまう。その事実が目の前にある。アウラとは何者なのか、過去に何があったのか、何を話しているのか、わからないことだらけです。番組を観た後、残るものは何か。言葉にならないもやっとする感じをいちばん伝えたいです。
NHKスペシャル「アウラ 未知のイゾラド 最後のひとり」
12月16日(日)夜9時10分〜総合テレビ
ナレーション 町田康(作家)
BS4K「アウラ」
12月16日(日)夜7時〜BS4K
朗読 町田康 / ナレーション 石澤典夫
30年前、アマゾンの深い森からこつ然と現れた素っ裸の2人の男。ブラジル政府はアウレとアウラと名付け保護した。だが2人の言葉は未知の言語で、誰一人理解できなかった。ある言語学者が周りのものを一つ一つ指しながら30年かけて800の単語の意味を探り当てた。やがてアウレが死亡。最後の一人となったアウラの調査を続ける中で、彼が、自分たちの部族に起きた「死」について語っていることが、明らかになっていく…。
https://courrier.jp/news/archives/146483/

未知の先住民「 最後のひとり」を追った今回が「最後のアマゾン取材です」
「イゾラド」とは「隔絶された人々」という意味のアマゾンの密林に住む謎の先住民族である。そのイゾラドが30年前頃から文明社会の領域に姿を現すようになった。
その姿を追った2016年NHKスペシャル「最後のイゾラド 森の果て 未知の人々」の大反響から2年、その続編「アウラ 未知のイゾラド 最後のひとり」が放映される。
20年間にもわたってイゾラドを追うディレクター国分氏に私たちは聞きたかった。追い続けるのは使命感もあるのか?文明を拒絶する彼らと交流できたのか?未知なるものを解明することに答えはあるのか?
国分ディレクター書き下ろし:未知の先住民イゾラド、最後のひとりとなった「アウラ」を追って
忘れられない表情がある。
どこか怯えているようだった。ぎこちなかった。見たことのないものだった。
その人の過去に何があったのか、私は考えざるを得なかった。
30年前、アマゾン奥地で素っ裸の二人の男が見つかった。彼らは文明社会と接触したことのない先住民「イゾラド」。ブラジル政府は一人を「アウレ」、もう一人を「アウラ」と名付けた。アウレの表情が頭から離れない。彼はもうこの世にいないのだが──。
二人は誰にも理解できない言葉を話し、時に暴れ、文明に触れていった。言語学者のノルバウ・オリベイラさんは一つひとつの言葉の意味を拾い、アウラが同じ話を何度も語ることに気づく。それは、「死」についてだった。
アウラとはいったい何者か。ある民族の最後の一人になるとはどういうことなのか。
12月16日(日)、NHKスペシャル「アウラ 未知のイゾラド 最後のひとり」が放映される。番組を制作した国分拓ディレクターは、アマゾン奥地の取材を約20年続けており、『ヤノマミ』『ノモレ』といったノンフィクション作品でも知られる。
「今回でアマゾン取材は最後です」
挨拶もそこそこに国分さんはそう切り出した。これで最後……画面には何が映っているのだろうか。
出会った時から二人は二人だけだった
──アウラとアウレに出会ったのはいつですか?
はじめて取材したのは、2001〜2002年のことです(放送は2003年)。そのときは、ノンフィクション作家の沢木耕太郎さんと一緒に現地に行きました。今回はそれ以来です。ただこの期間も、アマゾンへ行くたびに二人の様子を政府に聞いてはいました。
関連記事:文明と接触したことのない原住民「イゾラド」を初めて撮影したNスペがすごいことに!
