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先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

北海道にアイヌ文化伝える施設

2019-08-09 | アイヌ民族関連
観光経済新聞 2019年8月9日
白老町に来年4月オープン 「ウポポイ」新名所への期待も
 来年4月24日、北海道白老町にアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」がオープンする。中核となる「国立アイヌ民族博物館」などの施設も年内にほぼ完成する見込み。運営に当たる公益財団法人アイヌ民族文化財団(札幌市)による体験プログラムや展示の準備も進んでいる。北海道の新たな名所にと、関係者の期待も大きい。
 民族共生象徴空間の愛称・ウポポイはアイヌ語で「大勢で歌うこと」の意味。政府が全国から一般投票を受け付け、約1万票の投票結果の中から決まった。
 ウポポイは国が同町ポロト湖畔の敷地約10ヘクタールに約200億円を投じて整備する。年間来場者は100万人を目標に掲げている。
 アイヌ民族の歴史や文化を展示するアイヌ民族博物館は鉄骨造り3階建て、幅130メートル、奥行き40メートル、高さ20メートル、延べ床面積8600平方メートルの巨大な施設だ。500~600人収容できる体験交流ホールではアイヌ古式舞踏やムックリ演奏などが楽しめる。
 修学旅行など団体客を受け入れる体験学習館も備える。200人ほどが収容できる部屋が二つあり、木彫りや刺しゅうなど伝統工芸を体験できるという。
 また、ポロト湖東側の高台にはアイヌ民族の遺骨を保管する建物と慰霊施設、モニュメントを設置。アイヌの人々による尊厳ある慰霊を実現するための施設とされる。
 ウポポイは北海道の観光にとっても大きなインパクトを与えそうだ。ただ、現状では認知度不足は否めず、周辺整備と合わせ、情報発信が課題といえる。
 政府のアイヌ政策推進会議委員を務める石森秀三・北大観光学高等研究センター特別招聘(しょうへい)教授(北海道博物館館長)は、「インバウンドの隆盛化に伴って、世界から数多くの外国人ビジターの来訪が予想される。ウポポイにおいて、アイヌ文化の復興・創造が飛躍的に進展し、世界のさまざまなビジターが楽しく“歓交”できるならば北海道観光は新たなステージに入ることになる。そのためには、民産官学の協働によるウポポイの盛り立てが不可欠になる」と話す。

ウポポイ全体を俯瞰したイメージ図(HPから)

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コカの葉を噛む、シャーマンたちの祈り:世界の先住民族たちの日常と儀式

2019-08-09 | 先住民族関連
Sputnik2019年08月09日 08:05

© Sputnik / Alexandr Kryazhev
タイミル半島の人々のための古代の儀式、ロシアのドゥディンカ
8月9日は、世界の先住民族の国際デー。1994年に国際連合総会で制定された。この日に合わせ、通信社スプートニクは読者の皆様に世界の先住民族たちの伝統をご紹介します。ボリビアの先住民はなぜ何世紀にもわたってコカの葉を噛むのか?また、川で竹の棒の上で作業をする先住民族もいる。
先住民族は、先祖から受け継がれた独特の文化と伝統の保持者だ。彼らは現代世界と共存しながら、自分たちの独自性を維持することができた。
文化の違いにもかかわらず、地球上のすべての先住民は、自分たちのユニークな民族性の保持や、独特な社会としての独自の権利保護に関する共通の問題に直面している。
https://jp.sputniknews.com/photo/201908096561200/

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アイヌ版オセロ「本場」魅了 英国公演初日

2019-08-09 | アイヌ民族関連
北海道新聞 08/09 05:00
 【ロンドン河相宏史】英国人作家シェークスピアの名作「オセロ」を翻案し、アイヌ民族を主人公にした演劇「アイヌ旺征露(オセロ)」が7日、4日間の日程で、本場である英ロンドンの劇場で始まった。アイヌ文化に関心がある現地の人らが興味深く舞台に見入った。
 オセロは人種差別がテーマで、黒い肌の軍人オセロが、部下の陰謀で白人の妻の不貞を疑い、嫉妬から身を滅ぼす悲劇。演劇は舞台を幕末の道東に設定し、オセロをアイヌ民族、妻を蝦夷(えぞ)地警備に当たる仙台藩士の娘に置き換えた。仙台の劇団「シェイクスピア・カンパニー」が主催し、釧路市阿寒町の演出家秋辺デボさんが共同演出。道内のアイヌ民族の舞踏集団「ピリカプ」の4人も出演した。
 せりふはすべて東北弁やアイヌ語で、電光掲示板で英訳を表示しながら上演。アイヌ衣装姿やちょんまげ姿の役者たちに、約100席の8割を埋めた観客からは「さまざまな文化が交じり合って面白い」「名作を別の角度で演じていて興味深かった」などの声が出た。4日間で計5回上演し、チケットはほぼ完売という。
※「ピリカプ」の「プ」は小さい字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/333503

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「関係さらに深く」 米総領事が知事に着任あいさつ

2019-08-09 | アイヌ民族関連
北海道新 08/08 19:29
 8月に着任した在札幌米国総領事館のアンドリュー・リー総領事(51)が8日、あいさつのため鈴木直道知事を訪問し、「北海道と米国マサチューセッツ州は来年で姉妹都市提携の30周年。関係をさらに深めたい」と抱負を述べた。
 知事は胆振管内白老町に来年4月にオープンするアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」を紹介。「国内だけでなく海外にもPRしていきたい。ぜひ米国の人にも広めてほしい」と言葉をかけると、リー総領事は「ぜひ行ってみたい。このプロジェクトを手伝いたい」と応じた。(先川ひとみ)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/333389

