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先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

アイヌの誇り

2020-10-01 | アイヌ民族関連
寺田和弘TVディレクター 2020/10/01

科学者に持ち出された先祖の遺骨 アイヌとは何かと問い続ける人々の闘い
北海道浦幌町の一級河川、十勝浦幌川の河口から約1キロのところで9月20日、初漁のサケの祭りであるアイヌ民族の伝統儀式「アシリチェップノミ」が、初めて執り行われた。伝統儀式を復活させたのは、浦幌町のアイヌ子孫で作る「ラポロアイヌネイション」。彼らは「サケ捕獲は先住民の権利」として河川でのサケの漁業権を主張している。
なぜサケの捕獲を求めるのか、その先にどんな未来を描いているのか。その背景を知るために現地を訪ねた。
この日、祭壇に供えられた1匹のサケ。長さ約7メートルのトドマツを手作業でくりぬいた木舟を使い、刺し網による「特別採取」で捕ったものだ。「特別」と名前がつくには訳がある。これは憲法13条が保障する文化享有権に基づき、北海道知事に許可申請し、認められて採取したものだ。つまり現在、彼らには、漁業権として、川でサケを捕る権利は認められていない。
 河川でのサケ漁、アシリチェップノミ等、これらはすべてアイヌの生活の一部で、本来は代々に受け継がれるべき伝統だったが、ラポロアイヌネイションのメンバーにとって、すべてはじめてのことだった。なぜ彼らの伝統が失われたのか。
■差別されたアイヌの過去
「アイヌ」とは人間を意味する言葉だという。そのため彼らは自分たちをアイヌと呼んだ。アイヌの多くは北海道に先住し、独自の言語、宗教や文化の独自性を有する先住民族だった。しかし明治政府は、強制的にアイヌに戸籍を作り、和人化を図った。そしてアイヌが使用してきた土地も狩猟権、漁業権も一方的に取り上げた。貧困と差別。あまりにも過酷な状況の中でも必死に命を繋いだ先人たちは、伝統儀式や言葉を親から子に引き継ぐことはできなかった。こうした同化政策が推し進められ、アイヌの人々は誇りを失っていく。
ラポロアイヌネイション名誉会長の差間正樹さん(69)は、北海道浦幌町で昭和25年に生まれた。両親は共にアイヌだが、差間さんも親からアイヌの言葉や暮らしについて一切教えられなかったという。
「特に母親は自分が困ったことがないようにといろいろ気を遣ってくれるんですよね。やはり親に心配をかけないようにというのがあったんですね」
差間さんが自らアイヌと名乗り活動をするのは、母・ウメノさん(享年75)が亡くなってから。民族差別の解消を目指す差間さんの背中を押したのは、差別に耐えた父親の姿だった。父・佐資(サスケ)さん(享年83)は、定置網漁の漁業権を自ら手に入れた人物だった。「アイヌが定置の漁業権を手に入れるというんで、周りからの圧力も相当あったみたいです」
■「学問のため」持ち出されたアイヌの遺骨
アイヌの人々が奪われたのは“生活の種”だけではなかった。全国の科学者たちによって、アイヌの墓が次々を掘り起こされ、遺骨や副葬品が持ち出されたのだ。当初、掘り出されたアイヌの遺骨は形質人類学という学問のために利用されていた。頭骨をさまざまな角度から測定し、その計測値をアイヌ・和人・朝鮮人などのデータと比較し、アイヌの特徴を明らかにしようとした。ラポロアイヌネイションの代理人を務める市川守弘弁護士は著書『アイヌの法的地位と国の不正義』(寿郎社) で「この比較研究は、戦前の“大和民族優越”思想のもとでの“アイヌは劣り”“和人は優秀である”との結論を出したいがための研究であったとの指摘もあり、さほど学問的な実績を残したと言えなった」と述べている。
こうして集められた遺骨は膨大なものだった。文科省の調査結果によると、北海道大学、札幌医科大学、東京大学など全国12大学に1700体を超える遺骨が集められた。
■遺骨の返還 心境の変化
