TOCANA-2014/05/15
教養としての神秘主義 第12回
伝説のハンターが語る、クマへの対処法
現在、各地でクマの出没が相次いでいる。岩手県では、過去10年で最多の出没数であるとして、「注意報」まで発令された。またこのような現象は、山間部以外に暮らす人間にとっても決して無縁な話ではない。東京都でも八王子市から西側にはツキノワグマが生息しており、もはやクマは「日常的な猛獣」であると言える。誰もが一度は「クマとばったり出会ってしまったらどうしよう……」などと想像した経験があるハズだが、今その可能性が高まりつつあるのだ。
では、現実にクマが目の前に現れた時、私たちはどのように対処したら良いのだろう。この点について、すでに識者によるさまざまな手引きが存在している。極真空手の創始者である大山倍達は、人間のみならずトラやゴリラ、そしてクマなどの猛獣とどう戦うかを本に著しているし、環境省は「クマに注意」という詳細な冊子も配布している。しかし、もしあなたがクマと出会った時に本当に生き延びたいのであれば、『クマにあったらどうするか: アイヌ民族最後の狩人 姉崎等』(筑摩書房)を読んでおくべきだ。
■達人が語る“鉄則”、そして真剣勝負
「クマに出会ったら死んだふり」や「クマはヘビが嫌い」、「鈴をつけて山に入ればクマがよってこない」など、迷信のように流布している様々な「クマ対策」、一体何が本当なのだろうか?
・動いてはいけない
生涯に60頭ものクマを仕留めたクマ猟の達人、姉崎等(1923~2013)の言葉を聞き起こした本書によれば、クマと出会ったら「動いてはいけない」のが鉄則だ。クマは逃げるものを追い、動くものを攻撃する習性がある。クマの姿に驚いて背を向けて逃げ出せば、間違いなく後ろからやられてしまう。だから、こちらからは動かず、クマから目を離さずにじっとしていれば、向こうから去っていくことが多いのだという。
・死んだふりは有効な場合も
彼によると「死んだふり」は有効な場合もあるという。「クマは肉食じゃなくて、雑食だから人間を見てもすぐに襲ってくるわけではない。あちらも人間に出会ったらびっくりするぐらい、むしろ大人しい動物なのだ。死んだふりをしていれば、向こうの興奮が冷めて、命拾いをすることもあるだろう」とのことだ。
実際、姉崎がクマを仕留めるときも、この習性を利用していた。クマと出くわしても、彼はしばらく動かない。相手がこちらを威嚇しようと唸り声を上げても、心を騒がせることなく、じっとクマが落ちつくのを待つ。そして唸り声が穏やかになってきたその瞬間、クマの急所をめがけてズドン! と一発お見舞いする。本書で語られる、こうしたクマとの真剣勝負は、まるで西部劇のワンシーンのようである。
■しかし“諦めるしかない”場合も……。
ただ、こうして落ちついていられるのは、相手がまだ人間を襲ったことのないクマの場合に限られると本書は指摘する。
普通のクマは「もしかして自分よりも人間のほうが強いかも」と考えて人間に遠慮しているところさえあるが、人間を襲ったことのあるクマは、あっけなく倒れる人間の弱さを知っている。だから、迷うことなく人を襲う。達人であっても、これは怖い存在だ。
・噛み付かれた瞬間に舌を掴む
丸腰の状態でこんなクマに襲われたら「噛み付かれる瞬間に、思いっきり腕を口のなかに突っ込んで、舌を掴んで振り回す」くらいしか対応策はないのだという。ただ、基本的には「諦めるしかない」という言葉には戦慄を覚える。達人が言うのだから、素直に観念するしかないのだろう。
■姉崎等という男の魅力
