本日、奈良ホテル(大和の間)で奈良女子大学卒業30周年記念同窓会(第24期 1976年3月卒)があって招待され参加した。この会への参加は私としては去年についで2回目である。この会の特徴は、参加する卒業生は毎年53、54歳、招待される先生は毎年一つづつ歳を取るということだ。私の場合、63歳で定年、31年勤めたので63+31=94歳まで生きないと、卒業生全員の30周年に出られないということになり、まず無理だろう。今回は卒業生は、170名ほどの参加、先生は私を含め名簿では35名であった。家政学部住居学科卒としては、16人/26人の参加だった。先生は近藤公夫先生、梁瀬度子先生と私の3人だった。テーブルは二つに分れて卒業生は8人づつ、私のテーブルは18番テーブルでしんがりだった。井上公正先生(文・哲学)の発声で乾杯、わいわい宴は進んでいった。私達のテーブルでは私の提案で順次自己紹介した。先生(高校)等として働いている人、主婦の人半々位かな。私は30年前は「建築一般構造」を教えていたようだ。宴の途中、先生を代表して今年から参加の理・生物の高木由臣さんが話をした。(高木さんは私と同期で去年一緒に退職した)奈良女の学生の助けがあったからこそ「ゾウリムシの寿命の研究」が出来たとのことだ。最後に「アトラクション」で物理出身で、その後シャンソン歌手に転身した針生(きりゅう)祐子さんが三曲歌った。「Mother」というのと(新井 満さんの)「千の風に乗って」だけ覚えている。(新井 満さんの話や歌についてはブログ06年6月18日参照)両方とも針生祐子さんと富山の母親との関係が絡んでいることがトークから分った。「Mother」は参加した同期生向き、「千の風に乗って」は先生向きかな、と思った。私は住居の卒業生に「今ならやれる、面白い一般構造の講義」のさわりを喋った。そして最近の論考を皆に渡した。ブログのことを言おうかなと思ったら隣のテーブル席の一人が「偶然に先生のブログを見つけてしまい読んでます」と言われた。私は、とにかく検索エンジンで「西村一朗」で調べたらすぐ分る、と皆に言っておいたので今晩あたりからアクセスが増えるかもしれない。最後に皆で「学生時代」を歌ったが、どうもこの歌は「ミッション・スクール」のものではないか、と思う。そして、暑い中、外で学部ごとの記念撮影をして会は終わった。帰り際に大分「先輩」の食物の遠藤金次先生、堀川蘭子先生が「去年のこの会のブログ見ましたよ」と言われたので一寸驚いた。お二人の名前もそこにあるからである。(05年8月7日ブログ参照)卒業生には、10年後にクラス会をするなら呼んでよね、と言っておいた。
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今回お世話いただいた東田さんの左隣でした。
短大で非常勤講師を6、7年勤めその時に梁瀬先生とごいっしょに調査をさせていただいた関係で梁瀬先生とは卒業後何年も経ってからご縁があり、その時よく西村先生との楽しいお話しを伺っていました。
お気に入りに登録し、楽しいお話を読ませていただきます。
実際教えていただいていた頃の先生方より私たち年をとってしまっていますものね。感慨です。
52歳、53歳のおばちゃんですが5分おしゃべりしていると昔に戻ってます。楽しいひと時でした。
ありがとうございました。
帰りの新幹線で先生の研究内容の資料を読ませていただき、身近にある住居問題をもう一度考えていきたいと思いました。(・_・)v