先住民族関連ニュース

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世界の核被害者を取材して=石川裕士(広島支局)

2015-12-30 | 先住民族関連
毎日新聞2015年12月30日 東京朝刊

フォーラムで報告するインド東部の先住民アシッシ・ビルリさん(右)=広島市で11月21日、山田尚弘撮影
新たなヒバクシャ生むな
 世界で唯一、核兵器被害と原発事故を経験した被爆国のリーダーが一線を越えた。今月12日、安倍晋三首相とインドのモディ首相が、日本の原発輸出を可能にする日印原子力協定で原則合意に達した。私は先月、広島で開催された「核のない未来を! 世界核被害者フォーラム」を取材し、「平和利用」であっても、原子力開発自体がインドに暮らす先住民の文化や生活、命までも脅かしている現実を知った。「核なき世界」に逆行する安倍政権の外交政策に憤りを感じざるを得ない。
核なき世界逆行、日印原子力協定
 フォーラムは、広島と長崎の反核・平和団体でつくる実行委員会が世界のあらゆる核被害をなくそうと企画し、11月21〜23日に開かれた。広島、長崎の被爆者をはじめ、核実験やウラン採掘場、原発事故の被災者ら世界の核被害者が初めて被爆地に集い、核の軍事、民生利用の両面から放射線被害の実態を報告した。最終日に採択された核被害者の権利をまとめた憲章は、国連人権委員会に提出される。
 私はフォーラムで、一人のインド人青年と出会った。アシッシ・ビルリさん(24)。インド東部ジャドゥゴダの先住民「ホー族」の写真家だ。
 ビルリさんによると、先住民が多く暮らすジャドゥゴダでは、1960年代から国営公社によるウランの採掘と製錬が始まったが、放射線の健康影響は先住民たちには知らされなかった。職を求める人が次々と鉱山労働に加わり、半袖姿で鉱石を扱い、近郊の道路も鉱石くずで舗装された。次第に妊婦が流産や死産を繰り返すようになり、指が足りない奇形児が生まれた。先住民たちは原因不明の奇病を「悪霊の仕業」だと恐れるしかなかったという。
 ジャドゥゴダの状況は、インド人映画作家のシュリプラカッシュ監督が製作したドキュメンタリー映画「ブッダの嘆き〜ウラン公害に立ち向かう先住民」(99年公開)で世界に知られた。日本でも支援運動が盛り上がり、元京都大学原子炉実験所助教で放射線専門家の小出裕章さんが2003年まで現地で行った環境調査をもとに、ウラン採掘と被害の因果関係を示す論文を発表した。
 ビルリさんは「現地では今もウラン開発が続いている」と言う。写真を手に、ウランの採掘と製錬の過程で生じた放射性廃棄物を含んだ大量の汚水が、先住民居住地近くの人造池に直接排水され続けている状況を示した。元々田畑だった土地に造られた人造池は既に三つが満杯で、さらに池の拡張計画が実現すれば、信仰の場である礼拝所も池の底に沈むという。
 フォーラムにビルリさんは、故郷で撮影した数十点の作品を持ち込んだ。会場の壁には、生まれつき膝が折れ曲がったまま歩けない少女や頭が肥大化した男児、あごに大きな腫瘍がある中年女性ら、痛々しい写真が並んだ。
 いずれも13年の撮影。「最近の写真はないのか」と尋ねる私に、ビルリさんは「彼らが写真を撮らせてくれたのは、変化を期待したからだ。でも、何も変わらなかった」と力なく答え、新たな撮影が許されない事情を明かした。さらに、「ジャドゥゴダ出身というだけで、結婚を断られることもある。私自身も、いつか核の被害者として被写体になる日がくるかもしれない」とつぶやいた。
放射線被害続く、印のウラン開発
 日本から遠く離れたウラン採掘現場では、今も甚大な核被害が続いているのだ。ビルリさんが伝えようとする現状は、目に見えぬ放射線で人間の尊厳を傷つけられた者の叫びであり、米軍が投下した原爆の被爆者たちが70年にわたって訴え続けてきた思いと重なる。核被害の経緯こそ違うが、同じ苦しみや不安を抱えるインド先住民たちは「ヒバクシャ」にほかならない。またそれは、人間の選択しだいで回避することが十分に可能な核利用サイクルの入り口で受けた被害なのだ。
 日印原子力協定に私は反対だ。「平和利用」であれ、協定はインドの原発政策を助長し、ビルリさんら先住民を間接的に傷つけることになるからだ。安倍首相は今年8月、被爆70年の広島と長崎であった式典に臨んで「唯一の戦争被爆国」を自任し、後遺症に苦しむ被爆者に見舞いの言葉を贈った。そうした言動の一方で、新たなヒバクシャを生み出す行為に加担すべきではない。
 経済成長を続けるインドを支援し、関係を強化することが日本にとって重要であることに異論はない。しかし、協定に正式合意する前に、安倍首相は現地の核被害に目を向けるべきだ。戦後70年の年も暮れていく今、そのことこそ、「被爆国」を名乗る日本のリーダーの責務だと思う。
http://mainichi.jp/articles/20151230/ddm/005/070/010000c