しかし、こうした「クマ対策ハウツー」だけが本書の面白さではない。伝統的なアイヌの信仰や風俗についての語りもまたこの本の魅力を高めているし、姉崎の生涯も波瀾万丈だ。
内地の人間である父とアイヌの母親との「合いの子」だった彼は、アイヌの集落に住みながら、周囲から疎外されて育っていた。彼がアイヌの狩猟技術を必死で盗むようにして覚えたのは、父親を早くに亡くし、12歳で一家の生計を背負っていたからだ。姉崎のアイヌに対する客観的な視点は、こうしたマージナルな出自によるものだろう。
山の歩き方や過ごし方についても、「アイヌの人々ではなくクマから教わった」と姉崎は語る。崖を登るにしても、彼は人間流の登り方ではなく、クマ流だったようだ。だから他人と一緒に山へ入ると、誰も姉崎にはついていけず、足手まといになってしまった。彼はひとりで山に入り続け、クマの思考を読み、気持ちを理解しようと試みながら、クマを仕留める腕を磨いていったのである。
■尊重されるべき、クマの視点
クマから山を学んだ姉崎だけに、彼はアイヌの視点とアイヌを外側から見る視点だけではなく、クマの側から人間を考える視点まで持っているように思われる。クマは人間に遠慮しながら生きているけれど、人間はクマに遠慮せず、クマたちの生活圏にズカズカと足を踏み入れているのだ。「クマたちは自然のルールを守っていきてきたけれど、人間は自分たちで決めたルールさえ守れない。クマと人間とのあいだにトラブルが起きるのは、いつも人間の方に非がある」こうした指摘は、姉崎にしかできなかっただろう。
クマ撃ちの達人が発する、「クマは危険な生き物だ、という考え方から改めなければいけない」との言葉は、自然を考える上での新しい視点を提示している。
(文=カエターノ・武野・コインブラ)
■カエターノ・武野・コインブラ
会社員。日本のインターネット黎明期より日記サイト・ブログを運営し、とくに有名になることなく、現職(営業系)。本業では、自社商品の販売促進や販売データ分析に従事している。女子の素直な“ウラの欲望”に迫った本音情報サイト【messy】では「恋愛コンサル男子」を連載中。
http://tocana.jp/2014/05/post_4126_entry.html
教養としての神秘主義 第12回
伝説のハンターが語る、クマへの対処法
現在、各地でクマの出没が相次いでいる。岩手県では、過去10年で最多の出没数であるとして、「注意報」まで発令された。またこのような現象は、山間部以外に暮らす人間にとっても決して無縁な話ではない。東京都でも八王子市から西側にはツキノワグマが生息しており、もはやクマは「日常的な猛獣」であると言える。誰もが一度は「クマとばったり出会ってしまったらどうしよう……」などと想像した経験があるハズだが、今その可能性が高まりつつあるのだ。
では、現実にクマが目の前に現れた時、私たちはどのように対処したら良いのだろう。この点について、すでに識者によるさまざまな手引きが存在している。極真空手の創始者である大山倍達は、人間のみならずトラやゴリラ、そしてクマなどの猛獣とどう戦うかを本に著しているし、環境省は「クマに注意」という詳細な冊子も配布している。しかし、もしあなたがクマと出会った時に本当に生き延びたいのであれば、『クマにあったらどうするか: アイヌ民族最後の狩人 姉崎等』(筑摩書房)を読んでおくべきだ。
■達人が語る“鉄則”、そして真剣勝負
「クマに出会ったら死んだふり」や「クマはヘビが嫌い」、「鈴をつけて山に入ればクマがよってこない」など、迷信のように流布している様々な「クマ対策」、一体何が本当なのだろうか?