浦幌町でも102体の遺骨が北海道大学(95体)、札幌医科大学(1体)、東京大学(6体)に保管されていることが分かった。2014年5月、差間さんたち浦幌アイヌ協会(現ラポロアイヌネイション)は、北海道大学に対して遺骨の返還を求め裁判を起こした。当初、北海道大学は「祭祀継承者でなければ返還できない」としていたが、2017年3月、和解が成立し、まず82体の遺骨と69件の副葬品が浦幌アイヌ協会に返還されることになった。祭祀継承者ではなく、地元のアイヌ集団への遺骨返還が実現したことに、大きな意味があったと市川弁護士はいう。「最高裁の判例は遺骨の所有者は祭祀継承者にあるとしています。しかし、この和解では裁判所が適当と認める集団に返還するとしています。つまり従来の日本(和人)の法理論を先住民であるアイヌの人たちには適用しないと宣言したことになるんです」これによって身元不明の遺骨についても、掘り出された場所が明らかであれば、その地域のアイヌ集団に遺骨を返還するという道が開けたのだ。その後、札幌医科大学、東京大学とも和解が成立し、今年8月には、東京大学から6体の遺骨が戻った。浦幌町から持ち出されたすべての遺骨が、これで地元の土に還ったことになる。
この遺骨返還は、アイヌの若者たちに心境の変化をもたらした。長根弘喜さん(35)は遺骨返還訴訟が始まったころは「ひとごと」と見ていた。しかし、遺骨返還が決まり、神を祈る儀式・カムイノミや先祖供養の儀式・イチャルパの準備をしていく中で、持ち出された遺骨は地元の土に還してこそ眠りにつける、亡くなって土に還ることこそアイヌの生き様そのものだと考えていくようになる。今年4月、差間さんが会長を退くことが決まると、長根さんは「差間さんのあとを継ぐ」と自ら手を挙げた。また、7月には浦幌アイヌ協会の名称をラポロアイヌネイションと変更した。ネイションは国や民族の集団などを意味し、地元の浦幌で自治を行ってきたアイヌの子孫であると掲げた。
■先住権の確認を求めて
遺骨の返還は“先祖の生活”も蘇らせた。北海道大学から返還された副葬品の中に「アバリ」という網をつくろう道具が見つかったのだ。これは差間さんや長根さんの先祖が、地元の浦幌十勝川で網を使った漁をしていたという証だった。
2017年5月、差間さんと甥の啓全さん(53)は、先住権の事例を学ぶため、アメリカに向かった。50年前まで、北アメリカ大陸48州に居住する先住民・インディアン※は、連邦政府と結んだ不平等な条約で僅かに残った土地(リザベーション)での先住権しか認められず、もともとの漁場(リザベーションの外)でサケを捕獲しては逮捕される日々だったという。そのどん底の状態から闘い続け、先住民族としての権利を次々と拡大させたサケ以外の水産資源である貝類やコククジラの捕獲権も勝ち取っただけでなく、サケの産卵のための遡上を妨げていたダムの撤去まで実現させた。同じ先住民である彼らの戦いの歴史を差間さんたちは知ることになった。
遺骨返還、アメリカへの訪問…こうした活動を経て、ラポロアイヌネイションのメンバーは“先祖の営み”を取り戻したいと考えるようになっていく。その活動の一環として、今年8月、彼らは、先住権としてのサケ捕獲を求めた裁判を起こした。河川での経済的なサケ捕獲は先住民族の集団が持つ権利「先住権」について、これを禁じた法律や規則が適用されないことを確認するため国と道に求めたのだ。
〜取材に対し、水産庁資源管理部は「訴訟継続中のため、コメントは差し控える」とし、北海道庁は「まもなく裁判が予定されており、今後の裁判に影響を及ぼす可能性がありますので、訴訟に関する道のコメントは差し控えさせていただきます」と回答している。
(第1回口頭弁論は、10月9日午後2時から札幌地裁で行われる)〜
ラポロアイヌネイションは訴状で「経済活動として漁業行為を行うことによって、浦幌地域のアイヌが経済的に自立し、行政に頼らず自活していくことができる」と主張している。現在、十勝地方で捕獲されるサケは人工ふ化事業によるものだ。こうした中、彼らは、地元の十勝浦幌川でのサケの自然産卵を取り戻すことを夢見ている。その夢の実現で豊かさを手にするのはアイヌだけだろうか。私は50年後の浦幌の姿が楽しみだ。
※現在、アメリカでは「インディアン」という表現が公的にも存在し、インディアン〇〇法という法律名が多数存在しており、本原稿では筆者の判断を尊重した表現とした。
クレジット
取材・撮影・編集 寺田和弘(パオネットワーク)
https://creators.yahoo.co.jp/teradakazuhiro/0200080479

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象徴空間に生活実態を アイヌ民族の詩人 宇梶さん講演 道新東京懇話会

