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先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

特別展「アイヌの美しき手仕事」 豊田市民芸館  愛知・豊田市

2024-12-08 | アイヌ民族関連

中共テレビ12/7(土) 11:42配信

 古くから伝わるアイヌ民族の工芸品を一堂に集めた展示会が、愛知県豊田市で開かれています。

 会場の豊田市民芸館では、アイヌ民族が手作業で作った工芸品や衣装など約230点が展示されています。中心に「アイヌ文様」が描かれた衣裳や、幾何学文様が魅力的な刀掛け帯など、訪れた人たちは、古来から伝わるアイヌの工芸品を興味深そうに見入っていました。7日は午後2時から会場で、アイヌの工芸文化に関する記念講演が行われます。特別展「アイヌの美しき手仕事」は、今月15日 日曜日まで開催されています。

https://news.yahoo.co.jp/articles/f9efca13a8a787b4532bcfd45471f67f0300e1d5


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写真特集:クリスマスの魅力あふれるきらびやかな欧州各地の町並み

2024-12-08 | 先住民族関連

CNN 2024.12.07 Sat posted at 14:27 JST

フィンランド・ロバニエミ:オーロラや、先住民族のサーミ人の伝統、サウナなど、数え切れないほどの魅力があるが、この町は年末になると、サンタクロースの故郷だという事実を大いに堪能する/Petr Svancara/AP

クリスマスの魅力があふれる欧州各地の町並みを紹介する

https://www.cnn.co.jp/photo/35227040-9.html


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レオナルド・ディカプリオ、アートバーゼルのチャリティーイベントで250万ドルもの巨額の収益を上げる

2024-12-08 | 先住民族関連

Njpw Fun 12月 7, 2024 から 美優富重 - 

レオナルド・ディカプリオ マイアミのアート バーゼルで注目を集め、彼の自然保護団体のためにスターがちりばめられた慈善パーティーを主催し、その目的のために多額の資金を集めました。

Re:wild(先住民族、地元の指導者、地域組織と協力して地球を救う団体)の共同創設者である俳優は、金曜の毎年恒例のイベントに全力でマイアミの私邸に現れ、中止となった。 250万ドルで。

ジェイミー・フォックス そして フライムーン オークションで手綱を引き、マダガスカル、アルゼンチン、エクアドル、ルワンダへの一生に一度の旅行を提案した。

アートバーゼルなので、当然、限定のアート作品も出品されました。

オークションの収益は、世界で最も重要でかけがえのない森林の保護と回復に取り組む、最前線で活動するサポートパートナーやコミュニティに直接寄付されます。

レオは、慈善活動に関して先頭に立つことに精通しています。彼は、地球規模の環境保護活動、海洋保護の擁護、生物多様性の保護、先住民コミュニティの高揚などに 2 億ドルを超える助成金を注ぎ込んできました。

https://www.njpwfun.com/エンターテインメント/33228/レオナルド・ディカプリオ、アートバーゼルのチ/


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上野樹里「涙が溢れそうになりました」ニュージーランドの“森の神”を訪ねて感じたこと[FRaU]

2024-12-08 | 先住民族関連

JOSEISHI.NET 12/7(土) 10:40

世界最古の巨木といわれるカウリの木。ニュージーランドのみに分布するカウリの中でも、現存する最大級の木は「タネ・マフタ」と呼ばれ、その樹齢は2000年以上ともいわれる。先住民マオリが森の神として崇め、度々伝説にも登場する神秘的な存在。以前からタネ・マフタを見たいと思っていた俳優の上野樹里さんが、原始の森ワイポウアを訪ねました。

上野樹里 うえの・じゅり

俳優。1986年、兵庫県生まれ。2001年デビュー。映画『スウィングガールズ』(04)、ドラマ『のだめカンタービレ』(06)で人気を博す。以降もドラマ『監察医 朝顔』(19)、映画『隣人X 疑惑の彼女』(23)など多数出演。

先住民マオリが崇めたカウリ、森の神タネ・マフタの伝説とは

タネ・マフタは屋久島の縄文杉と『姉妹木協定』を締結している。生存競争を勝ち抜くため、自ら枝と樹皮を落としながら成長。上部のみに数百種の植物が着生、寄生する。

俳優の上野樹里さんがデザイン・ディレクターを務めるブランド〈TuiKauri(トゥイカウリ)〉。その名前の由来は、ニュージーランド先住民マオリの言葉で、固有種の青い鳥「Tui(トゥイ)」と巨大樹「Kauri(カウリ)」の2つの組み合わせからきている。12年ほど前に留学していたこともあり、土地からインスピレーションを受け、また上野さん自身の名前に「樹」を含むことから名づけたという。ニュージーランド政府観光局のキャンペーンアンバサダーを務めたこともあり、何かとこの地に縁のある上野さんが、今回訪れたかった場所が、カウリを見ることができるニュージーランド北島のエリアだ。

ワイポウアの森にある、樹高51.5メートルの巨木タネ・マフタの前で。

北島の原生林に自生する樹木の中でもひときわ大きく成長するカウリは、針葉樹の一種で、ナンヨウスギ科(アガチス属)の樹木。その起源はなんと約1億9900万~1億3500万年前、かつて恐竜がいたジュラ紀まで遡る。最大の特徴は、数千年もの時間をかけて、ゆっくりと成長する木ゆえ、長寿で巨大に育つこと。もっとも大きい木は、マオリ語で「タネ・マフタ」=森の神と呼ばれる。現存する最大のタネ・マフタの樹齢は2000年ともそれ以上ともいわれる。

今回目指したのは、オークランドから北に44時間ほど車を走らせた場所にある、ワイポウアの森。ガイドをしてくれたのは、マオリのヘニ・マティスさん。現在、カウリの木は保護対象になっており、一般公開されている場所は、柵や歩道で整備されている。歩いて55分も経たないうちに目の前に現れたのは、天に向かって伸びる巨大なタネ・マフタだ。

写真:上野さんが手がけるブランドの絞り染めのワンピース¥60500、Tシャツ¥13200(ともにトゥイカウリ/アルディム) パンツ¥23100(レッド カード プレ/トゥモローランド) ネックレス¥15950(ソワリー/ソワリー) その他(スタイリスト私物)

「現存する最大となります。地面から最初の枝までの高さは17.7メートル。幹の周りは13.8メートル。樹高は51.5メートル。ビル15階建てに相当する高さがあります」とヘニさんが教えてくれる。上野さんはしばらくの間このタネ・マフタを見上げて、ぽつり。

