芭蕉の俳句と住まい、というテーマは別に考えるとして、庭について芭蕉の一、二句紹介したけれど、多分これに関して最も有名な句をここで紹介しておきたい。表題のものである。暑い夏の座敷に座して窓等を開け放って、外部空間に涼しさを求めるのが人情だろう。そこで、こちらから涼しい庭や更に遠い借景の山の緑に目をやって涼しさを求めるのであるが、芭蕉は、こちらの視線が外部の庭や山に向かって動くのではなく、逆に向こうの山や庭が、自分のいる夏座敷に「動き入ってきたなあ」と感じているのである。外部の自然は受動的に鑑賞されるものではなく、積極敵に我々に働きかけるものだ、との認識を示している。我々と環境の新しい「つながり」を見事に捕らえているというべきである。
最新の画像[もっと見る]
- カリン・レヒナー(ティエンポ の姉)とセルジオ・ティエンポ (レヒナーの弟) 10年前
- 最近、時々『文藝春秋』を読む 11年前
- 縦長四角形と横長四角形 12年前
- 「梅ちゃん先生」見る楽しみージオラマー 12年前
- 天草の洋(なだ)に泊(はく)す 頼 山陽 13年前
- 深井純一さんの思い出 13年前
- イエロストーン公園のコヨーテとオオカミに思う 13年前
- ル・コルビュジェツアー企画案 13年前
- ル・コルビュジェの「メッセージ」(BS・TBS)見る-5地中海カップ・マルタン小屋 13年前
- ル・コルビュジェの「メッセージ」(BS・TBS)見る-4ロンシャン礼拝堂ほか 13年前
芭蕉の句に、標題のものがあると知りませんでした。
こも夏座敷の句のような不易流行のダイナミズムがあり、元気な自然観は、鉄筋コンクリートの中で暮らしている自分たちには、ちょっと思い浮かばないものがあります。
そんな印象を持ちました。 tonkyu