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「まりむ号」運行再開 阿寒湖温泉・無料循環バス 故障運休から半年、代替車両使い夜間のみ

2019-08-09 | アイヌ民族関連
北海道新聞 08/07 05:00
 【阿寒湖温泉】阿寒観光協会まちづくり推進機構は、車両故障で今冬から休止していた阿寒湖温泉街の無料循環バス「まりむ号」の運行について、1日から夜間のみ、代替車両を使って約半年ぶりに再開した。11月10日まで温泉街各地を結ぶ。
 運行は夜間の催しに合わせ、午後7時から11時まで。温泉街から約4キロ離れたホテル「ラビスタ阿寒川」を含む阿寒湖温泉の各宿泊施設、阿寒湖アイヌシアターイコロなどで乗降できる。24人乗りのマイクロバスを使い、運賃は無料。
 まりむ号は2015年度、同機構が住民や観光客向けに運行を開始。マリモのイラストを描いた35人乗りの専用車両を使っていたが、今年2月に故障して運休していた。
 3月にイコロで新演目「阿寒ユーカラ『ロストカムイ』」、7月に阿寒湖畔のボッケ遊歩道で阿寒湖の森ナイトウォーク「カムイルミナ」が始まったことから、観光客の移動の足を確保するために運行再開を望む声が高まっていた。
 まりむ号の運行経費は例年、阿寒湖温泉の大手ホテルの入湯税を100円値上げした増収分を積み立てる「観光振興臨時基金」を活用しており、本年度も車両のリース代などを基金から拠出する。
 運転手の確保が困難なことから、日中の運行再開の見通しは立っていないという。同機構は「夏休み時期に何とか間に合わせることができた。来年度の運行は引き続き協議していきたい」と話している。(光嶋るい)
※イコロの「ロ」は小さい字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/332626

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つがる市の小学生ら、スポーツで交流 アイヌ伝統楽器の制作体験も-白老

2019-08-09 | アイヌ民族関連
苫小牧民報 2019/8/8配信
 白老町の姉妹都市・青森県つがる市の小学生らが5、6の両日、同町での交流体験プログラムでアイヌ民族の伝統楽器ムックリ作りや地元小学生とのスポーツ交流などを楽しんだ。
 同市による白老町への児童派遣は姉妹都市交流の一環で毎年行われており、今回は夏休みの児童22人と引率の市職員ら4人の計26人が来町した。
 初日の5日は町役場を表敬訪問。古俣博之副町長と安藤尚志教育長らの歓迎を受けた児童らは、「白老の有名な祭りは何ですか」「このまちの特産品は」などと質問を寄せていた。
 翌日の6日は、町内のアイヌ文化体験施設コロポックルでムックリ作りを体験。その後、町コミュニティーセンターに移動し、7月下旬につがる市を訪問した白老の児童12人と交流。名前や趣味など互いに自己紹介し、一緒にチームを組んで室内ホッケー・ユニホックのゲームを楽しんだ。
 交流事業に参加したつがる市の向陽小学校5年の稲葉宇慶君(10)は「白老の小学生と友だちになったり、ムックリを作ったりとたくさんの思い出ができた」と笑顔で話していた。
 白老町は1991年、市町村合併前の青森県森田村と姉妹都市を締結。白老町の前身・旧白老村の初代村長の出身地が旧森田村であることが縁となり、交流を続けた。旧森田村は2005年の市町村合併でつがる市となった。
https://www.tomamin.co.jp/news/area2/16895/

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米民主ウォーレン氏、農村部向け高速通信網計画を発表

2019-08-09 | 先住民族関連
朝日新聞 2019年8月8日02時08分
 [ワシントン 7日 ロイター] - 2020年の米大統領選の民主党候補指名を目指すエリザベス・ウォーレン上院議員は7日、850億ドルの連邦助成金プログラムを使い、農村部や米国先住民(ネイティブ・アメリカン)に高速のインターネット環境を提供する計画を発表した。
 連邦通信委員会の2018年の調査によると、ブロードバンドにアクセスできない人口の割合は都市部の2%に対し、農村部で30%、先住民で35%となっている。
 ウォーレン議員は声明で、農村部と低所得者地域でのブロードバンド構築費用の90%を賄うほか、先住民向けの費用を完全に負担するために助成金を50億ドル留保するとした。
 助成金の対象は電気や通信の協同組合、非営利団体、先住民族、地方自治体など。
 計画では、助成金を受領する団体は通信速度が100メガビット/秒(Mbps)のプランを少なくとも1つ提供するほか、低所得者層向けに低料金もしくはプリペイドのオプションが付いたプランを提供することが規定されている。
 ウォーレン議員は、助成金プログラムは経済開発局の新設部署が管理すると述べた。
 http://www.asahi.com/business/reuters/CRBKCN1UX220.html

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アムネスティニュース : あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」の中止に深刻 な懸念