2020-10-01 | アイヌ民族関連
北海道新聞 10/01 00:52 更新
 道新東京懇話会の9月例会が30日、東京都内で開かれ、アイヌ民族の詩人で古布絵(こふえ)作家の宇梶静江さん(87)=日高管内浦河町出身=が講演した。重ね合わせた古い和服地に刺しゅうを施して叙事詩を表現する古布絵を始めた経緯や、歌や踊りを大切にしてカムイ(神)に感謝するアイヌ民族の精神性について語った。
 宇梶さんは20歳で札幌市の中学校に進学し、23歳で上京。アイヌ刺しゅうを学んでいた63歳の時に古布の展示を偶然目にし、古布絵という独自の表現法を思いついたという。
 アイヌ語で「(大勢で)歌うこと」を意味するウポポイの精神についても説明。喜び合いカムイに感謝する歌や踊りはアイヌ民族の「生活の中にある」と述べた。胆振管内白老町の「民族共生象徴空間(ウポポイ)」を数日前に訪れたといい、「今のままでは歌い、踊り、語り合う、民族の精神性が欠けている。『象徴空間』に生活の実態を埋め込んでほしい」と訴えた。
 懇話会は新型コロナウイルス対策として、オンライン会議システムを活用。宇梶さんの講演は、自宅に近い埼玉県内のホテルから配信された。(大沢祥子)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/465768

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阿寒湖畔の間伐材、迫力のアートに 釧路で展示会

2020-10-01 | アイヌ民族関連
北海道新聞 09/30 20:17 更新

阿寒湖畔の森林の間伐材で作った力作が並ぶ「阿寒の森間伐材アート展」(小松巧撮影)
 【阿寒湖温泉】阿寒湖畔の森林の間伐材を活用した木工品の展示会「阿寒の森間伐材アート展」(釧路市、NPO法人阿寒観光協会まちづくり推進機構主催)が30日、釧路市生涯学習センター(幣舞町4)で始まった。阿寒町阿寒湖温泉地区の芸術家11人が手がけた躍動感あふれる木彫りなど24点が並び、来場者の目を引きつけていた。4日まで。
 阿寒湖畔の森林保全に取り組む前田一歩園財団(同町)が芸術家にニレやシナなど8種類の間伐材を無償提供した。
 会場には、遠ぼえをするホロケウカムイ(エゾオオカミ)や、アイヌ文様が彫り込まれた「マキリ(小刀)」の木彫りなどが並ぶ。間伐材をキャンバスにした絵画では、アイヌ民族の伝統弦楽器「トンコリ」を弾く女性の姿が描かれている。木彫りのオオタカなどを見た弟子屈町の社団法人役員酒巻美子さん(59)は「迫力ある表情で、鳥たちの息づかいが伝わってくる」と話した。
 入場無料。午前10時~午後5時(最終日は午後3時まで)。5日~11月1日の午前9時~午後6時には阿寒湖まりむ館(阿寒湖温泉2)でも開かれる。(熊谷知喜)
★ホロケウカムイの「ロ」は小さい「ロ」
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/465630

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日本民藝館『アイヌの美しき手仕事』で、アイヌ文化の造形美に没頭する。