──最初に「イゾラド」を知ったとき、その「寓話性」に惹かれたと聞きました。
それはたぶん、ものすごくリアルに知ることができないからでしょうね。テレビでは「文明の罪」などと言ったほうが視聴者に届きやすいですが、それは小さな話。イゾラドは、人間とは何か、人類史の何かとか、そういう大きな問いにつながる存在だと思います。
いつから二人になったかわかりませんが、1987年の「出現」時点ですでに二人でした。100年前には、何百人、何千人といたはずです。彼らは何者なのか、どのように生きてきたのか。その言語が独特なこともあり、わからないことがわからないまま地上から消えていくわけです。
それはしかたないと考えることもできますが、ぼくはたまたま出会ってしまった。そのご縁があるので、このまま消えていく民族が現時点でいること、そして過去にはもっと多くいたこと、それくらいは残しておきたいと思ったんです。珍しく義侠心が出てきたというか。
二人の暮らしを見てきて、最初は完璧にバリアがありました。それで、過去になにがあったのかが迫ってきた。ぼくらのせいである、という感じが伝わってきた。ぼく、ではないですが、ぼくら、ではあるわけで。だからちゃんと最後まで見届けたいと思ったんです。
2003年国分さんは初めてイゾラドに遭遇した
──一足先に「アウラ 未知のイゾラド 最後のひとり」を観させていただきました。正直、救いがないというか、なにもできない感覚に陥りました。
ぼくもなにもできないですからね。
──でも、放ってはおけない。
現実的に放っておくのってむずかしいんです。絶滅しちゃうので。保護するか、放っておいて人知れず死んでいくかの二択。それは国が決めることです。そこに100点の答えなんてない。ぼくは記録するというズルい立場でそこにいるだけです。
──ブラジルやペルーの人はイゾラドにあまり関心ないんですか?
関心ないんですよね。日本人からすると、「イゾラドが出てきて村を襲った」とか、キャッチーですよね。何が起きたのって、単純なドラマツルギーがあるじゃないですか。でも、南米の人はそういうのが好きじゃないみたいです。イゾラド出現については、2013〜2014年ごろにペルーのローカルテレビで放映されましたが、全国放送にはなりませんでした。。
アウラと暮らす言語学者ノルバウ・オリベイラ
──そんな中、言語学者のノルバウさんは30年間、彼らと一緒の時間を過ごしています。
彼らの怒りの発火点がわらかないのです
1987年の段階で、二人の小屋の横でハンモックを吊して寝るなんて、普通できません。彼らも人を殺していますからね。怒りの発火点がわからなくて危険すぎます。
──発火点がわからない……
人を殺したときは、木の実などモノを取られたから、怒ったんでしょうね。イゾラドにとってはそこまでのことなのかもしれない。彼らの家をのぞいた人がいると、政府の小屋まで行って、暴れて、柱をナイフで傷つけ……侵されるのが嫌なんでしょうね。
──でも、ノルバウさんは唯一、彼らから信頼を寄せられる存在となっています。どのようにして馴染んでいったんでしょうか。
まず30年という期間の長さでしょうね。もともと政府から一度調査をやれと言われたんですが、それ以降は支援がなかった。だから、彼は先住民の保護区で教師をしつつ、自ら許可申請をして言語調査をおこなっているんです。
──ノルバウさんはもともと未知の言語を解明する使命感でアウラとかかわっていたと思います。いまはどういう気持ちなのでしょうか?
もう言語学者としての野心や使命感は捨てていると思います。やっぱりアウレが死んでからは、アウラの最後を看取りたいという気持ちでしょうね。彼は敬虔なクリスチャン──ものすごく理想化されたキリスト教徒のような人──で、だからアウラと一つだけ話したいとしたら、神の存在についてと言っていて。何度もトライしているみたいですが、まだその会話は成立していません。
──コミュニケーションするにあたって、アウラはこちら側の言葉を覚えたりするんでしょうか。
わかっている言葉はいっぱいあると思います。ノルバウが言うには、ブラジル人(アワ族)の言葉もわかっている。でも、しゃべらない。それは、単に頑固なのか、拒絶の背景があるのか、想像してしまいます。
ポルトガル語は2つの単語を覚えていて、「プラトゥ(皿)」と「サッコ(袋)」とは言います。ただ、サッコのことも「サッ」と言って最後のところが抜けていて。だから、完璧に正しい発音ではないんですが、袋がほしいときに袋をくれとか言っているみたいです。
──アウレが生きていたころは、なにを話していたんですかね?
