北海道新聞 09/04 16:00
崩壊した山腹の復旧が急ピッチで進む。遠く、緑の丘陵の所々に茶色の地肌がのぞく。
6日で発生から2年となる胆振東部地震で大きい被害を受けた胆振管内厚真町。その富里地区に1基の石碑がある。
探検家松浦武四郎(1818~88年)の来訪100年を記念して、1957年に住民たちがお金を出し合い建立した。 武四郎は江戸末期の1858年、6回目の蝦夷地(えぞち)探査の際、アイヌ民族が暮らす富里(当時トンニカ村)を訪れた。その時の様子を日誌に丁寧に書き残している。
最初の夜には、獲物のシカが畑に来たことを主人にそっと知らせに来た犬2匹を見て、実に優れていると感心している。
厚真産の北海道犬は特に優秀とされ、厚真町史によると後年、訪れた皇太子時代の大正天皇に献上されている。武四郎が見た犬の子孫だったかも―と想像が膨らむ。
トンニカは洪水に見舞われた直後で、武四郎は被災者に食料などを渡している。出発の際には勇払の会所に早馬を出し、被害状況を伝え、支援を促している。
アイヌ民族に寄り添い続けた武四郎の本領発揮である。
今、武四郎の石碑は、土ぼこりを上げて激しく行き交う工事車両を見守るように道路脇にたたずむ。
武四郎に詳しい厚真町教委の学芸員、乾哲也さんは「アイヌの人々をあれだけ気遣った武四郎さんのこと。きっと厚真の復興を遠くから応援してくれているはずです」と話す。
同感である。(相内亮)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/457052
崩壊した山腹の復旧が急ピッチで進む。遠く、緑の丘陵の所々に茶色の地肌がのぞく。
6日で発生から2年となる胆振東部地震で大きい被害を受けた胆振管内厚真町。その富里地区に1基の石碑がある。
探検家松浦武四郎(1818~88年)の来訪100年を記念して、1957年に住民たちがお金を出し合い建立した。 武四郎は江戸末期の1858年、6回目の蝦夷地(えぞち)探査の際、アイヌ民族が暮らす富里(当時トンニカ村)を訪れた。その時の様子を日誌に丁寧に書き残している。
最初の夜には、獲物のシカが畑に来たことを主人にそっと知らせに来た犬2匹を見て、実に優れていると感心している。
厚真産の北海道犬は特に優秀とされ、厚真町史によると後年、訪れた皇太子時代の大正天皇に献上されている。武四郎が見た犬の子孫だったかも―と想像が膨らむ。
トンニカは洪水に見舞われた直後で、武四郎は被災者に食料などを渡している。出発の際には勇払の会所に早馬を出し、被害状況を伝え、支援を促している。
アイヌ民族に寄り添い続けた武四郎の本領発揮である。
今、武四郎の石碑は、土ぼこりを上げて激しく行き交う工事車両を見守るように道路脇にたたずむ。
武四郎に詳しい厚真町教委の学芸員、乾哲也さんは「アイヌの人々をあれだけ気遣った武四郎さんのこと。きっと厚真の復興を遠くから応援してくれているはずです」と話す。
同感である。(相内亮)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/457052