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動画:狩猟からカカオ栽培へ 環境守るアマゾン先住民

2015-12-30 | 先住民族関連
AFPBB News 2015年12月28日 16:56 発信地:ガレノ/エクアドル

【12月28日 AFP】南米アマゾン(Amazon)の先住民族の人々は、フランス・パリ(Paris)で今月行われ、ダークスーツに身を包んだ政治家や高級技術官僚が地球温暖化の抑制に向けた歴史的合意に達した国連気候変動枠組み条約(UNFCCC)第21回締約国会議(COP21)の会場からは遠く離れている。
 しかし先住民族の人々は、世界最大の熱帯雨林アマゾンの生物多様性を守るため国際的な対策とは違った大胆な行動を取っている。温暖化を抑制する上でアマゾンが存在し続けることは不可欠だ。
 エクアドルのある先住民族は生計手段を狩猟からカカオ栽培に切り替えた。ブラジルではある先住民族が魚種資源の管理を始め、ペルーには石油業や鉱山業、森林伐採業から環境を保護するため、自治政府を発足させた先住民族も現れた。
 伝統的に狩猟で生計を立ててきたエクアドルの先住民族ワオラニ(Waorani)の人々は、環境を守ろうという強い意識から2010年に狩猟をやめてカカオの栽培を始めた。
 ジャングルのただ中にある集落、ガレノ(Gareno)で生活する彼らは、熱帯雨林の息苦しいほどの高温はほとんど気にしていないようだが、獲物が見つけにくくなっていることには気が付いていた。
 先住民女性の団体、「エクアドル・アマゾンのワオラニ女性の会(AMWAE)」は、夫が狩猟をやめた場合、妻にカカオの木を提供するプロジェクトを立ち上げた。東部のパスタサ(Pastaza)州とナポ(Napo)州で先住民族の10のコミュニティーがこのプロジェクトに参加し、70家族が計25ヘクタールの農地で栽培を行っている。
 収穫されたカカオ豆は、市場価格を45セント(約54円)上回る1ポンド(約454グラム)当たり1.25ドル(約150円)でAMWAEが買い取る仕組みだ。豆は首都キト(Quito)に送られ、チョコレートの原料になる。
 夫が亡くなった後、カカオ栽培からの収入で6人の子どもを育てている女性(26)は「目を見張りました」と語った。「以前は(男の人たちが)たくさんの動物を狩っていましたが、今は男性もカカオ栽培に加わり、動物を殺すのをやめました」と話した。(c)AFP
http://www.afpbb.com/articles/-/3071652

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琉球独立論を封じるには、翁長知事個人ではなく、反基地派の論理粉砕を - 仲新城誠