ノルバウに映像を見せたり音声を聞かせたりしましたが、まったくわからない。二人の間ではたしかに言葉のキャッチボールがあって、ところどころ知っている単語は聞こえるんですが、内容は全然見えてこないんです。
ずっと二人で生きてきた
──番組ではアウレの映像も出てきますが、その表情がずっと頭にこびりついています。
相当なトラウマ、具体的には目の前で殺戮を見たんだと思います。それ以外で、あんなに怖がっている表情を見せないでしょう。精神が壊れていると言う人もいましたが、彼はちゃんと暮らせてきたし、アウラとだったら会話もできていた。生活ができない精神疾患ではなく、やっぱり他者に対するものなんですよね。
──アウラの方は笑ったりするんでしょうか。
2001年のときは、ほとんど笑顔はなかったですが、今回はちょっと笑うようになっていましたね。
──殺戮後、ずっと二人で生きてきたんですね。
二人だけで生活していた期間はかなり長いと思います。ある学者は、彼らが弓矢の矢だけをつくることを指摘しているんです。矢を何千本とつくっているのに、なぜ弓をつくらないのかがわからない。沢木耕太郎さんは、弓づくりが継承される前に「何か」が起きて、矢だけが継承されたという説を唱えています。どうやら人類学的にはありえる話だそうです。
あと、言葉についてはトゥピ語族に属しているのは間違いないんですが、文法があいまいなんです。アウラとアウレが10代前半のときににみんながいなくなったのではないかと仮定して、それから二人で生きてきたからこうした言葉になっている、という説もあります。自活できるギリギリの年齢だったんでしょう。
──いまのところ、文法は見つかったんでしょうか。
いやあ、それもわからないんです。本当は時制を切って質問をしたいわけです。でも、その聞き方がわからないので、いつの話をしているのかわからない。たとえば、アウラが「血」の話をしたとして、われわれはどうしても過去の惨劇と結びつけてしまうんですが、昨日怪我をしたときの血を指しているのかもしれない。その単語がどこを向いているのか、結局は想像するしかありません。時制がわかれば、全部わかるんですが……。
アウラに父はどうしたのかと聞くと
「死」と答え、母は死、女は死、
子どももいない、と
──「夜」といっても、悲劇の夜なのか、月が出ていた夜なのか、特定できないですよね。
ノルバウはアウラから何十回も同じ話を聞いています。彼がカライ(非先住民)の話をするとき、「夜」とか「ひげ」、「カヌー」、「火花」、そうした言葉が決まって出てくるんです。
アウラに父はどうしたのかと聞くと「死」と答え、母は死、女は死、子どももいない、と。そう考えると、やっぱりみんなが目の前で殺されたとしか思えないですよね。
アウレの死、そしてアウラは一人
──アウラとアウレはどんな関係だったのでしょうか。
二人は兄弟説とかいろいろあるんですが、たしかなものはなくて。でも、アウラがボスとして必ず何かを命令していて、アウレはそれに従っていました。ノルバウが言うには、相当キツい関係性だったようです。
──絶対服従のような関係だったんですね。
なので、ご飯をもらいに来るのも決まってアウレでした。しかし、ある時期からアウレが外に出てこなくなったんです。アウラが来るようになり、アウレが来たとしてもなんか痩せたなあと思って。それである日、看護師が小屋に行ってアウレを診てみたら、睾丸が膨れていて、ガンだったんです。
そのときアウラがはじめて泣いたそうなんです
普通は全然動けなくなったら、小屋には処理できていない糞尿の匂いがするはずですが、しなかった。アウラが全部片付けていたんじゃないかなあ。
それもあって、発見が遅れてしまった面もある──骨に転移していたので、早期発見してもダメだったと思いますが。そこから病院に行くための説得もたいへんだったみたいです。絶対嫌だと。でも、そのときアウラがはじめて泣いたそうなんです。
──ええっ。
看護師がボディランゲージで説明するじゃないですか。かばん詰める!あっち行く!この人注射!そしたら治る!みたいに。アウラは頭がいいので、何をしようとしているのかわかったはずなんです。で、何日後かにやっと袋に荷物を入れ始めて病院に行きました。彼らはトイレを知らないので、病室で排泄して、それを手ですくって、窓から投げていて。さらには、便器の水を飲んで……。そこに水があるから、飲み水だと思ったんでしょうね。