・動いてはいけない
生涯に60頭ものクマを仕留めたクマ猟の達人、姉崎等(1923~2013)の言葉を聞き起こした本書によれば、クマと出会ったら「動いてはいけない」のが鉄則だ。クマは逃げるものを追い、動くものを攻撃する習性がある。クマの姿に驚いて背を向けて逃げ出せば、間違いなく後ろからやられてしまう。だから、こちらからは動かず、クマから目を離さずにじっとしていれば、向こうから去っていくことが多いのだという。
・死んだふりは有効な場合も
彼によると「死んだふり」は有効な場合もあるという。「クマは肉食じゃなくて、雑食だから人間を見てもすぐに襲ってくるわけではない。あちらも人間に出会ったらびっくりするぐらい、むしろ大人しい動物なのだ。死んだふりをしていれば、向こうの興奮が冷めて、命拾いをすることもあるだろう」とのことだ。
実際、姉崎がクマを仕留めるときも、この習性を利用していた。クマと出くわしても、彼はしばらく動かない。相手がこちらを威嚇しようと唸り声を上げても、心を騒がせることなく、じっとクマが落ちつくのを待つ。そして唸り声が穏やかになってきたその瞬間、クマの急所をめがけてズドン! と一発お見舞いする。本書で語られる、こうしたクマとの真剣勝負は、まるで西部劇のワンシーンのようである。
■しかし“諦めるしかない”場合も……。
ただ、こうして落ちついていられるのは、相手がまだ人間を襲ったことのないクマの場合に限られると本書は指摘する。
普通のクマは「もしかして自分よりも人間のほうが強いかも」と考えて人間に遠慮しているところさえあるが、人間を襲ったことのあるクマは、あっけなく倒れる人間の弱さを知っている。だから、迷うことなく人を襲う。達人であっても、これは怖い存在だ。
・噛み付かれた瞬間に舌を掴む
丸腰の状態でこんなクマに襲われたら「噛み付かれる瞬間に、思いっきり腕を口のなかに突っ込んで、舌を掴んで振り回す」くらいしか対応策はないのだという。ただ、基本的には「諦めるしかない」という言葉には戦慄を覚える。達人が言うのだから、素直に観念するしかないのだろう。
■姉崎等という男の魅力
しかし、こうした「クマ対策ハウツー」だけが本書の面白さではない。伝統的なアイヌの信仰や風俗についての語りもまたこの本の魅力を高めているし、姉崎の生涯も波瀾万丈だ。
内地の人間である父とアイヌの母親との「合いの子」だった彼は、アイヌの集落に住みながら、周囲から疎外されて育っていた。彼がアイヌの狩猟技術を必死で盗むようにして覚えたのは、父親を早くに亡くし、12歳で一家の生計を背負っていたからだ。姉崎のアイヌに対する客観的な視点は、こうしたマージナルな出自によるものだろう。
山の歩き方や過ごし方についても、「アイヌの人々ではなくクマから教わった」と姉崎は語る。崖を登るにしても、彼は人間流の登り方ではなく、クマ流だったようだ。だから他人と一緒に山へ入ると、誰も姉崎にはついていけず、足手まといになってしまった。彼はひとりで山に入り続け、クマの思考を読み、気持ちを理解しようと試みながら、クマを仕留める腕を磨いていったのである。
■尊重されるべき、クマの視点
クマから山を学んだ姉崎だけに、彼はアイヌの視点とアイヌを外側から見る視点だけではなく、クマの側から人間を考える視点まで持っているように思われる。クマは人間に遠慮しながら生きているけれど、人間はクマに遠慮せず、クマたちの生活圏にズカズカと足を踏み入れているのだ。「クマたちは自然のルールを守っていきてきたけれど、人間は自分たちで決めたルールさえ守れない。クマと人間とのあいだにトラブルが起きるのは、いつも人間の方に非がある」こうした指摘は、姉崎にしかできなかっただろう。
クマ撃ちの達人が発する、「クマは危険な生き物だ、という考え方から改めなければいけない」との言葉は、自然を考える上での新しい視点を提示している。
(文=カエターノ・武野・コインブラ)
■カエターノ・武野・コインブラ
会社員。日本のインターネット黎明期より日記サイト・ブログを運営し、とくに有名になることなく、現職(営業系)。本業では、自社商品の販売促進や販売データ分析に従事している。女子の素直な“ウラの欲望”に迫った本音情報サイト【messy】では「恋愛コンサル男子」を連載中。
http://tocana.jp/2014/05/post_4126_entry.html