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先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

久保寺逸彦の業績学ぶ アイヌ文学研究者、釧路で連続講座

2023-11-27 | アイヌ民族関連

会員限定記事

北海道新聞2023年11月26日 21:48

久保寺逸彦の業績や人柄を振り返る佐々木利和さん

 アイヌ文学研究者久保寺逸彦(1902~71年)についての連続講座が26日、釧路市立博物館で始まった。初回は直接師事し、著作集の編集に携わった北海道博物館の佐々木利和非常勤研究員(75)が、久保寺の業績や人柄を振り返った。

 講座は来年2月4日まで同博物館で開かれている企画展「久保寺逸彦~釧路が育んだアイヌ文学研究の泰斗」の関連行事で、35人が聴講した。

 久保寺は旧制釧路中学(現釧路湖陵高校)で学び、国学院大で言語学者の金田一京助に師事。1930年代に道内でアイヌ語の物語をレコード盤で記録するなどし・・・・・

 講座は12月16日に北海道博物館の小川正人・アイヌ民族文化研究センター長、1月21日に遠藤志保研究主査が行う。(小野田伝治郎)

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/945377/


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久保寺氏の功績解説 釧路・道博物館共催企画展【釧路市】

2023-11-27 | アイヌ民族関連

釧路新聞2023年11月27日 月曜日

 釧路市立博物館は26日、同館で北海道博物館と共催の企画展「久保寺逸彦~釧路が育んだアイヌ文学研究の泰斗~」を開催していることを受け「久保寺逸彦・人と学問」と題した講演会を開いた。道博物館の佐々木利和...

この記事は【会員限定】です。

https://kushironews.jp/2023/11/27/470416/


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<支局長だより>八雲のアイヌ文化 花開く 八雲・水島久美

2023-11-27 | アイヌ民族関連

会員限定記事

北海道新聞2023年11月26日 11:34

ルウンペやマタンプシを身に着けて踊るハンチカプの会のメンバーたち

 「フンペ ヤン ナ オノンノ…」。10月最後の日曜。渡島管内八雲町の文化祭でアイヌ語の歌声が響いた。曲は「フンペヤンナ(クジラの歌)」。舞台ではルウンペ(木綿衣)に、マタンプシ(鉢巻き)姿の女性10人が手拍子し輪を描いて踊った。

 女性らは「八雲アイヌ協会ユーラップハンチカプの会」メンバー。八雲アイヌ協会の会員を中心に、文化に関心を寄せる町内外の30~70代女性でつくる。

 活動は3年目。当初、「輪唱なのに後から歌う人に追い越された」「息があがる」と悪戦苦闘した。稽古を重ねて「イヨマンテリムセ(熊送りの踊り)」や「ハンチカプリムセ(水鳥の舞)」を踊れるようになった。

 今は独自の演目に取り組む。稽古は一本のカセットテープが頼り。町遊楽部の集落で指導者的立場だった椎久(しいく)年蔵さん(1884~1958年)が生前、祭祀(さいし)のやり方や歌を吹き込んだ貴重な資料だ。協会会長の椎久健夫さん(81)の祖父になる。

 残された歌の1曲は「フンペヤンナ」。テープの中で年蔵さんは「クジラが取れたときに踊るんだ。手をたたいて円くなって」と残した。言葉に基づき、ハンチカプの会が輪踊りで振りを付けた。各地で歌われるが、歌詞や踊りが違うという。

 ハンチカプの会結成時からの会員で福岡県飯塚市出身の地域おこし協力隊員、窪山由季子さん(50)は「北海道らしい民俗、文化に触れたくて入った。ようやくここまできた」と、独自演目の完成に感慨深げだ。

 ・・・・・

※「マタンプシ」の「シ」は小さい字

※「イヨマンテリムセ」の「ム」は小さい字

※「ハンチカプリムセ」の「プ」と「ム」は小さい字

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/945234/


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古代北海道の2文化紹介 日本の多様性知って 歴博・骨製クマや土器40点 /千葉