「とても神聖な空気が流れていますね」

それを聞いたヘニさんは頷いて、「そう、タネ・マフタはマオリにとって、神のような存在です。祖先から伝わる神話では『この世をつくった樹』といわれています。マオリの文化に密接に関わってきた木でもあるので、数多くの神話が残っています」

タネ・マフタの周辺には割れた球果が散っていた。

その言い伝えの一つ、有名な天地創造の神話では、タネ・マフタは、ランギヌイ(空の父)とパパトゥアヌク(大地の母)の2人の神から生まれた子どもだったそうだ。父と母は固く愛し合って片時も離れなかったので、大地と空はくっつき、世界は闇に覆われていた。息子のひとりでのちに森の神となるタネ・マフタは、空と大地の間で大きく成長するにつれて、父と母を引き離すようになった。すると強い光が差し込み、そこから新しく現在の世界が誕生した。森の神となったタネ・マフタは、生命を与えることができ、地上にいるすべての生き物は、タネ・マフタの子どもであるとされている。

Photo:Tomoyo Yamazaki

そう教えてくれたヘニさんは、ニコリとして「ホンギをしましょう」と、上野さんに鼻を軽く合わせるよう促す。ホンギは伝統的なマオリの挨拶で、「仲間になった証」として対面する2人が鼻と鼻を押し当てる行為。格式のある挨拶でもある。

かつては現在のタネ・マフタの3倍ほどの大きさのカウリも存在していた。写真はその年輪の大きさを示すもの。

マオリの人々によって、特別な存在として崇められてきたカウリの木の前に立ち、いま対峙していることに感謝を伝えるために、ヘニさんは透き通るような歌声で、“カラキア”という祈りを捧げ、伝承歌を歌う。その様子を真近で眺める上野さん。

年輪を見ると何千年もの時間をかけて成長することがわかる。

「ヘニさんがカラキアをしているとき、カウリがとても喜んでいるように感じました。私たちがここにお邪魔させてもらった感謝と祈りが伝わったのかな。私はこのタネ・マフタの長い歴史を知っているわけではないけれど、親近感と畏敬の念が交錯して涙が溢れそうになりました。その後の“ククパ”というバードソング、これはラブソングとのことですが、隣の木にいた、つがいの鳥が歌を聴いて、一緒に飛び立った。まるでカウリや鳥に、こちらの思いが通じているような、神秘的な時間でした」

Waipoua Kauri Forest(ワイポウア・カウリ森林保護区)

Waipoua Kauri Forest,Northland, New Zealand

The Kauri Museum(カウリ博物館)

住所:5 Church Road, Matakohe 0593,New Zealand

開館:9:00~17:00

無休(クリスマスを除く)

消滅していったカウリの森。 守るためにすべきことを考える

ワイタンギ・トリティ・グラウンド』では、ニュージーランドの成り立ちや先住民マオリの文化を知ることができる。マオリの部族が集まり、会合などを行う伝統的な集会場にて。

ワイポウアの森を後にして、カウリとともにあったマオリに触れ、その歴史をもっと深く知りたくなったと上野さん。次に向かったのは、ワイタンギ条約が締結された地として知られる『ワイタンギ・トリティ・グラウンド』。

写真:ベストのように着たドレス¥121000(バウト/ボウト) ノースリーブカットソー¥10450(ニコラ ジェンソン/リノウン) パンツ¥39600(ギャルリー・ヴィー/ギャルリー・ヴィー 丸の内店) ツーフィンガーリング¥40700(リューク/リューク) その他(スタイリスト私物)

2つの民族が一つの国を築く礎となったワイタンギ条約締結の地。旗竿は、1840年2月6日にワイタンギ条約が調印された場所を示している。

ワイタンギ条約とは、ニュージーランド初の条約として、1840年、英国の君主とマオリの間で締結された条約だ。同条約締結を機に、ニュージーランドは英国領となるが、マオリが有する土地や文化の継承は約束された。一方でこの条約には、締結以来、その解釈について今なお多くの問題が残されている。当時の英語版とマオリ語版の条文は、法制定の経験の浅い、もしくは全くない人々によって作成された翻訳だったことから、両者の間では解釈が異なることがあり、その論争は現代においても続いている。

近隣には森があり、散策することができる。

9世紀から10世紀頃、ニュージーランドの地に初めてたどり着いたのは、北のポリネシアからカヌーでやってきたマオリの人々と伝わる。彼らはカウリの木で生活に必要なものだけを作っていた。だが、18世紀末頃から、ヨーロッパ人が入植してきたことで、森林は次第に開発されていく。カウリは伐採され、羊や牛が放たれ、牧草地と化した。かつてニュージーランド北島には120万ヘクタールのカウリの森が広がっていたが、18世紀末から20世紀前半にかけて大量に伐採されたことで、今では7500ヘクタールまで大幅に減少。現在の分布は、ニュージーランドの北島北岸のコロマンデル半島、オークランド西のワイタケレ地域、ワイポウアとその周辺の森のみとなってしまった。

「この国に豊富にあったカウリの森が、ものすごいスピードで消滅していったことを知りました。かつてはマオリの人々がカウリの木を使って、立派な集会場や航海のためのカヌー、伝統工芸の彫刻を作っていた。そうやってマオリの文化は形成されてきた。一方で、入植によって、さまざまな環境が変わってしまった。もちろん土地の発展のために良い面もあったとは思います。2つの民族が一つの国を築くことになったワイタンギ条約締結の地を訪れて、今現在、両者はいがみ合っているわけではないけれど、カウリのことを考えると、やはり複雑な気持ちになります」

ガイドから野鳥の羽をもらう上野さん。

近年、カウリは「カウリ・ダイバック」という病によって、さらなる危険にさらされている。感染力が強く、病に感染している木の近くを通った人や動物を通して、さらに感染が広がってしまうという。

『ワイタンギ・トリティ・グラウンド』に隣接する『ワイタンギミュージアム』のエントランスにて。

「ワイポウアの森では、立ち入り禁止になってしまった場所もあると聞きました。今、カウリはマオリだけでなくニュージーランド全体で守ろうとしている。その取り組みや背景を知ることで、もっと木を守りたい気持ちになりました。『木や森を守ろう』とは言葉では簡単だけど、実際には何をしていいかわからないことが多い。」

ガイド付きツアーがあり、ミュージアム以外にもマオリ文化のパフォーマンスや儀式用カヌー(ワカ)を見学することができる。

「でもシンプルに、自分の目で見て、近くで木を『感じる』ことが大事なのかなと。大切にしたいと思う気持ちの積み重ねが、環境を守ることにつながるのではと、そんなふうに思いました」

Photo:Tomoyo Yamazaki

Waitangi Treaty Grounds(ワイタンギ・トリティ・グラウンド)

住所:Tau Henare Drive, Waitangi 0293

開館:9:00~17: 00、9:00~18:00(夏期)

無休(クリスマスを除く)

●情報は、FRaU2024年8月号発売時点のものです。

https://news.yahoo.co.jp/articles/f4090217424e7c4db042d6b02afc80f188323757


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【北海道奥尻町】360度の大パノラマが一望! 「球島山」の魅力、人気のふるさと納税返礼品とは?

