今朝、近所の田植えを手伝いに。
藍染Tシャツに紺の海パン、手ぬぐいをかぶって、
自転車で15分の川ぞいの田んぼです。
手ぬぐいは、髪への風通しがよくないので
あまり涼しくはない。
通氣のよい笠や麦わら帽子のほうがましだが、
実は、何もかぶらないという選択肢もある。
汗をかいて濡れた髪に風が吹いて、氣化熱がとられて
涼しくなる。
しかし、黒い髪に直接日光を浴びてたら
もっとも暑いに決まってる、という観念があるので、
今年の夏は実際に試してみます。
苗も田んぼの中で直接育ててあったので、
根っ子が粘土質の土にからみついてて、
田植え時にはずすと、細かい根っ子が
粘土に残って、切れてしまう。
それをなるべく回避するために、田の水の中で
ほぐしながらゆすいではみたが、
上手にはずせなくて、リズムよく
つんつくと植えられないストレスからか、
子どもたちはどんどん現場を離脱して
他の田植え前の田で泥遊びをしていた。
田の中で苗を育てるならば、
底や側面に穴のあいた、浅くて四角い容器に
粘土質でない土(赤玉土が便利)を入れて
種もみを蒔くとよいでしょう。
田植え時にほぐしやすいし、容器ごと場所を移動する際に
底面の穴から土がこぼれにくい。
(穴が大きい場合は、先に網を敷いておく)。
とにかく、田植えして腕が黒く焼けました。
紫外線が直接、肌を黒くするわけではなく、
紫外線が水(体液)にあたると活性酸素を生み、
酸化して黒くなります。
活性酸素は殺菌力があり、紫外線もある程度は必要です。
おとといは自宅の庭で田植え、今朝は近所の田で、というように
なるべく身近で、食や自然、環境に触れられるスタイルは
僕が大切にしていることです。
田植えと草取りと、稲刈りの年3回だけ遠征で行くのも
有意義なイベントでしょうが、
毎朝毎日のように、家のそばの田んぼと接する
日常こそが、大自然とからだを一つにして、心の方向性を
かたちづくる、地味だけど大きな要因となるでしょう。
水田にはアメンボがいっぱいいたので、逆に
アメンボばかりの、乏しい生態系になってきているのかと
懸念したのも束の間、メダカも増えてて、浮き草が流れ込み、
ざりがに、ガムシ、東京だるまガエル、用水路は黄色いシジミ、銀ぶな。
子どもたちは泥ん子で大はしゃぎに遊ぶ。
しかし、この田んぼでさえ、多少の放射能にさらされている。
無垢な子どもたちを見ながら、やはり、自らがさきがけて、
環境の修復を、今からはじめていかないければ、
その揺り戻しの異常氣象は今後ますます激烈さを増し、
多くの命が淘汰されてしまう。
そういう過渡期がはじまり出していると肌で感じる。
だからこそ生まれてきて、みんなで協力していくんだ。
僕がある意味、田植えよりも好きといえる潮干狩りでは
干潟の放射能汚染は田んぼ以上に深刻。
なぜなら、放射性物質は淡水では水と流れるが、
海水に入ると底に沈殿するから。
ちょっと、静観とか 自分の身だけ守るとか 移住 、という
選択は人による自由だけれども、 こころの持ちよう とかじゃなくて、
物理的な根本的解決へ動き出さないと、必ず、つらい現実が
待ち受ける。これはマイナス思考とか悲観的という視点を超えて、
人の生きる道として、全体がよりよくなるように
心身を全うするのは当たり前であるし、それがたまたまこの時代
こういう問題があるから、ある面「楽しんで」解いていこうよという
遊びを本氣でできるか、ポジティブすぎずネガティブすぎない
タンタンとした、命の愚直な歩みにすぎない。
ひとりひとりが、宇宙から降ってきた星だ。
僕が裸足で歩く田んぼには、体重のもっと重い人のよりも
深い穴があく。
それは、重心が足にあって、肩や胸、お腹や腰などで
体重を引っ張り上げず、重力を足から大地に落としているからだろう。
すると、体の中で負担がのしかかる部分がないため、
中腰で長時間田植えていても、疲れがない。
ただ、水分はこまめに補給しましょう。
こういう体づかいを身につけるための動きをまとめたのが
「にんじゃ体操」です。
まだ、教えるのは始めたばかりですが
単なるコスプレやアクロバティックな意味での、特別感のある忍者ではなく
普段の生活動作の負担が減り、きれが上がって、地味だけど格別な
日常性の忍者こそ、現代に貢献するものと考えております。
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