2015-12-30 | ウチナー・沖縄
BLOGOS-2015年12月28日 07:20
JAPANISM
八重山日報編集長が語る 真実を伝える国境の島のメディアと沖縄の反日マスコミ
琉球独立論を阻止するには、翁長知事を個人攻撃するより、独立論を掲げる反基地派の論理を粉砕するほうが先である。翁長知事を辞職に追い込んでも反基地派は新たな旗印となる人物を粛々と担ぎ上げ、再び県政を手中にしようとするだろう。
周到に進んでいる「琉球(沖縄)独立」運動
「琉球(沖縄)独立論」が県内でじわじわと浸透し始めている。非武装中立の独立国をつくることで、米軍基地を撤去させようという運動だ。現在、独立論に賛同する県民はほとんどいないが、マスコミの発信力を活用し、県内では独立論にルーツを持つ用語や思想が氾濫。9月21日にスイス・ジュネーブの国連人権理事会で演説した翁長雄志知事が、独立論者がよく使う「自己決定権」という言葉を公式に使用し、内外に大きな波紋を広げた。
翁長知事が国連で演説したのは、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設反対を国際的に発信するためだ。
知事の2分間のスピーチで、さわりの部分は次のような内容だった。
「沖縄の人々の自己決定権がないがしろにされている辺野古の状況を、世界中から関心を持って見てください」
「沖縄の人々は自己決定権や人権をないがしろにされています。自国民の自由、平等、人権、民主主義、そういったものを守れない国が、どうして世界の国々とその価値観を共有できるのでしょうか」
沖縄のマスコミは「沖縄には基地のない未来を自分で決定する権利がある」という意味で自己決定権という言葉を使っている。都道府県の中で、沖縄にだけ自己決定権が認められる根拠は、沖縄がかつて琉球王国だったという一点しかない。「反基地」を訴える材料として自己決定権という言葉を持ち出すと、究極的には独立しかなくなるのだ。翁長知事自身は独立論者でないことを明言しているが、知事を担ぐ勢力は、まぎれもなく沖縄独立を志向している。
独立論者たちも反基地派の一派として、県政に影響を及ぼすことが可能な立ち位置にいることが、改めて浮き彫りになった。
事実、知事の国連演説を支援したNGОや市民団体は、沖縄人を「先住民族」と認定するよう求める活動を展開している。国連でそのNGОなどが主催したシンポジウムでは、NGО代表が「沖縄は日本に併合され、植民地支配された」という趣旨の発言をしており、翁長知事も同じ檀上で黙って発言を聞いていた。
会場でシンポを見た石垣市の砥板芳行市議は「知事には全く笑顔がなかった。知事自身、とんでもない所に来てしまったと思っていたのではないか」と推測した。
基地問題を人権問題にすり替えた翁長知事へのカウンター
知事演説では、基地問題を人権問題にすり替えた発言にも驚かされる。
国連人権理事会では、知事演説の直前まで、北朝鮮やシリアの人権問題を審議していた。そのような場で行われた発言を、世界各国の代表はどのように聞いたのだろうか。「沖縄の人々は日本政府に人権を弾圧されており、自己決定権を行使して独立したがっている。世界中から関心を持って助けに来てください」
ニュアンスとしては、このように受け取られなかっただろうか。これに呼応して中国が「了解。助けに行く」と沖縄に人民解放軍を送ったとしよう。県民は驚いて「そんなことは頼んでいません」と反論するだろうが、人民解放軍は「だって、あなたたちの知事が国連で助けを求めていたじゃないか」とうそぶくことだろう。
「何をバカなことを」と言う人も多いだろうが、世界の人権問題を協議する場で、沖縄の知事が「人権をないがしろにされている」と日本政府を非難した意味は、決して軽々しく考えるべきではない。邪念を抱く他国に介入される危険を自ら作り出しているのだ。
翁長知事の後を追うように、沖縄から密かに国連入りした一行がいた。県紙の沖縄タイムス、琉球新報を「正す会」という組織の代表運営委員で、沖縄マスコミを批判する運動を展開している我那覇真子氏(26)と支援者たちである。