2019-08-09 | 先住民族関連
レイバーネット 2019.8.8 通巻872号
8月9日は世界の先住民の国際デーです。世界最大の熱帯雨林のアマゾンでは、石油・鉱物の採掘により、先住民の生活が脅かされています。乱開発をやめさせようと声を上げたエクアドルの女性たちに対し、暴力が振るわれ、脅迫が続いています。アクションにご協力ください。
アマゾンの熱帯雨林を守る女性たちを助けて!
世界最大の熱帯雨林、アマゾンを守る女性たちが危険にさらされています。
アマゾンでは石油や鉱山などの採掘が推し進められ、森林、多種多様な生態系はもちろんのこと、先祖伝来の土地を守りながらそこで暮らす先住民族の生活が脅かされています。そんな危機からアマゾンを守るため、エクアドルで勇気ある女性たちが立ち上がりました。彼女たちはエクアドル政府に対して、先住民族が住む地域での石油会社・鉱業会社による採掘をやめさせるよう訴えています。
そのために、正体不明の者たちに襲撃されています。「殺すぞ」と脅迫され石を投げつけられる、槍を持った男に脅される……。被害が本人の家族にまで及んだケースもあります。
女性たちが刑事告発を行ったのにもかかわらず、エクアドルの司法機関による適切な捜査は行われていません。また、暴力や脅迫を受けた人たちの保護も不十分です。
アマゾンを守る女性たちを襲った犯人を裁き、彼女たちを保護するようエクアドルの司法長官に要請してください!
▽アクションに参加する
https://www.amnesty.or.jp/get-involved/action/ec_201908.html

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アイヌの世界観巡る―絵鞆で洋上モニターツアー【室蘭】

2019-08-09 | アイヌ民族関連
室蘭民報 2019.08.08
船上から絵鞆半島の景観を望む参加者ら=胆振総合振興局提供
 アイヌ文化を生かした西胆振地域のブランドづくりや活性化につなげよう―と、「絵鞆半島外海岸」を海から巡る「洋上モニターツアー」(胆振総合振興局主催)が7日、同海岸などで開かれ、高校生らが絵鞆半島に残るアイヌ語と景観の関連性などについて学んだ。
 白老町の民族共生象徴空間(愛称ウポポイ)の来年4月開設を控える中、「アイヌの世界観」を体験してもらえる素材の開発や、アイヌの足跡を伝承していく地域づくりを目指した取り組み。
 会員制交流サイト(SNS)で、絵鞆半島の魅力などを発信してもらうため、半島に残るアイヌ語地名や地質学的特長を知ってもらおうと「モデルツアー」を初めて開いた。
 高校生7人が参加。室蘭開発建設部の港湾業務艇に乗り込み、船上から、金屏風や銀屏風の断崖絶壁、マスイチ浜の外海展望、トッカリショの奇勝の絶景などの“室蘭八景”を見学した。
 道北海道総合地質学研究センターの山岸宏光シニア研究員・理事、松田義章理事らの解説を聞き、海からの景色に参加者からは「初めて絵鞆半島を見たが、想像以上にきれいな景色で驚いた」などの感想が出ていたという。
http://www.hokkaido-nl.jp/article/12963

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函館公園で「ファミリーフェスタ」 クイズラリーや木工体験など

2019-08-09 | アイヌ民族関連
みんなの経済新聞ネットワーク8/8(木) 11:45配信
 「函館公園ファミリーフェスタ」が8月17日、函館公園(函館市青柳町)で開催される。
(函館経済新聞)
 同イベントは2010年の「動物舎オープン記念イベント」開催をきっかけに、2011年~2013年は「動物ふれあいフェスタ」、2014年からは「親子で楽しめるイベント」をキーワードに「函館公園ファミリーフェスタ」に名称を変更し、開催している。
 当日、「函館公園クイZOOラリー」と題したクイズラリーを開催。園内にいる動物について学んでもらい、同園の「魅力を再発見してもらう」のが目的。ほかにも、親子でできる木工体験やストラックアウト、親子ペアでサイコロを転がして親よりもサイコロの数字が大きいと景品がもらえるゲームなどのほか、ミニチュアホースの餌やり体験会なども行う。
 市立函館博物館では普段入ることができない旧函館博物館一号を一般開放。アイヌ民族に伝わる竹製の楽器「ムックリ」の演奏体験など国立アイヌ民族博物館のPRコーナーも設ける。
 主催する函館市住宅都市施設公社の担当者は「夏休みの思い出に、当園で家族や友達と思いきり遊んで楽しい一日を過ごしてほしい」と話す。先着150人の子どもには同園「こどものくに乗車券」などを配布する。
 開催時間は10時~14時30分。入場無料(木工体験は有料)。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190808-00000021-minkei-hok

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【大きな旅・小さな旅】「光と影を見る旅」を私たちが始めた理由[再掲]|ダークツーリズム