2024-12-08 | アイヌ民族関連

マイナビニュース 2024/12/07 08:00

北海道の南西端に位置する奥尻町(おくしりちょう)は、江差町(えさしちょう)の西北61km・せたな町の南西42kmの日本海に浮かぶ離島です。

町域面積は142.98平方kmで、北海道内の北方領土を除く離島では、利尻(りしり)島に次ぐ2番目の大きさ。花崗岩の段丘で形成された滝が多い地形で、中央部には標高584.5mの神威(かむい)山があります。東海岸は比較的平野部が多く、西海岸は断崖が続く地形で、かつて硫黄が採鉱されていたこともあり、温泉が湧くのだそう。

気候は比較的温暖で、ウニやアワビをはじめとする質の高い海の幸が豊富。また、ブナ林に蓄えられた水でつくられた米やアスパラガス、ぶどう、肉牛などの農畜産業が営まれ、山林では山菜も多彩です。

昭和35年4月20日に指定された「檜山(ひやま)道立自然公園」の一部で、自然美が豊かな観光地であるのも特徴です。

町名は、古いアイヌ語の「イクシュン・シリ」その後「イクシリ」となまったもので、「向こうの島」を意味することが由来なのだそう。約8,000年前の縄文時代早期に人が移り住んだことから歴史は深く、多くの貴重な遺跡や遺物が出土しています。

今回紹介するのは、そんな奥尻町の人気の観光スポット「球島山(たましまやま)」。奥尻島の中では3番目に高く撮影スポットとしても人気の山とは、一体どのようなところなのでしょうか。

本稿では、マイナビふるさと納税担当者が気になった観光スポットとふるさと納税返礼品を紹介していきます。

今回は、奥尻町の観光スポット「球島山」の詳細や、返礼品について調べてみました!

魅力がいっぱい! 奥尻町自慢の観光スポット「球島山」について

・北海道奥尻郡奥尻町球浦

アクセス:奥尻港から車で15分程度

標高369.3mで、奥尻島の中では3番目に高い「球島山」。山頂からの景色は360度の大パノラマが広がり、晴れた日には松前沖の島々を遠望でき、夜には漁火や満天の星空を楽しむことができます。

フェリーターミナルから車で約20分の距離にあり、駐車場からは90段の階段を登るだけで到達できるため、気軽に訪れることができるアクセスの良さも魅力の一つです。

また、四季折々の自然の美しさを体感できる場所でもある「球島山」。春には桜、初夏にはハマナス、秋にはブナの紅葉と、季節ごとに異なる風景を楽しむことができます。

周囲には、ほかにも見所が満載! 奇岩巡りや温泉地など観光スポットが多数あるので、「球島山」を起点に観光するのもおすすめなのだそう。

自治体からのメッセージ

私たち奥尻町は、美しい自然と豊かな文化を誇る地域です。四季折々の景色が楽しめる球島山や、地元農家が心を込めて育てた「ふっくりんこ」、そして、奥尻島ならではの新鮮な海の幸をぜひお楽しみください。

また、私たちのまちでは「ふるさと納税」を通じて、地域振興に取り組んでいます。皆さまのご支援により、さらなる地域の発展を目指しています。寄附者の皆様には、奥尻の特産品や体験を通じて、奥尻の魅力を直接感じていただける返礼品をご用意しております。

観光や移住をご検討の方は、ぜひ奥尻町を訪れ、私たちの温かいおもてなしと豊かな自然に触れてください。皆さまのお越しを心よりお待ちしております。

奥尻町のふるさと納税返礼品について

奥尻島の特産米「ふっくりんこ」や、島内ですべての製造プロセスを行う“離島ワイン”である「奥尻ワイン」を紹介します。どちらも奥尻町の中で人気の返礼品なのだそう!

【令和6年収穫分!! 】北海道 奥尻産 ふっくりんこ 7kg(2kg+5kg)

・提供事業者:株式会社 私市兄弟商店

・内容量:7kg

・寄附金額:2万1,000円

北海道のなかでも道南地域特有の豊かな風土で栽培される、奥尻島の特産米「ふっくりんこ」です。粒のふっくらとした質感と甘み、冷めてもおいしさが長持ちするのが特徴。奥尻島では、主に18軒の農家が手間をかけて育て、豊かな海や清流の恩恵を受けた土壌で栽培されることで、より甘みともちもち感が際立つ仕上がりとなっているとのことです。

奥尻ワイン~シリーズ~(各種4~6本)

・提供事業者:株式会社奥尻ワイナリー

・北海道奥尻郡奥尻町湯浜300

・内容量:750ml

・寄附金額:5万6,000円

北海道の離島である奥尻島で栽培されるぶどうを100%使用して作られた「離島ワイン」として、独自の味わいが特徴的な「奥尻ワイン」。2015年の日本ワインコンクールで銀賞を受賞するなど、国内外で高い評価を得ています。うにやいくらなどの和食や海鮮との相性が抜群! 島を訪れる観光客からも人気なのだとか。

 

今回は北海道奥尻町の観光スポット「球島山」の魅力と、人気のふるさと納税返礼品を紹介しました。「球島山」は、春には山までの町道「桜木線」沿いに桜の開花が見られ、晴れた日の頂上からは対岸の檜山沿岸、島の北部一帯を一望できます。返礼品の「ふっくりんこ」は、島の自然と味わいを堪能できる逸品として、評価を得ているそうです。気になる方は一度チェックしてみてくださいね。

https://news.mynavi.jp/article/20241207-3062508/


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【北海道の難読地名】北海道の南西部にある「新冠」って何と読む?その由来は?

2024-12-08 | アイヌ民族関連

リビング札幌Web 2024/12/07

北海道といえば、難読地名の宝庫!道民ならたいてい知っているけど、それ以外の人からは、なんて読むか分からない地名がたくさんあります。

そんな地名を探して、クイズにします!

北海道の南西部にある「新冠」は何と読む?