我那覇氏は普天間飛行場の移設先である名護市民で、まぎれもなく移設問題の当事者だ。翁長知事が国連で演説することを知り、NGОの支援を得て「知事の誤った発信を正すために」(我那覇氏)自らも国連で演説する決意を固めた。
知事演説の翌22日、我那覇氏は知事が座った同じ席から、次のように訴えた。
「私は、沖縄生まれの沖縄育ちです。我々は日本の一部として、世界最高水準の人権と質の高い教育、福祉、医療、生活を享受しています」
「沖縄県の現知事は無責任にも日本とアジア太平洋地域の安全保障におけるアメリカ軍基地の役割を無視しています。中国が東シナ海と南シナ海でみせている深刻な挑戦行為を知事と国連の皆さんが認識することが重要です」
全く対象的な2人の演説である。沖縄のマスコミは知事演説を大々的に報道したが、我那覇氏の演説は紙面の片隅でベタ記事扱いだった。知事の発言は知事ゆえに重みがあるが、我那覇氏は一県民でしかないから、という理屈も一応は成り立つ。
しかし翁長知事も我那覇氏も、NGОの発言枠を借りて演説したという条件では全く同じであり、演説時間も同じ2分間。国連のシステム上、2人の発言に軽重の差はなく、従って翁長氏の発言だけを根拠に、国連が何らかのアクションを起こすことは有り得なくなった。中国も人民解放軍を送れなくなった。これだけ指摘すれば「我那覇演説」の重要性が理解できるだろう。
翁長知事の国際発信は、同じ県民の我那覇氏によって完全に打ち消されたと言っていい。
知事発言に勢いづいた独立論者たち
だが、知事が国連の場で自己決定権に言及したことは、沖縄の独立論者たちを勢いづかせた。何と言っても翁長県政が、自己決定権という言葉を公認したのである。翁長県政に、独立論のイデオロギーを滑り込ませたのだ。
尖閣諸島を抱える石垣市で10月24日、琉球民族独立総合研究学会の「オープン・シンポジウム」が開かれた。同学会は琉球独立を訴えるため、年に3~4回、誰でも参加可能なオープン・シンポジウムを開催しているが、石垣市では初の取り組みという。
同学会を簡単に紹介しておこう。2013年、沖縄復帰記念日の5月15日に独立論を訴える研究者たちで発足。石垣市出身の龍谷大経済学部教授、松島泰勝氏らが共同代表を務めている。
設立趣意書では「琉球は日本から独立し、全ての軍事基地を撤去し、新しい琉球が世界中の国々や地域、民族と友好関係を築き、琉球民族が長年望んでいた平和と希望の島を自らの手でつくりあげる必要があります」と活動目的を掲げている。
会場には約100人が集まったが、私が見たところ、多くが島外からの参加者のようだった。
シンポで西表島在住の同学会員、石垣金星さんは、石垣市や与那国町で進む自衛隊配備計画を批判した。
「尖閣問題で、あたかも中国が攻めてくるようなことを盛んに扇動する人がいるが、そんなことは有り得ない。那覇市も東京も、中国の観光客であふれている。国同士の話し合いで解決するのが一番だ」
普天間飛行場移設問題にも言及した。
「辺野古の問題が行きつく先で、沖縄が独立の道を選択する時が必ず来る」
私が感じた素朴な疑問は、なぜ琉球独立論が、常に非武装化とか、自衛隊配備反対とか、辺野古移設反対に行きつくのか、ということだ。
沖縄が独立国となり、強力な国防軍を創設して、場合によっては核武装し、尖閣を狙う軍事大国の中国と対峙する、という選択肢だって、あっていいではないか。独立論と沖縄の非武装化がリンクすべき論理的必然性はないのだ。しかし独立論者の誰一人として、沖縄の重武装化を口にする者はいない。
琉球独立論の正体
このことから、琉球独立論の正体が見えてくる。独立論者にとって真の目的は沖縄の非武装化であり、独立は手段でしかないこと。「独立」という甘い言葉で県民のロマンを誘うが、行き着く先は誇りある独立国どころか、せいぜい辺野古移設に反対する県民集会くらいのものである。
私は、そのような独立論は、真の独立論に値しないと思っている。「琉球民族の血のたぎり」が本当にあるなら、なぜ尖閣を狙う中国に満身で抗議の意思を示さないのか。尖閣は沖縄の一部ではないか。米軍基地に対するのと同様の怒りを、尖閣周辺で傍若無人に航行する中国公船にもぶつけるべきである。
ところでシンポでは、グアムで独立運動を展開しているグアム政府脱植民地化委員会事務局長のエドワード・アルバレス氏、グアム大学教養社会科学部准教授のマイケル・ベバクア氏もパネリストとして発言した。2人は辺野古移設問題について、こう語った。