2019-08-09 | アイヌ民族関連
幻冬舎 8/9(金) 6:05配信  井出明 / 丸山ゴンザレス
旅を日常からの脱出だと定義するならば、観光地を巡ることだけが旅でありません。今日から始まる特集「大きな旅・小さな旅」では、自分を遠くに連れだしてくれる“旅”にまつわる記事をご紹介します。まずは「ダークツーリズム」という旅の手法から。8月9日は、74年前の1945年、長崎に原爆が投下されました。その歴史を忘れないためにも、人類の悲劇を巡る旅のすすめです。
人類の悲しみの記憶を巡る旅を続けてきた観光学者の井出明さんと、都市の闇に分け入り観察を続けてきたジャーナリストの丸山ゴンザレスさん。このたび、お二人の最新作――『ダークツーリズム』(幻冬舎)と『GONZALES IN NEW YORK』(イースト・プレス)の出版を記念して、お二人が世界中を旅しながら見てきたことを語りあいます。
(構成:東谷好依 撮影:菊岡俊子)
自分がしてきた旅は「ダークツーリズム」だった
丸山ゴンザレス(以下、丸山) 先生は、2011年に小樽商科大学で国際シンポジウムが開催された際に、初めて「ダークツーリズム」という言葉を知ったんですよね?
井出明(以下、井出) そうなんです。そのシンポジウムで、網走監獄やアイヌの差別など、近代の悲劇の歴史が北海道の観光資源になるという話をしたんですね。そうしたら、ニュージーランドから来ていた先生が「それはダークツーリズムと呼ばれていて、ヨーロッパでは盛んに研究されている」と教えてくださいまして。自分がしてきた旅は、ダークツーリズムと呼ぶんだと、そのとき初めて知ったんですよ。
丸山 なるほど。僕の場合は、先生も関わっているムック『DARK tourism JAPAN』(大洋図書)が発売された頃から、ダークツーリズムという言葉を意識し始めるようになりました。振り返ってみると、バックパッカーをしていた20歳くらいのときに、スラム街にちょっと足を踏み入れたことが自分なりのダークツーリズムの始まりだったのかなと思います。
そのエピソードを日本に帰ってから話すと受けが良くて、次もそういうところに行ってみようと足を運んでいたところ、それが仕事になっていきました。ダークツーリズムともいえるし、僕の中では都市冒険として位置づけていたりもしますね。
井出 最初はどこのスラムに行かれたんですか?
丸山 タイのファランポーン駅北側の線路沿いにある、小さいスラムです。そのあと、クロイトンスラムなど有名なスラムにも行くようになり、次第に各国の都市のスラムを旅するようになっていきました。
井出 都市にこだわっている理由は?
丸山 都市を構成する要素というのは複雑で、きらびやかな部分があれば、必ず対をなす濃い闇がありますよね。違法性をはらむような場所は、都市のもう一つの顔なわけです。その闇を含めて観察することで、街を立体的に見ることができると思っているんですよ。
8月に出版した『GONZALES IN NEW YORK』でも、ニューヨークという巨大都市を立体的に見るために、ガイドブックには載っていない都市の闇を切り取りました。
井出 都市が光と陰の両面を併せ持つことを、認めたがらない人は、けっこう多い気がしますね。以前、首都大学東京で准教授をしていたときに、大学全体がオリンピックの招致に燃えていたんですが、1964年の東京オリンピックのときにあった強制立ち退きを掘り下げて研究しようとしたら、大学関係者からはかなり嫌な顔をされてですね……。それで大学に居づらくなって、結局は退職したんですよ。
丸山 街というのは、陰の側面を取り除いたところで、いい方向に向かうとは限らないですよね。その好例といえるのが、インドネシアの第二の都市であるスラバヤにあった、「ドリー」という置屋街です。東アジア最大の置屋街として、世界的に有名になりすぎたために、新しい市長が公約として閉鎖を掲げていたんですね。2014年に新市長が閉鎖を決定して、実際に実行されたんですよ。
そのニュースを見て、面白そうだと思い、閉鎖の約1ヵ月後にドリーを訪れてみたんです。そうしたら、街全体が廃墟になっていたんですよね。ブティックとか、ヘアサロンとか、置屋街にぶら下がっていた産業がみるみる衰退し、一気に人がいなくなって、ゴーストタウン化していったみたいです。そういう事例を見ていても、都市の陰の部分をなくしましょうという考えは、街としての可能性を狭めると感じますね。
個人旅行が最適解ではない。まず「見てみる」ことが大切
井出 非常に興味深い事例ですね。最近では「スラム学習」ということで、パッケージツアーを組んでいる旅行会社もありますよね。ああいうツアーに対しては、どのような印象を持たれていますか?