北海道南西部・日高地方に位置する「新冠」。よく難読地名の一つとして目にしますよね!何と読むか分かりますか?

さて、正解は?

正解は・・・

「にいかっぷ」でした!

その由来は?

アイヌ語の「ニカプ」が語源で、「木の皮」を指すと言われています。この地帯のアイヌの人々はオヒョウ(ニレ)の木の皮で着物を作っていたそうで、それが茶褐色を帯びていたことから、この名前が付けられたと言われているんだとか。

馬産地としても有名な新冠を走る国道235号沿いは「サラブレッド銀座」とも呼ばれていて、多くの牧場が広がっています。春から秋の緑が美しい時期に訪れるのがおすすめです。

また、町内の優駿メモリアルパーク内には、入場無料の「優駿記念館」も。誰もが知っているオグリキャップのほか、名馬の品が展示されています。優駿メモリアルパークの正面にはオグリキャップの等身大馬像が建てられていて、絶好の撮影スポットとなっています。

※2024年の営業は終了しています(2024年12月6日現在)

https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/北海道の難読地名-北海道の南西部にある-新冠-って何と読む-その由来は/ar-AA1vpK28?ocid=BingNewsVerp


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練馬・新桜台駅の壁画アート第1弾が完成 警備員にプレゼントも

2024-12-08 | 先住民族関連

みんなの経済新聞 2024年12月7日

 オーストラリア出身の美術家「アレサ・ブラウン」さんが12月6日、西武有楽町線・新桜台駅3番口近くにあるコンコースで壁画アート作品の完成披露を行った。(練馬経済新聞)
 絵を贈ったモハメドさんと記念撮影に応えるブラウンさん
 西武鉄道とNOMAL(中野区)の共同で駅に壁画アートを制作する「SEIBU BLUE ART STATION」プロジェクトの一環。ブラウンさんは11月20日から作品制作を始め、この日完成を迎えた。
 ブラウンさんは「大学が近い場所にあるため若い人に見てもらえたことがとてもうれしい。(作品制作中)オーストラリアでは普通に通り過ぎる人が多いが、日本人はとてもフレンドリーで子どもたちが話しかけてくれたり、お菓子を差し入れてくれたり、優しさを感じた」と振り返る。「滞在中は、カフェ巡りや好きなウナギを食べたりすることができた。東京は忙しいイメージがあったがこのエリアは落ち着いていてこれが実際の『Ture Tokyo』なのでは」とも。
 完成作ではラフデザインになかった「JUNAAMBA-MINY」の言葉を加えた。同言葉はオーストラリア先住民の血を引くブラウンさんの部族「ガンビンギール語」で「(前向きに)物事を正す」を意味する。「日本もお年を召した方を敬う文化があり、そうした姿勢で正しくありたい。世界平和を祈って楽しむために、正しくありたい」とブラウンさん。今回、ブラウンさんが気に入っているタカラ塗料(大阪府)の壁画専用塗料を使えたことに「とても良い感じで制作できた。可能であればスポンサーになってほしい」と笑顔を見せる。
 制作が終わり帰国するブラウンさんは、期間中サポートをしていた警備会社ティーエムエスの従業員モハメド・カムルズサマンさんに自作の絵を贈った。モハメドさんはバングラディシュ出身で、日本語と英語を話すことができ警備員の仕事をしながら通訳をすることもあったという。モハメドさんは「最後にこのような絵を頂き、裏には感謝のメッセージも書かれていた。とても幸せでうれしい」と笑顔を見せる。

https://www.goo.ne.jp/green/column/minkei_nerima1696.html


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<一冊一会>小さくてもインパクトは大きい文庫、旅行や出張に持っていきたい5冊

2024-12-08 | アイヌ民族関連

Wedge 12/8(日) 5:02

今月は「文庫」から5冊の本を選んでみました。

サイズは小さいですが、インパクトは大きいです。

沖縄の歴史

 沖縄は今でこそ日本の一部とされているが、それがどのような過程を経てそうなったのか。かつての琉球は中国と日本のどちらかに偏ることなく、バランスを取りながら存在してきたが、明治維新以降、日本は自らの側に偏ること、日本の一部となることを強要する。当然、琉球内部には、混乱と反発が生まれた。本書ではその様子がよく分かる。先の大戦で地上戦が行われ、今も米軍基地の負担が重い沖縄。私たちはその歴史に真摯に目を向ける必要がある(上下巻)。

個人の不在

 ハーバード大学を卒業し、日米開戦後には「負ける側にいたかった」という理由から、「日米交換船」に乗って母国に帰ることを選択した鶴見俊輔。明治国家は、江戸時代には存在した「個人」がつくった「樽」のようなものであり、その樽がしっかりしていたために、日本からは個人が消えてしまったという。つまりは受験エリートのような人ばかりになったのだ。では、個人はどこから出てくるのか。沖縄ではないかと鶴見は指摘している。

あいぬ物語

 2019年の直木賞作品。読み終わって驚いた。登場する人物の多くが実在していたのだ。明治初期、ヤヨマネクフという樺太生まれのアイヌと、ブロニスワフ・ピウスツキというリトアニア生まれのポーランド人の人生をたどることから物語は始まる。共に日本とロシアという帝国に、言葉を奪われ、その存在も消されそうになる。なぜ、ポーランド人が樺太に行くことになるのか、それ自体が歴史の大きなダイナミズムだ。そして、一人は南極へ、もう一人は妻子を残して母国の独立運動に参加する。ヤヨマネクフの物語は金田一京助の『あいぬ物語』が基になっていることも初めて知った。

戦後、台湾人がいた場所

 日本の台湾統治とともに日本内地に渡った台湾人。戦後、帰る場所を失った彼らは、未開発な地域であった歌舞伎町で商売を始めた。〝光は新宿より〟のスローガンから戦後ヤミ市の一歩が踏み出され、新宿西口で喫茶店「ルンバ」を作った黄進生の話を中心に歴史は語られる。台湾人が歌舞伎町に戦後初の名曲喫茶「らんぶる」を始め、キャバレーなどの娯楽施設も手掛けていたという事実は、歌舞伎町の新しい側面を知ると同時に、街を見る目が変わるきっかけとなるだろう。