「日本政府が、軍拡のために知事を訴えようとしていると聞いている」
「翁長知事は国連人権理事会で、沖縄の怒りを表現した。脱植民地化が唯一の答えだ。日米安保のもと、苦しい思いをしている島々に、独立が一つの道であることを示そう」
辺野古移設は軍拡ではなく、宜野湾市民の危険性除去が目的であり、沖縄本島から離れた島々である宮古諸島や八重山諸島が、日米安保のもとで苦しんでいる事実もない。翁長知事の国連演説もそうだが、海外に沖縄の誤ったイメージが拡散されている危険性を懸念する。
国連で翁長知事に対抗した我那覇氏は11月4日、石垣市を訪れて講演した。約150人が集まったが、私が見たところ、ほとんどが地元住民であり、しかも悪天候の中を、我那覇氏の顔を見ようとわざわざ駆けつけて来た人たちだった。
我那覇氏は、移設先に隣接する辺野古住民の多数が移設を容認していること、辺野古には既にキャンプ・シュワブという基地があり、辺野古住民と米軍の関係も良好であることを紹介した。琉球独立論にも触れた。
「沖縄対本土という構図を作ろうとしているが、本当に沖縄は独立できるのか。経済的に考えても、真面目に議論できるものではない。私たちは沖縄県民であり、日本人であり、家族だ。私たちが家族である事実は変えられない」
独立論者たちが百の理屈を並べても、我那覇氏のこの一言で論破されてしまう。独立論者たちは足元を見つめ直し、自分たちが反基地派の一派でしかないことを認めた上で、理論武装のあり方を再考したほうがいいかも知れない。
翁長知事批判は「もぐらたたき」にすぎない
最後に、巷にあふれる翁長知事批判の在り方について述べたい。
国連演説から帰った翁長知事は月の県議会で野党から厳しい追及を受けた。県議会では翁長知事を支える与党が多数なので、知事を追い詰めるには至らなかったが、野党からは「知事は中国と非常に親しいと言われている」という質問もあった。
翁長知事は「私の娘は沖縄と埼玉にいて、一度も中国に行ったことはないが、長女は上海の外交官と一緒になっていると言われている。末娘は中国に留学していると言われている。ネットで言われていることを信じている人が多いようだ。何で私と中国が仲良しだと言われるのか疑問だ」と苦笑交じりに応えた。
保守派の中で、確たる根拠もなく、知事を「中国の手先」などと罵る論調があることには疑問を抱く。しかも「知事の娘が中国人と結婚している」というガセネタまで流すのは悪質だ。
保守派の県民や本土住民と話していて、翁長知事が、ここでは筆にできないような下品な言葉で個人攻撃されるのも何度も聞いた。私は記者生活約20年だが、ここまで憎まれる政治家を見るのは、実は稀である。反基地派の中では確かにヒーローかも知れないが、私ならいくらお金を積まれても、今の翁長知事と立場を交換したいとは思わない。
翁長氏は確かに親中派だし、現に普天間飛行場移設という国家の重大問題で、県民を誤った方向へ誘導している。しかし翁長氏が、民主的な方法で選ばれた沖縄県民のリーダーであることも事実だ。知事に反対する人たちも、知事職の尊厳は意識してほしい。それは民主主義の尊厳でもあるからだ。
さらに言うなら、翁長知事の背後には、知事を弾よけにして日本の安全保障を揺るがそうとする反基地派がいる。前述の独立論者たちもそうだ。保守派が翁長知事を徹底糾弾して辞職に追い込んだとしても、反基地派は新たな旗印となる人物を粛々と担ぎ上げ、再び県政を手中にしようとするだろう。翁長氏への個人攻撃は、結局はモグラ叩きでしかない。
日本の安全保障を心配するなら、翁長知事を個人攻撃するより、反基地派の論理を粉砕するほうが先なのだ。だから翁長知事批判は、あくまで政策本位であるべきだ。
なかあらしろまこと/昭和48年、沖縄県石垣市生まれ。八重山日報編集長。琉球大学卒業後、平成11年、同社に入社。以来、八重山地区の政治、経済、社会問題を中心に取材。平成22年より現職。著書に「国境の島の『反日』教科書キャンペーン「」翁長知事と沖縄メディア「『反日・親中』タッグの暴走」(以上、産経新聞出版)
http://blogos.com/article/151572/