丸山 よく誤解されるんですけど、僕はパッケージツアーには、割と賛成派なんですよ。楽じゃないですか!ただですね、ツアーで目にするものを、ありのまま受け入れるべきではないと思いますが。
井出 というと?
丸山 ジャカルタを訪れたときにスラムツアーに参加したことがあるんです。ガイドが案内してくれるやつで、ちょっとでも横道に入ろうとすると、「危ないからやめてください」って怒られるんですよ。ガイドの目がなくなった隙に、サッと横道に入ってみたら、さっきまで「うう……」と苦しそうにしていたおじちゃんが、ハンモックに横たわりながらiPadで本を読んでいました。スマホはiPhoneでしたね。
スラムという共同体の利権が、そこで垣間見えるわけです。もちろん、その人がちょっと稼いでいるからといって、スラム全体が潤っているかといえば、そうではない。もしかしたら、本当にお金がなくて、たまたまiPadとかiPhoneを誰かにもらっただけかもしれない。それでも、パッケージツアーにおけるスラム見学は、運営している人たちが見せたい現実を見せてくるという側面を含んでいることを知っておいたほうがいいでしょうね。
井出 パッケージツアーは、安全が担保されていて、よくまとめられたもの。そういうふうに理解して、最初の一歩を踏み出すために利用するといいのかもしれません。若い人たちが、最初から丸山さんの旅の形態をコピーしようと思うと、なかなか難しいわけですから。
丸山 「クレイジージャーニー」(TBS)のディレクターさんも、最初はスラムに入るのを嫌がっていましたからね。知り合いから「行きたい」と言われて連れて行くこともありますが、いざ現地まで行くと、そこの空気に呑まれて先に進めなくなることが多いです。
ただし、行きたいと思うなら、まず行ってみたほうがいいと思います。一般的な観光と異なる旅では、危険かどうかという議論が必ず巻き起こりますよね。あの議論は、僕は必要ないと思っているんです。現地で起こっていることに関して、帰ってから議論する分にはいいけど、そこを訪れることを議論しても仕方ない。まずは行ってみて「意外と危なくないな」とか「思っていた以上に殺伐としていたな」などと感じることが大事だと思うんです。こういうとき、「自己責任」がついてまわるんですが、安全にこだわって何も見ないというのは、僕にはできない選択ですね。
アートによるスラムの浄化は成功といえるか?
井出 世界的に、アートによってスラムをイノベーションして、小ぎれいな街に変える流れがありますよね。日本では、横浜の黄金町や京都の崇仁地区などが有名です。黄金町なんかは、成功例だと横浜市は言っていますが……。
丸山 個人的な意見ですが、アートによるイノベーションの成功例って、あまりないと思っています。
井出 ニューヨークはどうですか?
丸山 ニューヨークは例外、むしろ唯一ぐらいの成功例ですね。ニューヨークは、グラフィティアーティストの地位が高いですから。グラフィティアーティストたちが、治安の悪い場所でも、そこに絵を描く意味があると、価値を見出す人たちがいる。ニューヨークじゃないと、それは成り立たないと思うんです。
つまり、一過性のことをしてもダメなんですよ。アーティストが継続して活動し、そこで暮らす子どもたちが活動に興味を持つような環境であれば、地域を変える可能性はあると思うんですけど……。行政主導の一過性のものは、絶対に続かないからやめたほうがいいと思っています。ペンキが剥がれ落ちた、元はファンシーな絵があった壁とか、途上国のスラムではよく見るんですが、なんか悲しくなります。
井出 黄金町の場合は、街をきれいにしたことで家賃が高くなりましたから、もともと住んでいた低所得の人などは、出て行くしか選択肢がなくなってしまいましたよね。そういう現状を見ていると、都市のツケを別の地域に回しているだけのような気がしてならないんですよ。
丸山 まさにそうですね。都市の闇というのは、つぶしても形を変えて、またどこかに生まれるんですよ。マカオの辺りでは今、売春街を一掃した結果、クラウド売春が当たり前になりつつあります。売春婦を買うためのサイトやアプリが、次から次へと立ち上がっているんです。そうなると、行政も取り締まりようがない。顕在化していたときと、見えなくなってしまった今と、どちらがいいかというのは、議論すべきところですよね。
(第2回に続く。10月9日公開予定です)
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190809-00011299-gentosha-cul