ある政治家を取り巻くミステリー

 人は少なからず仮面を被って生きている。簡単に腹の内を見せられない政治家は、どのくらいの仮面を持つのだろう。そして仮面の中身が、誰かに操られていたとしたら─。主人公は、政界エースの清家一郎。彼をサポートするのが、秘書の鈴木、母・浩子、恋人・美和子だ。あるきっかけから清家へ違和感を抱いた新聞記者の道上は、彼を裏で操る人物を探るべく取材を進める。優越感や独占欲、登場人物たちの様々な思いが絡み合う中、最後に「笑う」のは誰なのか。

https://news.yahoo.co.jp/articles/6cbea4d6381f2553307d1bb2d5b107dceb3e8aaa


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復活した大和伝統野菜を味わう|粟 ならまち店【奈良の美味処】

2024-12-08 | 先住民族関連

サライ12/7(土) 17:00

「陶板焼」はコースのメイン。大和牛のリブロース、紫とうがらし、栗南瓜、オクラなどを陶板の上で自ら焼きながら味わう。

咲き誇る花と緑の織りなす美しさを、うるわしと讃えられた大和の国。悠久の古を歩きながら、この地で産する食材をふんだんに用いた料理をじっくり味わいたい。

写真はこちらから→復活した大和伝統野菜を味わう|粟 ならまち店【奈良の美味処】

粟 ならまち店|復活した大和伝統野菜を味わう

奈良在来種の種を保存し、収穫した野菜など作物は自社の料理店で提供するなど、真摯に農業の未来と向き合ってきた人がいる。『粟(あわ)』の三浦雅之さん(54歳)、陽子さん夫妻だ。大和伝統野菜の種を探して復活させ、保存にも努めてきた。さらには、収穫した野菜を料理にして供することで、個性ある味わいや料理との相性を、伝え続けてきたのだ。

「私たちがこの地で農作を始めたのは28年ほど前でしょうか。当時栽培されていた大和野菜は、わずか9種でした。京野菜や加賀野菜は全国的に認知されているのに、大和野菜は地元の人もそれほど知らなかった。だから、私たちは古い農家さんを回って話を聞き、種を譲っていただいた。無農薬、有機肥料で作ってきたのです。現在では53種にもなりました」と雅之さんは語る。

ともに医療、福祉に携わっていた三浦さん夫妻は、新婚旅行で訪ねたアメリカで先住民に出会い、伝統の作物を受け継ぎ健康を保つ彼らの生活の中にこそ、予防医療や福祉を考えるヒントがあると感じたという。

「気候風土や季節にそって作る野菜や穀物を摂ることで体を保つ。現代人が忘れている当たり前のことに私たちも取り組もうと思ったのです」(雅之さん)

2001年に農家レストラン『清澄の里 粟』(奈良市高樋町)を開業。時季の野菜や伝統食材を盛り込んだ料理の美味しさを広めている。

『清澄の里 粟』の姉妹店として2009年に開業したのが『粟 ならまち店』。

「市街地にも店を開き、国内外のみなさんに大和伝統野菜の本来の味わいを知ってほしかった」と話すのは、前出の三浦雅之さん。その日に収穫された野菜が届き、料理にできるのが一番の強みだろう。

ここで味わえるのは、三浦さんが手塩にかけて育てた大和伝統野菜のほか、露地ものの地野菜、鎌倉時代から継がれる大和牛、自然環境の中で育てられた田舎どりなどを使ったコース料理。なかでも籠盛の前菜は、奈良の多彩な食材を味わえると評判だ。たとえば、夜の「大和牛と野菜のディナーコース」には、つるむらさきの白和えや大和丸なすの田楽といった8種類ほどの野菜料理、大和牛のしぐれ煮やローストビーフも盛り込まれ、食べ応え充分。籠盛以外にも、葛餡仕立ての炊き合わせ、大和牛の陶板焼き、三輪素麺が付く。

「秋までは大和丸なすや栗南京(かぼちゃ)などが美味しいです。味だけでなく、食感や香りといった独特の風味を感じてください」と店長の新子大輔さん(48 歳)。

季節ごとに足を運んで、歴史ある奈良の食文化に親しみたい。

◆粟 ならまち店

奈良市勝南院町1

電話:0742・24・5699

営業時間:11時30分~14時、17時30分~20時30分(いずれも最終注文、要予約)

定休日:火曜 

交通:近鉄奈良駅より徒歩約10分

※この記事は『サライ』本誌2024年11月号より転載しました。

https://news.yahoo.co.jp/articles/13be2e672a3c507b51053c10358f49fae8f0f271


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主人公は書籍流通の仕組み。でき上がったらお役御免です『書楼弔堂 霜夜』(完結巻)京極夏彦インタビュー

2024-12-08 | アイヌ民族関連

集英社 2024/12/07 12:00

京極夏彦の明治を舞台とした小説『書楼弔堂』が第四巻『霜夜』でついに完結する。無い本は無いという不思議な本屋・弔堂の主が、訪れる客たちにその人だけの一冊を選書するという連作。今回は時計の針が明治四十年に設定されている。

主人公は書籍流通の仕組み。でき上がったらお役御免です

京極夏彦の明治を舞台とした小説『書楼弔堂』が第四巻『霜夜』でついに完結する。無い本は無いという不思議な本屋・弔堂の主が、訪れる客たちにその人だけの一冊を選書するという連作。今回は時計の針が明治四十年に設定されている。シリーズのそもそもの始まりから、『霜夜』に登場するゲストの人選まで、インタビューで最新作を深掘りしてみた。
聞き手・構成=杉江松恋/撮影=大槻志穂