2023-11-27 | アイヌ民族関連

毎日新聞 2023/11/26 地方版 有料記事 820文字

国立歴史民俗博物館で開催されている特集展示「北の大地が育んだ古代」=千葉県佐倉市で2023年11月14日、小林多美子撮影

 国立歴史民俗博物館(佐倉市)で、古代の北海道で広がった二つの文化を紹介する特集展示「北の大地が育んだ古代 オホーツク文化と擦文(さつもん)文化」が開催されている。本州では飛鳥・奈良・平安時代にあたる時期に、北では独自の文化が併存して形成されており、日本列島の文化の多様性を示している。2024年2月12日まで。

 縄文時代が終わると本州では弥生時代を迎えるが、北海道では異なる文化の歩みが始まる。擦文文化は7世紀後半から12世紀に北海道全域に普及し、その後に成立するアイヌ文化につながったと考えられている。一方でオホーツク文化はサハリンから南下して伝わった外来文化で、北海道の北部、オホーツク海沿岸と千島列島で展開された。

 オホーツク文化はアザラシやラッコなどの海獣狩猟や漁労に高い技術を持っていた。また、クマを中心に動物を儀礼の対象にし、動物の頭骨を積み上げた祭壇「骨塚」や動物を表現した骨製や牙製の像などが発掘されている。

 擦文文化は、縄文文化の後に続いた続縄文文化が、本州の東北地方北部の影響を受けて成立した。鉄器の本格的な利用や方形でかまどが付いた竪穴住居などが特徴だ。

 両文化は8~9世紀に北海道の北と南に並立していたが、北に勢力を広げる擦文文化にオホーツク文化が融合されていき、併存の時代は終わる。

 ・・・・・・・

 一般600円、高校生以下無料。休館日は月曜、年末年始(12月27日~1月4日)。【小林多美子】

https://mainichi.jp/articles/20231126/ddl/k12/040/024000c


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「盗ったものは謝って返して」アイヌ民族が求める遺骨返還 「慰霊施設」に集めて移管じゃ浮かばれない

2023-11-27 | アイヌ民族関連

東京新聞2023年11月26日 12時00分

 過去に発掘・収集され、博物館や大学に保管されていたアイヌ民族の遺骨返還が、国の指針に沿って進んでいる。引き取り手がないと判断された遺骨は、民族共生象徴空間(ウポポイ、北海道白老町)内の慰霊施設に集約している。「こちら特報部」の調査でも、博物館や大学が抱える遺骨の全体数が減っている実態が分かった。だが、これで本当に「解決」と言えるのか。持ち去った側主導の返還のあり方について改めて考えた。(木原育子)

◆返還先決まらない遺骨が慰霊施設に

 「北海道博物館として、こういった形で遺骨返還手続きの方針を決めるのは、これが最初で最後」。道庁のパブリックコメント担当者、墓田裕二係長が話す。

 道博物館には、前身の道開拓記念館だった1970~80年代に寄贈されたアイヌ民族の遺骨7体と副葬品が保管されている。出土地域を調査で特定したとして、返還手続きの方針案に関するパブリックコメントを実施した。その結果を踏まえ、来週にも方針を決定する見通しだ。

道博物館の小野寺努主幹は「遺骨は特別な部屋を作り、湿気や温度、空

調に気を使いながら保管してきた」とこれまでを振り返る。

 方針案では、遺骨がどの地域のアイヌ民族のものかなどの情報を6カ月間公開し、返還申請の受け付けを開始。アイヌ民族の団体から返還申請があれば協議し、なかったり、認められなかったりした場合、ウポポイ内の慰霊施設に集約するとしている。

 道博物館が想定するプロセスは、文化庁が昨年7月、博物館に保管されているアイヌ遺骨の返還に関して、発出した通知に沿っている。遺骨の詳細が分からず、返還申請を受け付けていない博物館もあるが、文化庁企画調整課は「多くが通知の考え方に従い、返還申請を受け付けている。なるべく早期に返せるよう、来年度中には一定程度の区切りはつけたい」とする。

