西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

家事の持つ意味

2010-12-28 | 生活描写と読書・観劇等の文化
年末に来て「大掃除」、日ごろ家事手伝いをしていない男性や子供達も少しは手伝いしているのではないか。

最近来た雑誌『図書』1月号(2011年)に小泉和子さん(生活史研究家)が「昭和のくらしと家事(下)」を書いている。(上)は、12月号だ。ここでは(下)を少し引用しつつ家事の持つ現代的意義を少し考えてみたい。

戦前は、「良妻賢母」思想が強くて、家事は主婦の「仕事」だった。暗く寒い家事空間の台所で冷たい水を触りながら炊事や洗濯にいそしんでいたけれど、それは辛い「労働」だったことも良く分かる。

戦後になっても、「慣性」で家事は主に女性の分担となり、それは女性に目の敵にされ、女性の自由を阻むものともされ、女性達は家事からの解放をひたすら願ってきた、と小泉さんは振り返る。

確かに戦前の家事は重労働で女性だけに押しつけられるのは不当だった。戦後も不当性は残っている。

しかし、と小泉さんは家事の持つ「教育力」を道元の『典座教訓』を引きながら説明している。

さらに「たしかに家事をすることで観察力が鋭くなり、注意深くなり、段取りがよくなります。知識も豊かになり、感性が磨かれ、忍耐力がつき、人に共感することができるようになる等々、あげれば限りありません。

その証拠によく家の手伝いをする子供は気がつきますし、働くことを苦にしません。人の役に立つ喜びも知ります。弟妹の面倒を見ることで幼い者への慈しみが育ちます。このことは大人でも同じです。たしかに家事は大変で面倒なことではありますが、面倒なこと、辛いことが人間トレーニングになるのは絶対確実です。「艱難汝を玉にす」です。

かってはこうしたことによって人への共感や助け合いを学び、人のつながりが育ったのです。加えて家事にはその他にもモノを作るクリエイティブな面とか、みんなで作業する楽しさといったさまざまな生産的な力があります。

それを面倒なことはしたくない、嫌いなことはしたくないといって避けてきたことで家の中から技術が消え、人を育てる機能も失われていったのだと思います。」(同上書20頁)と小泉和子さんは言います。

私は、更にこれに加えて子供にとっての教育力、創造力涵養の他に、現代と言う高齢社会で言えば、高齢者の「基礎的生活力」の根幹が、この家事力だと思います。私の言う「基礎的生活力」とは、炊事、洗濯、掃除、育児・介護、お洒落、買い物、近所付き合いの七つほどで、殆どが家事ですね。

これらの複雑な段取りに日夜取り組むことで、「認知症」予防にもなるのでは、と思っていますし、炊事に取り組むことで、食事の質に思いが及びます。そうすると農業のあり方が気になります。こういう具合に、家事が、さまざまな方面につながっていることが理解できます。

炊事を夫婦、親子で肩を並べて談笑しながらやる風景なんていいのではないでしょうか。

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