 この連作は、当時の担当編集者から明治時代の本屋さんについて書いてもらえないか、という提案があって始めたものです。明治は日本の書籍流通が劇的に変化した時代でした。それこそ刻一刻と様相が変わる。編集者の提案は、まだ書店で本を買うことが一般的ではなかった時期に、お薦め本を教えてくれる本のソムリエがいて……というような内容だったのですが、書籍流通の変遷自体を主役に据えたほうが絶対面白いと思いました。だから語り手の個性を前面に出さないため、視点人物については地の文に一人称を設けないという決め事をしました。第一作『破曉 はぎょう』の視点人物・高遠 たかとおは「役立たず」で、自由民権運動という大きな波に乗れなかった人。その頃は本の購読なんて特殊な人のすることでした。五年後の第二作『炎昼 えんちゅう』の時代になると本も自由に買えるようになり始める。でも諸事情で「読めない人」ということで、女性の塔子 とうこを語り手にしました。第三作『待宵 まつよい』の弥蔵 やぞうは、さらに時代が進んで本も入手しやすくなっているんだけど、そういう世情から置いていかれた「時代遅れ」です。四作目を「本を作る人」にすることは最初から決めていて、当初視点人物は活字を拾う職人だったんですが、具体的な生活環境が摑みにくく、活字を作る手伝いをする男を採用しました。
―― 本編の語り手である甲野 こうのは、生業の長野版画が駄目になり、東京に出てきました。
 近代化の役に立たない者、男性中心主義の社会の中の女性、時代遅れの老人と、明治の世の中ができていく過程でパージされてきた存在をこの連作では語り手にしています。風俗史学の資料などを読むと、明治から大正、昭和にかけては、旧態依然とした文物を攻撃することで近代人としての自我を確立しようとしていた節があります。現代の価値観で測るなら非常に差別的なまなざしなんだけれど、例えば中央に対する地方は、それだけで差別対象でした。活字を作るという仕事は、役立たずにも、当時の女性にも、時代遅れにもできない。必然的に地方出身者を充てることになりました。
―― 最初から語り手と巻数の組合せも決まっていたわけですね。
『破曉』『炎昼』『待宵』『霜夜』という各巻の題名も決めていました。流通の夜明け、昼間、夕暮れ、そして夜中になって翌朝陽が昇る、朝昼晩夜という構成です。同時に『破曉』の第一話を「臨終」にして、『霜夜』の最終話を「誕生」にしようと決めて。
―― 甲野が長野版画の出身なのはなぜですか。
 出版に中途半端な形で携わった者が、自分の仕事に誇りを持てるまでを『霜夜』では扱おうと考えました。長野版画は江戸時代には盛んでしたが、明治になって下火になり途絶えてしまう。失業した職人が東京に出てきて出版に携わったらどうなるだろうと。ただ、版画の彫り師や摺り師と近代的な本の印刷に関わる人たちはまったく職種が違います。写植を打っていた人が、DTPでフォントを作る人にすぐにはなれないのと同じですよ。ただ同じ用途の仕事をしているわけだから、そういう転職があってもいいかなと思ったんです。
―― 話の入り口をそうやって決められたわけですね。
 甲野の自意識も重要です。江戸期の身分制度を明治はまだ引きずっていて、階層ごとに意識は異なっていたはずです。地方であればなおさらで、甲野が自分を田舎者と卑下してしまうのは、地方出身であることの引け目が彼の屈託につながっているからでしょうか。
―― 『炎昼』の塔子が女性であるために制約を受けていたのに似ていますね。そういう点に着目されているのが小説の特徴にもなっていると思います。
 この連作は特に事件が起きるわけではない、恋をするわけでもない、ただ弔堂のおやじとしゃべっているだけですからね。僕の小説はそういうのが多いんですが、それにしても何も起きない。そういう連作には、何もできない人を狂言回しにするのがいいだろうと思ったんですね。だから、面白くないんですよ、きっと。
―― そんなことないです(笑)。
 いや、面白くないんですけど、面白くないものを、面白そうに見せかけるのが小説じゃないのかと。あらすじだけで面白かったら、別に本文を読まなくていいし(笑)。

〈書楼弔堂〉は「徹子の部屋」?

―― 話の中心である弔堂の設定は、どのように決められたんですか。
 弔堂は時空を超えているという設定にしたかったんですけどね。幻のように立ち現れて、四作とも別の場所にある。小僧の撓 しほるもずっと小僧で年を取らない。でも、それだとファンタジーになってしまい、僕の手に余るからやめました。小僧にも五歳ずつ年を取らせて(笑)、主人にも人としての属性を与えましたが、還俗した僧侶という以外は作中であまり触れていませんね。ただ僕の小説にはたくさんしゃべる物知りおやじがよく出てくるので、他の登場人物、たとえば京極堂なんかとはありようを変えなくちゃいけない。弔堂は人の憑き物を落とすような、おせっかいな真似はしません。
―― 弔堂の主人は物語の中心ではないんですね。彼が来訪者にそれぞれの一冊を薦めるというのが物語の定型です。来客はみな歴史上の実在する人物ですが、それはなぜですか。
 もちろん実在の人物ではなくても成り立つんですけどね。渡す本を先に決めて、その本によってなんとかなるような人を創作すればいいわけですから。ただ、それだとなんでもありになる。答えを知ってから問題を作るようなもので、これはつまらない。実在の人物の場合、その背景も設定も勝手には変えられないですね。その強い縛りに、いかにもミスマッチな選書を当てるほうが、まだ面白かろうと。『破曉』の第一話では視力を失った浮世絵師に英語のノートを渡してますからね。絶対読めない(笑)。初回で振り切ったので後は楽になりました。とはいえ、毎回弔堂に有名人が来るという「徹子の部屋」スタイルですからね、毎回徹子さんが、いらっしゃいと出迎えるだけでは読者も飽きますよね。誰が来ようと意外性もなにもない。そこで『炎昼』では視点人物以外の常連客で縦筋を作ったり、『待宵』では買わないで逆に売りに来る客を出したりしてみました。そういう振れ幅を持たせないと保 もたなかったでしょうね。『霜夜』に到っては、主より客の影響力の方が強い。弔堂はもう単なる装置でしかない。弔堂が書籍流通を体現した存在だとしたら、もう彼がいなくても成立する時代になったんです。彼は用無しになるべきで。
―― 確かに読んでいて、それまでのフォーマットが崩れているな、と思いました。
 結局ほぼ基本フォーマットに沿っていたのは一巻目だけですからね。『巷説百物語 こうせつひゃくものがたり』もそうなんですけど、僕は一冊ごとに形を変えないと気が済まないみたいで。自分が飽きてしまうんでしょうね。
―― 今回は各話の題名も「活字」「複製」「蒐集」「永世」「黎明」「誕生」と、どことなく大量印刷と流通の始まりを暗示するものになっていますね。
『破曉』の冒頭では丁稚 でっちが車を引っ張って本を買いに歩いています。つまり取次 とりつぎの仕事をしているんですが、『霜夜』では取次会社ができているから、彼らの出番はない。一作ごとに五年時間が経つという決まりにしたのは、そうした変化をわかりやすくするためでもありました。実は、最後に弔堂を火事で全焼させたかったのですが、編集者から反対されて沙汰止みに。ちょっと燃やしたかったですね(笑)。