2020-10-01 | アイヌ民族関連
PEN 2020.09.29 文:はろるど

『アイヌの美しき手仕事』会場風景。1941年に日本民藝館で行われた『アイヌ工藝文化展』の一部を再現している。photo: Harold
漫画『ゴールデンカムイ』が大ヒットし、今夏には国立アイヌ民族博物館や慰霊施設からなる民族共生象徴空間「ウポポイ」が北海道白老町に誕生するなど、近年人々の注目を集めているアイヌの歴史と文化。そうしたアイヌ民族に戦前から敬意を払い、工芸品に魅せられていたのが、日本民藝館の創設者である柳宗悦だ。
柳は1941年に『アイヌ工藝文化展』を同館で開催している。当時の広間と1階すべての部屋を用いて約600点ものアイヌの工芸品を美術館で初めて陳列し、まだ民俗学的資料として受け止められていたアイヌ工芸に高い価値を見出した。展示は会期が延長されるほど好評を博し、柳も「アイヌを最上の姿で示した展観であった」との言葉を残している。
現在、行われている『アイヌの美しき手仕事』では、柳の蒐集品に加え、柳を師と仰ぎ『アイヌ工藝文化展』でも選品を担った芹沢銈介のアイヌコレクションを紹介。草や樹皮から織られた装飾的な衣装をはじめ、流麗なガラス玉の首飾りや魔払いのための太刀、渦巻の文様が力強く彫られた盆など180点もの品を鑑賞することができる。都内でこれほどのアイヌの工芸品を一度に見られる機会はあまりないだろう。
最大の見どころは、41年の展示を一部に再現した本館大展示室だ。アイヌの衣装と刀掛け帯が高らかに壁へかけられ、棚には首飾りや神(カムイ)に祈るために用いたヘラ状の儀礼具「イクパスイ」などが収められている。その造形美は互いに響き合うようで壮観だ。展示全体がひとつのかけがえのない芸術品のように思えて息を飲む。
柳はアイヌの造形美を「啻(ただ)に美しいのみならず、立派でさえあり、神秘でさえあり、其の想像の力の容易ならぬものを感じる」と評価し、約200点の工芸品を日本民藝館へと納めた。ひとつ一つの作品を見ていると、ていねいな手仕事に驚くだけでなく、つくり手の祈りや魂が凝縮されているようで、畏敬の念すら覚える。約80年の年月を超え、再びアイヌの館と化した日本民藝館での充実の展示を見逃さないようにしたい。
イラクサ地切伏刺繍衣裳(テタラペ)」樺太アイヌ エゾイラクサ、ムカゴイラクサなどの草皮から織られた衣服。素材の糸の色から、他のアイヌの衣服に比べて仕上がりが白いのも特徴だ。
「首飾り(タマサイ)」部分 青、水色、白などのガラス玉を連ねた首飾り。円盤状の飾り板は「シトキ」と呼ばれている。ガラス玉は大陸や本州との交易で得たもので、女性が儀礼の時に晴れ着と一緒に身に着けた。アイヌで首飾りは母から娘へと伝えられる宝物であり、護符でもあった。
「椀(チェペニパポ)」樺太アイヌ 魚料理などを盛るために使われた薄手の刳(く)り椀。刃先が湾曲した小刀を用いて、椀の内部を刳り抜いたもの。舟の形をしていて、片方に握手がついている。手の温もりを感じるようで愛でたくなる。
『アイヌの美しき手仕事』
開催期間:2020年9月15日(火)〜11月23日(月・祝)
開催場所:日本民藝館
東京都目黒区駒場4-3-33
TEL:03-3467-4527
開館時間:10時~17時 ※入館は16時30分まで
休館日:月(但し祝日の場合は開館し、翌日休館)
入場料:一般¥1,100(税込)
※混雑状況により人数制限を行う場合あり
※マスク着用、手指消毒液の設置を行うなど、新型コロナ感染拡大防止のための対策を実施
https://www.mingeikan.or.jp
https://www.pen-online.jp/news/design/ainu_handiwork/1

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ウポポイ、修学旅行生の受け入れピーク 見学予約、道内外714校6万7000人超

2020-10-01 | アイヌ民族関連
苫小牧民報 2020.09.30
 白老町のアイヌ文化発信拠点・民族共生象徴空間(ウポポイ)で、小中高校の修学旅行生の受け入れがピークを迎えている。施設を管理運営するアイヌ民族文化財団によると、今年度の修学旅行で見学予約を寄せた学校数は29日現在、道内外714校に上り、その6割が9月と10月に日程を組んだ。ウポポイには連日のように施設見学の児童生徒が訪れ、学校側も先住民族や多文化共生を理解する教育効果に注目している。
高校の多くが道外
 好天に恵まれた29日、ウポポイは小中学校の修学旅行生でにぎわいを見せた。この日に訪れたのは道内外の11校1031人。国立アイヌ民族博物館の展示物や伝統家屋チセの見学、古式舞踊の鑑賞などを通じアイヌ文化を学んだ。
 札幌市手稲西小の6年生42人も修学旅行でウポポイの各施設を見て回り、先住民族の伝統文化に触れた。新保詠子校長は「実際にチセの内部を見たり、古式舞踊を鑑賞したりすることで、授業で学ぶアイヌ民族の歴史や文化への理解がより深まる。その点でウポポイの教育効果は高い」と述べた。滋賀県の高校も修学旅行の日程にウポポイを組み入れ、施設を見学した男子生徒(17)は「アイヌ文化に触れる機会が無かったため、とても新鮮で感動した」と興奮気味に話した。
 財団によると、修学旅行生の受け入れは8月下旬から始まり、9月と10月がピークという。見学予約を寄せた学校は29日までの累計で、小学校が281校(1万8759人)、中学校274校(2万3171人)、高校159校(2万5258人)。計714校・6万7188人に上った。
 小中学校は道内が中心だが、高校の多くは道外。159校中120校が本州や九州などの高校で、内訳は中国四国地方が38校と最も多く、関西24校、関東22校、九州19校、中部16校、東北1校と続く。
教育効果に注目
 今年度の見学予約は来年3月まで入っているが、特に9月と10月に集中。この2カ月で計438校・3万6937人に上り、学校数で全体の60%、児童生徒数で55%を占めるという。財団は「春に修学旅行を計画していたものの、新型コロナウイルス感染拡大の影響で秋に延期した学校が多かったため」と集中の理由を説明する。
 予約の申し込みはほぼ落ち着いた状況にあるが、財団は「コロナ禍の中で予想以上に予約が寄せられた」と手応えを抱く。文部科学省の新学習指導要領によって今年度から小学校、2021年度から中学校、22年度から高校でアイヌ民族の歴史文化を詳しく伝える授業が行われるため、「教育の場としてウポポイが注目され、修学旅行先に選ぶ学校が来年度以降も増えるだろう」と推測。「年間10万人程度の児童生徒が来場するようになるのでは」とみている。
 一方、7月12日の開業以降のウポポイ来場者数は、27日までに10万149人となり、10万人を突破した。
http://www.hokkaido-nl.jp/article/19065

