西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

平野啓一郎著『私とは何か 「個人」から「分人」へ』を読む

2012-11-21 | 色々な仮説や疑問
先だってのブログにも書いたが、今日、平野啓一郎著『私とは何か 「個人」から「分人」へ』(講談社現代新書2172、2012年11月20日第一刷発行)をざっと読んだ。大いなる刺激を受けた。個人(individual-不可分)から分人(ぶんじんdividual-可分)へ、との「パラダイム転換」を提案している。皆さんも是非一読の上、ご感想を伺いたい。

平野啓一郎さんは承知のように「1975(昭和50)年、愛知県生れ、京大法学部卒、1999年、大学在学中に文芸誌「新潮」に投稿した『日蝕』により芥川賞を受賞。著書に『一月物語』、『文明の憂鬱』、『葬送』(第一部、第二部)、『高瀬川』、『滴り落ちる時計たちの波紋』、『あなたが、いなかった、あなた』、『決壊』、『ドーン』などがある」

これらの著作群に対して、例えば文芸評論家の三浦雅士氏は「平野啓一郎はいまなお謎の作家である」と書いている。上にあげた諸著作について明瞭な脈絡があるのかないのか分からない、ということなのだ。

それに対して、今回の新書は、小説群の舞台裏を自ら明かしていて、「なあるほど」と分かった。小説家も一定の思想、理論に基づいて小説群を展開するとして、それらをこのように別の評論という形で明かすのを読むのは初めてだ。

分人は前回のブログに書いた僕の思惑は外れて、この新書によれば、個人より小さな多様な「付き合い」単位で、それは、ある意味で「操作可能」なので、意識的に分人関係を追求すれば、誰でも楽しく有意義な人生(まあ複数の人生!)をおくれるよ、というメッセージなのだ。

色々と応用できるコンセプトと思う。

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