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風を食べて生きるアート?! テオ・ヤンセン展を見に札幌へ

2019-08-09 | アイヌ民族関連
朝日新聞 8/8(木) 16:05配信
【連載】アートを旅する
旅が非日常なら、アートに触れる旅は、非日常の中でさらに非日常に触れる、視点や発想が変わるひととき。でも、どう読み解けばいいの? 本コラム「アートを旅する」は、アートのプロが展覧会や作品を訪ねて、わかりやすく「感じ方の提案」をします。
第1回は、札幌芸術の森美術館で開催中の「テオ・ヤンセン展」。名古屋造形大教授の高橋綾子さんが、風を受けて自走する恐竜の骨組みのような作品「ストランドビースト」から受けたインスピレーションをつづります。
風を食べて動く生命体、見に行くしかない
展覧会を見ることを口実に各地を旅することが、人生のたのしみであり糧となってはや30年。わが青春の地、札幌に「“風を食べて動く生命体”が初上陸!」なんて聞けば、もう行くしかない。
札幌芸術の森美術館で開催中の「テオ・ヤンセン展」(9月1日まで)。2017年夏に三重県立美術館で出会った「ストランドビースト」たちがさらに進化して、日本初公開の5作品を含む12作品が展示されているというのだ。まるで恐竜の骨が独りでに動き出したような、あるいは骨組みだけになった風車か難破船が、美しい浜辺でダンスしているような不思議な光景を、CM映像でご覧になった方も多いと思う。
芸術家であり発明家であり科学者でもあり
テオ・ヤンセン(1948~)は、オランダの海辺のリゾート地出身のアーティスト。デルフト工科大学で物理学を専攻し、1975年に画家に転向した。アートという言葉の語源には、「技術」や「人工(のもの)」という意味も含まれている。まさにヤンセンは芸術家であり、発明家であり、科学者でもあると言えるだろう。「ストランドビースト(STRANDBEEST)」は、オランダ語で、砂浜を意味する“strand”と生命体を意味する“beest”の二つをつなげたヤンセンによる造語で、彼が創(つく)る「生命体」の総称だ。
展覧会はビーストの構造や動きの仕組みや変遷(進化)を紹介しながら、ヤンセンの哲学と理想を丁寧に伝える内容だった。もちろん、ビーストは静止していても、とびきりユニークで美しい。しかし、これは「作品」というより「生命体」なんだ、と納得させられたことは、大いに新鮮な驚きだった。
ポリ塩化ビニルの黄色いパイプによる造形が、いかにして「生命」を宿すのか。その核心は歩行メカニズムにある。ビーストの脚は、パイプの長さや位置を示すホーリーナンバー(聖なる数)と名付けられた13の数字で構成されている。ヤンセンはこの数字にたどり着くまでに1500通り以上の組み合わせをコンピュータ上でシミュレーションして、理想的な動きを生み出したという。
空気をためるペットボトルは「胃」で、それを送るポンプは「筋肉」、ポンプに取り付けられたバルブは「神経細胞」というように、ストランドビーストは、空気=風を食べて動く「生命体」として創造された、という。種明かしをされても、やっぱり不思議だし、面白いし、愛らしいし、見飽きない。
「死」を宣告されたビーストたちの「蘇生」
しかも驚いたことに、いま、私たちが展示室で見ているビーストたちは、いったんヤンセンによって死を宣告されたものたちだというのだ。
えっ! 死んでいるの?!
ヤンセンは毎年10月から5月まで工房で制作したビーストを、6月のはじめに海岸に持っていき、夏の終わりまでトライアウト(試走)として検証を繰り返すという。そこで、充分な実証を得たと感じたら、ビーストは死を受け入れて化石になるというのだ。だから、展覧会場での動きのデモンストレーションは、命を吹き込む「リ・アニメーション」(蘇生)と称される。
滑らかで有機的な動作は、ちょっと気取ったモンローウォークのようでもあり、はたまた、ひょうきんなラインダンスにも見えてくる。さらには、その歩行に加えて方向転換、危険察知などの機能を備えて進化してきたビースト。ヤンセンは自らが亡き後も、ビーストが自立して砂浜で生き延びることを目指しているというのだ。
だとすると、生命とは? ビーストの死とは何か? 機能を追求した結果もたらされた美の意味とは?
会場で入手した公式ガイドブックによれば、ヤンセンは「真の美とは、あくまでもそのものが辿(たど)った道、過程にあるのだと思う」「私の意識下に棲(す)む芸術家が、作品を美しく仕上げてくれるのでしょう」と語っている。そして、永遠のテーマは「私たち人間の存在意義や由来をたどる」ことであり、ひいては「死の意味」をみつけることだという。その姿勢は、まさに科学者であり芸術家であることの証しだ。
屋外の彫刻とも響き合う
ビーストの動きに生命を感じる愉快さと、その表裏に死の意味を探す畏敬の念。そんな心持ちで、子供たちが目を輝かせてビーストの動きに見入っている展示室を出て、夏の日差しを浴びに外に出てみた。久々に、お気に入りの屋外彫刻に会いに行ってみたくなったのだ。
私は札幌で大学時代を過ごし、ここ札幌芸術の森は、卒業後間もない1986年に開園した。30年余の時間を感じる作品は、やはり生と死を意識させるものだった。環境造形Q『北斗まんだら』のアカエゾマツは、すっかり大木の立派な林になっていて、圧倒的な生命力を誇っていた。北斗七星の形に配置された御影石に座って涼をとり、樹々をそよぐ風音にゆっくり耳を澄ませた。
そして、私の一番気になっていた作品、砂澤ビッキ『四つの風』へ。「風を彫った彫刻家」と称されたビッキは、4本のアカエゾマツの丸太の表面を彫って屹立(きつりつ)させた。「生きているものが衰退し、崩壊していくのは至極当然だ」として、風雪にさらして朽ちていく過程をみせるというビッキの意思を、美術館も実験的な試みとして尊重した。現在は、3本が倒壊し、立っている最後の1本の周りに草木が生えていた。
ビッキといえば、今年で没後30年。4~6月に札幌芸術の森美術館と本郷新記念札幌彫刻美術館で開催された回顧展では、代表作である「風」シリーズとともに、多くの工芸的なオブジェも展示されていた。特にビッキ独自のアイヌ風の文様が施された、節足動物の関節が動く作品が目をひいた。エビ、チョウやガにトンボ、それらはひょっとしたら、夜中に勝手に動き出しているかも、なんて思えた。だから、開催中の「テオ・ヤンセン展」に、彼岸のビッキは驚きつつも愉快だと喜んだり、いや、きっと嫉妬しているに違いないとも想像した。
芸術家は、存在や死を、造形として可視化すべく挌闘する。一方、科学者は、生や死という現象そのものを追究し、創り出そうとするのかもしれない。
科学者は芸術家に憧れ、芸術は科学を羨望(せんぼう)する。だから私たちは、テオ・ヤンセンの幸福に、こんなにも愉(たの)しく心揺さぶられるのだ。
■札幌芸術の森
https://artpark.or.jp/
■テオ・ヤンセン展
http://event.hokkaido-np.co.jp/theo/
■プロフィール
高橋綾子
名古屋造形大学教授
岐阜市生まれ、北海道大学文学部行動科学科卒業。愛知芸術文化センター(愛知県文化情報センター)学芸員を経て2001年より大学教員となる。2003年に創刊(2002年創刊準備号発行)した芸術批評誌『REAR(リア)』の編集制作を中心に、美術評論と編集活動を継続。現代美術展の企画や運営にも取り組む他、戦後前衛美術への関心から、1965年夏に岐阜で開催された「アンデパンダン・アート・フェスティバル」(通称:長良川アンパン)の調査など、アートプロジェクトと地域についての調査研究を行っている。苦めの珈琲とキャバリア犬のトトをこよなく愛す。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190808-00010002-asahiand-cul