◆18博物館保管の7割は地域に返還

 実際、どれぐらいの遺骨がアイヌ民族の団体に返還されたのか。「こちら特報部」は今月10~17日にかけて、遺骨を保管してきた東京国立博物館と道内の17博物館にアンケートを実施。

 18施設で保管されていたのは、遺骨143体と特定できない遺骨10箱分。22日現在、アイヌ民族側と地域への返還の合意ができたのが、道立埋蔵文化財センターなど6施設。伊達市などのように引き続き市側で保管しているケースや今後返還予定も含め、地域返還できたのは計95体で、全体の7割近くを占めた。

 一方、返還申請がなく、慰霊施設に集約されたのは東京国立博物館など6施設で、28体7箱に上った。残りの6施設は、冒頭の道博物館のようにパブリックコメントを経るなど方針を策定中という状況だった。

 国が望むプロセスで作業が進んでいるが、アンケートには博物館側の苦渋の言葉がにじむ。

 「当地にはアイヌ民族団体がなく、相談する相手がいなかった」「返還したくても、出土地域が不明でかなわない。どうしようもない」と吐露する声も。「当館収蔵庫は遺骨を安置する環境になく、一刻も早くふさわしい環境にしたいと思ってきた」「資金面から(アイヌ民族側が)引き取りたくても引き取れないなどの事情もある」といった切実な意見が目立った。

◆慰霊施設に閉じ込めるなんて信じられない

 元の地域に遺骨を返せなければ、国が整備した慰霊施設に集める方針をアイヌ民族はどう感じるのか。

 9月上旬、遺骨返還運動に取り組む木村二三夫さん(74)=北海道平取町=を訪ねた。多くのアイヌ民族が暮らす平取町二風谷コタン(集落)から、さらに山奥へ車で20分ほど。腰ほどに伸びたササを分け入りながら進むと、静かで神聖な趣の場所に着いた。

 所々に立つ墓標「クワ(アイヌ語で杖(つえ))」。「これがアイヌ民族のお墓だ。人は土から生まれ、土に返るんだ」と木村さんが語る。

 クワはドスナラと呼ばれる木の皮をはいで作られる。数年で朽ちた時、死者はポクナモシリ(冥界)に旅立ち、クワはその際、杖になると伝わる。

 木村さんは1916年、日高地域の新冠(ニイカップ)御料牧場内にあった姉去(アネサル)コタンから旧上貫気別(カミヌキベツ)(平取町旭)に強制移住させられたアイヌ民族の子孫。「慰霊施設に閉じ込めるなんて信じられない。和人はこのクワを目印に遺骨を盗掘していった。盗(と)ったものは謝って返す。なぜそんな当たり前が和人はできないのか」と憤る。

◆12大学に251体、多くが返還されないまま

 博物館以外に、大学が保管している遺骨もある。こちらについても博物館と同様、政府は2018年策定の指針で、申請に基づいて返還する考え方を示している。ただ、大学で保管したままの遺骨も多い。

 20年の国の調査では12大学に251体が残っていた。「こちら特報部」は今月中旬、12大学にアンケートを実施した。

 東京大と大阪大は「個別の回答は差し控える」と回答拒否し、京都大は回答が空欄だったが、少なくとも計114体の遺骨がなお保管されていると分かった。

 保管を続ける理由について、北海道大は「地域返還の申請があった遺骨が何度も移転する事態は、極力避けるべきだ」などとし、地域での継続的な保管の難しさを理由の一つに挙げた。

◆保管継続では「将来も研究すると誤解産む」

 木村さんは大学の遺骨の取り扱いにも疑問の目を向ける。20年、地元の平取町に北海道、札幌医科、東京など4大学が保管していた遺骨34体が戻った。

 明治から戦後にかけ、研究者が墓地を掘り起こすなどして収集した遺骨だ。「北海道大はご遺骨を抱いて持ってきたが、東京大は4トントラックで運んできた。あまりにアイヌ民族を侮辱する行為で、生涯忘れられない光景だ」と話す。

