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土山宗次郎が背負った田沼時代の「光」と「影」

2025-06-19 | アイヌ民族関連

 

歴史人 6/18(水) 16:00配信

6月15日(日)放送の『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』第23回「我こそは江戸一利者なり」では、蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう/通称・蔦重/横浜流星)に日本橋への出店の話が持ち上がる。吉原を捨てることになると反対する声もあがるなか、吉原の住人に突きつけられた現実が、蔦重に決意を促した。

■人気書店となった耕書堂に日本橋出店の話が持ち上がる

 1783(天明3)年、田沼意次(たぬまおきつぐ/渡辺謙)の権勢が頂点に達し、息子・意知(おきとも/宮沢氷魚)が奏者番に抜擢される。意次に近い土山宗次郎(つちやまそうじろう/栁俊太郎)は狂歌の会を頻繁に催し、この文化的潮流に乗じて蔦重に日本橋への出店を持ちかける。一方で意知は、蔦重に蝦夷(えぞ)地を天領とする計画への協力を求めるが、蔦重は拒否。しかし意知の言葉から、誰袖(たがそで/福原遥)や大文字屋の主(伊藤淳史)がこの件に深く関わっていることを察知する。

 その後、誰袖は女郎の衣装を口実に松前藩の廣年(ひろとし/ひょうろく)に琥珀の買い取りを依頼し、抜荷(ぬけに)を勧める。抜荷が御法度であることを理由に激怒する廣年の前で偽りの涙を見せ、誰袖は承諾を引き出すのだった。

・・・・・

https://news.yahoo.co.jp/articles/40b581b158ab045a7bcf8ed339d319e30bb31fb3

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