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<舞台裏を読む>親密トップ 道と札幌連携は…

2019-08-09 | アイヌ民族関連
北海道新聞 08/07 05:00
 組織の思惑を超え、2人の親密さを示す場になった。6月11日、札幌市役所であった鈴木直道知事と札幌市の秋元克広市長の初会談。秋元市長が2030年の冬季五輪・パラリンピック招致に協力を求めると、知事は応じた。「五輪は北海道全体の魅力をPRする機会。連携していきたい」
 再開発を絡め五輪に前のめりな札幌市と、財政負担の重さなどから消極的な道には溝がある。職員が事前調整した知事の回答案は、要請への理解を示す程度の内容だった。実際にはシナリオより踏み込んだ。
 知事が来年4月に胆振管内白老町内で開業するアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」について、年間来場者100万人を目指す方針への協力を求めると、秋元市長はうなずいた。直後の庁内会議で「学校や町内会の行事に組み込むよう提案して」と指示をした。
 方式も異例だった。これまで両トップによる行政懇談会(道市懇)は知事公館と中島公園の豊平館を交互に使い、上下関係を示さないように配慮してきた。この日は「就任あいさつ」として知事が札幌市役所を訪問。「知事が頭を下げるようにも見える形式は聞いたことがない」と市幹部。道幹部は市幹部に「これは道市懇ではない」と何度も念押しした。
 「不毛な争いをした高橋はるみ、上田文雄時代からみると隔世の感がある」。「秋元さんが兄、鈴木さんが弟のような不思議な信頼感を感じる」。道幹部や札幌市幹部は口々に語る。
 2人をつなぐのは夕張だ。2008年に東京都職員として夕張市へ派遣され、その後11年から8年間、夕張市長として財政再建に取り組んだ知事。夕張生まれで、高校卒業まで夕張で暮らした秋元市長。
 札幌ゆうばり会の会合などで隣の席に座ったほか、個人的な懇談も重ね、自治体経営の在り方などを語り合ってきた。秋元市長は「市長選に出馬したのは、つぶれかけた故郷で奮闘している若者の姿に感動したのも一因」。知事は「市長からさまざまな指導を頂いている」と語る。
 支援も共通性がある。ニトリホールディングス(HD)の似鳥昭雄会長や、調剤薬局大手アインHDの大谷喜一社長などが両者を応援。出馬の是非を巡って自民党が分裂し、苦しい思いをした点も似ている。4月の統一地方選後、経済人の招きで2人は酒宴に出席。選挙戦の話に花を咲かせた。
 だが職員の関係には変化がない。市は五輪、JR札幌駅前の再開発を重視する一方、道は統合型リゾート施設(IR)誘致の是非、JR北海道の路線維持問題に注力、優先政策はかみ合わない。札幌市に道職員は「道都としての責任に欠けている」と苦言。財政難で新事業に消極的な道には札幌市側から「プライドばかり先行」と批判がある。
 食い違いをどう乗り越えるか。試金石は、観光客に負担を求める観光税(宿泊税)だ。道が2年前から導入検討を進める中、札幌市が6月に導入の検討を表明。1人1泊数百円程度とみられる税源の配分で綱引きも予想される。福岡県では県と福岡市が配分を巡り激しく対立。道と札幌市が協調できれば、道内市町村のモデルとなる。
 今のところ知事は「連携しながら進めていければ」、秋元市長は「具体的な調整をしていきたい」と述べる。組織の利益を巡る政策で、利害を超えた合意ができるか。両トップの胆力も問われている。(報道センター 松本創一)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/332615

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アイヌ語地名で見る北海道 地図の特別展、札幌

2019-08-09 | アイヌ民族関連
日本経済新聞 2019/8/7 9:35
 アイヌ語に由来する北海道の地名を、国宝6点、国指定重要文化財33点を含む約100点の資料で考える地図の特別展が、北海道博物館(札幌市)で開かれている。小川正人学芸副館長は「地名はアイヌ民族が先住していた何よりの証拠。親しみのある地名を通して北海道を見つめ直す機会になってほしい」と期待する。

 アイヌ語地名研究者・山田秀三氏が地名調査の記録を書き込んだ地形図(北海道博物館提供)=共同
アイヌは地形の特徴や動植物に関係する地名を各地に付けており、北海道では主に明治期以降、アイヌ語の音に合わせて読み方の近い漢字を当てた。「厚岸」(オヒョウの皮を採る所)、「稚内」(冷たい水の川)など、アイヌ語に由来する地名は北海道や東北に数多くある。
特別展は前期・後期に分かれ、4章で構成。第1章は伊能忠敬が作った「伊能図」の下図(国宝)や松前藩の測量士、今井八九郎の「シコタン島図」(国指定重要文化財)など、古文献、古地図に記録されたアイヌ語地名を紹介する。第2章はアイヌ語地名研究で知られる山田秀三氏(1899~1992年)のフィールドノートなどを展示する。氏の写真やスケッチ、手書きの文章が読み物としても楽しめる。
第3章は地名を「見つめる」がテーマで、明治・昭和の「北海道移住案内」、「北海道鳥瞰(ちょうかん)図」のびょうぶのほか、全国鉄道路線図で全国の地名と北海道の地名を見比べるコーナーもある。第4章は「北海道ふくわらい」と題してマグネットになった地名や川、島を当てはめていくゲームなど、親子で遊べる内容になっている。
第3章を担当した池田貴夫学芸主幹は「地名をじーっと見つめてみてほしい。地名にも表情があって、笑っているようだったり、怒っているようだったり、いろいろな感性をかき立てる」と話す。特別展は9月23日まで。〔共同〕
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO48305040X00C19A8CR0000/