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世界最大級の滝はアフリカでもっとも見事な光景

2015-12-30 | アイヌ民族関連
日本経済新聞 2015/12/27 6:00
ナショナルジオグラフィック日本版
 最近では世界旅行の幅がずいぶん広がってきましたが、家族や友人、恋人などの大切な人と至福のときをどう過ごしたらいいかを企画するのは意外に難しいもの。そこでナショナル ジオグラフィックが多数あるリゾートの中から、一定期間滞在してゆっくりと過ごすのにふさわしい、魅力的な旅先とステイ先(滞在先)をご紹介します。
 アフリカ大陸の南部、ザンビアとジンバブエの国境にまたがるビクトリアの滝。大切な人と過ごす景勝地として、世界でこれほど迫力のある場所もないでしょう。この滝を訪ねるなら、2月から5月までの満月の日を選び、何も説明せず大切な人を世界でもっとも大きな滝(幅1708メートル、高さ108メートル)が見えるバルコニーへ誘い出しましょう。息を呑むような光景が眼前に広がります。明るい月の光に輝いて虹が現れるかもしれません。
 ここの先住民コロロ族はかつてこの滝を「モシ・オ・トゥニャ(雷鳴とどろく水煙)」と呼びました。ザンベジ川がマカディカディ塩湖から玄武岩の渓谷に落下するとき、耳をつんざくような轟音(ごうおん)とともに、濃い蒸気状の水煙が舞い上がることからついた名前です。50キロ離れたところから見える白い水煙をバックに、つかの間の虹が現れます。
 1855年にスコットランド出身の探検家デビッド・リビングストンがヨーロッパ人として初めてこの滝に遭遇しましたが、残念ながら虹は見なかったようです。しかし彼は深く感銘し、「アフリカで見たもっとも見事な光景だ」と日記に書いています。

ビクトリアの滝の迫力。ザンベジ川はビクトリアの滝を経て川幅を広げ、島をつくり、いくつもの水路に分かれる。(Photo: Courtesy of the Royal Livingstone Hotel)
■広大な国立公園のなか、自然の力に圧倒される
 ビクトリアの滝は、隣接するモシ・オ・トゥニャ国立公園とビクトリア・フォールズ国立公園に守られています。これらの国立公園はザンビアとジンバブエにまたがって広がり、面積は約80平方キロに及んでいます。圧倒的な自然の力とアフリカ大陸探検の大いなる物語を象徴する場所といっていいでしょう。野性的で冒険的な旅なら、ザンベジ川の急流でラフティングをする、滝の上でバンジージャンプをする、ゾウの背に乗ってトレッキングに出かけシマウマ、キリン、ヌー、インパラ、サル、ワニを観察するなどが挙げられます。
 満月であろうとなかろうと、当地での宿泊は「ロイヤル・リビングストン・ホテル」がお勧めです。このホテルの名前は、まさに滝を“発見した”前述のリビングストンにちなんでつけられました。アフリカの神秘とビクトリア王朝時代のコロニアルな壮麗さが見事に組み合わさったホテルです。
【見どころと滞在】
▼ビクトリアの滝では、ザンベジ川が大音響を響かせ、水煙を巻き上げながらマカディカディ塩湖から玄武岩の渓谷に落下する。
▼「ロイヤル・リビングストン・ホテル」の中は、家具や調度品などをはじめビクトリア朝時代のコロニアルな壮麗さが漂っている。
▼滝の見学のあとは、隣接するモシ・オ・トゥニャ国立公園とビクトリア・フォールズ国立公園のなかを散策したい。
(日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック『一生に一度だけの旅 GRANDE 大切な人と過ごす贅沢ステイ』を再構成]
〔参考〕ナショナル ジオグラフィック『一生に一度だけの旅 GRANDE 大切な人と過ごす贅沢ステイ』は、家族や友人、恋人などの大切な人と一緒に最高の休日を過ごすための旅行ガイドです。一定期間滞在してゆっくりと過ごせる、世界81地域の旅先とステイ先(滞在先)を厳選し、豊富な美しい写真とともに紹介しています。世界遺産を堪能できる快適な過ごし方から、あまり知られていない景勝地や秘境のリゾートまでを網羅している格好の1冊です。
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO94758890U5A201C1000000/

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