 大学による遺骨の保管について、九州大の瀬口典子准教授(人類学)は「将来的に研究を継続する余地を残しているとアイヌ側(先住民側)に解釈されても仕方がない。主な国際ジャーナルは、先住民の許可を取らずに調査分析した論文は査読にも回さないほど厳格だ。今の状態ではアイヌの遺骨研究を投稿できる国際ジャーナルはなく、国際的な流れに反する」とする。

◆先住民族と協働、関係改善図ったアメリカの例

 米国では、1990年に先住民族の遺骨返還に関する法律が整備され、先住民族と協働研究するなど積極的に関係改善を図ってきた。瀬口氏は「返還したら終わりではない。先住民族との協議を常に続け、関係の再構築をしていかなければならない」と指摘する。

 北海道大のジェフリー・ゲーマン教授(多元文化教育論)は「国は植民地主義や人種主義といった文脈を抜きに遺骨問題に対応しているが、全く本質を捉えていない。遺骨を集め保管した側が、民族の尊厳への打撃を受けた側に自ら遺骨を取り戻す手続きを強いること自体、人道的配慮を欠いている」と訴える。

 前出の木村さんも言う。「アイヌ民族から土地や言語、文化を奪ったこの植民地政策の成功体験を、その後アジアに広げて奪い尽くしていった。その根っこが遺骨返還のあり方にも表れている。過去に目を閉じるものに未来はない。謝罪なき返還は全く意味がない」

◆デスクメモ

 人権侵犯の認定を受けてもなお、アイヌ民族への差別発言を続ける与党議員がいる。それに対して党内での処分はない。「共生」を名乗る施設を造ったところで、政府に誠意を感じようはずもない。少数者の尊厳を奪う無神経さと反省の欠如。それは遺骨の扱いにも表れていないか。(北)

https://www.tokyo-np.co.jp/article/292246


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松浦武四郎記念館 特別展「メナシのアイヌとともに生きる~加賀伝蔵、松浦武四郎、南摩綱紀~」

2023-11-27 | アイヌ民族関連

松阪市2023年9月1日更新

ページID:0146531

【展示概要】

 松浦武四郎記念館と「日本遺産 鮭の聖地メナシネットワーク」(北海道根室市・別海町(べつかいちょう)・標津町(しべつちょう)・羅臼町(らうすちょう)は、知床半島と根室半島の間に位置する「鮭の聖地」メナシ地方を舞台に、アイヌ語の通訳として活躍した秋田出身の商人加賀伝蔵、6回の蝦夷地調査のうち3回訪れた松浦武四郎、幕府から警備を命じられた会津藩の藩士南摩綱紀が相互に交流しながら、メナシのアイヌの人々とどのように向き合ったかを紹介する特別展を開催します。

【みどころ】

(1)企画展示室では、北海道別海町からお借りした加賀伝蔵宛ての松浦武四郎書簡6点を初公開!

→武四郎が伝蔵に鮭の筋子一樽を送るよう頼んだ書簡や武四郎が親しくしていたアイヌの人々を見守るよう頼んだ書簡など

(2)多目的室では、充実したパネル展示も行います!!

→日本遺産に認定された「鮭の聖地の物語~根室海峡一万年の道程」パネル展示(A2サイズ13枚)、「武四郎が見た根室管内と北方領土」パネル展示(A1サイズ19枚)

※加賀伝蔵(かが でんぞう、1804~1874年)…現在の秋田県八峰町(はっぽうちょう)八森(はちもり)で生まれ、15歳で蝦夷地(釧路場所)へ渡り、場所請負商人の下で働き、飯炊き、帳場手伝い、番屋守(ばんやもり)、アイヌ語通辞(通訳)、支配人を務め、一生の大半を蝦夷地で過ごした。後年は会津藩から大通辞(だいつうじ)の称号を与えられ、アイヌの人々を尊重したことから、武四郎の評価は高く、二人の交流の深さがわかる書簡が残っている。

※南摩綱紀(なんま つなのり、1823~1909年)…1862~1867年にかけて会津藩領となった蝦夷地東部の標津に赴任して代官を務めた。その頃に標津場所の支配人であった伝蔵に、和人の子どもたちが学んでいた本をアイヌ語に翻訳することを依頼し、自身もアイヌ文化を学ぶなどして、異なる文化の相互理解に努めた。武四郎とも交流があり、武四郎の没後に大台ケ原に建てられた追悼碑(分骨碑)の碑文を書いている。儒学者、教育者でもあり、後年は東京帝国大学教授を務めた。