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東京五輪は誰になる? 「聖火最終ランナー」に込められた深い意味

2019-08-09 | 先住民族関連
朝日新聞 2019.8.7 16:00
 チケットの第一次販売に続き、7月1日からは、東京2020オリンピック聖火ランナーの公募も始まった。来年3月12日には、古代五輪が行われていたギリシャ・オリンピアのヘラ神殿跡で太陽の光から聖火が採られ、日本へと運ばれる。その後聖火リレーは、3月26日に福島から始まり、7月24日の東京・新国立競技場での開会式まで、全国を約1万人が桜をモチーフとしたトーチを持ち、走ることになる。
 しかし最も注目を浴びるのは、やはり最終ランナーだ。誰が聖火台に火を灯すのか、それにより東京五輪が世界に何を伝えるのか、非常に重要な人選となる。
 過去の大会を振り返ると、最終ランナーは主催国の優れたアスリート、または引退した偉大な選手らが務めている。しかし単なる著名人というのではなく、そこには非常に深い意味が込められている場合もある。
 1996年アトランタ五輪の聖火台に火をつけたのはモハメド・アリ。言わずと知れたボクシングのスーパースターであり、ローマ五輪(1960年)のゴールドメダリストである。引退後パーキンソン病を患っており、アトランタの聖火台の下で、震える手でトーチを持ち点火する姿は、皆の胸に迫るものがあった。アリはオリンピックチャンピオンとなった後でも、故郷でレストランへの入店を断られ、その黒人差別への怒りから、金メダルを川に投げ捨てた。この話は創作らしいが、リングの外で差別と戦い続けたのは確かである。公民権運動、ベトナム戦争での徴兵拒否で政府(白人側)との対立を深めて、ボクシングライセンスを剥奪され苦悩の時代を送った。そのモハメド・アリが、最も奴隷制の名残が残り、人種差別が酷かったとされるアメリカ南部の街、アトランタでの聖火点火者となった。そこには融和、平等への祈りの意味が込められていたと考えていいだろう。
 2000年シドニー五輪の最終ランナーは、同大会で陸上400mのゴールドメダリストとなったキャシー・フリーマン。白いタイトスーツを身にまとったフリーマンが、水の中の聖火台に点火している。彼女はオーストラリア先住民族で、その象徴的アスリートであった。オーストラリアでは白豪主義と呼ばれる非白人排除政策が18世紀に始まり、先住民族の人種隔離、迫害は1970年代まで続いた。その後も差別は残り、彼女もまた、それと戦ってきた選手である。近年、多文化主義を掲げるオーストラリア・シドニーは、フリーマンにトーチを託すことで、差別のない世界を作っていくということを国内外にアピールしたのである。
 2016年リオデジャネイロ五輪の聖火台は2つあった。ひとつはマラカナンスタジアムに、もうひとつはリオの街のダウンタウン、カンデラリア教会の広場に置かれた。アテネ五輪(2004年)の銅メダリスト、バンデルレイ・デ・リマがマラカナンの聖火台に火を付けた。それから少し遅れて、市民の聖火と呼ばれたダウンタウンの聖火台に火を灯したのは、当時14歳のジョルジ・ゴメス少年だった。なぜカンデラリア教会に聖火台が置かれ、なぜジョルジ少年が点火したのか。カンデラリア教会は1993年、ブラジルのみならず世界を震撼させた虐殺事件の舞台である。教会の援助を受けていたストリートチルドレンが眠っていたところに、警官を含むグループが発砲。少なくとも8人が死亡し、多くの子供が負傷した。事件の根底には、ファベーラ(貧民街)の存在、貧困にあえぐ子供の犯罪、分断される社会があったと伝えられる。ジョルジ少年もファベーラの出身。幼少期を貧困の中で過ごしたが、その後、陸上に出会い、経済的にも精神的にも充実した生活を送れるようになったという。リオだけでなく、世界が向き合わなくてはいけない問題の象徴的な場所で、スポーツにより人生を変えようとしている少年が聖火を灯すことは、意義深いことだっただろう。
 これらの大会を見ると、聖火の最終ランナーには、融和、平等、差別の排除など、共通した祈りが含まれている。それはオリンピック憲章に書かれたオリンピズムの原則でもある。さらに聖火は古代ギリシャにおいて、五輪期間中は常に火を祭壇に灯していたことに由来している。古代五輪では祝祭期間中とその前後は「エケケイリア」と呼ばれる聖なる休戦が宣言され、聖火はそのまま平和の象徴となっている。
 前回、1964年東京五輪での最終ランナーは、坂井義則さんだった。1945年8月6日、広島に原爆が投下された日に、その広島県に生まれた坂井さんが聖火を灯したことで、東京は平和、反戦のメッセージを世界に送った。果たして今回、東京は最終聖火ランナーを通じて何を社会に伝えるのか、大いに注目である。(文・小崎仁久)
https://dot.asahi.com/dot/2019080600013.html?page=1

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