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[本の森 歴史・時代]『楡の墓』浮穴みみ(レビュー)

2020-10-01 | アイヌ民族関連
ブックバン 9/30(水) 12:00
 去る7月12日、北海道の白老町にアイヌ民族の歴史や文化を展示物や体験プログラムを通じて学ぶことができる施設「ウポポイ(民族共生象徴空間)」がオープンし話題となった。そのニュースを耳にした際、たまたま読んでいたのが、浮穴みみ『楡の墓』(双葉社)だった。
 本書は、歴史時代作家クラブ賞を受賞した『鳳凰の船』(双葉社)に続く、明治開拓期の北海道を舞台にした短編集である。
 前作『鳳凰の船』では、函館を舞台に、願乗寺川を造成した堀川乗経の娘や、初代北海道庁長官・岩村通俊と開墾に力を尽くしたプロシア人商人、函館発展のために事業を興した英国人・ブラキストン、港湾建築の廣井勇など、いずれも実在した人物や事件を扱うことで、明治開拓期の北海道の歴史を垣間見ることができた。中でも、洋式帆船造りの名匠と呼ばれた老大工・続豊治の情熱を描いた表題作「鳳凰の船」は絶品である。
 明治新政府成立後、蝦夷地は北海道と改称され、北海道開拓のために開拓使が設置された。開拓次官に就任した黒田清隆は、北海道開拓が急務であるとし、北海道と樺太にまたがる大規模な開発構想を打ち出した。明治の初め、北海道で開拓を行うことは、想像を絶する苦難の連続だった。
『楡の墓』もまた、その時代背景の中、石狩原野や札幌の厳しい自然を乗り越えて原生林を拓き、北海道の基礎を築いた人びとを描いた短編集である。
 石狩地方を開拓するために、札幌市の土地を開墾し、札幌の街づくりの発端を作った大友亀太郎と、開墾に励む青年・幸吉の成長を描いた表題作「楡の墓」は、移住者の入植地における余所者としての立ち位置に踏み込んだ一篇となっていた。7つ年上の寡婦・お美禰への想いと、余所者がその地で生きる者へと変化してゆく心の揺れ動く様が印象に残る。
 他にも、薄野遊郭の生い立ちを描いた「貸し女房始末」、船上で開拓長官・黒田清隆が札幌農学校の指導者として招聘されたウィリアム・スミス・クラークと聖書の扱いを巡り語り合う「七月のトリリウム」と、いずれも読み応えのある短編が収録されている。
 北海道開拓判官の島義勇の半生を描いた「雪女郎」と開拓された定山渓温泉で偶然一緒になった三人の男が語り合う「湯壺にて」の二作からは、前作『鳳凰の船』にはなかった原住民であるアイヌについての著者の想いを読み取ることができる。
 ぜひ注目してお読みいただきたい。
[レビュアー]田口幹人(書店員)
新潮社 小説新潮 2020年9月号 掲載
https://news.yahoo.co.jp/articles/13608c19db11dfe1666a85fb2497c1ba6ef59035

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