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バッハの曲は、ほどよく交感神経を打ち、朝めざめて
「おしゃー」と立ち上がり歩み出すのによかと思い、

一方モーツァルトはちょいと眠氣を誘うように、
副交感神経に働いて、ちょっとひと休憩、とか
夜に寝ながら聴くのがよいかも、って。

朝は小鳥のさえずりで目覚めて
夜は海の波音でリラックス、瞑想するような感じです。

もちろん、曲によってテンポは違うし
朝でもリラックスして二度寝したいときだってありますが
人の器官は最初耳から発生するように、
音の影響は想像以上に大きいと思う。


で、ここからミミズの話に。

実家の2階のベランダの排水溝が詰まって
年中、溜まった雨水などでじめじめしてる所の
ヘドロに棲息していたミミズは、
赤くてシマシマ模様のシマミミズだった。
そのヘドロは、4階のベランダで掃除した
小鳥の糞なんかも流れきているので、
生ものを直接食べるシマミミズに向いた環境なのと、
割合水氣の多い嫌氣環境あるいは腐敗環境に馴染む。

要するに、腐った環境でも繁殖するのがシマミミズで、
自然の野山にはあまりそういう所はないので、
シマミミズは、釣り餌で売られている割に
魚はあまり好まないようだ。血は赤い。

一方、野山の落ち葉にいるのは、ある程度発酵された葉を
菌糸とともに食す、フトミミズで
生ものは食べないから、野菜くずなどを分解させる
コンポストには向いていない。
釣り餌にはよいという。血は緑ぽい。

では、畑にいるミミズはどちらかというと(上記2種類で見る場合)、
よい状態の土にいるのがフトミミズで、
不安定で腐敗発酵している臭い堆肥が施されたところには
シマミミズがいることがある。

そして、フトミミズのいる、佳い土は、コップに入れて水を注いで
混ぜても、しばらくすると水が透明に澄むが、
シマミミズのいる土は水と混ぜると、濁りがずっととれない。

また、それぞれの土を水で練った泥を人肌に塗ったときに、
やがて肌の乳酸菌が働き出して、トロッとクリーム状になるのがよい土で、
ピリピリと痒くなってくるのは腐敗発酵している土ということ。

そのように見ると、ただミミズがいるからよい土だ、とはいえず
そのミミズの種類にもよります。

コンポストの場合は、生ごみを食べて減らしてもらうのが
目的なのでシマミミズでよいのですが、
それを肥料に使うというときに、シマミミズがまだ居る状態では
腐敗発酵中であるし、エサがなくなってミミズも消えたものは
有機物の残っていないカスなので、施肥する意味がない。

コンポストを生態系の視点で見て不自然なのは、
新しい有機物を混ぜこむ点です。
本来は上から振り積もるので、
土に接した底の部分はシマミミズが食べるとしても、
でっかい野菜くずなどは、もっと大きい小動物がまず食べます。
それに、一箇所にそれほど多くの、枯れていない有機物と
水分が溜まるということはあまりないので、
シマミミズはどぶ付近のような、特殊な環境が本来のテリトリー。
生ごみ処理には都合がよいが、生ごみを新たにエネルギーとして
生かし循環させるとはいえない。

野菜くずは鶏のえさにして、そのタマゴを食べたり
鳴き声を早朝の目覚ましにしたり、愛玩するほうが機能的でしょう。

本当は、コンポストのように一箇所に集約させることはせず、
野菜くずでも人糞でも、野原に散らしておけば
何者かが食べて、その糞をダニが、さらに微生物が食べて
そこの植物がよく育つ、というほうが自然です。
だから、庭がないか狭い都会では仕方なくコンポストで、
生ものを大食いするに長けたシマミミズでカサを減らすしかないとしても、
大自然の中の農園などで、小箱のコンポストを設えるというのは
あまり必要ではなく、野菜くずでも何でも、
畑に直接放っておけば、食物連鎖に組み込まれて
自然なかたちで作物が吸収します。
変に発酵させて、熱でほとんどのエネルギーが抜けたのを
完熟堆肥として撒いても、実際の効き目は少ない。

そういう広いところならトイレも要らず、好きなところで
野糞や小便をしてくれば、まとまらない故に腐敗も起こりにくく、
自分が育ててる野菜付近にしてくればよい。
直接すると、肥料やけだとか窒素過多、回虫がつくとか
心配する声もあるでしょうが、
一箇所に大量に集積しないのと、土に混ぜてないことで
70%の栄養が残っている人糞は、虫たちが一斉に食べるために
適度に消費され、その虫の糞がまた次のステップへつなげる。
水分も多くないので、回虫がいてもすぐに死んでしまう。

目隠しのために、用を足すときは竹ざおとスダレを持っていき、
フカフカの土に竹を3~4本挿して、ヨシズでかこってすればよろし。

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小麦わらストロー。細いのでちゅうちゅう吸う。イッキに飲みたければ数本くわえましょう。