『霜夜』成立の根底には
「週刊少年ジャンプ」があった

―― 各話のゲストについて伺いたいのですが、『破曉』にも登場する夏目漱石が「活字」で再登場するのはなぜなのでしょうか。
『破曉』にも夏目金之助は出てきますが、名前だけです。視点人物が漱石と同じ本を奨められるというだけ。だから最終巻には漱石本人を出そうと決めていました。明治四十年だと、専業作家として小説を書き始める時期なので、漱石は教師の重圧から解放されて嬉しかったでしょうし。新しい仕事について迷っている甲野に対して「活字はいいぞ」と言ってその気にさせる役目には適任じゃないかと。そもそも私は漱石の小説に非常に影響を受けているんですね。文豪なんだけど、格調高いというより軽妙さをもって時代に受け入れられた人ですよね。『坊っちゃん』や『吾輩は猫である』は、近代小説の形が定まって以降に書かれていたら、ただのユーモア小説と評価されていたかも。人としても面白いですし。
―― 次の「複製」は日本近代美術の確立者である岡倉天心です。
 錦絵のようなものと書籍って、別物ではあるんですが、角度を変えて見れば同じものでもあるんです。例えば、漫画雑誌って昔は読み捨てが当たり前でしたよね。昔の「週刊少年ジャンプ」なんか酸性紙に刷られていて、二十年もすると裏抜けがして読めなくなるから、みんな捨ててました(笑)。でも今、漫画は日本の誇るべき文化です。古書価も高いし、原画展が開催されたりする。評価軸がまったく変わっちゃった。浮世絵も同じです。浮世絵って、今でこそ美術品として大事に扱われてますが、当時は紙屑として捨てられてましたからね。浮世絵は昔の「ジャンプ」と同じなんですね。その価値を語らせるには、当時から浮世絵を評価し、大衆芸術として位置付けるべく「浮世絵概説」なんかを書こうとしていた天心がいいだろうと。
―― なるほど、それで浮世絵ですか。
 浮世絵は明治から大正期にかけて海外で評価が高くなって、それで国内評価も上がったんですよ。この国ではどういうわけか、海外で褒められると慌てて自国内の評価も上げるという不思議なことが起きる。自分のいいところを自分で気づけないというおかしな一面がありますよね。浮世絵もその一つです。
―― 第三話「蒐集」に登場するのは帝国図書館初代館長の田中稲城 いなぎです。大量印刷の時代に公共図書館が出現するというのは、改めて指摘されると、なるほどと納得しますね。
 中島京子さんが『夢見る帝国図書館』(文春文庫)というとても素敵な小説を書かれています。あの作品を読んで、国家的な施設である帝国図書館と個人の蔵書家が抱える悩みがまったく同じだということを思い知らされました。本が増えると書棚に入らない。お金がないと本は買えない。田中稲城の悩みって我々の悩みなんですよ。蔵書という概念も、この頃にできたもののはずでしょう。それ以前は、一般家庭に書架なんてなかった。この時代から民間の蔵書家というものが誕生し、本の置き場がないという悩みが出現したわけで。
―― 永遠の悩みが。
 帝国図書館は、戦争のせいで規模は縮小されるわ、予算は削られるわでさんざんな目に遭います。もし日本が戦争なんて愚かしいことをしていなかったら、もっと立派な国会図書館が今頃はあって、日本中の人が喜びながら通っていただろうと考えると忸怩 じくじたるものがありますよ。だからこそ田中稲城に一言語らせたかったのですね。
―― 次の「永世」には朝の連続テレビ小説「らんまん」で主人公になった植物学者・牧野富太郎が登場します。しかし『書楼弔堂』では「らんまん」以前から名前だけですが登場していましたね。
 これも「少年ジャンプ」ですよ(笑)。僕は一九七〇年前後の「ジャンプ」は捨てずに保存してます。故・水木しげるが『悪魔くん復活 千年王国』を連載していたからです。当時の「ジャンプ」は紙が悪くて、保存環境に関係なく経年劣化がひどい。あと三、四十年もすると完全に読めなくなってしまうかもしれません。かつてのテレビ番組は、ビデオテープが高価だったため、次々上書きされていた。当時の番組の中には映像が現存しないものも多い。それを知ったときはショックでした。最初からないならともかく、あるものがなくなるとは情けない。今あるものはいつまで保つのか問題というのが、子供時代から私の中にはずっとあるんです。
―― ああ、だから植物標本で牧野富太郎なんですか。
 標本はいずれ朽ちますが、牧野は絵も描いてますよね。しかも印刷まで学んでる。でもそれで満足したかというと……どうなんでしょう。それでもそれがいつまで残るのかという不安がこみ上げてきたのじゃないか。僕もかつてはテレビ番組を一生懸命エアチェックしてましたけど、ご存じの通りビデオテープの時代は終わりました。デジタル化したって永遠ではない。完璧な保存手段などないのだと思い知らされて侘しくなった僕と、牧野も同じ気持ちになったのではないかと。
―― ご自分が重なりましたか(笑)。
 心配はあったと思うんですけどね。あれだけたくさんのものを分類・整理し、保存していた人であれば、絶対同じような懊悩を持っていたはずです。さっきの田中稲城もそうですが、本好きなら少なからず、この蔵書をいつまで持っていられるだろう、と考えるんじゃないですか。でも甲野のようにもともと本に関心がない人は、そんなこと考えもしない。両者に話をさせたら絶対嚙み合わないんですよね。思えば、これも私は「少年ジャンプ」で気が付いたんですよ。絶対に大丈夫だと思っていたら紙が裏抜けして読めなくなってしまった「ジャンプ」から。明治の頃なんて紙はもっとひどいですからね。いい紙を使って、印刷も綺麗にしたほうがいいですよ。確かに業界を維持するためには出版社が儲けなければいけないんだけど、きちんとした形で本を売ってちゃんと読者に届けるという形で儲けるべきなのであって、いたずらに原価を下げようとするのは間違っていますよね。本はある程度高い値段でも、買う人はちゃんと買うんです。安けりゃいいってものではない。バブルからこっちの四十年ぐらい、出版社の人たちはいろいろ方向性を見失っている感がありますが、その萌芽がこの当時すでにあった気がする。電子書籍が出てきてから紙の本という呼び方ができましたが、その割に紙はあまり注目されていないですよね。紙にもいろいろあって、デザイナーだっていろいろ考えて用紙を決めている。品質のみならず仕入れ価格も違う。その苦労をご存じですか、という気持ちをこめております(笑)。
―― 次の「黎明」は他の話と少し毛色が違うように感じました。言語学者の金田一京助がゲストですが、彼が取り組んでいたアイヌの問題が取り上げられます。
 金田一京助は私らの世代では辞書を作っている人として有名でしたが、基本的にはアイヌ語学者です。しかし、ずいぶん研究対象とは揉めてますし、批判もされています。民族の問題というのはデリケートなもので、差別的な言論は論外としても、単純に価値観を押しつけあうようなことをしてもいけないでしょう。そこに関しては現代でも未解決というよりない。だから金田一京助をアイヌ語学者として持ち上げるだけですませることはできなかったんですが、ただ『霜夜』の時代の金田一は、樺太 からふとから帰ってきたばかりで、俺はアイヌ語研究で生きていく、と決めた直後ですからね。甲野は甲野で、いろいろな人に話をされて混乱しているんですが、その甲野が、好きにしようと決めたばかりの金田一と出会う、という話なんですね。それが正しいかどうかは別として、好きにすることで目の前の霧が晴れたような気持ちになる。だから「黎明」なんですけどね。
―― なるほど。
 黎明は単に明るくなってくるだけで、その後で雨が降るか雪が降るかはわからんのですよ。兆 きざしにすぎなくて、結果は見えない状態ですよね。ここまで条件が出そろったら出版文化はなんとか形になるだろうという予兆はありますが、まだどうなるかはわからない。今の出版業界はこの形でいいのか悪いのかはわからない。そういう不確定な部分は示しておかなきゃいけないなと。最終話でやると暗くなりますし。