【展示期間】 令和5年9月29日金曜日~11月26日日曜日

【展示会場】 松浦武四郎記念館 企画展示室および多目的室

展示チラシ [PDFファイル/3.41MB]

https://www.city.matsusaka.mie.jp/site/takesiro/menashinoainutotomoni.html


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ASOUND──音楽界のホープたちがつむぐ極上サウンド

2023-11-27 | アイヌ民族関連

GQ2023年11月26日

ASOUND(アサウンド)は、レゲエを中心に、R&Bやファンクといったさまざまな音楽のグルーヴを心地よく奏でるバンドだ。メジャーデビューEP『オリジナル』は、かれらの実力とセンスが存分に発揮された作品となった。

By 富山英三郎

2020年にメンバー4人で結成したASOUND。全員が20代前半ながら、親世代のバンドと長く活動してきた経歴をもつ。ボーカル/トロンボーン奏者のARIWAの母親は元ZELDA※註1のサヨコ、ドラムのManawの父親はOKI DUB AINU BAND※註2のOKIであるなど、現役または元ミュージシャンのもとで育ち、家ではよくレゲエが流れていたというのが、メンバー共通のバックボーンだ。これまでに出演してきたライブではなかなか出会えない同世代、ということが、かれらを急速に結びつけた。

「最初はR&Bなどのカバー曲をやっていたのですが、自然とレゲエのアレンジになっていくんです。今回のEPくらいから、スタジオに入ってみんなでセッションしながらつくるようになりまし た」(ARIWA)

「ジャンルやテーマを先に決めて、それぞれの感じで演奏して、その録音を聴き返しながらつくっていきます」(Couta/キーボード)

クンビアをテーマにした「オリジナル」、ファンクをテーマにした「Quirky Jam」、Somaのベースラインをもとにセッションし、チャクラをテーマにARIWAが歌詞を書いた「Meditation」。あらゆる音楽の気持ちよさを詰め込んだようなサウンドは、耳に心地いい。

「それぞれ他のバンドも掛け持ちしていますが、いまはASOUNDがメインです」(Soma/ベース)

「僕はASOUNDのために上京しました。今後は日本だけでなく、海外でもライブをやっていきたいですね」(Manaw)

ジャンルの枠を超えて、未来の音をつくり出す。時代の波を生むであろうかれらに期待しよう。

※註1:1980年代前半にガールズバンドの先駆けとしてデビューし、初期はパンクやニューウェイヴ、後期はワールドミュージックへと傾倒していったバンド。
※註2:アイヌの伝統弦楽器トンコリの奏者OKIを中心に、アイヌの伝統を現代に継承するバンド。

ASOUND

アサウンド

東京、神奈川を拠点に活動する4人組バンド。(写真左から)ベースのSoma、キーボードのCouta、ドラムのManaw、ボーカルのARIWAからなる。ジャンルをクロスオーバーしたモダンなサウンドで人気を集めている。

『オリジナル』

バンドにとって2作目となるEPにして、メジャーデビュー作品。スタジオセッションから生まれた6曲を収録。レゲエからクンビア、ファンク、R&B、ディスコまで、さまざまなジャンルを横断するのがASOUND流のサウンドだ。

PHOTOGRAPH BY IBUKI KOBAYASHI
WORDS BY EIZABURO TOMIYAMA
STYLED BY YUI NODA
HAIR STYLED AND MAKE-UP BY RYUNOSHIN TOMOYOSE

https://www.gqjapan.jp/article/20231126-asound-23


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旭川と京都、職人「協働」 日本のものづくり海外へ /京都

