ふろしき王子のブログ◎
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先日、母校ムサビのオープンキャンパスの
卒業生展示の片付け後、
後輩ともいえる在校生から
「にんじゃセンパイ!」と声をかけられた。

僕は確かに、通常忍者歩き(腰を捻らない。すり足に近い)と
忍者走りであり、象徴的なポーズを取ったりもするが、
共通項こそあれ忍者ではないことを自覚している。

その理由として「僕は人生で1度も逆上がりが成功していない…」
と半分冗談で言ってもいるが、本当のところは
僕の信頼する特殊能力者のあみちゃんにこう質問したときのこと。

「僕は子供時代はクラス1、足が遅かったけれど
 20才を過ぎて自然と歩き方、走り方が変わってからは
 疲れずにびゅんと走れるようになった。
 それは忍者走りとも呼ぶらしいが、
 僕のDNAには、忍者の記憶も刻まれているのでしょうか?」

するとあみちゃんは
「いいえ、忍者ではありませんでした。
 でも、走り方を教えていました。
 だからそのように走ることができます」

前世と言ふべきか、あるいは先祖の血なのか
小学校で50m10秒台だった僕が
走るのを教えていたとは。
うちの菩提寺は谷中にある西光寺という
真言宗のお寺(僕は般若心経も唱えられないが)。
境内には走りの神・韋駄天が祭られている。

偏平足かつ運動音痴を自覚しつづけた
(たぶんその負い目も、
異性のいない男子校に中学受験した
要素の1つ。何しろ体育「1」だった)
そんな僕にとって、アスカの飛ぶが如く
すいすいと走る感覚は無上で、
今も歓びは尽きない。

何かが苦手というのは、既存のシステム内で
適応していないだけで、その外に出れば
誰よりも得意だった、ということがあるのかもしれない。

僕の学生時代の恩師、中島智先生が
ツイッターをされているのを最近知り、
過去記事を遡っていたら響く言葉があった。
以下引用

シャーマンは(特に対人)インタラクションの達人である。
彼女たち、オガミサマの殆どが盲目だが、
障害を欠如ではなく過剰と捉え、
霊力に転化するという<理>をもっている。 

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