キャラクターは京極小説の核ではない

―― そして大団円となる「誕生」です。
 最終話「誕生」は一回書き直しています。本当は釈宗演 しゃくそうえん回でした。釈宗演が弔堂に行って、禅問答のようなことを繰り返すのを横で甲野が聞くという。ただ、書いてみたはいいものの、これが面白くないんですよ。いや、書くのは面白かったんですけど、多分作者以外の人は面白くない。坊主と坊主の闘い、僕は得意なんです(笑)。でも、わかりにくい。だから釈宗演はちょい役に落として書き直しました。
―― 最終話らしく、前の巻に出てきた懐かしい人も顔を出しますね。
 最終回だから全員出しました、みたいなほうが、坊主が禅問答で形而上的な謎かけをするよりはいいでしょう。私はそんな高尚な小説を書きたいわけじゃないし(笑)。それから、ある人物は、名前こそ出していないけど、すでに〈百鬼夜行〉シリーズにも登場しています。だから〈書楼弔堂〉でそうなった経緯を説明しておかなくちゃいけなくて。
―― 改めて振り返ると、明治二十五年から四十一年が日本の出版史上極めて重要な時代であったことがよくわかります。これで弔堂とお別れというのは少しさみしいですが。
 書籍流通の仕組みができ上がるまでを見届けたら、お役御免ですから。まあ、弔堂は作中、北へ向かうと言ってます。北に何があるのか、ということはまたいつか。
―― いや、気になりますよ! でも毎回思いますけど、京極さんはいつも魅力的なキャラクターを作られますが、そのキャラクターは絶対小説の中心にならないんですよね。
 キャラクター小説も面白いんですけど、基本的に構造は全部同じになるので、書き手としては飽きちゃうんですよね。キャラクター小説自体は魅力的なジャンルなので、僕じゃなくて他の誰かが書いてくれればいいと思ってしまう。
―― 本作も真の主人公は書籍流通の仕組みなんですよね。弔堂自体は巨大な空白に近い。
〈書楼弔堂〉シリーズに登場する歴史上の人物は、ある程度史実に基づいて書かなければいけない。僕が勝手に作っていいわけではないんです。実はそっちのほうがはるかに面倒くさいんですけどね。だから、それ以外の人間はなんでもいいわけで。主人は流通の化身みたいなものだし、語り手はどうしようもない人たち。これ、実在の人物が出てこなかったら、本当につまらないですよ。小僧の撓はよくわからない子ですしね(笑)。
―― シリーズを振り返ってみて、最初の構想から何か変わったことはありますか。
 僕は最初に決めたまんま全部書いちゃうので、途中で話をいじって変えることは通常あまりないです。だから最初に考えた通りではあるんですが……間が空くと忘れちゃうこともある(笑)。本来甘酒屋は死んでたような気もしますね。作者の肚づもりとしては、もっと夏目漱石のような軽妙な感じにしたかったな、という思いはありますね。最初のほうが少し硬いんですよね。『待宵』なんかは、憎まれ口をたたくじじいが出てきて、僕はそういうじいさんが大好きなので筆が滑ってる気もしますが。だから殺さなかったのか(笑)。
―― デビュー30周年にあたる本年は、〈巷説百物語〉シリーズが『了 おわりの巷説百物語』で完結しました。同作では妖怪を仕掛けに使うことが不可能な時代に入り、登場人物たちが一斉に退場して、活躍の場はもう物語の中だけになるだろう、と宣言して終わりました。弔堂が自分の役目を終えて消えるという本書の終わり方には同書と共通するものを感じます。
『鵼 ぬえの碑 いしぶみ』『了巷説百物語』『書楼弔堂 霜夜』は間を空けずにほぼ続けて書いていますから、どこか似てしまったのかもしれませんね。『了巷説百物語』も『霜夜』もやるべきことはやったからおしまい、という内容で湿っぽくはないのですが、これで最終回、はい、さよなら、と作者が肩の荷を下ろした感じは少し出てしまっているかも(笑)。

書楼弔堂 霜夜

京極夏彦

2024年11月26日発売

2,530円(税込)

四六判/520ページ

ISBN: 978-4-08-771876-8

古今東西の書物が集う墓場。

明治の終わり、消えゆくものたちの声が織りなす不滅の物語。

 

花も盛りの明治40年――高遠彬の紹介で、ひとりの男が書舗「弔堂」を訪れていた。

甲野昇。この名前に憶えがあるものはあるまい。故郷で居場所をなくし、なくしたまま逃げるように東京に出て、印刷造本改良会という会社で漫然と字を書いている。そんな青年である。

出版をめぐる事情は、この数十年で劇的に変わった。鉄道の発展により車内で読書が可能になり、黙読の習慣が生まれた。黙読の定着は読書の愉悦を深くし、読書人口を増やすことに貢献することとなる。本は商材となり、さらに読みやすくどんな文章にもなれる文字を必要とした。どのようにも活きられる文字――活字の誕生である。

そんな活字の種字を作らんと生きる、取り立てて個性もない名もなき男の物語。

夏目漱石、徳富蘇峰、金田一京助、牧野富太郎、そして過去シリーズの主人公も行きかうファン歓喜の最終巻。

残念ですがご所望のご本をお売りすることは出来ません――。

【目次】

探書拾玖 活字

探書廿  複製

探書廿壱 蒐集

探書廿弐 永世

探書廿参 黎明

探書廿肆 誕生

https://news.goo.ne.jp/article/shueisha/trend/shueisha-252289.html


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