2023-11-27 | アイヌ民族関連

毎日新聞 2023/11/27 地方版 有料記事 814文字

 北海道旭川市の木工クラフトメーカーが京都市の仏壇・仏具製作所と手を組み、海外に日本のものづくりの新たな可能性を伝えようと奮闘している。「産地間協業」がコンセプトで、旭川の工房で木を成形、加工し、京都の職人が漆や金箔(きんぱく)などを施す。時計や花立て、北海道らしい熊のオブジェなど、日本工芸の美が光る商品が完成し、今月から海外販売を始める。

 プロジェクト名は「ピリカモンライケ」。アイヌ語で「良い仕事をする」という意味だ。優れた産地が技術と素材を持ち寄り、新しいものづくりの流れをつくりたいとの思いから、2020年に始動した。仕掛け人のササキ工芸(旭川市)の佐々木雄二郎社長は「自社で完結せず、有数の産地が互いの強みを生かせば、より価値ある商品を海外に届けられる」と話す。

 第1弾の協業相手は、190年以上の歴史がある京都の若林仏具製作所。寺社や重要文化財の修復も手がけ、職人とのネットワークを築いてきた。近年進む檀家(だんか)離れに危機感を抱いてきた若林智幸社長は「寺の修繕などに携わる職人の仕事も減っている。変化が必要だ」と協業に賛同した。

 商品は主に赤・青・金・白銀の4色の構成。アイヌの伝統工芸と日本古来の色から発想を得た。

・・・・・・・

https://mainichi.jp/articles/20231127/ddl/k26/020/145000c


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社説(11月26日)杉田氏の差別発言 自民の良識が問われる

2023-11-27 | アイヌ民族関連

あなたの静岡新聞2023/11/26

 自民党の杉田水脈[みお]衆院議員による、アイヌ民族や在日コリアンに対する差別的な発言が続いている。9月から10月にかけて札幌、大阪の法務局が杉田氏の過去のフェイスブックへの投稿を人権侵犯と認定したにもかかわらず、本人は11月に入りX(旧ツイッター)への投稿で法務省の認定制度そのものを批判し、自身を正当化した。アイヌ文化振興事業の関係者をやゆした発言も波紋を呼んでいる。

 こうした言動に対し、所属する自民党の対応が極めて鈍い。岸田文雄首相(党総裁)は2022年8月の第2次岸田改造内閣で杉田氏を総務政務官に任命し、23年9月の党人事では環境部会長代理に起用した。

 過去には性的少数者や女性に対する差別発言も問題視された人物を要職に置き続けるのであれば、党として差別を容認、温存していると見られても仕方がない。杉田氏の議員の資質を問うべきだ。政権与党としての良識が問われている。

 杉田氏はフェイスブックに「チマ・チョゴリやアイヌの民族衣装のコスプレおばさん」などと投稿。札幌、大阪の両法務局は民族の文化を学び、人権尊重の理解を深めるよう「啓発」したというが、言動に変化はない。11月上旬のXでは、00年代に広がった、在日コリアンが隠れた特権に基づいて日本人を搾取しているとする差別的言説「在日特権」論を持ち出した。

 日本が1995年に加入した人種差別撤廃条約は「人種、皮膚の色、世系又は民族的若しくは種族的出身に基づくあらゆる区別、排除、制限又は優先」を人種差別とし、締結国に「禁止し、終了させる」よう求めている。2016年施行のヘイトスピーチ対策法は「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消」を掲げる。杉田氏の発想や発言は、これらの規定に反していると言わざるを得ない。

 自民党は綱領の冒頭で「我が党は常に進歩を目指す保守政党である」と宣言している。18世紀の英思想家エドマンド・バークに端を発する「保守主義」は、時代に応じて中身を変容させてきたとはいえ、自由と民主主義を前提とし、秩序ある改革に重点を置いてきた。自民党が真に保守政党であるならば、少数派をおとしめる発言を繰り返す議員を放置すべきではない。

 インターネット上のヘイトスピーチが野放しになっている原因の一つに、ヘイトスピーチ対策法が理念法にとどまり、個別具体的な事例に対応しきれていない現状がある。差別禁止規定を明示し、国や自治体、プロバイダー(接続業者)など民間事業者に具体的な取り組みを促す法改正も必要だ。

https://www.at-s.com/news/article/shizuoka/1363659.html


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