事務局と早稲田大学との中間、
早稲田通りと諏訪通りの交差点の角に、小寺がちょこんとある。
山門に向かう石段を登る、春に見事な枝垂桜を仰ぎ見たのを思い出す。
横にある玄関に、これまた見事な柘榴の大木があり、
驚くほど多くの実をつけていたが、まだ熟してはいない、少し早いのかもしれない。
しかし、柘榴の季節がやって来たのは確かだった。
余りにも地域のことで、恐縮だが、
先日、通勤途中に、中世の細い裏道を辿ったが、
その地蔵通りに、先があったのを知る。
急坂の「地蔵坂」が続いていたのだった。
坂を下りきり、表通りに出たところに、確かにお地蔵さまがおわした。
土地の古老に聞くと、この辺りは、戦災で焼失を免れた一角だそうな。
季節の移り変わりに気付くとは、
その土地の生活に出会うことかもしれないと、ふと感じた。
住んで生活してみないと、その土地の文化は、分からないのかもしれない。
その土地の文化とは、その土地に住む人たちの価値観でもある。
価値観は多様である。
情報に急かされていく近代、
多様な価値観も一つに集約されそうな感じが多々するが、はて。
学校も、一つに進学の流れを追いかけざる得ないことも、尤もな事実、
しかし、
本来は、
地域に根差した多様な土地の価値観を大切に、地域と共にありたいと創設されたのだが、はて。
路地に、ぽつんと、季節を違えて、ほおずきが紅くなっていた。
早稲田通りと諏訪通りの交差点の角に、小寺がちょこんとある。
山門に向かう石段を登る、春に見事な枝垂桜を仰ぎ見たのを思い出す。
横にある玄関に、これまた見事な柘榴の大木があり、
驚くほど多くの実をつけていたが、まだ熟してはいない、少し早いのかもしれない。
しかし、柘榴の季節がやって来たのは確かだった。
余りにも地域のことで、恐縮だが、
先日、通勤途中に、中世の細い裏道を辿ったが、
その地蔵通りに、先があったのを知る。
急坂の「地蔵坂」が続いていたのだった。
坂を下りきり、表通りに出たところに、確かにお地蔵さまがおわした。
土地の古老に聞くと、この辺りは、戦災で焼失を免れた一角だそうな。
季節の移り変わりに気付くとは、
その土地の生活に出会うことかもしれないと、ふと感じた。
住んで生活してみないと、その土地の文化は、分からないのかもしれない。
その土地の文化とは、その土地に住む人たちの価値観でもある。
価値観は多様である。
情報に急かされていく近代、
多様な価値観も一つに集約されそうな感じが多々するが、はて。
学校も、一つに進学の流れを追いかけざる得ないことも、尤もな事実、
しかし、
本来は、
地域に根差した多様な土地の価値観を大切に、地域と共にありたいと創設されたのだが、はて。
路地に、ぽつんと、季節を違えて、ほおずきが紅くなっていた。