JBpress 2025.7.19(土) 真山 知幸 偉人研究家
NHK大河ドラマ『べらぼう』で主役を務める、江戸時代中期に吉原で生まれ育った蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)。その波瀾万丈な生涯が描かれて話題になっている。第27回「願わくば花の下にて春死なん」では、田沼意次と嫡男の意知は米の高騰問題に対処するが、なかなか状況は好転しない。一方で、一橋治済は意次が秘密裏に動いていることを知り……。『なにかと人間くさい徳川将軍』など江戸時代の歴代将軍を解説した著作もある、偉人研究家の真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部)
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松前藩が「蝦夷地」を支配した経緯
先の道廣のセリフで「我が祖先が数多の戦いを経て平定した」とあったように、古来よりアイヌ民族が居住する蝦夷地に、12~13世紀から和人が南部に移住。15世紀半ばには、アイヌ民族が立ち上がり、和人と戦を繰り広げることとなった。
繰り返されるアイヌとの抗争に終止符を打ち、和平協定を結んだのが蠣崎氏(かきざきし)である。
そして豊臣秀吉が小田原城の北条氏を滅ぼし、いよいよ天下統一を果たすのを見て、蠣崎氏の第5代当主・蠣崎慶広(よしひろ)が前田利家にアプローチ。秀吉の謁見にこぎつけると、従五位下・民部大輔に任じられる。翌年に起きた九戸政実(くのへ まさざね)の乱に秀吉方として参戦。朝鮮出兵においても、いち早く肥前国名護屋に赴いた。
その熱心な働きぶりが秀吉に賞賛されると、慶広は文禄2(1593)年、蝦夷地の支配権を認める朱印状を下賜され、蝦夷地の支配を認めてもらうこととなった。その後、徳川幕府を開いた徳川家康からも、変わらずに蝦夷地を治めることを許されている。
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