──そして、アウレが亡くなり、アウラ一人になりました。
アウレがいなくなった喪失感は大きかったでしょうね。アウレの死についてはノルバウの証言もありますし、病院で相部屋だった人全員にあたりました。探すのが本当に大変でした。でも、貧困層の病院だったので、当時の住所に行っても誰もいないし、本名が違っていることもあって、見つかりませんでした。死んだ瞬間を誰も覚えていなくて、一人の看護師が見ていたそうですが、泣いてもいなかった。
──その後、アウレは埋葬されたんですよね。
ええ。ノルバウはアウラを埋葬に立ち会わせるべきと言っていたんですが、政府はそうしなかった。理屈がよくわからないんですが、ハレーションが怖いと。アウラを施設から病院に運んできて、穴を掘っている様子は見せて、それから別の場所に連れて行って、その後にアウレを埋めました。
全部見せるとアウラが塞ぎ込んだり暴れたりするリスクを否定できないというのが政府の公式見解になっています。ただ実は、ドライバーが帰りたいと言った説もあって。午後5時に仕事終わりだったところ、現場に着いたのが4時50分くらい。だから、すぐに帰りたくなったと、ドライバー本人は証言していました。
──アウラがお墓に行ったことは……?
ないですね。でも、連れていけば、覚えていると思います。ノルバウが埋葬を見せるように強く言ったのには理由がありました。埋葬を見せないとわれわれ(こちら側)がアウレを隠したり奪ったりしたと思われるかもしれない、だから死んだことをちゃんと見せるべきだ――そういう考えだったんです。それは誠実な態度ですよね。
アウラと国分さんの“交流”
──アウラは国分さんのことを認識しているんでしょうか? また、距離が近づいたかどうかわかるものでしょうか?
わかりますね。アウラもぼくのことを覚えているんです。現地に白人や黒人はいるんですが、モンゴロイドは珍しいみたいで、彼らとはモンゴロイドというくくりでは同じなんですよ。
もちろん、最初は距離がありました。それを詰めたほうがいいのかどうかも考えました。人間としては近づいたほうがいいですが、テレビ番組としてはどうなのか、と。でも、最終的には、ぼく一人で彼のもとに行っても平気でしたね。ちょっと嫌がる感じはありましたが。
アウラは一人になってから文明に依存しきっています。一人では生きていけないので、慣れたんでしょうね。(ノルバウが作った)800単語が書かれたノートを手に持って、しゃべりかけると反応してくれたりもしました。
──いまや服も着て、すっかり文明に馴染んでいる。
1987年の出現時には、政府の役人が約200キロ離れた施設に連れてきました。そのときにはじめて服を着たんです。でも服というものを知らないので着ることはできなくて、ズボンも片側に両足を入れたり、サンダルを手に身に付けたりしていたようです。
最初の3年くらいは服を着なかったそうですが、次第に慣れて着るようになりました。服のおかげで外的な恐怖から身を守れるし、寒くなくなるし……やっぱり、便利なんでしょうね。ズボンのベルトのところにナイフをバチッと差しておけば、両手が空いて別の作業もできます。
──アウラは生きるために、文明を受け入れていったんですね。
一人になって、圧倒的に変わりましたね。
──きっといろんなことをあきらめたんですね。
ええ。ぼくとノルバウはそう考えています。イゾラドだったころの何かを捨てたんでしょうね。
──何かを、捨てた。
アウラは賢いから、ここでの生き方をわかっているんでしょうね。でも、アウラが文明と馴染まざるを得ないと決めた感じは、本当に伝えるのがむずかしいです。
アウラの感情
──たった一人で寂しいと感じることはあるんですかね……。
どうなんでしょう。でも、イゾラドには、自殺がほとんどないと思うんです。そんなこと言っている場合じゃない。差別的になりますが、癲癇(てんかん)でも殺しちゃいますから、そういう危険性はある。現地で自殺のこともたくさん聞いたんですが、みんな知らないと答えていました。
──日本では自殺が多く、死にたいと言う人もいます。アウラのことを知ると、人間ってなんなんだろう、って考えてしまいます。
彼らはたった一人、二人で暮らしていたので、社会性はありません。妬みもない。あるとすれば、女性が現れて奪い合いになるケースくらい。人が少ないから、社会での評価とかもどうでもいい。
──競争とかも……。
ないですよね。
──欲はあるんですか?