鼠賊ならぬ蛙族である僕は、雨は全然嫌いじゃないが、
かといって傘やカッパにレインシューズで外を行くよりも
部屋の中から、滴打つ庭の田んぼなど眺めているがよし。

雨が降ると、田んぼの水が澄むのと、植物がぐんと育つ。

なぜ澄むのかはよく分からない。単に元の水が流れ出るからか。

また、よく育つのは、水分の供給だけでなく
既に雨水はイオン化された窒素分を含んでいるのではないか。

現代は、湧き水も雨も汚染されている。
井戸水やミネラルウォーターも窒素過多のものが多いし、
雨はPH5~4の酸性で、土壌微生物を溶かしてしまう。

ただ、雨水の持つエネルギーも生かしたいので、
そのためには、土壌が安定化システムに成っているように。

酸性雨は、炭の粉、卵や貝の殻、落ち葉や枯れ草の層で中和して
微生物を守る。
他の有害化学物質は、様々な微生物が共生していれば
ある程度は無害化できるだろう。
微生物がいつでも暮らしているためにはその餌となる
有機物が必要なので、落ち葉や枯れ草を持ち出さず、
野菜くずなんかもポイポイ放っておけばよい。

土に埋めずにそのまま置いておけば、
でっかいのは小動物や虫が食べ、
その糞や死骸を微生物が分解した養分を
根も吸収できるし、他生物が出した酵素を
自分用の酵素に再利用する。

しかし、あまりにも様々な汚染物質で飽和状態ともいえるほどなので、
新たに排出しないようにするのと、微生物の元氣な環境を増やす必要。
自動車の排ガスは、特別な添加剤や装置によって水しか出ないようにできる。

思うに、見た目にバランスよくする感性を、子どものうちから培うべし。

禅寺の小僧さんが、庭をどんなにきれいに掃いても
和尚からやり直しを命じられ、しまいにやけ糞になって
落ち葉を振りまいたのを、それでよしとされた話があるが、
むき出しのまっ更な土に、樹だけ生えているのは
本来存在しない不自然な状態なのに、
個宅の庭も幼稚園の庭も、公園もみなみな
下草はことごとく抜き、剪定した枝葉や落ち葉も持ち出して
燃やしてしまう。

そのままの自然と、人為の人工物利用の
目くるめく丁度よきバランス感覚があれば、
どんなに進歩的に観えても、それでも護りつづけたいふる里は残し
一方で、科学を上手に利用して、未来へ飛躍できる。

個人的な思いを書いてしまえば、
やるべきではなかったこと、またはもうちょっと工夫して
共存の道をはかってほしかった所の例として

・東京湾の埋め立て
・秋田県八郎潟の干拓
・江戸城外堀の埋め立て
・江戸川三角州の埋め立て(現ディズニーランド)
・全国的な山奥まで至る植林とその放置
・人工的なダム
・京都駅
・隅田川の堤防

山の森の針葉樹を半分は間伐して広葉樹と共生させ、
針葉樹をよい材に育てるとともに
保水力をあげて、自然のダムに育てる。

その頃合を見て、人工のダムを徐々に解体し
川の水量を安定させ、石から砂へ、海に砂が
供給されるようにし、海の護岸を解体して
砂花や干潟を再生させる。

川の堤防も、必要最低限のものにして
護岸を見直し、ヨシなど水生植物の群落に戻す。

海に隣接した湖は、水門を開き汽水に戻して
状態を観察する。

低地は、水はけをよくするのと非常時の移動運搬手段として
水路、舟の道を掘り、情緒あふれる水の都にする。

ディズニーランドは、浦安の町や東京湾の、人情や自然の
ポテンシャルを生かした形にコンセプトを変え、
「用意された遊び」から「自ら見つける遊び」へ。
海辺環境の浄化に貢献する企業となる。


「幻の?」小麦入りご飯。普通の麦ご飯は大麦入り。
コムギはほとばす(水に浸して柔らかくする)のが難儀なので粉にするものだが、
3日間ほとばしたのを米と炊いた。プチプチと噛めるが、
炊く前に、麺棒で押し潰したのを混ぜて炊くほうが、お米と触感が調和すると思う。

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ひきがえるの小さいの、だけど既に貫禄を漂わす後ろ姿。

我が家では、大豆を水に1日浸してほとばしたのを
ハンドミキサーで粉砕し、沸騰しない程度で煮てから
シノア(金網の逆三角錐のスープ漉し。実家で買う)でこして
豆乳をこさえている。

この豆乳を、生地に練りこんでクッキーを焼いたり
油と酢と塩とともに混ぜて豆乳マヨネーズ、
甘みを混ぜて凍らしてアイス、と色々に生かしてる。

愛用の浄水器のお水が調和を奏で、豆乳を煮るときの泡もきめ細かく、
できた豆乳を冷蔵庫に一週間ほど置いておくと、美味しいヨーグルトに
発酵する。

そのうち、いざ豆腐作りも試してみたいが、極力ニガリを少なめで
固まらせたい。


今日は神田で集まりがあったので、先日庭で採った小麦の穂と茎を
お土産に持参し、麦わらストローでお水を飲んでもらった。
細くて、吸う実感の濃い、何とも素朴ながらエレガントな
古式ゆかしきストローである。

家では、息子がこのストローに感銘を受けたものか、
お水を3杯ほど、吸って飲んでいた。

人工物は、どうしてもどこかしら不安定になるので、
できれば自然そのままの形を生かすと、細胞は歓ぶ。
自然物を溶かした材料から再構築するのではなく、
そのままの形態を活かすのが無駄なくエネルギーも高いでしょう。

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