それで言うと、今回久しぶりに会うにあたって、アウラにお土産を買って行きました。小屋に入る大義のためでもありましたが、ハンモックとビーズをあげました。アウラはものづくりが好きで、釣り糸にビーズを通したものを足首に付けたりしているんです。
──アウラ、喜びました?
すぐに違うこと喋りだしましたね(笑)。そして、全部奥に隠しました。アウラのところに滞在するのは、20分くらいが限界です。今回ノルバウと一緒に3回小屋の中に入りました。最後のお別れのときには、ぼく一人で行きました。お別れの言葉を教わって、それを伝えて。
──お別れのときは、どういう感じでしたか?
つくったビーズ細工を見せてくれました。切なくなりましたね。
──そんなアウラに会いたくなることは?
いつかアウラが亡くなったとして、その知らせを受けたらお墓に行くかもしれません。嫌だなあと思いますが。このインタビュー取材を受けるにあたり、政府の役人に「アウラ元気?」と聞いてみたところ、「サン・ルイスの病院で改善した」といったような返事が来て。言葉の間違いであればいいんですが、アウラは気管が弱く肺炎になりやすいので心配です。
カタルシスはいらない
──今回、「最後のひとり」を記録したわけですが、次も考えているんですか?
アマゾン取材は最後のつもりでやりました。
──国分さんのラスト・アマゾン。これを観た人はどう思うんでしょう。
昨今の人気のコンテンツには、共感とカタルシスがあると思っています。最近の『ボヘミアン・ラプソディ』はまさにそうでしょう。反対に、今回の『アウラ 未知のイゾラド 最後のひとり』はそのどちらもない話です。
もちろん、カタルシスがあるようにつくることもできた。視聴者がわかるように多くの説明を入れることもできた。でも、絶対に嫌でした。できるだけ隙間をつくることを意識しました。
アマゾン奥地で一人残ったアウラがいる。その独り言を懸命に聞くノルバウがいる。まもなく民族ごと消えてしまう。その事実が目の前にある。アウラとは何者なのか、過去に何があったのか、何を話しているのか、わからないことだらけです。番組を観た後、残るものは何か。言葉にならないもやっとする感じをいちばん伝えたいです。
NHKスペシャル「アウラ 未知のイゾラド 最後のひとり」
12月16日(日)夜9時10分〜総合テレビ
ナレーション 町田康(作家)
BS4K「アウラ」
12月16日(日)夜7時〜BS4K
朗読 町田康 / ナレーション 石澤典夫
30年前、アマゾンの深い森からこつ然と現れた素っ裸の2人の男。ブラジル政府はアウレとアウラと名付け保護した。だが2人の言葉は未知の言語で、誰一人理解できなかった。ある言語学者が周りのものを一つ一つ指しながら30年かけて800の単語の意味を探り当てた。やがてアウレが死亡。最後の一人となったアウラの調査を続ける中で、彼が、自分たちの部族に起きた「死」について語っていることが、明らかになっていく…。
https://courrier.jp/news/archives/146483/